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元外務官僚で一時は鈴木宗雄とロシア外交を仕切っていた著者。
彼は若干15歳高校一年の夏休みに、どうしても行ってみたかった東欧からソ連へ1ヶ月の個人旅行に出かける。
負担を減らす為、出来る限り安い航路を調べ、現地のホテルを郵便で予約し、大使館でビザを取り、行程を作り上げる。
当時は格安航空券の概念も無く、WebもE-mailもなく、しかも行く先は現在では考えられないほど西側とは隔絶した共産圏である。
相当のバイタリティーと情熱が有った事がわかる。
そして出入国や列車・ホテル等で発生する様々なトラブル。
スマホも無く、辞書片手に親切な人達の助けも借りるが、自力で解決していく15歳。
自分と比較し、著者の実行力に驚くばかりだ。
相当記録していたのか記憶していたのか分からないが、克明に記された旅行記が大変面白い。
下巻からはいよいよソ連中心部に突入する。
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今のところ今年のベスト作です。自分も中学・高校にタイムスリップしたような感じで読み耽りました。佐藤優版「深夜特急」でしょうか。旅を通じて人生を考えさせられる素晴らしい作品です。下巻も楽しみです。
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北方領土に関わる疑惑で鈴木議員に連座する形で投獄された佐藤優。『獄中記』、『国家の罠』などを手始めにベストセラー作家になっているが、佐藤氏が高校一年生の夏に東欧とソ連を旅した記録である。もちろん事実に基づいているのだけれども、実際に十五の佐藤少年が旅した経緯をリアルタイムに書かれているため、ある種小説として読むことも可能だ。
一般家庭であった佐藤家が彼をそれなりの大金を出して旅行に出させたのは驚きである。この体験は、本の中でも述べているが、疑いようもなくその後の人生に影響を与えた、と言える。ただ、ご両親も佐藤氏の外交的な性格を見抜いていたのだと思う。自分の十五の夏はずいぶんと遠い昔のことだが、一人で東欧を回る、というのは頭の片隅にも出てくるものではない。実際に佐藤氏の性格がゆえに多くの人と交流し、それが後の人生にも影響を与えているのだと思う。
作中で夏休み後の数学の試験の内容を何度も気にかけていたのは象徴的である。もちろん、今の佐藤氏からすると数学の試験など重要視するべきものではない。しかし、作中の当時の佐藤少年は少しおかしなほどに気にかけている。実際に進学校に進んだ初めの夏休みであるその当時の気持ちとしては気に掛けざるを得なかった、というのが強烈に記憶に残っているのではないだろう。それはおそらくは詰め込み教育への反論にもなっているのだが、さりとて詰め込み教育自体を断罪して批判するものではない。著者は「適性」という言葉でそのことを表現する。しかしながら、この本を読むと「適性」に加えて、「機会」や「偶然」というものが大きな影響を持たざるをえないということも示そうとしているように思う。
帰国をしてから、所属する浦和高校での生活がつまらなくなっていったという。数学を暗記科目だという授業を受けて、大学受験に向けて敷かれたレールに沿って準備する流れに素直に従えなくなったのか。そのことが遠因となり、同志社大学神学部という珍しいコースを歩むことになった。そして結果として今の佐藤優があるのかと思うと、人生において何か確固としたレールがあるように見えても、そこから外れてはいけないものではないのだと思う。
この本は小説である。もちろん佐藤少年が十五の夏に経験したこととその内容が違うと言っているわけではない。もちろん細部においては、もう何十年も前のことであるがゆえおそらく違っていることもあるだろうし、筋立てを合わせるために不確かな記憶の隙間を半分創作めいた形で埋めていたり、実際には違っていたことを意識している部分もあるだろう。この本が小説であるというのは、そういうことではなくて、記述が小説の技法を取り入れているということである。小説の技法というものが果たしてあるものなのかはわからない。ただ、これはいつか近い未来において「小説」を書くための習作という位置づけであるようにも見える。例えばYSトラベルの舟津さんはサイドキャラだけれども、とても素敵に描かれていて、とても魅力的な登場人物になっている。
佐藤氏はロシアでの経験をいつか「小説」という形で表現することがあるのではないか。「小説」とは、ノンフィクションに対する���ィクションという違いがあるのではない。そこにはノンフィクションであっても「小説」という形でしか表現できないものがあるのだ。
そして、この本はとても面白い。
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1975年夏、高校1年生の著者は、ひとりで42日間の東欧・ソ連の旅に出る。少年がのちの「佐藤優」になる長い旅の始まりだった。
当時の東欧やソ連の市民の生活が活写される。日本で喧伝されていた薄暗い、抑圧された市民生活とは異なる、楽しく生きる市民の生活がそこにあった。幾つもの国を行き来している市民の生活もあった。当時の日本よりもずっと豊かだと思わせる生活もあった。もちろん全部の国がそうではなくて、抑圧された、不便な、豊かではない市民の生活がある国もあった。もう2度と行きたくないと思うような国もあったし、また戻ってきたいと思う国もあった。
15歳の少年が、たくさんの人と出会い、語り、食べて、街を歩いて、そして様々なことを感じ、考える。当時、こんな旅があった・・・ということが驚愕。そして、登場する多くの大人たちが一様に予言する。「あなたの一生に大きな影響を与えることになる」。そして、その通りになった。
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上巻が面白い。
旅の準備から東欧での出来事は
一人旅の醍醐味が詰まっている。
やがてソ連に入ってしまってからは、
出来上がった 外国人観光客おもてなしシステムに乗っているだけで、臨場感がない。
その分、政治的思想的背景のやりとりを増やしたのは賛否があるところでしょう。
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高1の夏休みの体験としては大変稀有で、その記録は貴重なものだと思う。筆者のみならず、筆者の家族から旅で交流した人たちも含めて、それぞれの人の想いが伝わってくる。
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著者は1960年生まれで1975年は高校一年生。
進学校の浦和高校入学したてで夏休みにソ連、東欧の一人旅に出かける。
自分は著者より2学年上だが、とてもとても足元にも及ばない。
佐藤優氏の著作は何冊か読んだが、こういう育ちをしたのか、と感じ入ってしまった。
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【1ヶ月の転換点】冷戦真っ只中で人の往来も著しく制限されていた時代に,15歳という若さで東欧・ロシアを旅した著者の半自伝的作品。異なる政治体制の下での人との触れ合いから,感性豊かな青年は何を学んだのか......。著者は,『先生と私』等の自叙伝的作品も数多く著している佐藤優。
旅行記としての面白さはもちろんのこと,著者の個人的,そしてそれ故に普遍的に成り得る感情の揺れ動き等の記述が特に光る作品でした。全体を通してどこか暖かな印象を与える,親しみが込み上げてくるような読書体験になりました。
〜明後日からは,学校が始まり,普通の高校生活に戻らなくてはならない。しかし,何となく普通の生活には戻れないような気がしてきた。〜
ロシアには一度足を運んでみたい☆5つ
※本レビューは上下巻を通してのものです。
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15歳の東欧一人旅。
上巻は羽田→カイロ空港→チューリヒ→シャフハウゼン→シュツットガルト→ミュンヘン→プラハ→ワルシャワ→ブダペシュト→ブカレスト→キエフまで。
東欧だけに「深夜特急」のようにはいかないが、それでも各国々の歴史やそこに住む人間の感情や人情が鮮やかに描かれている。
下巻はソ連中心。
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[図書館]
読始:2018/9/15
読了:2018/9/20
読むと、自分の子どもにも「10代で海外を経験してほしいなぁ」と思えてくる。そこから逆算して、小学生のうちに飛行機旅行や、想定外のことが起きた時の対処法を身につけてほしいとか、テストの点より英会話ができることを優先していけるように気をつけたいとか、色々考えてしまう。
周りの大人のフォローが素晴らしい。こんな先生や大人が、自分の中学・高校時代にいてくれたらよかったのにと思う。
中学時代、情報系の職業に就きたいから商業高校の情報処理科に進みたいと言ったら教師や両親から罵倒に近いことを言われた。なぜなのか少しも理由は説明してもらえなかった。「いい高校」「いい大学」を自ら蹴るなんて馬鹿だ、お前は何も分かっていない、というようなことしか言われなかった。
高校で勉強できること、大学で勉強できること、をきちんと自分の言葉で説明してくれる大人はいなかった。たとえばこの本で旅行中にポーランドで出会った日本人女性のように。
「英語が苦手」と言いつつ行く先々でスイス人、ポーランド人、ハンガリー人、イギリス人などとコミュニケーションをとりまくってるのがすごい。
「社会主義国は労働者のやる気がそがれてサービスの質が悪く物資も不足し、経済が停滞している」というイメージを覆される描写が多かった。
入国前の手続きが非常に面倒だったり、電車も数時間待ちだったり、ホテルの予約をとるのにも国営旅行社に行って数時間待ちだったり、ということも確かにあるのだが、国によっては個々人の生活水準は日本よりも高かったりする(ハンガリーなど)というのが意外だった。
「東欧」でひとくくりにされている国々も、実際にその中に入り込んで見ると様々な違いがあるということも、当然だけれども今まで考えたことがなかった気づきだった。
p. 267 「(ハイパーインフレの時)紙袋に山のように紙幣を入れて買い物していた。また、タバコがお金の役割を果たした。」
p. 419「インツーリストやレストランなど、1日の拘束時間が12時間を超える職場は、すべて1日おきに仕事をしています。ですから、明日のレストランの予約を今日取ることはできません。ただし、明後日、4日後の予約ならば今日取れます」
校正が適当だ。
「天動説を唱えたコペルニクスの像だ」(p. 135)いやコペルニクスは地動説だろう。
フィフィが1960年生まれの作者の2つ年上(p. 213)ならば1958年生まれになるはずだが、フィフィのお母さんが1956年のハンガリー動乱のときに「生後間もないフィフィを抱いて祈っていた」(p. 262)と言っており矛盾している。
東ローロッパ(p. 298)ちょっとシュールな響きだ。
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読了。
佐藤優の自伝的作品は時系列的に「先生と私」「十五の夏(上)(下)」「私のマルクス」だと思うが、私の場合真逆の順序で読んだため、氏の知の源泉が、斯くも幼い時期にある事に驚きを禁じ得なかった(まあ誇張はあるにせよ)。15歳の子どもを、現在より遥かにクローズドだった東欧~ソ連に一人旅させるという、突き抜けて開明的な(笑)両親の影響下、その最も多感な時期に、見たもの・聞いたもの・感じたものから、抽象的・概念的・総合的認識を独自に再構成する能力を磨き上げた鬼才。上巻は旅立ち前~東欧~ソ連入国まで。市井の人々の汗や息遣い、オープンサンドイッチの香りまで感じられそうな、臨場感あふれる筆致は、小説としてもめちゃめちゃ面白い。そして下巻へ続く。
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15歳で東欧圏を一人旅ができるなんて能力も胆力もあると感心しました。でもその素地を作ったのは父親!親の在り方を考えさへられました。
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著者の他の本に、15歳の時に旅行に行ったことは書いてあった。1行くらいで行ったことだけしか書いてなかったのでいつの日か本にするだろうとは思っていた。まさか上下巻とは思わなかったけど、知らない時代の知らない国の事を難しいことは無しで書いてあるので、青春時代の旅行記として軽く読めた。
1975年の海外に異国感は強く覚えるが、今の海外もさほどに知らないのでなんとも言えない。ただ一つ、今の旅行と違うのはネットやスマホの違いだろう。これらがあれば今は簡単に旅行出来る。値段も安いんじゃないかな。著者の両親は高い金を払ってでも子供に海外を見てこいと了承した。これは簡単に出来ることではない。
旅行の計画だけでもかなり大変で、私はそこで嫌になってしまうかもしれない。行動力がないとなかなか行けない。英語も話せないし。著者は上手くはないが意思疎通は可能だ。ハンガリーにはペンフレンドもいる。大変だが、この旅行を10代のうちに出来るといい財産になりそうだ。
普通の旅行者と著者が一番違う所は、観光名所に全くいかないことだ。そして私なら音楽を聞いたりするのに、それもしない。ただどんな生活をしているのかを知りたいだけみたいだ。一番、描写に力が入っているのは食事シーンで、どの国の食事も美味しそうだ。サンドイッチが多いなと思った。
どの国も今とは全然違うだろう。でも1975年の少年の目から見た海外は楽しい。
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★4.7 (4.54)2018年3月(2009年初出)発行。なるほど、著者の原点はここにあったのですね。僕が東欧を一人旅で制覇したのは1988年なので、著者の13年後か。NYから東独、ポーランド、チェコ、ハンガリー、ユーゴスラビア、ルーマニア、ブルガリアへ。その当時ですら国境で官憲が厳しかったのがチェコ、ルーマニアはチャウチェスクの末期で処刑直前。野良犬が埃っぽい道端で飢え死にしかけていたが、1975年当時からそうだったんですね。僕の旅行とダブったが色々と思い出すことができた。早く下巻を読みたいですね。
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なかなか読みやすく、面白い本だった(まだ上巻だけだけど)。
知の巨人と言われる著者の、情報量満載の、哲学的神学的な著作より、旅行記としてあっさりと読める。
理由は、著者が、15歳の頃に戻って、高校一年生が記したかのように、15歳の現在形で書かれているからだろう。その視点というか筆致が見事だなと、まず、思った。
たとえば、道中に出会った少女たちから、ハンガリーでいちばん有名な日本人として小林研一郎を知っているかと訊かれるが、正直知らないと答え、その晩ホテルの支配人に
”「コバヤシケンイチロウとは誰か」と尋ねてみた”
として、支配人に訊いた情報を記している。 今の知識で、小林研一郎についての情報を補完してもよさそうだが、あくまで15歳の僕にこだわった記述が瑞々しい。
もちろん、当時知っていた、分かっていたことばかりではなく、幾分かは盛っているとは思うが、基本、視点は定まっていると感じた。
唯一、ハンガリー動乱について語った箇所だけ、
「ここでハンガリー動乱について、簡潔に説明するので、お付き合い願いたい。」
と、今の著者が顔を出す(実際、あのギョロ目の相貌が脳裏に浮かんだ・笑)
ハンガリー動乱で言うと、ペンパルのフィフィと出逢って、その家族から当時の話を聞くが、フィフィが作者(1960年生)の2つ年上で1958年生なら、ハンガリー動乱(1956年)のときに「生後間もないフィフィを抱いて祈っていた」と言うのは記憶違いというか齟齬がある。 幾分、話は盛られているんだろうなと思うところだ(それが良い悪いというのではない。が、細かいところのつじつまは合ってない)。
いずれにせよ、15の夏に、これだけの体験が出来たのは羨ましい限り。
ご両親、トラベルエイジェンシーの舟津さんはじめ、各地で出会う人との温かい交流を通じ、書物やメディアで伝えられる情報との差異を、肌身に感じ、自分のものにしていく日々がまぶしい。
自分の知るソ連時代、その崩壊直後のロシアの体制がまだ厳然たる事実として残っている時代の記載が実に貴重だ。懐かしい想いと共に拝読した。
イギリスからの日本人女性旅行者との会話だけ、ちょっと苦笑い。
「そうよ。いちばん危ないのは、日本の駐在員よ」
「日本人ですか」
「そう。商社の駐在員には悪い奴が多い。語学学校の生徒は、簡単に餌食になるわ。(後略)」
1975年の話ですからっ!(笑)