紙の本
ゲテモノと遠ざけるのではなく
2021/07/21 00:28
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投稿者:じゅんべぇ - この投稿者のレビュー一覧を見る
政治に興味を持てない、それでよいのか?を考えさせられる本です。
少なくとも立候補する、という勇気をもってハードルをクリアしている、ということを理解すべきで、話を聞くこともなく面倒と一蹴するのはよろしくない、という意見は心に刺さるものがあります。
もちろん中には、本当に単なる売名の人もいるでしょうが、それを選別する余裕と能力を持つべきと思いました。
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素晴らしいっ!もうこの一言に尽きる。
選挙に立候補するいわゆる「泡沫候補」を「誰にも頼らない、無頼系
独立候補」と呼び、そんな彼ら。彼女らを追い続けた記録だ。
私は注目を集める選挙にマック赤坂氏とドクター中松氏の名前を見つける
と、「あ、また出ている」と嬉しくなって来るんだよね。そして、本書
の冒頭はそのマック赤佐氏なので、ワクワクした。
スーパーマンやガンジーのコスプレをしたり、頭に天使の輪をつけて
いるけれど、彼の「スマイルっ!」ってとっても大事なことだと思う
のよ。みんなが笑顔でいられる政治っていいじゃないか。
選挙になると大手メディアは「主要候補」と「その他」で括って、
マック赤坂氏をはじめとした組織の力に頼らない候補者たちは
「こんな人も立候補してます」ってひとまめにされてしまう。
今ではインターネットで調べれば、どんな候補のことでもひと通り知る
ことは出来る。それでも、自分から「この人はどんな人なんだろう」と
興味を持つきっかけがなければ、報道に乗らない候補者のことなんて
知らずに選挙が終わってしまう。
選択肢がおのずと決められてしまうんだよね。組織力を持たない候補者
だって、訴えたいこと・実現したいことがあって名乗りを挙げている。
確かに一見、イワモノに見える候補者もいる。それでも、見た目のイン
パクトだけで敬遠してしまっては、候補者の考えを知ることも出来ない
のだよね。
また、本書では高額な供託金のほか、どれだけ日本の選挙にはお金が
かかるかが詳述されている。これ、本当に問題だと思う。特に、同じ
ように供託金がある国と比較しても格段に高い。
その途轍もない供託金を用意して立候補した人たちなのだから、有権者
である私たちも彼ら・彼女らの言葉を真剣に受け止め、考える必要が
あるんじゃないかな。
本書の素晴らしさは有権者がはなから無視を決め込んでいる候補者たち
にスポットを当てていることばかりではなく、著者がそれぞれの候補者
に真摯に向き合い、ちゃかすでなく、冷笑的に見るでなく、主要候補と
呼ばれる人たちに対するのと同様に真摯に向き合い、その選挙活動を
綿密に追っているところだ。
第15回開高健ノンフィクション賞受賞も頷ける。
真剣で、ひたむきな無頼系独立候補同様に、著者の筆も真剣で、ひたむき
である。いい作品に出会えたことに感謝である。
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http://gakugei.shueisha.co.jp/kikan/978-4-08-781651-8.html
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読む前に思ったのは、映画「立候補」の裏話的な本かな?ということだったけど作者が違った。マック赤坂についての描写は「立候補」と大きな違いはないように思えた。ただ、ニコニコ生放送で立候補者の公開討論会を企画、放送するなど、作者自身がかなり選挙にコミットしているのが映画「立候補」との大きな違い。そんな関わりもあるせいか、この本では著者の選挙への愛、そして何より立候補者への愛がほとばしっている。それはいわゆる泡沫候補を「無頼系独立候補」と書くところに端的に表れていると思う。冷笑しない。敬意を持つ。なぜなら、彼らは自分にできないことを徒手空拳でやっているから。
しかしやっぱり時に滑稽に映ってしまうのも事実。マック赤坂の章では、声を出して笑う箇所があった。そこでちょっとあきれたりはするけど冷笑はしない。そこがいいと思う。自身も苦しい中でライターを続ける著者は、真摯で滑稽な無頼系独立候補に自分を投影させていたんじゃないだろうか。
自分は何かを、誰かを冷笑していないか?自分にできないことをしている誰かを。戦っている誰かを。いつか、その冷笑は自分自身に跳ね返ってくるのではないか。冷笑してきたからこそ今の政治状況なんじゃないのか。冷笑しなかったからこそ、この本は開高健ノンフィクション賞を受賞できたのではないか。そんなことを考えさせられた。
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選挙という仕組みを使って政治に関わるという、民主主義として自明のシステムに対して、なんだか納得がいかないことは色々とあると思います。本書ではそんな納得いかなさについて、著者の取材活動から訴えられたいことが書かれています。選挙に立候補した人たちの中で、有権者が知っているのは報道される本当に一部だけ。それ以外の人は、一体どんな選挙活動をしているのか。そしてなぜ立候補するのか。とても当選できないのに。一人一人について、著者が密着取材を通して知り得たことを書かれています。彼らはわかっていて、それでも必要だから立候補しているのだということを。選挙に対してもっと向き合って行かなければならないと感じました。
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著者が訴えていることはすごくよくわかる。実にまっとうな考え方だと思う。選挙とは、今現在の民主主義という仕組みの要であり、誰もが立候補して自らの政治的主張を述べる権利を持つはずだ。それなのに実際には、立候補のハードルは高く、そこを越えても、大きな組織の後押しや圧倒的な知名度がない人は、「泡沫候補」と呼ばれ、マスコミには黙殺され、時には嘲笑されたりする。それでもなお、選挙に出続ける人はいる。マスコミは、彼ら彼女らの主張をきちんと報道すべきであり、私たちもその声に耳を傾ける必要がある。
その通りだなあと思う。でも…、でもね、ここで取り上げられている「泡沫候補」(著者は「無頼系独立候補」と呼ぶ)の方たちの意見に、真剣に耳を傾けることができるかと言われると、うーん、これはちょっと難しい。もちろん、ふんふんなるほど、という政策や理念もあるのだけど、どちらかというと、およそ実現性のない空想的なものとか、意味のよくわからないスローガンとか、それはちょっとどうなのかというものが目立つように思う。候補者のなかには、明らかに常軌を逸した感じの人もいて、まあそこまではいかないにしても、あまり共感を呼ばないだろうという人が多いのではないだろうか。
何度落選しても、結構な金額の供託金を没収されても、選挙に出続ける人たち。「泡沫候補」と呼ばれ、無視されたり嘲笑されたりしながら、それでもなお立候補するのはなぜなのか。当然その理由は人によって違うのだろうが、そこが今ひとつわからず、もどかしい。
おや、マック赤坂のことが書いてある!というのが、手に取った理由。派手なパフォーマンスで知られているけれど、京大から伊藤忠商事に入社、その後レアアースの会社を経営している人でもあることを最近知った。選挙に出続ける意味を、言葉で語っているのかと期待したが、どっこい、そんなわかりやすい人ではないようだ。反骨精神に貫かれた真面目な姿と、突飛でふざけた言動の間で、人物像は揺れ動き、とらえどころがない。
最も多くのページが割かれているのがこのマック赤坂氏だが、他の方たちはおおむねもっと理解を超えている。読みながら困惑してしまったのが正直なところ。とは言え、繰り返しになるが、著者の主張自体は、実にもっともだと思った。たとえば、次のようなくだり。
著者は、こうした「泡沫候補」を無視したり冷笑したりすることはたやすい、選挙に関心を持たず、無関係のスタンスをとるのはもっと楽だ、それはクールでかっこよく見えるし、忙しい毎日を送る上での賢さかも知れない、と述べた後、こう書く。
「私はそれを愚かな賢さだと思う。めぐりめぐって、結果的にそのことが自分の人生に不利益をもたらすこともあるのだから」
「私が無頼系独立候補たちを尊敬する理由は、『逃げない』という一点だけでも十分だ。彼・彼女らは、有権者による投票結果を受け入れる覚悟をもって自分の思いを提案してくる。それは選挙に行かずに政治に不平不満を言うものよりも、遙かに尊い心の持ちようだと私は思う」
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【孤立無援の独壇場】泡沫候補と称され,そもそも選挙に出馬していることすら認知されていないような候補者に焦点を当てたノンフィクション。「勝てない選挙」に出馬する彼/彼女らを突き動かすものとは何か,そしてそういった候補者から見えてくる日本の選挙の問題点とは......。著者は,早稲田大学在学中から取材・執筆活動を始めた畠山理仁。
「気づくと絶対面白いテーマだとわかるが,そのテーマにまず気づかない」というタイプの一冊。取り上げられる候補者一人ひとりの人間ドラマに引き込まれることはもちろん,政治とは,選挙とはという大きなテーマへの思考にも導いてくれる作品です。
〜生身の候補者一人一人にはドラマがある。誰もが命をかけて自分の主張を訴えている。選挙に敗れても,何度でも立ち上がり,「次こそは」とまた新たな戦いに挑戦する。底抜けに明るい彼・彼女らは,間違いなく私たちの「分身」だった。〜
選挙の見方が間違いなく変わるはず☆5つ
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現行の選挙制度がいかに現役議員にとって有利に働いているのかがわかる本です。
供託金制度、選挙ポスター制度、報道露出度、短い選挙期間・・
まず、供託金の高さ。
衆参や知事選は300万円、首長選は240万円、国政比例は600万円。
ちなみに衆議院選挙の供託金は1975年は100万円、1982年には200万円、1992年には300万円となっています。
欧米の大国は供託金制度自体がなく、例外として英国は8万円弱、カナダやオーストラリアは9万円、韓国でも150万円と日本の半分程度です。
つまり、日本では立候補の時点で誰でもなれるわけではないということです。
続いて、選挙ポスターは都内だけでも1万4千か所あるらしいが、個人で立候補する場合、とてもじゃないが無理。
本書では、1万4千か所を電光掲示板にし、候補者ポスターが完成した時点でデータを読み込み一斉に配信する、選挙期間以外は一般企業の広告などで利用活用する、という素晴らしい提案もされています。
より深刻なのは、報道の露出度という点で、前回の都知事選でも記憶に新しいのですが、まるで候補者が小池、増田、鳥越の3名だけのような報道しかされなかったことでしょう。
実際には21名の候補者がいたわけで、同じ供託金を払いながらも泡沫候補者としてほとんどマスコミで報道されることはありませんでしたし、公開討論会にさえ呼ばれない始末。
これは、マック赤坂が「法の下の平等、公職選挙法違反」だと異議を唱え続けていますが、最高裁で負けています。
本書では、米国の予備選挙ではないが、何度かの討論会で主要候補を絞っていく案も提示されていました。
少なくとも、発言とマスコミ露出の機会を、マスコミの独断で絞ってしまうのは問題でしょう。
日ごろ、新聞各紙が唱えている「国民の知る権利」とやらはどうなっている?
しかもその基準が知名度というのですから使えない芸能人や二世議員が蔓延るわけです。
そして、12日間(衆議院)や17日間(参議院、知事)の選挙期間は短すぎます。(村議会は5日!)
もちろん、選挙カーで名前だけを連呼するのはやめてほしいですが、知名度のない候補者が自分を売り込む期間が2週間では回り切れませんし、前回の都知事選の鳥越氏のように、具体的な政策もなし、女性スキャンダルは発覚、討論会は欠席という化けの皮ももっと選挙期間が長くなれば暴露されたことでしょう。
選挙期間を1か月にすれば、それだけマスコミによる身体検査ができる猶予があるわけです。
また、細かな点でいえば、立候補者に各団体から送られてくるアンケートや調査票の書式がまちまちのため、似たような項目を書かされるという「選挙妨害」まがいの事態も起こっているようです。
組織があれば専用スタッフが処理できるが、独立候補者はすべて自分でやるためかなり時間を取られてしまう。
つまり選挙期間が短ければ、どうしても知名度の高い芸能人やら2世議員が有利になりますし、逆に長くすれば候補者の発言の機会が否応なく増えて、何を考えて立候補したのか、それとも政党に依頼��れただけで何も考えていないのかがはっきりわかります。
現職の議員たちが、有権者のためだとはわかっていても、自分たちに不利になるような選挙制度を見直すわけがなく、逆に国民に党首討論で約束した議員定数削減ですら無視を決め込む大ウソつきであるのは周知の事実です。
この本は、泡沫候補と呼ばれた者への温かな眼差しととも、現行選挙制度への鋭い批判にもなっています。
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無頼派候補
中川暢三 鹿島建設本社開発部の次長
2001 参議院選挙 東京選挙区
2002 長野知事選挙
2003 兵庫県加西市市長選 当選
2007 再選
2011 3選を目指したが5600票差で落選
2012/8-2014/2 大阪北区長
2015/4 大阪市議会議員選挙 落選
2015/11 大阪市長選挙 落選
2016 都知事選挙 落選
早稲田 稲門会
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第15回開高健ノンフィクション賞受賞
いわゆる泡沫候補の選挙戦を追ったノンフィクション。
1/3程はマック赤坂氏の話であるが、氏のインパクトは強烈。京都大学→伊藤忠商事→商事で自身が立ち上げ表彰もされたレアアース取引会社で独立→選挙戦を連発→レアアース価格下落により経済的には苦しい状況・・・
しかしマック氏とか一部はお金もあるようだが、彼らの立候補にはそこそこ大きな費用が掛かり、供託金のほぼ全額をサラ金で調達する人も居て、なかなか大変だ。
そこまでして民に訴えたい政策は何か興味を持ったが、これまた玉石混合。
今はSNSとか様々な自己発信が可能だが、選挙はNHK政見放送と辻立ちし放題が魅力なのか。
この国の民主主義は、特に近頃は歪みっぷりが激しいと感じる。彼ら無頼系候補が一石を投じられるのか。でも当選する人も居ることは居るし、供託金が返却される人もそこそこいるのだから、続けることは意味の有る事なのだろう。
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「泡沫候補」と呼ばれる候補者がいる。
有力な支持者もいなければ、政党の後ろ盾もない。知名度もなければ、資金も十分にはない。ないない尽くしで、しかし、彼らはドン・キホーテよろしく、選挙に立候補するのである。そしてたいていの場合は、当然のごとく、あえなく散る。
たった1つの枠に21人もの候補者が立った2016年の東京都知事選は例外的な多さではあったが、多くの選挙には少なくとも1人や2人、誰の目から見ても闘う前から負けが見えているかのような候補者はいる。彼ら・彼女らを駆り立てるものは何なのか?
これはそんな候補者たちを綿密な取材で追った1冊である。
著者は長年にわたり、こうした無名の候補者たちに注目してきた。著者は彼らを「泡沫候補」とは呼ばない。敬意をこめて「無頼系独立候補」と呼ぶ。
なぜか。
彼らには、公共のために何かをなそうという気概があるからだ。ときに荒唐無稽で、ときに癖が強すぎたとしても、彼らには、有権者に訴えたい「政策」があり、未来に向けた「ビジョン」がある。
少なくとも、政局を醒めた目で眺め、ときには投票にさえ行かず、選挙で何か変わるとは信じていない、そうした有権者よりも、よほど政治に真面目に向き合おうとしている。
そんな彼らを「泡沫」と貶めるのか、という憤りがそこにはある。
こうした候補者は、「主要」候補者に比べ、マスコミから取り上げられることが圧倒的に少ない。政見放送や選挙公報ではすべての候補者に平等に機会が与えられる。しかしテレビのニュースや新聞紙上では、「主要」候補者数名の主張・政策のみが比較され、「泡沫」候補は名前のみということもある。1面・2面を使う「主要」候補に対し、「泡沫」候補は全員まとめても4コマ漫画より小さいスペースしかないことも珍しくはない。
日本で立候補をするのは想像以上に大変だ。
政治に興味を示すなんて変わり者。今までの仕事や地位はどうするのだ。家族はどうなるんだ。そんな周囲の冷ややかな視線に負けて、立候補を断念するものも少なくない。
もう1つ、日本の特殊な状況として、供託金の問題がある。選挙の種類にもよって額は異なるが、立候補に当たっては数百万円もの供託金が必要とされる。この金は一定の得票率を越えれば帰ってくるが、そうでなければ没収される。それどころかポスター代などの必要経費も自前だ。この金を用意できない者は、そもそもの出発点にすら立てないのだ。
候補者らは、熱き心でこの壁に挑む。
派手な外見であったり、パフォーマンスが異様であったり、「キワモノ」感が強い候補者もいるが、その多くは、落ち着いて話を聞くと、日本の未来を見据え、どうすれば皆が幸せになれるのかをごく真面目に考えている。
多くの候補者は自分の中に芽生えた疑問から逃げない。落選しても二度・三度と挑む者も多い。
著者もまた熱き心を秘めている。
選挙に立候補する勇気は「2万パーセント」持てないと言う著者だが、20年に渡り、多くの選挙を取材し、そのほとんどすべての立候補者を追うというのは並大抵のことではない。
その陰には、大手マスコミが既成事実のように特定の候補者たちを「主要」候補と呼び、彼らの主張のみが報道され、たいていの場合は特段の番狂わせもなく、そうした候補者の中の1人が選ばれていくことに対する疑問と苛立ちがある。
著者は、「無頼派」の闘いに密着し、愛のあるツッコミをいれながら、一流の読み物に仕立てている。
端的に、ものすごくおもしろい。彼らの闘いは不思議な感動を呼ぶ。
それと同時に、「政治」に対する自分の姿勢を鋭く問われる1冊でもある。
なぜ立候補に対するハードルがこんなにも高いのか。なぜ政治にかかわることにこんなにも覚悟が必要とされるのか。「主要」候補でない彼らの主張はなぜ当然のように「黙殺」されることになっているのか。
こうした疑問は、じっくり考えてみる価値のあるものだ。
そうやってマスコミや私たち自身が「黙殺」しようとしているものは、「泡沫候補」と呼ばれる候補者たちだけではなく、「政治は私たち自身のためのものである」というあたりまえ過ぎる事実そのものなのかもしれないのだから。
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思った以上に面白かった!
夫が政治に興味あり、
今まで全然気にしていなかった政治の世界に
触れ始めたら政治はちょっと面白い。
だけど、その中でもさらに
メディアにほとんど取り上げられない
いわゆる泡沫候補にまじめに取材したこの本は
想像以上にまじめで色々考えさせられた。
政見放送で気持ち悪かったあいつとか…
まぁ、マック赤坂の言ってることとか
すごいんだけど、やっぱり当選はして欲しくない
訳で、まともで戦えるような候補者はいないのか…
やっぱり政にはちょっとおかしい人たちしか
携われないのかな⁇
供託金の高さと選挙期間の短さは
改善必須だな。あと、議員報酬のカット。
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これは歴史に残るノンフィクション本です。
ちょっと古い話になりますが、2016年に小池百合子氏が勝って都知事になった
東京都知事選には、何人の立候補が出馬したかを覚えていますでしょうか。
なんと21人です。
おそらく多くの人は、小池氏、増田寛也氏、
そして鳥越俊太郎氏の三つ巴の戦いとしか
記憶していないことでしょう。
それもそのはずです。
その主要3名しかTVでは扱われなかったと
言っていいからです。
その他は「泡沫候補」という言葉で括られることが多い。
しかし、彼ら彼女らは決して目立とう精神で、負けて元々で出馬したのではないのです。
ややもすると変テコリンな格好で「頭がおかしい、
選挙オタク」という色物扱いにされがちですが、
それはそうしないと「全く存在していないと同様に
マスコミに扱われてしまう」からです。
皆、しっかりと政策を持って立候補しています。
なのに、ほとんどの有権者は彼らを”黙殺”してしまっています。
この本を読めば、次の選挙の成り行きの見方が変わります、政治への見方が変わります。
素晴らしいノンフィクションです。
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サブタイトルが「報じられない『無頼系独立候補』たちの戦い」
ほとんど当選する見込みはないけど、独自の政策を掲げて選挙に出続ける人たちを追ったノンフィクション。
考えてみれば、政党を渡り歩いて、自分が当選することしか考えない議員先生より彼らの方がよっぽど国のことを考えている。
色々と考えさせられる一冊だった。
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とっても面白かった!!!「無頼系独立候補」の方々の立候補への思い・活動を知り、自分も信念に基づいてがんばろう、自分がやりたいことをやろうと元気がでました。
いままで、選挙の”主要候補”以外の候補のことはほとんど知らず、マック赤坂をはじめ、名前やポスターをみかけることはあっても「なんとなくよくわからない」だけだったけど…それぞれ、アツい思いをもってわざわざ選挙に出ている、とってもinterestingな方々なのだとよーくわかりました。それぞれのアツい思いも、よくよく聞けばごもっとも。よくよく聞いてもエキセントリックなことも、やりたいことやっている感が爽快でした。しかし、あまり取り上げられない悲しさは絶対にあると思うので、全候補が、報道でもっと平等に扱われるようになったらいいと思います。
そしてこうして丹念に取材を続けてこのように本にしてくれた著者も素晴らしいと思いました。ありがとうございますと言いたいです。