紙の本
蒼天見ゆ
2018/02/12 13:31
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投稿者:雨読 - この投稿者のレビュー一覧を見る
幕末の秋月藩の執政・臼井亘理は、先見から西洋式兵術の導入や薩摩の大久保一蔵らと同調し藩の行く末を考えていた。
そんな中、反対派である干城隊の山本克巳(一瀬直久)らに寝込みを襲われ臼井亘理は妻もろとも斬殺された。
息子の六郎は仇討ちを誓い、一瀬直久を窺う。時は明治となり仇討禁止令が発布される。
上京した六郎は剣客・山岡鉄舟に弟子入りし剣の修行に励む。
一瀬直久は判事となっていたが、明治13年に仇討を成し遂げる。
これが日本最後の仇討となる。
六郎は終身刑で服役するも恩赦で明治24年、33歳で釈放される。
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最後の仇討ちを行った人の話。
仇討ち本懐、恩赦で罷免された後、世捨て人の様な生活の中でも晴れない心、「家族の所に生きて帰る奴が一番偉い、家族を泣きの涙で暮らさせちゃあ、男じゃない。どんなに手柄を挙げても人を殺すのは鬼。鬼のまま死ぬより、せめて人で生きて戻ってきたほうがいい。」
父の教えである蒼天を追い求めた主人公がようやく見つけたのは故郷の空の青さだった。
さすが!大好きな作家、泣けました。
葉室麟さんの冥福を祈ります。
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まるきりフィクションかと思って手に取ったが、実話をもとにして、作家の想像力を膨らませた歴史小説だそうだ。
日本最後の仇討をしたという臼井六郎が主人公。
しかし、著者は書中で、山岡鉄舟にこう言わせる。
「わしらが目にしているのは、最後の仇討ではない。最後の武士の生き様だ」
年下の者が年上の者の仇を討つという、かつては当たり前だった生き方が維新後数十年で失われてしまい、人を殺すことが禁じられた明治初期。
それでも、親の仇を果たさんとする六郎に、鉄舟は諭す。
「私怨ではなく天に代わって邪を討つのだ」と。
そして、艱難辛苦の果て、遂に思いを果たす六郎。
著者はさらに、幕末から明治初期にかけての事件を描いて、物語に膨らみを持たせている。
山岡鉄舟、勝海舟等を主人公に絡ませ、星亨や大隈重信らも顔をだし、森鴎外の実話も綴られる。
歴史好きには見逃せない作品と言っていい。
人としていかに生きるかを問い続け、感動と静謐に満ちた数々の作品を描き続けた葉室麟氏の冥福を祈ります。
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これは驚きました。苦手な時代小説、それも「最後の仇討ち」という実話をもとにしたカチカチのものをこんなに楽しく読めたことに驚いた。
幼い頃に父母を尊攘派に殺され、復讐を誓って生きる主人公が仇討が禁止となった明治になって本懐を遂げるという話、というか実話。 時代小説が苦手な理由は単純にいわゆる歴史があんまり好きではないからなんだけど、巻末の解説にあるようにこの本は歴史の入門書としても機能しており、幕末から明治まで時系列に何があったかとても分かりやすく、苦手意識を解消してくれた本になりました。
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時代が変わりゆく中、時代の先を読んで自分達の藩の生き残りをかけた武士が妬まれて非業の死を遂げる。しかも、自分の同じ藩から…武士道ならぬ殺され方。どの時代にもこんな人達はいるもんだ。出る杭は打たれて、お調子者が世を大きな顔をして世を渡っていく世界。
時代が変わっても、信念を通す息子の姿は親の仇を討ちに行く本物の武士…強い様に見えるが悲しい運命…時代に翻弄された男は、この時代には沢山いたのだろうな。実話なのが凄い…
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あまりにドラマチックなので半分フィクションかと思いきや、実話に基づく話だった。
山岡鉄舟、勝海舟は臼井六郎に武士の生き様を託したのだと思う。
蒼天は秋月の空にあった。両親の仇を討って本懐を遂げたからこそ、故郷に帰って見上げることができたのではないかと思う。
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ほぼフィクションに実在の人物を登場させて描いたものなのかと思っていたら、「日本最後の仇討ち」は実話だそう。
それにしても、六郎の父、臼井亘理が惨殺されたのが、大政奉還の翌年、鳥羽伏見の戦いの年だと言うことが、何とも言えず残念でならない。もう、国の進む道は決まっていたと言うのに。
亘理が惨殺される前のある夜、中島衝平と語り合っている場面がある。
「世間は鸚鵡(おうむ)の集まりでござる。声の大なる者が言ったことをおのれも繰り返して唱えれば、いっぱしの見識があるようにひとが見てくれると思い、そのような自分に酔うのでござる」「なるほど、時勢に酔っている者は多いかもしれませんな」
何だか今の世の中も変わらないなあ、と苦笑いしてしまった。声の大きい人と、そこに付和雷同しているだけで自分達は優れていると思い込んでいる、まさに酔っている人達。よく見かける構図だ。
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「最後の武士」の物語。
裏表紙も解説も前情報を何も読まずに、読み進めて行ったら、主人公と思っていた臼井亘理が前半で殺されてしまいます。
「え?主人公が死んじゃうの?何これ?」
って思い、裏表紙を読むと、ここからが神髄でした(笑)
その亘理の息子、六郎の仇討ちの物語でした。
江戸時代には美徳とされていた「仇討ち」
しかし、明治時代では、それは犯罪。
それでも、本懐を遂げるべく、六郎の信念に心打たれます。
そして、六郎が出会った人たちメッセージ、さらに六郎の周りの人たちの想いが伝わってきました。
時代が変わり、人の考え方も変わっていく中、まさに「最後の武士」でした。
さらに仇討ちできて終わり、というわけではなく、その後も語られるところがすごい。
で、最後に解説を読んだら、これがまたびっくりで、実話をもとにした物語とのこと。
解説にも書かれていますが、幕末から明治初期にかけての歴史を振り返ることができます。
これは、お勧め!
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うーん、自分が読んできた葉室麟のなかでは、今一つの感がある作品。幕末の秋月藩の執政臼井亘理は、小藩が生き残るために西洋式兵術の導入を進める。そして、大政奉還後の京において、大久保利蔵や公家らと渡り合って、秋月藩への圧力を跳ね返す。しかし、藩主の不興をかい、任を解かれ国許に帰されたところを、不満分子により寝込みを襲われ妻と共に惨殺される。ここまでは、葉室麟らしい展開なのだが、これ以降は、息子の六郎が敵討ちを決意し、政府の役人になっていた首謀者を付け狙う。その過程で山岡鉄舟や勝海舟、星亨などと知己を得るのだが、敵役も卑怯なやつで罠を仕掛けてきたりする。どうも作り話しめいていて、武士の時代の最後の敵討ちとしてはしっくりこない。そもそも、蒼天を見よという父の教えと、この敵討ちの形がなじまないのだが。
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幕末、秋月藩執政の臼井亘理は、尊攘派により、理不尽に、妻とともに寝込みを襲われて、斬殺されてしまう。息子の臼井六郎は、山岡鉄舟のもとへ弟子入りし、明治の御代に、ついに仇撃ちを果たす。
最後の武士として。
いかなる苦労があろうとも、いつか頭の上には、青い空が広がるから、それを忘れるな。
蒼天を見よ。よい言葉である。