紙の本
物足りなかった
2018/06/26 18:44
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投稿者:コージ - この投稿者のレビュー一覧を見る
少し中途半端かなと感じました。
老いに伴って死を意識していく主人公の様相が描かれていくが気になった点がふたつ。
先ず、当初 余生にいじけた心持ちであった主人公が前向きになった時のきっかけが描かれていなかった点。そこはとても重要なところのはずなのに無くて、おいてかれた感がありました。
次に気になったのは話の締め方。
余生を楽しんで前向きな様は気持ちはいいが、キチンと最期まで描いて欲しかった。死に至る直前の心の機微まで細やかに表現して欲しかった。人の人生に正面から向き合うなら最後までと思うが、途中でなんとなく終わらせてしまった点は残念。
人の死が好きなわけではないが、死にざまは生きざまでもあると思う。終末に至るまでの心の機微を赤裸々に描いて欲しかったが、多くの人の目に受けいてられる大賞を目指すには難しい話か。キレイごとではなく、人の生きるリアルを描いて欲しかった。
紙の本
ちょっと難しい。
2021/05/30 14:12
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投稿者:タオミチル - この投稿者のレビュー一覧を見る
先の東京オリンピックの年に東北から上京し高度経済成長期のステロタイプな主婦として暮らし、一人暮らしになった桃子さんは74歳。さて、ひとりでどうして生きてゆこうか...。
うーん、その先が、どうも私には散漫としすぎてわからなかった。私には、まだちょっと早い物語なのかな??
紙の本
好き…ではないのかなあ
2018/05/24 14:59
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投稿者:オラフ - この投稿者のレビュー一覧を見る
仕事柄、一人暮らしのお家には訪問によく行く。煩雑なようで便利な配置の室内、独特の空気感が伝わってきた。いつの間にか年取って、ひとりになっての開放感や寂しさ。よくあらわしてると思うな。
でも、正直いうと… 個人的には好みの作品でないみたい笑。 入り込めない自分がいた。
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斎藤美奈子氏の『桃子さんは私のことだ、私の母のことだ、明日の私の姿だ』という文藝賞選評は圧倒的に正しく胸を打つ。
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51)それが贖罪だど言ったら、おめはんは驚くだろうか。母さんは正司の生きる喜びを横合いから手を伸ばして奪ったような気がして仕方がない。大勢の母親がむざむざと金を差し出すのは、息子の生に密着したあまり、息子の生の空虚を自分の責任と嘆くからだ。
母親は何度も何度も自分に言い聞かせるべきなんだと思う。自分より大事な子供などいない。自分がやりたいことは自分がやる。子供に仮託してはいけない。仮託して期待という名で縛ってはいけない。
94)従属して目を伏せて、自分ばさておいで男に尽くす。でどうなったが。男を呑み込んでしまったのす。後ろから操る。内面を支配する。男は女の後ろ盾無くしては不安で仕方がねぐなった。恐怖の二人羽織状態。余興として見る分にはおもしれが息苦しい。
97)46億年の過去があった。つづく未来もあると思いたい。周造、おらどは途上の人なのだ。それでも人は変わっていく。少しずつ。だから未来には今とは想像もつかない男と女のありかたがあるのだと思う。
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第158回芥川賞受賞作。
岩手弁から滲み出る強さと物哀しさと少しばかりの感傷が作者ワールド(選考委員の言葉を借りると思弁的)で強みを帯びている。
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東北弁が読めないというレビューをamazonで散見したが東北の人間なのでさして苦もなく読めた。
本屋のPOPで「初めから大爆笑!」みたいなコメントを寄せているおじさんがいたけど、この人絶対読んでないなと思った。
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言葉のうずの中でぐるぐるぐるぐるぐる。こんな感じ久しぶりな気がする。
夫に先立たれて一人で暮らす高齢者の、独り言。
なんていうか、独り言の世界がこんなにも豊かで奥が深くて生き生きとしているなんてほんと驚き。
宮沢賢治の詩からとったタイトルの「いぐも」は「逝ぐも」であり「生ぐも」なんじゃないか。生きるんだ、まだまだまだまだ。
おらはおらでひとりで生ぐんだ。
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東北弁には独特のグルーヴ感がある。
母が函館の出なので、耳馴染みがある。
やり場のない、ぐるぐると回るような呟きにも。
諦念をにじませた、ややシニカルな現実認識、は北国が育んでしまうものなのだろうか。そんなことないか。
女性のライフコース、地方と中央、新興住宅地の終わり、老いた親と子ども、母の呪い、差別の内面化、問題は山積だけれども、それらを我がこととして引き受けていくすがすがしさ。
彼女たちの尊厳に敬意を払うこと。
引き継いでいくこと。
難しいけれど、やっていこうと思う。
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早くも「今年一番の収穫かも」と思わせる傑作と出合いました。
昨年の文藝賞受賞作。
作者は63歳の新人、若竹千佐子さんです。
どんな作品かと言うと、「老いるのも悪くないかも」と思わせてくれる作品です。
なんて書くと、お涙頂戴の感動物語だと思われるかもしれません。
のんのんのんのんのんのんのんのんのんのんのんのんのんのんのんのんのんのん。
全力で否定します。
東北弁が唸りを上げて炸裂し、柔毛突起どもが暴れまくるのです。
何のことか分かりませんね?
順を追って説明いたしましょう。
主人公の桃子さんは75歳。
既に最愛の夫を見送り、2人の子供を育て上げ、都市近郊の新興住宅街で一人ひっそりと暮らしています。
代わり映えのしない毎日ですが、桃子さんの頭の中には様々な人格が棲みついていて(これを「柔毛突起」と呼んでいます)、しょっちゅう井戸端会議を開いています。
しかも、東北弁で。
何故、東北弁かというと、桃子さん自身が岩手県の出身だからです。
桃子さんは田舎にいたころ、農協に勤務していました。
農協の組合長の息子と縁談も決まっていましたが、東京五輪のファンファーレに押し出されるようにして故郷を飛び出したのです。
そして、既に他界した夫と運命的な出会いを果たすのです。
老境にある桃子さんは、愛とは何か、自分の人生とは何だったのか、としきりに問い詰めます。
手垢の付いた回答を引き出すと、柔毛突起どもが途端に暴れ出します。
「おめだば、すぐ思考停止して手あかのついた言葉に自分ば寄せる。何が忍び寄る老い、なにがひとりはさびしい。それはおめの本心が。それはおめが考えたごどだが。」
いや、このやり取りが実に愉快で、痛快なのです。
ほぼ全篇、こんなふうに賑やかな東北弁で饒舌に語られます。
取り立ててドラマチックな展開はないですが、頬の緩む場面あり、吹き出す場面ありで、「ああ、この世界にずっと浸っていたいな」と惜しむような思いでページを繰っていくと、最後は「あれ? 俺、もしかして泣いてる?」ってなるんだから、実に鮮やかな手並みと言うほかありません。
それに若竹さんたら感性が実に若々しくて、擬音の使い方も思い切りがいいし、はみ出すことを恐れない、というか積極的にはみ出していくんですね。
作中の冒頭で紹介される、ジャズを聴いているうちに丸裸になって踊っていたなんてエピソードは、これは若者の感覚でしょう。
ほんと脱帽です。
これだけの才能があれば、もっと早くデビューできたのではないかと思ってしまいますが、若竹さんの中では本作を著すまでに一定の年月が必要だったんでしょうね。
まさに「機が熟した」というべき、その一瞬を捉えて放った閃光のごとき作品です。
若竹さんがこれからどういう作家人生を歩まれるかは分かりません。
ただ、この作品を世に残せただけでも、生まれてきた甲斐があるというもの。
羨ましい限りです。
これから日本は高齢化社会の長い長い下り坂を下って行きます。
下り坂なんて書いたら、「失礼な」と思われる向きもあるでしょう。
あのさ、そういう「常識」をいったん脇へ置こう。
下り坂はネガティブだっていう思考が前提にあるから、そう思うんよ。
そうじゃない。
下り坂の先には、確かに雲はないけれど、道々、野に咲く花や味わい深い石を見つけられる悦びがあると思うんだ。
さあ、希望を持って老いよう。
桃子さんと一緒に。
※蛇足ですが、本作は、今度の芥川賞ノミネート作。
ぜひ受賞して欲しいものです。
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芥川賞受賞インタビューを見てとても興味を持ち、受賞発表の翌日慌てて購入した。
東北弁と標準語のコントラスト、リズミカルで生き生きとした文章が読んでいて楽しい。
74歳のひとり暮らしの桃子さんの心の中の、大勢の声達の井戸端会議には笑えた。
実家の母も桃子さんと同世代。
うちの母もこんな風に心の中で井戸端会議しているのかな。
そしてそう遠くない将来、私も桃子さんのように…。
桃子さんは次々にわき上がる大勢の内なる声達をジャズのセッションに例えていたけれど、私にはロックのように思えた。
一見控え目に見えて見事に己の言霊をハードにぶつけてくる。
ぶつけられた言霊が私の中をグルグル巡る。
一度読み出したら止まらない。
すっかり桃子節に取り込まれてしまって、とってもいい気分。
「老い」を孤独ととるか自由ととるかはその人次第。
でもこの作品を読み終えた今の私は並々ならぬパワーをもらえた。
おらの今はこわいものなし、なのである。
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第158回芥川賞受賞
東北訛りがきついから読みにくいのかな、と最初懸念したがすごく読みやすい。なんだろ、リズムがよい。文藝賞受賞作家って若い子が受賞するイメージですが最年長受賞なんですね。そのまま芥川賞受賞も納得するほど、おもしろい。
玄冬小説流行るかな?
年をとるのが怖くて、老いがこわくて必死にしがみついているアラサー女の私も、こうやって年をとるのは悪くないかもしれない、って思わせてくれた。
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自分の人生、これでよかったのか?
自分は満足できたのか?
悔いが残っているのか?
人生に正解などあるはずもなく、いくら考えても答えは出ないのでしょうね…
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芥川賞受賞作なので読みました。
とは言え、芥川賞受賞作に裏切られっぱなしでしたので、まぁ「一応読みましたけどね」というために読んだみたいな感じです。
色んな理由で独りぼっちになってしまったおばぁちゃん。
「頭の中の妄想」だけが、生きるための「支え」のようなもの。
「そろそろお迎えが」と覚悟したにも関わらず、脈々と引き継がれる「種」に気づきます。
最後まで読んで、期待を裏切られ、感動しました!
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光明池駅の天牛書店は、小さいスペースで扱い点数は少ないが、新刊・話題の書・面白そうな本・・・と文芸書の内容は結構充実している。他の駅前書店には無い棚を作っており、データだけには頼らない仕入れをしていらっしゃると見ている。芥川賞を受賞した本書も、受賞前から目立つところに置かれており、つい手に取った次第。
帯には玄冬小説と書かれており、白秋を生きる私には少し早いかと思ったが、読み出しの面白さに引き込まれてしまう。読み進めると、私にも想像がつく老いと、孤独への処し方の桃子さんなので、私が想像以上に老成しているのか、70歳を過ぎても人はそんなに変わることもないということなのか。それもいずれ分かってくることなんだろうということも、分かった。
この小説はラストがいい。青春、朱夏、白秋、玄冬を経た主人公桃子さんが、孫へ青春のバトンを手渡すかのように、さわやかな風が吹き抜けていった。