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あの時代こんな人がいたのだな。私だったらまかれているな。現代でも巻かれているもの。。。
いろいろな立場から戦争を考えることができ勉強になった。これは現代、会社でもあてはめて考えることができるなあ。ざっくり読んでしまった。また時間を見てじっくり読みたい。小説も!
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特攻命令はパイロットたちの自尊心を傷つけた。自爆攻撃は自らが研鑽を積んできた技術を無意味化するからである。本書の主人公である方もできる限りの抵抗を試み、そして生還する。
鴻上氏が「不死身の特攻兵」であった老人に聴き取りをおこないえたのはまさに偶然のことであったが、この貴重な聴き取りは私たちに貴重な教訓を示している。
やや後半冗長な感がしたので★ひとつ減じたが、読まれるべき一冊。
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読むのがとまらなくなる内容でした。
第2章は初めて知ることばかりでした。
特攻のリアル。「命令された側」の人たちのリアル。
ギリギリの選択。その先の現実。
第3章のインタビューは、インタビュアーの心の震えが伝わってくるようなやりとりに感じられました。
多くは語らない、けれど信念のある人の言葉。
特攻のリアルを経験された方の言葉。
読み進むにつれてため息が、言葉にならない言葉がため息となってこぼれてくるインタビューでした。
第4章は、熱を感じる文書でした。
「命令する側」「命令される側」そして「傍観者」。
饒舌な傍観者と、閉ざされてゆく当事者の言葉。
立場を分けて論じることの必要性に胸を刺される内容でした。
どのような意思を持つ人が、どのような状況の中で、どのような選択をし、そしてどのような結果を引き受けてきたかが描かれています。
読みたくて読んで、そして読んでよかったと心から思えた一冊でした。
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9回出撃して生還した特攻兵、と聞いて、9艦撃沈かと思ってたが、そんなことはなかった。実際に、爆撃に成功したのは一艦だけ。
だがまさに、特攻というもの、それがなんであったかを知る良著。
著者が実際にこの特攻兵にインタビューしてる内容は、残念ながら本としてはさほどインパクトがあるわけではないが、取材の中から浮かび上がって来た、特攻というものの意義を問う。
命令する側が命令される側を語るな。
いわんや、自分をそっち側と同一視するな。
なぜ、こんな異常な事態が、効果がないと判っていながらやめられなかったのか。いろんなことが見えてくる。
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こんなことが戦争中,しかも特攻作戦の中であったということになによりも驚いた。死ぬことの意味,組織の不合理,空気,それへの抵抗などなど,いろいろなことを考えさせられる。
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理不尽な体当たり攻撃の命令に背いて、最後まで「敵艦船に爆弾に落とす」という信念を貫いた佐々木友次さんの物語とインタビュー。
著者の鴻上尚史さんは、「自分のやっていることが正しいと信じて上官の命令に逆らい続けることができたのはなぜか?」という観点から、佐々木友次さんにインタビューしている。パイロットしての長い時間飛び続けたからこそ、自分のパイロットとしての腕に自信があるだけでなく、体当たり攻撃の難しさと効果の低さをわかっていることがあった。それでも生還するたびに罵倒され続けるのだから、自暴自棄になってもおかしくなかっただろう。その中で自分を保てたのは、そんな極限の状態でも、佐々木さんは飛ぶことが好きだったということも一因だということに驚く。
本書は著者、鴻上尚史さんの考察で結ばれる。なかでも↓このくだりは、日本人の本質的特性を表している。
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「命令した側」からすれば、「世間」の「所与性」とは、「現状維持が目的」ということになります。ずっと続いていることを、無理に止める事はない。自分はそれを止める立場にはない。そもそも続いていることは、止めることより、続けることの方が価値があるのだ、という思い込みが「所与性」の現れです。
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鴻上さんは、高校野球を炎天下の時期から見直そうとしないことも、自衛隊が隊員に行った南スーダンへの駆けつけ警護への参加意思アンケートで「行かない」と回答した隊員への詰問も、特攻を命令した側の論理と同じだと説いている。
戦中と同様の不条理・不合理なことの所与性が、戦後の今も日本中の至る所に残っている怖さと、いつの時代でも不条理・不合理こそが本当の戦うべき敵だということを痛感する。
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特攻兵のはなしは美談となりやすいが、当時の本当の気持ちを素直に表現されている。正しい歴史を伝えるためにも多くの人に読んでもらいたい良書。
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永遠のなんとかでパクリ疑惑を指摘され「史実をパクリようがない」と開き直ったハゲがいたがそんなことを知ってか知らずか「史実はこう書き残すんだ」と我らがアニキがやってくれた。
構成は九度も生還した特攻兵を記録から準拠した一部、戦後70年の沈黙を破ったインタビューの二部、そして命令する側される側とあらゆる角度から見た特攻の本質の三部から成り立つ。
神と崇められて散った者が英雄でなく国賊と罵られ生き残った者がヒーローでもない、特攻という狂気の是非を問うことは死者への冒涜…このスタンスを守るか否かで内容は大きく変わる。
鴻上作品なら大丈夫である
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非常に興味深い本だった。
学生時代から教えられた特攻隊は、お国のために笑みを浮かべながら戦闘機に乗り込んでいったということ。
ところが、それは「命令した側」の残した歴史であり、「命令された側」は気が狂いそうになるほどの葛藤・虚しさ・怒りを覚えていたという真実があった。このような当たり前といえば当たり前のことが、特攻隊で生き残った方へのインタビューを通じて描かれている。
同じ物事でも見方によっては、光にもなれば影にもなるということだろう。
また、印象的だったことの一つに、大学生のような教養のある特攻隊員ほど、特攻への批判があったということ。
特攻隊という「世間」の中でも、しっかりした知識があれば、物事の表と裏も見抜けるということを如実に表しているように思う。
日本という社会は(もしかしたら、世界でもそうかもしれないが)、とかく空気を読み、それに流されがちである。
しかし、そのような空気が必ずしも正しいとは限らない。やはり、大切なのはしっかりとした知識を身につけ、自分の頭で考えられるようになることなのだろう。
最後に、もっとも印象的だったのは、精神を語りリアリムズを語らなかった軍の上層部達。
鴻上氏も記していたように、精神を語り、リアリズムを語らないのがもっとも楽なマネジメントである。しかし、それは同時にマネジメントを放棄していることに他ならない。
現状をしっかりと把握して、苦しみながらも自分の中で分析を行い、リアリズムをもって論理的に部下を導くことが、マネジメントにおける最も大切な要素なのだろうと感じた。
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非常に示唆に富む内容でした。
日本型組織の「病的部分」に関して、いかに立ち向かうのかということを、
教えてくれる良書になっていると思います。
改めて、以前の旧日本軍の組織論理、日本人の思考方法が、
如何に合理的ではなく、個人を犠牲にして、「組織の存続だけを目的」にすることがわかります。
この著作は、戦中の話しですが、今の日本の状況を考察する上で、非常に役立つ視座を与えてくれます。
最近ふと思うのは、特攻をしていた時とは、時代背景も、日本の置かれた状況も、国力も違いますが、
今、日本は「戦時下」にあるんじゃないかと。
また日本は再度、無謀な「戦争」へと突入しているんじゃないかと。
以前の戦争は「敵]がいましたが、今回の戦争は、「敵」がいません。
今の「戦時下」という状況は、以前と様相がかなり違います。
以前は、ABCD包囲網より、物資がありませんでしたが、
今は、外国に依存しながら、物資があります。
しかし、多くの人が「何か」が足りないと感じています。
以前は、みんな貧しく、国から好き嫌い関わらず、
団結するように強制されましたが、
今は、国民間で経済的かつ心理面での2極化が急速に進み、
もう互いに助け合うことも、繋がることも、団結することもできなくなりつつあります。
以前は、国のために命まで捧げていましたが、
今は、自己利益のために、他人の命を犠牲にするようになっています。
このあまりに違う「二つの戦時下」ですが、方向性は以前と同じように日本の崩壊です。
日本は、着実に崩壊へと向かっているんじゃないかと。
以前は、300万人以上のおびただしい犠牲者を出しましたが、
今は、生きていることに絶望感を感じている人がどんどん増えていっています。
黒船来航から日本は外部からの圧力により「変化」せざるを得なくなりました。
日本は自力で「変化」するのを得意としていません。
かならず、外部要因で「変化」する国です。
日本は、明治維新を経て、日清、日露戦争に突き進み、絶望的な太平洋戦争に、
進みました。多くの人が、あの戦争に反対しました。
なぜなら、「必ず敗ける」と、多くの首脳部が知っていたからです。
そして多大なる国民の命と財産を犠牲にして、
再度外部からの強制的圧力で日本は「変化」しました。
今、日本が最後に「変化」してから、70年以上経ちました。
そして、最近再度「外部圧力」が起こりました。
東日本大震災による福島の原発事故です。
原子力発電は、戦後日本の経済発展と技術の象徴です。
その象徴が実は国民の安全と生活を脅かす、凶器とわかりました。
この「原発事故」が、日本にとって、「変化」する機会でしたが、
どうやら、日本はもう「変化」できないのかもしれません。
それは、自力で「変化」することを、
日本人は、絶望的に得意としていないからです。
それは、端的に言えば、「変化」することが、怖いからです。
日本は今「戦時下」にあるような感じがします。
行先は、国の破綻です。
「そんなことはない!」と言う人は、
多くが自己利益のため「だけ」に発言しています。
歴史を振り返るのならば、
日本人は、再度、「外部の圧力」が訪れることを、
黙って待つしかないのかもしれません。
でも、今度「外部の圧力」来るのは、いつになるのでしょうか?
それまで、この「戦時下」を耐えられるのでしょうか?
自分たちは、再度、太平洋戦争に突入しているときのように、
絶望的な状況の真っ只中にいるんじゃないかと。
その状況を、「おかしい!」と声に出すと、
それは、「言ってはいけないこと」、「良くないこと」と「自動的」に判断されます。
それは、今、日本の「空気」となっているような感じがします。
鴻上氏も、その「空気」を感じ取って、この著作を出版したように思います。
事実を事実として、発言し、客観的な分析を加えながら、意思決定をし、最適解を見つけるのは、
「変化」する上での適切な方法です。
しかし、この「方法」を行おうとすると、
以前と、同じようにように、言った人は「非国民」扱いされます。
あまりに似ている「今」と「以前」、
その「以前」を知り、そして、個人がどう対応するかを考える上でも、
この本は、非常に有益だと思います。
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始めからぐんぐんと引きつけられ、とにかく知りたい一心で読みました。
これは読むべき本です。
佐々木友次さんのお墓に刻まれた文章が心に沁みます。
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非常に興味深く読んだ。
良くも悪くも著者が作家、という面は少しあるけれども(やや冗長であったり、インタビューがクローズクエスチョンなのが気になった…)、それを差し措いても、佐々木友次さんという方の存在、周りの人々の様々な考えが、戦争の凄惨さ、指導部のむごたらしい精神論と対比されて、心に残る。
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『命令した側』と『命令された側』、ごちゃ混ぜにしてしまうのは、思考の放棄でしかない。責任をとるのは、『その指示を出したリーダー』。
『精神』を語るのは、リーダーとして一番安易な道。本当に優れたリーダーは、リアリズムを語る。
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2年前修学旅行の引率で知覧を訪れて以来、知覧・特攻関連の本をかなり読みあさった。それでも知らなかった、また違った切り口の記録であった。恣意的でもなく、情緒に訴えるでもなく、事実の記録と分析に徹しているような印象を受ける。読んで、知ることができた、そのことに価値ありと思える。
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不死身の特攻兵、佐々木に大義名分はない。自己犠牲もない。盛られたドラマもない。ただ、生きていた。佐々木の思いや行動が必要以上にドラマチックにならないように、著者が抑えているように感じた。戦争に泣けるドラマを求めてはいけない。
「○○のために」という自己犠牲の美辞麗句のもとに、なんの戦略も勝算もなく、くだらない消耗戦に突っ込んでくマインドは、けして過去のものではない。しかも「自己犠牲」を他人に付け替えて、自らは安全圏から出ない卑怯は、今もまかり通ってる。いざ渦中、自分はどう生きるのか。