紙の本
地方移住という選択肢の意義
2020/01/02 20:00
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投稿者:dsukesan - この投稿者のレビュー一覧を見る
自分が志向してて、友人が実践している生活「田舎で暮らし、自然を保護しながら自然資本に生かされる里山生活」の現代における歴史的・経済的意義を明快に示してくれた書。
ローカリズム宣言とは、成長モデルに基づく資本主義経済・グローバリゼーションから脱却し、定常モデルの経済に移行し生きていくことの高らかな宣言である。
定常モデルに生きるということは、フローではなくストックを維持し、活用することで生きる糧を得ることであり、各人が個性を発揮して共同体を維持し、自然や伝統、文化、社会を保全するというサステナビリティを実現することである。
現在の地方移住という動きは、この、成長モデルから、定常モデルへの脱却の運動である。
筆者は、成長モデルと定常モデルを対比する中で、次の様な事柄を論じていく。
・資本主義、株式会社という等価交換に基づく制度は万能ではなく限界がある(効率化による雇用の喪失や環境保全のコストの外部化による環境の悪化など)。一方、顔の見える・持続的継続的なやり取りをベースにした小商いが経済モデルになるということ。
・共同体とは、没個性の人間の集まりではなく、寧ろ多様な個性の発揮により危機に強い形で維持されるということ。
・現代において、地方移住し定常モデルで生きるということは、直感に従って冒険することであり、『やりたいことはやる、やりたくないことはやらない、以上』という生き方であること。
・サステナビリティを発揮するには、成長に対する嫌気、資源の有限性に対する危機感だけでは成立しない。これらに加えて、初与の条件として贈与を受けた自然資本や社会、文化を次世代に反対給付するという使命感があって成立すること。
定常モデルへ踏み出す上で気になる、食べていけるか?コミュニティに入れるかが、懸念点になっていることも、本書を読んで改めて気づかされた。自分はすっかり成長モデルで頭ががちがちになっていて、人間関係ですらも、等価交換的な価値観になっているからだ。また、自炊すらせず、消費することに慣れ過ぎているからだ。
だが、自分の求める「自然に生かされ自然を守り生きること」、「人と人のつながるということ」を目指した「自然と人の共存」、「人と人の共存」をみずから体現するのは、正に定常モデルに生きることに他ならず、地方移住したい自身の理由を気づかせてくれた。
このことは、東日本大震災の時のボランティア経験を通じて都市生活は持続的ではない、脆いと感じた自分の直感にも合致していて、ここまで分かりやすく、腹に落ちる説明に出会えたことは僥倖である。
自分は、スーパーシステムとして自然を破壊する成長モデルに抗うことと、自ら定常モデルにて生きることの両方を実現したいと思う。
前者については、2019年現在、仕事を通じてうまく対応ができなかった。今後どんな形で、関わっていくかを模索したい。
後者については、人として必要なものを提供するという命題において、自分のできることを見つけ出したいと思う。
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自分が志向してて、友人が実践している生活「田舎で暮らし、自然を保護しながら自然資本に生かされる里山生活」の現代における歴史的・経済的意義を明快に示してくれた書。
ローカリズム宣言とは、成長モデルに基づく資本主義経済・グローバリゼーションから脱却し、定常モデルの経済に移行し生きていくことの高らかな宣言である。
定常モデルに生きるということは、フローではなくストックを維持し、活用することで生きる糧を得ることであり、各人が個性を発揮して共同体を維持し、自然や伝統、文化、社会を保全するというサステナビリティを実現することである。
現在の地方移住という動きは、この、成長モデルから、定常モデルへの脱却の運動である。
筆者は、成長モデルと定常モデルを対比する中で、次の様な事柄を論じていく。
・資本主義、株式会社という等価交換に基づく制度は万能ではなく限界がある(効率化による雇用の喪失や環境保全のコストの外部化による環境の悪化など)。一方、顔の見える・持続的継続的なやり取りをベースにした小商いが経済モデルになるということ。
・共同体とは、没個性の人間の集まりではなく、寧ろ多様な個性の発揮により危機に強い形で維持されるということ。
・現代において、地方移住し定常モデルで生きるということは、直感に従って冒険することであり、『やりたいことはやる、やりたくないことはやらない、以上』という生き方であること。
・サステナビリティを発揮するには、成長に対する嫌気、資源の有限性に対する危機感だけでは成立しない。これらに加えて、初与の条件として贈与を受けた自然資本や社会、文化を次世代に反対給付するという使命感があって成立すること。
定常モデルへ踏み出す上で気になる、食べていけるか?コミュニティに入れるかが、懸念点になっていることも、本書を読んで改めて気づかされた。自分はすっかり成長モデルで頭ががちがちになっていて、人間関係ですらも、等価交換的な価値観になっているからだ。また、自炊すらせず、消費することに慣れ過ぎているからだ。
だが、自分の求める「自然に生かされ自然を守り生きること」、「人と人のつながるということ」を目指した「自然と人の共存」、「人と人の共存」をみずから体現するのは、正に定常モデルに生きることに他ならず、地方移住したい自身の理由を気づかせてくれた。
このことは、東日本大震災の時のボランティア経験を通じて都市生活は持続的ではない、脆いと感じた自分の直感にも合致していて、ここまで分かりやすく、腹に落ちる説明に出会えたことは僥倖である。
自分は、スーパーシステムとして自然を破壊する成長モデルに抗うことと、自ら定常モデルにて生きることの両方を実現したいと思う。
前者については、2019年現在、仕事を通じてうまく対応ができなかった。今後どんな形で、関わっていくかを模索したい。
後者については、人として必要なものを提供するという命題において、自分のできることを見つけ出したいと思う。
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久しぶりに内田先生の本を読みました。
内容は、いつもの内容とそんなに変わらないと
思いましたが、それはそれでぶれていない感じを
受けました。
組織とは、資本社会とは、経済とは、幸福とは
いろいろ考えることがあります。ただ今回の本は
ツッコミどころもありました。それはちょっとちがうのでは
とかと思える部分もあります。そういうことを感じるのは
内田先生の本でははじめてのことでした。
それも含めてよかったと思います。
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内田先生が、瀧本哲史先生と同じように、規格化された代替可能な労働者になるな、と言ってるのが面白かった。内田先生は規格化を免れるためにサラリーマンという世界から離脱することを説き、瀧本先生はサラリーマンという世界に残った上で規格化を免れる手法を追求しているという相違点もまた、興味深い。常識的なのは後者だが、意外に前者の方が思い切りさえあれば実現しやすいのではないかという気がする。
言説自体はいつもの内田節で、あまり目新しい発見はなかった。個人から集団へという章は先に読了した『社会はなぜ左と右にわかれるのか』と共通する問題意識で面白く、『脱マスメディア』の章はSNSの情報リテラシーを高める手法が直裁的に役立ちそうで気に入ったが。
最近本でハズレがないので嬉しいなー。
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面白かった☆
①人口増
②生産技術の進化
③経済成長
のどれかひとつでも失われれば、資本主義は終わる、とあります。
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内田樹のローカル生活のススメ。他人との競争ではなく、共存を目指す。生活のミニマム化、シンプル化、助け合い精神などで地方での生活に移行する流れがある。将来、自分の身の丈に合った暮らしをしたい自分にとっては、良い指南書になりそう。
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20180419 今の日本の状況に付いて具体的で分かりやすく説明されている。一つ一つ頷けるので読んでいて考えてしまう。中年の頑張りも期待されているように思うので今からでも具体的な行動に移りたい。若い野蛮人が著者の予言通り、増えてくることを期待したい。
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著者がどんな人物かは知らなかったが、プロローグを読んで、脱都会というよりは、反安倍政権的な主張が根幹にあるのかなと感じた。なんだか穏やかではない切り口だな。
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う〜〜〜ん
コメントしづらいな
これからの日本の行方を語っているというか...
↑に向けての本能的動きとして地方とか規模縮小とか...
身の回りの手の届く範囲でのある種の豊かな生活とか...
ってことなのかなぁ〜?
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現代社会の見方の一つとして。若い人たちは、直感的に分かっていることなのかも? 中途半端な世代の人は、特に読んでおいたほうがいいかもしれない。って内容でした。
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ポストグローバリズムの一つのかたちとしてのローカリズム。その価値と必要性を描き切った一冊。資本主義社会から「前向きに背を向ける」生き方の提案は、今の私も含め若い世代に刺さるのではないか。
日本という国のアップデートが叫ばれる中、ウチダ先生のように「定常」の価値を提唱する方の存在は尊い。
同じ左派でも経済成長を目指すグループもあり、脱成長戦略は批判されることもあるが、それだけ建設的な議論の呼び水となるとても良質なたたき台なんだと思う。
特に大学から私塾へのコペルニクス的転回の箇所は必読の価値あり。地域や同好に根ざしたコニュニティのかたちは、それこそウチダ先生の凱風館のような古き良きかたちか、今流行りのオンラインサロンか、両極端なかたちをとって発展していくような予感がする。
この本を触媒にして、コルク佐渡島庸平さんの『WE ARE LONELY BUT NOT ALONE』を読むと面白そうだ。
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★★★2019年1月レビュー★★★
非常に読み応えのある本だった。
「成長」から「定常」へ この本のサブタイトルにもなっているが、重要な考え方だと思う。
衣食住の満ち足りた状態でさらに成長を目指すのであれば。本来は売り買いすべきでないような教育・医療・水道などの生きていくために必要なものまで市場で売買する仕組みを作るしかない。恐ろしい事だ。
このような資本主義の危機を敏感に感じ取り、地方を目指す人々が日本で同時多発的に発生している。僕は移住はしていないが、地方移住に共感を覚える。
「廃県置藩」という文化的区分によって自治体を運営すべきというのも面白い。
豊かな自然を守り、人と人とのつながりを大切にし、お金に頼らない暮らしをする。藻谷氏の『里山資本主義』にも書かれていることだが、社会を持続可能なものにするための有効な選択肢だと思う。
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全編を貫く思想は「脱グローバル資本主義」である。さまざまな場面で齟齬や矛盾を明らかにしつつあるこのシステムから、どのようにして「生き延びていくか」ということについて、多くの示唆に富んだ提言がなされている。
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非常に有益な本だと感じました。
以下、自分が特に関心を抱いた場所をピックアップしました。
1. 「人間の身体が消費の限界」という示唆も誰もが分かっているはずなのに忘れてしまっている(あるいは考えないふりをしている)、それを超えるための金融であり、これまで手に入れたものを全てなかったものにするための兵器であることは自明ですね。全ては資本主義を延命させるための過ぎないということですね。
2. また「藩を自治体の基礎にするというアイディア」も示唆に富んだ面白いものだと思いました。結局のところヨーロッパのカトリック諸国の行政単位となるコミューンとは違って、日本の廃藩置県ではかなり形式的に行政区が分割されてしまったということなんでしょうね。なので150年たった今も都道府県が地域住民のアイデンティティになり得ていないと。
あと一応世間的には若者と呼ばれる年齢として(笑)、 「若者の直感」という魅力的なキーワードが頻繁に出てきたのは良かったです。
大事なところが多過ぎてメモにノートを何ページも使っちゃいました。
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都会から田舎に移住した若者として、感覚的に感じていたことや自分の中でぼんやりと考えていたことが、資本主義の流れを中心に具体的に言語化されていて、読んでいて自分の移住の決断や、ローカルに働くことの意味を感じることができた。とても役立った。手元に1冊置いておきたい。