紙の本
語られなかった歴史
2022/04/01 11:35
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投稿者:BB - この投稿者のレビュー一覧を見る
日中戦争時、日本が満州国に設立した最高学府「建国大学」について、その卒業生たちをたどって、つぶさに描いている。
帝国主義の中にありながら、共和、自由がある程度認められた実験的な場所だったようだ。
歴史に翻弄された卒業生をたどる旅のルポルタージュで、建国大学が、日本でも中国でもタブー視され、語られない歴史となっていたことを暴いていく。
歴史のはざまに埋もれていた事実をすくい取り、歴史の継承とは、真の「協和」とは、深く考えさせてくれる良作。
紙の本
知られざる満州の歴史
2022/12/10 11:34
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投稿者:令和4年・寅年 - この投稿者のレビュー一覧を見る
満州建国大学をめぐるルポルタージュ。本がつくられる過程で、お亡くなりになられた方が多く、それでもこの世にその歴史を遺したいという思いが伝わってくる一冊だった。
紙の本
教科書には載っていない、日本が満州で実施した高等教育について伝えるノンフィクション
2022/05/27 14:05
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投稿者:YK - この投稿者のレビュー一覧を見る
日本が満州国を設立した際、将来の満州国の運営を担う人材を育成するために満州建国大学が設立されました。学費、生活費は支給され、日本だけではなく、朝鮮人、中国人、モンゴル人、白系ロシア人と満州の関わる広範な地域から選りすぐられたエリートが在籍した当時の日本としては稀有な国際教育機関でした。定員150名程度に対し応募は2万人を超えていたという数字が、いかに優秀な人材を集めていたかを物語ります。
建国大学では「民族協和」の理念のもと、20数名の小グループに全ての出身国の学生が振り分けられ、当時の日本の施策を批判することも自由という、完全な言論の自由の保障のもと、国際感覚を養う教育が行われていました。
これほどの規模と先進的な教育機関でありながら、その存在はほとんど知られてきませんでした。敗戦後、日本人学生は日本の満州における傀儡国家運営を担う教育を受けたとして戦犯として扱われる危険性から口をつぐみ、朝鮮人や中国人の学生は日本の政策に一時加担したという疑いをもたれることは自分だけでなく家族までも危険に晒す可能性があり、在籍したことを隠し通すケースが多かったからです。
著者はあるきっかけから建国大学の存在を知り、数少ない在籍者への取材を試みます。日本国内だけではなく、中国、台湾、韓国、モンゴル、カザフスタンに在住する建国大学の元学生のインタビューに成功します。
本書にも記載がありますが、満州など日本国外にいた日本人の場合8月15日をどこで迎えたかがその後の人生の大きな分岐点となっています。本書で紹介されている日本人元学生さんも中国国民党に捉えられ、そのまま中国共産党との戦闘要員として駆り出されたり、ソ連軍に捉えられた人はシベリア抑留を経験されたケースもありました。
中国、台湾などでは元学生は「日本帝国主義への協力者」とみなされ当時の政府から厳しく弾圧されたりしたケースが多いのですが、韓国では建国大学に在学したスーパーエリートを国家の中枢に組み込もうとしました。その結果、韓国の首相にまで上り詰めた卒業生も本書に登場します。
このような大学が存在したことは、私も本書を読むまで全く知りませんでしたし、その卒業生の敗戦後の人生の振れ幅の大きさも想像以上でした。当時の日本の国策と結びついたエリート養成機関に関する取材だけに、当事者の口の重さもあり、困難な取材であったことは本書からも伝わってきます。ただ、卒業生の多くが非常に高齢であり、「今、話しておかなければ永遠に記録が失われれる」という気持ちと「今取材しておかなければ永遠に取材機会が失われる」という著者の熱意が結びついた、昭和史、近代史の今まで知られてこなかった一面を知ることができるノンフィクションだと思います。2015年開高健ノンフィクション賞受賞作です。
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朝日新聞の記者である三浦英之氏が、かつて満州の最高学府として実在した建国大学と、その卒業生たちの戦後を取材した作品。
建国大学は1938年に石原莞爾らの起案により、満州国のリーダー育成を目的として設立される。五族協和のスローガンのもと、アジア各国から優秀な生徒が学費免除で集められ、学内では当時としては珍しく言論の自由が許されており、社会主義の研究なども行われていたそうだ。
この建国大学の存在があまり知られてこなかった理由としては、終戦と同時に学校に関する資料がほとんど焼却されてしまった事、そして卒業生の多くが、日本帝国主義の協力者として母国から迫害を受けた事が大きい。三浦氏が取材で中国を訪れた際にも、実際に当局から妨害を受けており、いまだに特定の話題はタブー視されているらしい。
本作の取材を開始した時点で、卒業生はみな80代半ばを過ぎており、このタイミングがまさに最後のチャンスだったのだと思う。戦場や収容所で絶望しそうになった時、大学で学んだ教養が悲しみの淵から救い出し、目の前の道を示してくれた、という卒業生の言葉がとても印象的だった。
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ノンフィクションで泣けるぐらい涙腺が緩んでたという衝撃の事実。
ま、それはさておき「満洲建国大学」、お恥ずかしながら不勉強で初耳だったのです。それなりにあの辺のものは読んだはずなのに、いかに上っ面を舐めてるだけか思い知らされる。同い年の朝日の記者さんの一作。ノンフィクションとしての完成度はさておき、知らなければならない話を世に出した功績は大きいかと。開高健ノンフィクション賞受賞作品の文庫化。
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五族協和を目指して満州に作られた建国大学、この本を手に取るまでその存在すら知らなかった。とても貴重なインタビューの数々。
どの方々もそれぞれ激動の人生を歩まれていて、今の時代の学校に通って就職して…という良くも悪くも変わりばえのしない人生と比べずにはいられなかった。人生とは、と考えずにはいられない。
この機を逃したら一生語られることなく死んでいく人がいた。ぎりぎりの時間で、今この本が出たこと自体がとても喜ばしく思える。
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ロードノベルとしての側面もあり
東京、神戸、新潟、大連、長春(新京)、ウランバートル、ソウル、台北、アルトマイ
一人一人に会っていく度に
建国大学の意義や真実を確かめにいく
この旅は果たして正しいのか?
と揺らぎ始めますが
その中である方が
〈企業で直接役に立つような事は、給料もらいながらやれ。大学で学費を払って勉強するのは、すぐには役に立たないかもしれないが、いつか必ず我が身を支えてくれる教養だ。〉p108
という言葉を学生達に伝えてることを知ります。
そしてこの役に立たないかもしれないがいつか繋がるものこそが建国大学での教えとして人々に残っているんだと。
これは最後にアルトマイで再会を果たしたロシアと日本の
生徒の通訳をかって出た方が
大学で日本語を学んだはいいけど
日常や仕事で使ってたわけではなく
この通訳の話を聞いて無駄にしてはいけない
私の日本語は鈍っていないかと気になり
参加します。
そこで前述の再会を目の当たりにし
もう一度日本語をしっかりと学び直したいと記者さんに問いかけます。
その姿勢は色んなものが一個に繋がった気がして
外出先で読んでいましたが
涙を止められませんでした。
満州時代というどちらかというと
偏って語られがちな時代の話を
しっかりと刻み込んだノンフィクションだと思います。
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日中戦争が激しさを増している時期に満州に設立された国策大学の卒業生を取材したもの。あの石原莞爾が発起人、辻政信が設立責任者とくれば、自ずとイメージができてしまうが、実態は全く異なるもの。「五族協和・大東亜共栄圏」の実現とその将来を担うエリートを要請する大学で、日本人、朝鮮人、中国人、モンゴル人、ロシア人を対象に、授業は各国語、国籍を混ぜた寮生活、そしてこの時期には信じられないことに学校の中では言論の自由が保障され、共産主義の著書も自由に読めたという。中国侵攻や傀儡国家の設立を避難する中国人の激しい追及に、日本人学生がたじたじとなる場面や、ロシアの南下政策を警戒するモンゴル人との激論が、毎晩のようにあったという。一方で、終戦後、当局に拘束された中国人卒業生に、多数の差し入れを行なった日本人がいるなど、強い連帯感を長年にわたって維持している。グローバル人材の育成とか多様性を身につけようという活動が、もしかすると最も活発で実践的だったのが戦時下の満州とは、なんとも皮肉なこと。終戦後何十年にわたって続いていた「同窓会」も、2010年をもって終結となり、卒業生の年齢等を考えると、この画期的かつ不幸な運命に翻弄された大学でどんなことが起こっていたのかを知る機会は全く失われることとなった。とても貴重な一冊。
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ページをめくる手が止まらなかった。キルギスに抑留記念館を建てる計画があるから取材しないかという誘いから始まる長い旅。日本、中国、朝鮮、モンゴル、ロシアの建国大学生がたどったそれぞれの戦後。収容所に入れられても、良い人生だと言える強さ、いつかロシアと対峙したときロシア語が必要になるのではと、新潟で農家をしながら勉強部屋をロシア語教材で埋めつくす老人。彼は、最後は65年ぶりの同期生との再会のため、ロシア語を飛行機の中でも寝ずにおさらいする。150人の定員に対して2万人の応募があった試験から選ばれた彼らは、平和な時代だったら、どれだけ活躍できた人たちなんだろう。
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どんどん読み進めた。このような作品を前にいい加減な感想は書けないと思う。
満州建国大学の存在など全く知らなかった。
三浦さんが布施祐仁さんとお書きになった「日報隠蔽」に感銘を受け、トークショーまで行って、サインいただいて、この本の前に「五色の虹」という本も出されてるのだと知り。。。
ギリギリ間に合った感じがすごいと思う。戦後悲惨な経験をされた方々、よく長生きしてくださった、という感じだ。お亡くなりになってしまったら、お話は2度と聞けない。何も話せないまま、お亡くなりになった人の方が圧倒的に多いのだが。
建国大学卒業生のそれぞれの戦後。
と、それを取材なさり、一冊の本にされた記者さん。
どちらも違う意味ですごくて言葉にならない。
あとがきを読んで、本として出版されるまでも大変な苦労があったと知る。
トークショーの時、「本として残したかった」とおっしゃった(「日報隠蔽」のことだけど)。この形で、誰でもが手に取れる形で完成したことは本当に良かったと思う。
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満州帝国に設立された「満州建国大学」。
戦時下にあって、中国人、モンゴル人、ロシア人、朝鮮人、日本人の学生が一つ屋根の下で自由に意見を戦わせた。
彼らの戦後を追いかけたノンフィクション。
それぞれの国で、それぞれの戦後がある。
建国大学にいたという過去が、よくも悪くもその後の人生を大きく左右したことは間違いない。
今後、この手の話は聞けなくなってくるだろう。
これが最後の機会だったのだと思う。
聞きたいことのすべてを聞くことはできなかったとしても(そのあたりの事情は本書を読むとわかる)、彼らの存在を我々に知らせてくれた意義は大きい。
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満州国の中に五族協和を求めて設立された建国大学に通った方々のお話。同大学内では言論の自由が認められており、日本、中国、朝鮮、モンゴル、ロシアから来た学生たちが学びながら、相手国を否定するような議論も許されていたという。また多くの発禁本もその図書館にはあったという。
時代柄、卒業生たちのその後は非常に困難なものが多かったようだが、それでも非常に強い結びつきを持っているようだ。
内容としてはドキュメンタリ的に描かれており、存命中の卒業生からのインタビューや彼らから聞いた同級生の話たちで構成されている。それぞれが非常に熱い想いと抱えており、一気に読んでしまった。
戦後の混乱の最中、さまざまな職業を転々としながら行きてきた卒業生の言葉は、学者や研究者とは違うが、その歩んできた決して容易ではなかった道筋から得られたWisdomがところどころに出てくる。
P.88
建国大学出身者のなかでも一際明晰な頭脳を有し、誰もが絶賛する人格の持ち主だった藤森にとって、その反省hが相応しいものだったのかどうか、私にはわからない。(中略)真面目な性格とその実直さからその後何年にもわたって建国大学の同窓会の会長を任され続けた藤森は、多くの卒業生たちが公言するように確かに「何者かになれた」はずの人材だった。
P.89(藤森氏の話)
「もしもあのとき、満州に渡ってなかったら、と考えることはありますか」
「それは……、あるかもしれません」藤森はゆっくりとした口調で言った。「でもそれはあの大きな時代のうねりのなかでは、あまり考えることを必要としない問いかけだと思います。空から爆弾が降ってくるような時代に、人の運命がどうなるかなんて、木の葉がどこに落ちるかを予想するくらい難しかったんです。今、社会存在している確実性というものが、当時は全く存在していなかった。人の人生なんて所詮、時代という大きな大河に浮かんだ小さな手こぎの船にすぎない。小さな力で必死に櫓を漕ぎだしてみたところで、自ら進める距離はほんのわずかで、結局、川の流れに沿って、我々は流されていくしかないのです。誰も自らの未来を予測することなんてできない。不確実性という言葉しか私たちの時代にはなかったのです」
P.108(百々氏の話)
〈企業で直接役に立つようなことは、給料をもらいながらやれ。大学で学費を払って勉強するのは、すぐに役に立たないかもしれないが、いつか必ず我が身を支えてくれる教養だ〉
「建国大学は徹底した『教養主義』でね」と百々は学生に語りかけるような口調で私に言った。「在学時に私も『こんな知識が社会で役に立つもんか』といぶかしく思っていたが、実際に鉄砲玉が飛び交う戦場や大陸の冷たい監獄にぶち込まれていたとき、私の精神をなんども救ってくれたのは紛れもなく、あのとき大学で身につけた教養だった。歌や詩や哲学というものは、実際の社会ではあまり役に立たないかもしれないが、人が人生で絶望しそうになったとき、人を悲しみの淵から救い出し、目の前の道をしめしてくれる。難点は、それを身につけるsためにはとても時間がかかるということだよ。だから、私はそれを身につけることができる大学という場所を愛していたし、人生の一時期を大学で過ごせるということがいかに素晴らしく、貴重であるのかということを学生に伝えたかったんだ……」
P.142(楊氏が終戦直後に農業事業に従事した時の話)
「そこには日本人だけでなく朝鮮人や中国人も一緒に働いていましたが、私にとって彼らを使って仕事をすることはそれほど難しいことではありませんでした。建国大学での生活でそれぞれの民族の特性を十分に知り抜いていたからね。『中国人は理で動く、朝鮮人は情で動く、日本人は義で動く』。日本人を使うことがね、実は一番簡単なんだよ。ポストさえ与えておけばーーあるいはポストを与えると約束さえしておけばーー彼らは忠実によく働くんですよ。きっと自らの使命を達成したいという意識が他のどの民族よりも強いんでしょうね。だから職場の人間関係は比較的良好でした。」
P.179(中国国内で取材妨害を政府から受けた時の著者)
戦争や内戦を幾度も繰り返してきた中国政府はたぶん、「記録したものだけが記憶される」という言葉の真意をほかのどの国の政府より知り抜いている。記録されなければ記憶されない、その一方で、一度記録にさえ残してしまえば、後に「事実」としていかようにも使うことができる。
戦後、多くの建国大学の日本人学生たちが「思想改造所」に入れられ、戦争中に犯した罪や建国大学の偽善性などを書面で残すように強要されたことも、国内の至る所でジャーナリストたちに取材制限を儲け、手紙のやリリでさせ満足にお子の萎えない現在の状況もこの国では同じ「水脈」から発せられているように私には思われた。(中略)建国大学の卒業生たちの取材を通じて私が確信したことが一つある。それは「小さな穴でも、大きくて厚い壁を壊すのに十分だった」という事実だった。
「小さな穴」とはもちろん「言論の自由」という概念を意味した。
P.247 (李氏が建国大学創設を推し進めた辻政信に質問をした際の受け答え)
「辻先生の後ろの床の間には『水戸学全集』と見受けられる書籍がございます。なぜ『水戸学全集』をお選びになっているのでしょうか」
「うん、良いことを聞くな」と辻はあえて険しい表情を作って李の質問に答えた。「周知の通り、水戸藩の徳川幕府は親藩だ。だが、国が危機に際したときには決して幕府とひいきにせず、勤王攘夷を提唱した。正しいことをやるということは、時に勇気がいることだ。それゆえに、わたしはこの全集を常時短に置いていつでも見られるようにしている」(中略)
「生涯において大切なことは、己が真に信じることのできる『道』を見つけることができるかどうかだ」と辻は李に向かって説いた。「ゆえに、我々は生涯をかけて勉強に励まなければならない。そして、一度正しいと信じたことは他から何と言われてもそれを終身実行しなければならないのだ」
P.258(李氏の子供達が皆理系に進んだことに関し)
「だから常々、子供たちには『具体的なことを学びなさい』と言い続けてきたのです。確かに音楽や絵画は美しく、人を悲しみから救ってくれる。しかし、それは所詮、人々の頭の中で形作られた『幻想』にすぎないのです。唯物的な考えを否定する人は台湾にも少なからずいますが、私はそうは思っていません。人生を生き抜き、家族を養っていくということは、この国では決して生半可なことではないのです。そのためには、たとえ予期せぬことが起こったとしても、その揺らぎに惑わされることなく、生き抜いていくだけの術を子どもたちには身につけさせておかなければならない。私は私の経験からそう信じています」(中略)
「私にとって一番大きかったことはやはり、私たちが今後もこの台湾という島国で暮らしていかなければならないという事実です。国が国として認められていない、常に不安定な立場に置かれている、この小さな島で生活を営んでいかざるを得ないというファクトです。今はアメリカや日本が我々の立場を支持してくれていますが、それだっていつまで続くのか、誰もわからない。小さな島と大きな大陸がケンカをすれば、どちらが勝つのか、誰の目から見ても明らかです。台湾はそれ自体では存立できない。その島で暮らすということがどういうことなのか。これは台湾人でなければ、きっとわからないことでしょう」
P.313(京大教授山室信一氏の話)
「日本が過去の歴史を正しく把握することができなかった理由の一つに、多くの当事者たちがこれまで公の場で思うように発言ができなかったという事実があります。終戦直後から一九八〇年代にかけて、満州における課外的な事実が洪水のように報道されたことにより、建大生を含めたかつての当事者たちは長年沈黙せざるを得ない状態に追い込まれてしまった。もっと当事者たちの声が聞かれていたら、満州国への認識なんかも変わったんではないかなと私は今思っています。もっとバランスのとれた歴史認識ができたんじゃないかと。それがようやく今になって、いくつかの証言が得られるようになってきました。私はよく学生たちに次のような表現で教えています。『歴史がせり上がってくるには時間が必要なのだ』と。歴史を客観的に見るために相応の時間が必要なのです。だからといって、ただの時間の経過だけ待っていると、事実は確実に歴史の闇に埋もれていってしまう。今、メディアが必死になってかつての戦争経験者にマイクを向けていますが、あれは理にかなっているんです。人は亡くなる前に何かを残そうとする。自ら生きた証をこのまま歴史の闇に葬ってしまいたくないと。彼らは今、必死に残したがっているんです」
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【建国大学】1938年5月-1945年8月
近い将来、戦争になって翌朝には相互の首府・主要都市は壊滅しているような世界になる
《このような決戦兵器を創造して、この惨状にどこまでも堪え得る者が最後の優者であります》石原莞爾
その最後の勝者となれる国を造りうる人材を育成をするために
「3)各民族の学生が共に学び、食事をし、各民族語でケンカができるようにすること」などを指針として空前の拒否を投じ満州国.新京(現、長春)につくられた大学。
そのOBの戦後レポート。
国内編は興味深く、何カ所も付箋した。
海外編はまるで「取材できませんでした報告」レポート。彼らが取材時点で置かれていた環境の報告、という意味ではおもしろかったが、残念。あまつさえ、ホテルにケチをつけたり、イスラム教徒らしい女性の写真をとろうとして嫌がられて不思議がっていたりと観光客みたいな記述が散見され不快。
補記・付箋箇所いくつか//本文引用
・p53「『言論の自由は何としても守る』」「意見は違うけれど、それを受け入れた上で付き合いは続けていこうと。」「本の内容には大いに異論や疑問があるが、あいつが出版するのであればお金を出そうと」re.表現の不自由展
・p100「自らの命を差し出すための大義名分がーそれがどんなに滑稽な思い込みであったとしてもー必要だったのである。」
・p101「投稿兵を殺めてはいけないというのはあくまでも平時のルールであり、自分が相手にいつ殺されるかわからない戦場においては何の説得力も持ち得ない」re.人道的戦争
・p108「企業で直接役に立つようなことは、給料をもらいながらやれ。大学で学費を払って勉強するのは、すぐには役に立たないかもしれないが、いつか必ず我が身を支えてくれる教養だ」re.現代の社会生活に必要とされる論理的な文章及び実用的な文章
・p143「中国人は利で動く、朝鮮人は情で動く、日本人は義で動く」re.日中韓国交・交流
・教授には崔南善もいたp221「極めて厳格な意味での現実主義者だった。日本政府や日本人の批判ばかりしている学生たちをとがめ「では、君たちには何ができるのだ」と厳しく問いただしたりする。」
・P.179「記録したものだけが記憶される」re.未来に残す
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すごかった。
私は世界史とくに近代史についてあまり多く知識がなかったので、この本を読んで色々なことが知れてよかった。
色々な建国大学の卒業生の戦後を見て、時代の流れと国々の思惑に圧倒された。
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日本が満州国を設立した際、将来の満州国の運営を担う人材を育成するために満州建国大学が設立されました。学費、生活費は支給され、日本だけではなく、朝鮮人、中国人、モンゴル人、白系ロシア人と満州の関わる広範な地域から選りすぐられたエリートが在籍した当時の日本としては稀有な国際教育機関でした。定員150名程度に対し応募は2万人を超えていたという数字が、いかに優秀な人材を集めていたかを物語ります。
建国大学では「民族協和」の理念のもと、20数名の小グループに全ての出身国の学生が振り分けられ、当時の日本の施策を批判することも自由という、完全な言論の自由の保障のもと、国際感覚を養う教育が行われていました。
これほどの規模と先進的な教育機関でありながら、その存在はほとんど知られてきませんでした。敗戦後、日本人学生は日本の満州における傀儡国家運営を担う教育を受けたとして戦犯として扱われる危険性から口をつぐみ、朝鮮人や中国人の学生は日本の政策に一時加担したという疑いをもたれることは自分だけでなく家族までも危険に晒す可能性があり、在籍したことを隠し通すケースが多かったからです。
著者はあるきっかけから建国大学の存在を知り、数少ない在籍者への取材を試みます。日本国内だけではなく、中国、台湾、韓国、モンゴル、カザフスタンに在住する建国大学の元学生のインタビューに成功します。
本書にも記載がありますが、満州など日本国外にいた日本人の場合8月15日をどこで迎えたかがその後の人生の大きな分岐点となっています。本書で紹介されている日本人元学生さんも中国国民党に捉えられ、そのまま中国共産党との戦闘要員として駆り出されたり、ソ連軍に捉えられた人はシベリア抑留を経験されたケースもありました。
中国、台湾などでは元学生は「日本帝国主義への協力者」とみなされ当時の政府から厳しく弾圧されたりしたケースが多いのですが、韓国では建国大学に在学したスーパーエリートを国家の中枢に組み込もうとしました。その結果、韓国の首相にまで上り詰めた卒業生も本書に登場します。
このような大学が存在したことは、私も本書を読むまで全く知りませんでしたし、その卒業生の敗戦後の人生の振れ幅の大きさも想像以上でした。当時の日本の国策と結びついたエリート養成機関に関する取材だけに、当事者の口の重さもあり、困難な取材であったことは本書からも伝わってきます。ただ、卒業生の多くが非常に高齢であり、「今、話しておかなければ永遠に記録が失われれる」という気持ちと「今取材しておかなければ永遠に取材機会が失われる」という著者の熱意が結びついた、昭和史、近代史の今まで知られてこなかった一面を知ることができるノンフィクションだと思います。2015年開高健ノンフィクション賞受賞作です。