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先日、植物の生き残りに関しての本を読みました。植物の理詰めの繁殖力、動物の餌捕獲運動能力、この2つがない人間が生きながらえるために身につけた能力は、群れることとコミュニケーション能力とのこと。
「フクシマ」に登場する風景の大半は、人物が写っていません。
人がいた風景に、生活の痕跡だけが残り、気候と植物は平常で着実に時を連ねています。
70-80年代の「砂を数える」→90年-2000年代の「新・砂を数える」→2011年以降の「フクシマ」。
見比べると、徐々に人のソーシャルディスタンスが広がっています。人の群れがフェードアウトしていく様が露骨に実感します。
静寂と静寂の間にあるざわめき(に見てしまう自意識)が、「未来についてあなたはどう思いますか?人間の将来はどうなりますか?どうすべきですか?」と提起しているように感じました。沢山の定点写真が、時間の経過が待ったなしであることを示している気がしました。
そういえば、事故があった当初に東北を撮影した人々は、今も撮影をしているのかな、まさか冷やかしで終わっていないよね?(忘れられるプロセスの糸口は、スポットライトでは) と、ふと思いました。
続けることの大事さを、この写真集から教わりました。