電子書籍
徹底した分析
2022/02/10 13:39
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投稿者:hjkl - この投稿者のレビュー一覧を見る
アクティブラーニングに関して、著者ならではの徹底した分析が行われている。抽象論に陥ることなく、できるだけ客観的に且つ具体的に記述しようとしている努力の跡が感じられる。歴史をきちんと調べ、それぞれの事象を比較しながら論述が進んでいく。読み進めるに従い、あたかも自分が調査しながら思考しているような感覚を体験できる。アクティブラーニングそのものだけでなく、視点・考え方についても大変参考になる書籍だった。
紙の本
2020年の教育改革の中心であるアクティブラーニングは成功するのだろうか!
2019/04/30 12:03
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投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、2020年の我が国の教育改革のメインともいうべき主体的・対話的な深い学びの実現のために導入される「アクティブ・ラーニング」は成功するのかということを考察した一冊です。同書では、明治以来、我が国で展開されてきた教育実践を振り返りながら、また改革の前に立ちはだかる大学入試の在り方、児童生徒の学びからの逃避という現実を踏まえて、我が国の将来的な教育改革を展望します。
電子書籍
思考を刺激する一冊
2018/12/31 16:06
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投稿者:にわとり - この投稿者のレビュー一覧を見る
アクティブラーニングに懐疑的な著者の考えが、さまざまな文献の引用によりまとめられています。私は現場で一斉講義以外の授業実践を日常的に行なっている義務教育の教員として、多くの反論を抱きながら読みました。そういう意味で思考を刺激する一冊です。引用として某新聞の記事が多いことがひっかかります。教育学を専門とする大学の教員ですら、アクティブラーニングについてこの程度の理解しかないのかということがわかりました。
紙の本
『アクティブラーニング』
2018/04/11 20:35
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投稿者:百書繚乱 - この投稿者のレビュー一覧を見る
2020年度から実施される新しい学習指導要領で「主体的・対話的で深い学び」と表記された「アクティブラーニング」
そのあり方や前提を“幻想”ではないかといったん疑い、立ち止まって考えることを目的として、日本の学校教育の歴史をたどり、その有効性と限界を論じる
・「カリキュラム・マネジメント」は学校や教師への責任転嫁ではないか
・アクティブラーニングでは学力格差が拡大するのではないか
・紹介される実践例が「型」となり、依存に陥るのではないか
第5章に記される課題、とくにアクティブラーニングの政治性について言及したところは必読
学校、教師と子どもたちが振り回されないために
「良薬」でなく「毒薬」にならないために
電子書籍
言葉は変われど
2019/09/11 17:10
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投稿者:babsan - この投稿者のレビュー一覧を見る
明治以降の教育における「アクティブラーニング」的な動きを追っていきながら、その理念と問題を明らかにしている。
振り子のようにこういった考えは復活するのだなぁとつくづく感じる。少しずつ中身が変わっているとはいえ、今の動きも振り子の片方に揺れているだけであることを、こういった教育行政に携わる人は分かっているのだろうか。
紙の本
主体的対話的で深い学び?
2019/02/22 15:10
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投稿者:ドラゴンズ超 - この投稿者のレビュー一覧を見る
学習指導要領が法的拘束力を持つことや、多忙さゆえに、現場の先生方は指導要領を批判的に考えることが難しいと思います。本書がその一助になり、一度立ち止まって考えるきっかけを与えてくれるのではないかと思いました。
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<目次>
はじめに
第1章 アクティブラーニング/主体的・対話的で深い学びとは何か
第2章 近代教育史の「アクティブラーニング」~大正新教育・戦時下教育
第3章 戦後教育史の「アクティブラーニング」~戦後新教育・民間教育研究運動
第4章 平成教育史の「アクティブラーニング」~新しい学力観・総合的な学習の時間
第5章 未来のアクティラーニングに向けて
<内容>
やや前半は重い。ただ読み終わると、大正期から戦前にも似たような動きがあったことがわかる。そして、辛辣な第5章。「アクティブラーニング」の問題点をきちんと指摘する。自分でも思っていた、基礎学力のないところで「アクティブラーニング」をやることの功罪。もっと怖いのは、「アクティブラーニング」は時の権力者に利用されやすいということ。確かに現在の「アクティブラーニング」の本で、批判的思考(クリティカルシンキング)についてはほとんど書かれていない。それからうれしかったのは、「アクティブラーニング」は上手くいかなくても、教師の力量ではない可能性を指摘してくれていること。生徒の向きが前向きでないと、「アクティブラーニング」は上手くいかないのだ。
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名称こそ違えど,今まで日本教育史で実践されてきた”アクティブ(・)ラーニング”を振り返り,現在の文科省が提唱する「対話的で不快学び」を考察。
アクティブラーニングについての新たな視点を得られました。
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アクティブラーニングそのものの説明というよりも、戦前戦後の教育史の中で、アクティブラーニングを今後どう位置づけるかということであった。
立ち読みで1,2,5章を読んでしまって、購入して3,4章をしばらくたって読んだ。一旦買うと読まないものであることを実感した。
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本書は、教育現場を席巻する「アクティブラーニング」の、これで生徒は主体的・能動的に学ぶようになる「はず」、生きる力が高まる「はず」という前提を、本当にそうなのかどうか検証し、大正時代、戦時下、戦後、平成以降と教育史をたどりながら、「アクティブラーニング」が強力に推進される背景について考察した本である。
「アクティブラーニング」という言葉は現在、公式には使われておらず、「主体的・対話的で深い学び」と言い換えられているが、考えてみると「主体的」と「深い」は、実は何も言っていないに等しい。「主体的」も「深い」も、目指すべき望ましい学びに決まっているからである。「隷属的で浅い学び」など「学び」ではない。この2語はあらゆる時代の教育に普遍的に通用し、学びの方法について言及しているわけではないので、とりあえず無視するべきだろう。残るは「対話的」であるが、これについて著者は興味深いテータを紹介している。
2012年の国際学習到達度調査PISAで、数学の授業において、問題解決のためのグループワークをどれくらい行っているかが尋ねられた。実はこの質問に「まったく/めったにない」と答えた生徒の割合が高い国ほど、数学的リテラシーの平均点が高い。例えば、「まったく/めったにない」の割合が71.7%のアクティブラーニング後進国日本が7位であるのに対し、割合が17.7%のアクティブラーニング発祥国アメリカは、36位だった。PISAの高得点で注目されたフィンランドも、「対話的」であるはずのグループワークには積極的ではない。
なんのことはない、つまり、教える側から見た場合、教える事項、教材、教える環境、対象等、様々な条件によって、最良の指導法が決まる。対話的な方法が有効な場合ももちろんあるし、教える者が説いて聞かせる授業形式が最善な場合もある。至極当然だが、それだけのことだ。そもそも、人の話を真剣に聴くという行動は、極めて「アクティブ」であるはずだ。
こんなことは教える側にも学ぶ側にも自明であるにもかかわらず、現在この国が「アクティブ」「アクティブ」と呪文のように連呼するのはなぜか。背景には何があるのか、その考察が本書の白眉である。詳しくは是非本書を読んでほしいが、いつの時代も「アクティブラーニング」的な指導法は推奨されていた。「アクティブラーニング」の対極にあるとつい考えがちな、戦前・戦時中においても、である。
注入主義の教育を排し、「常に自ら進んで学習せんとする強き興味と習慣を養うこと」
まさに「アクティブラーニング」だが、これは1938年12月の教育審議会の答申「国民学校ニ関スル要綱」の文言である。戦時体制下の教育でも、一方的な知識の注入は非とされ、「アクティブ」な作業や体験を通して、主体的、自発的に学ぶ生徒の育成が目指されていた。ただしそれは、生徒を「皇国ノ道ニ帰一セシメ」るためであり、そのためには生徒に、無理矢理やらされているのではなく、自ら望んで、進んでそうしているという感覚を持たせることが必要だからであった。この図式を現代にあてはめて考えてみると、見えてくることがある。「アクティブラーニング」が教育界では���く、経済界の要請で始まったことを忘れてはならない。
本書は、本物の教育関係者必読の本である。教育関係者のみならず、一人でも多くの人に読んでもらいたい。特に、あまりものを考えないように躾けられている若い教員が、本書を「アクティブラーニング」の指南書と勘違いして手に取り、読み通してくれることを願う。
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http://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000210956
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昨今話題のアクティブ・ラーニング。
本書は、その理念に一定の理解を示しつつも、現在の教育改革で無批判に期待されていることに警鐘を鳴らしている。
大学入試改革まで巻き込む(そして大混乱している)今の状況に照らして、タイムリーな出版だ。
大正新教育や、戦後新教育での〈前史〉を遡ると、方法論としての難しさがはっきりわかる。
一つは理想的に学べる学習者と、そうでない学習者の格差が開いていくこと。
特に初等教育での学びに向かう力は、家庭環境の差でもあるとすれば、社会の格差拡大を促進してしまう。
もう一つは教師の負担の大きさ。
教師が一人一人の学習に適切な援助をしていくには、準備と時間が必要。
なのに、現在、教師の負担は増える一方で、アクティブ・ラーニングを導入しても成果が上がるか。
こういった構造的な問題を抱えての、現在の教育改革、なにか失敗する気しかしない。
欲を言えば、ではどうすればいいか、という糸口が見えるといいな、と思うけれど。
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一言で言うとアクティブラーニングの歴史の本でした。
アクティブラーニングをどういう風に実施するという実践本ではない。
心に残ったのは、教育は振り子構造で知識偏中の時期と自主性を大事にしましょうという時期というので一定の期間ずつ変わってるということ。
アクティブラーニングがうまくいかなかったらまた知識の時期に戻るのか。
それに振り回される子どもがかわいそう。
今の子たちはSNSとか周りのことに敏感で
自主性とか主体性とか求めるのも大変な部分もあるだろう。
そしてアメリカの教育を見て、
とのことだったが
持っている遺伝子が違うのでそれが日本でうまくいくとは限らないだろう。
一番大事なのはその子が
ある程度のリードがあって伸びるのか
アクティブラーニングをより与えた方が伸びるのか
それを評価して子どもに合わせることなのではないかと思う。
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2020年に実施される教育改革、そこでは主体的な学び=アクティブ・ラーニングが主要な変更点として掲げられている。しかし、実はこの主体的な学びを志向する教育改革は大正時代、そして戦後に実施された経緯があり、その結果は決して芳しいものではなかった。
Society5.0と呼ばれる、ロボットやAIを活用した社会を見据えたプログラミング教育や早期の英語学習など、今後導入される見込みの教育改革についてはその効果は未知数である。少なくとも、過去の教育改革の成果を検証することなく導入が進められることは、現場の混乱と疲弊をもたらすことだろう。
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2020年教育改革の先はバラ色の未来なのか?学力は向上するのか?学力格差はどうなるのか?学校や教師の負担は?新しい大学入試は?“学び”の近現代史を辿り、教育改革を疑う。
新しい動きが取り入れるたびに、現場はてんてこ舞いになる。「主体的、対話的で深い学び」は、最終的に授業改善の視点として位置づけられた。それならそれで、粛々と進めていくしかないのだが。
近現代史の部分は、もう少し丁寧に学んでみたい。