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2016年3月に「アルファ碁」が韓国トップのイ・セドルに4対1、続いて2017年5月、「アルファ碁マスター」が世界ランク1位の柯潔に3戦全勝と完勝したことがニュースになったかと思おうと、更に10月には「アルファ碁ゼロ」が開発され、囲碁の学習を教師なしで自らゼロから行って習得し、「マスター」バージョンにも100戦89勝の成績を収めるに至ったというニュースが重ねて流れた。それが子供レベルからスタートし、わずか数日間の自己学習だったとのこと。囲碁をする人にとっては衝撃的であると同時に、まだまだ強くなる可能性があるという複雑なニュースでもあったと思う。囲碁の世界を越えて、AIの進歩を象徴する大事件だと私も思った。将棋やチェスでは既にコンピュータが人間を上回っていたが、あらゆるゲームの分野で上回ったということを意味するからだ。省エネ、医療分野、新素材探索への活用が既に具体的な展望としてあるという。なお囲碁が最も難しいと思われていた理由がファジーな判断の場面が多くあることにあったという。つまりどの手を選ぶかが価値観が作用する場面があるからだということであり、それだけ人間の判断に近いレベルになってきたということである。唯一「アルファ碁」がイ・セドルに敗れた局では、セドルの神の一手を境に、ソフトが変わったように明らかな悪手を打ち続けたという。それは誤作動ではなく、「水平線効果」と書いているが、都合の悪いことは、視野の範囲外に無理やり追い出す現象が発生していたことによると説明しており、これは「ゼロ」になってもありうることだそうであり、完璧でないことを示しているように思った。
「ゼロ」は490万局の自己対戦を行ったとか、囲碁の変化数は10の360乗に及び、宇宙の原子数10の80乗を大幅に上回る!と書かれると想像もつかない世界である。しかし、490万局は僅か10の9乗(10億手)に過ぎないとはまだまだ「ゼロ」でさえも初歩の段階なのか!AIの対局にはストーリー性がない、解説ができないなどの注文も今後解決されていくとすれば、プロの棋士が不要になるのでは、更に囲碁は面白みがなくなるのでは、更に人間とは何なのかまで考えさせられるテーマのように感じられる。人類はここまで来たのだ。
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水平線効果
人間とAIの一番の違いに、人間は恐怖心を持っているという分析があります。
2006年 モンテカルテ法
江戸時代 囲碁は国技として本因坊家、井上家、安井家、林家の四家が幕府から扶持を得ていた
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メイエン先生が新書、それも岩波から、というだけでも感動的だが、
棋士としてだけでなく実際にソフトの開発にも携わっていることもあり、かなり客観的な視線で書かれている。
いかに「知る」ということが困難なことか・・・
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著者の、棋士としての矜持を感じる。なかなか熱い本だった。
私は、囲碁で人間がAIに勝てなくても、「終盤で弱い」とか「才能はピカイチなのに」とか、「強いのに、この相手には弱い」とかの人間臭さを楽しめると思っているので、悲観はしていない。
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著者はプロの囲碁棋士で囲碁ソフトの開発にも比較的早期から関わっていたという人らしい。個人的には将棋を少しするぐらいで囲碁は全く分からないが、それなりに面白く読めた。
印象に残ったのは水平線問題に関するくだり。読み筋の手が全てよくない結果につながる、というところまで読んでしまうとこれまでの読み筋にない手(通常は悪手)を指そうとする。人間から見るとバグったように見えるがこれはそういうふうにできているのだからしようがない、人間も都合の悪いことを視野の外に追いやる、ということを日常的に行っているのだ
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アルファ碁がイセドルを破ったニュースに驚かされたが、その後短期間にもっと強くなり、もはや人間にはAIに囲碁では勝てない。
あまり詳しい情報がなく、どのように強くなったのか等が分からなかったが、この本で少し見えたように思う。
人間の棋士の存在意義については、やはり生身の人間どおしの戦いにある、精神的な揺らぎや、判断の背景みたいな部分にあると思う。AIの差す手から何らかの根拠を見出して、理解して取り入れていく、活用して行く時代になると思う。