投稿元:
レビューを見る
ニュートン力学のような、受け入れられている理論のほころびというのは科学の発展のひとつの鍵だ。しかし水星の動きが百年間で数十秒ずれるからといって、彗星などの運動を精度よく予言できるニュートン力学をいきなり捨て去ることもできない。ヴァルカンがあればどれだけいいか。その思いがアマチュアだけでなく、高名な観測エキスパートの教授の目までを曇らせ、ヴァルカンは繰り返し「発見」されることになる。存在しない惑星に名前まで与えられ、ニューヨークタイムズやサイエンティフィックアメリカンなどでも大きく取り上げられた。
なぜこんなことになったのか? 周知の通り、現代ではヴァルカンの存在は否定されている。しかし現代の科学もこのような問題とは無縁ではない。天文学関係者なら「原始重力波」「Bモード偏光」「BICEP2」とかいう単語たちをぼんやり記憶していることだろう。第九惑星や星間空間からの来訪者オウムアムアなど、天文分野だけでも確立されてはいないもののホットなネタは多い。もちろん論文を発表する側は、真摯にデータと向き合って慎重に検証を重ねるはずだが、「こういうシグナルを見たい」という心理的バイアスを完全に排除するのは非常に難しいと思う。
本書はニュートン力学の誕生から1915年に某元特許庁職員が一般相対性理論を発表してヴァルカンに完全にとどめを刺すところまでを描いているが、科学のある一領域がどのように発展していくかという視点で見ても面白い。科学哲学的な示唆も多い、さしずめ科学史ミステリー。アインシュタインが自身の理論の予測する値とルヴェリエが観測した値がぴたりと一致した瞬間の感情について語るところなど、ロマンあふれるエピソードも多数。彼の感じた「本物のときめき」ってやつを、いずれ自分でも感じてみたい。
投稿元:
レビューを見る
本書はニュートン力学が18、19世紀に与えた影響と、20世紀にアインシュタインの相対性理論が登場して、ニュートン力学に代わる新たな科学の頁を書き加えるまでの物語を、ヴァルカンという星の誕生と終焉の歴史と共に描いている。
フランンスの数学家ルヴェリエはニュートンの理論が正しいとするならば、そこから計算される天王星の軌道と、実際に観測される天王星の軌道のズレている場合、それは他の惑星の影響によるものだと推測して、見事、海王星を発見した。
その功績で一躍有名になったルヴェリエはさらなる問題として、水星の近日点がやはりニュートン力学の計算とずれる理由を、他の星の影響によるものだと考えて、その星「ヴァルカン」を追い求めた。
ヴァルカンは多くの人から発見報告があったものの、改めて観測しても再び見つかることはなかった。
20世紀になってアインシュタインが相対性理論を発表し、ニュートンの世界では、どの場所においても均一、絶対であった時間が、本当は相対的なものである事を明らかにした。
結果として、水星の近日点のズレは太陽という巨大な星による時空の湾曲が生み出すものであることが証明された。ルヴェリエの唱えたヴァルカンという幻の星が砕け散った。
ルヴェリエは海王星の発見という体験によりニュートン力学に絶対の信頼を置いてしまった。よって、理論と現実に解決できないズレが生じた時に、理論を見直すのではなく、現実を疑った。
それに対してアインシュタインが信頼の高い理論に問題があるという立場に立てたから、新しい解を見出すことができた。
「人が何かを知方法として科学が他に類をみないのは自己修正するからだ。主張というのはどれも暫定的なもの、つまり不完全であり、ささいな時には実に重大な結果を伴う。」
投稿元:
レビューを見る
「幻の惑星」という科学の本にしてはSF的なタイトルとカバーデザインが気に入り購入。
科学の歴史を大河ドラマのように楽しく読めました。事実は小説よりも奇なりそのものです。科学者たちの一般市民を巻き込んだ熾烈な競争を、素晴らしい構成で読ませてくれます。科学とはいえ人間的で、示唆に富んだ内容になっています。
専門的な話はほとんどなく、難しい箇所も少しありますが、わからないなりに読み進めても本書の魅力は少しも損ないません。
科学を下敷きにしていますが、一人の発想が世界の常識をひっくり返してしまうという夢のあるお話になっています。
投稿元:
レビューを見る
ヴァルカンとは、水星と太陽の間にある幻の惑星のこと。海王星の存在を万有引力の法則から導き出して予言したルヴェリウスが、水星の近日点のゆらぎを幻の惑星に求めたことから、ヴァルカン探しが始まる。あるはずの無いものを見たと言う人が現れ、話題となったりするけれど、結局見つかる事なく、アインシュタインの理論が証明されると共にヴァルカンは忘れられていく。理論に現実を合わせようとした人達の姿を描いているこの物語を読んで、数年前に話題となったSTAP細胞の騒動を思い出した。自分の理論の正しさを証明するために、見えないものを見てしまう。過去の高名な科学者であってもそのような事態に陥るのだから、功名心に駆られた底辺の学者も推して知るべしだろう。現代においても同様の事例が発生するということは、過去の教訓が活かされていないということなのかもしれない。
まあ科学の世界に限った話ではないけれど。
投稿元:
レビューを見る
プラネタリウムに行くたびに、あれだけたくさんある星によく星座を当てはめたなあ、と思う。そんな無数の星々は古代から決して手の届かない存在のまま人を魅了してきた。人はそれをひたすら眺め続け、自らの空間的・時間的位置、目指す方角、地球の動きなど、広い意味での「自己と他者」について理解を深めてきた。スケールの大きさ故に観測技術が未熟でも誤差の影響が小さく、自然科学の教材として機能してきたことと想像する。
本書は、科学の水準が今より遥かに低い時代から、天体、とりわけ幻の惑星ヴァルカンを巡って、ヒトの知性の進化の歴史をドラマチックに描いた作品だ。特に面白かったのはニュートンやアインシュタインなど誰もが知る学者のもたらしたインパクトの大きさについて知れたことだ。観測結果から帰納法的に世界を理解した時代から、数式で世界を記述し、千里眼のように未知の惑星の位置を言い当てる時代への転換は、読んでいてワクワクせずにいられなかった。そのような偉業が個人(だけではないが)の才覚や執念によって達成されることの凄さもドラマをより劇的にしている。そうした偉人たちのある種の「欠陥」や苦悩、挫折ももちろん描かれている。
そんな惑星は実在しない、という結論は分かっているのにこんなにも面白い。そんな本だった。