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第1章。あまたいるヒトのなかで、なぜ己の意識が他の肉体ではなくこの肉体にあるのか、また悠久の時の中でなぜ己が「存在の祝祭」のうちにあるのか。そのように本書が立てる問いは、方法的懐疑または懐疑のための懐疑をつきつめていないようにも見える…が、そうではない。懐疑のなかで己をサスペンドし、改めて虚心坦懐に社会を見渡したとき、はじめて広がる景色なのではないだろうか。たとえ自分がいなくても、たとえ自分の意識が存在しなくても、きっと世界は存在するはずだという硬い直感をもつ境地に至るのならば。
第3章。ニヒリズムを語るくだりは勇気をもらった。確かにニヒリズムを土台としない人とは話がかみ合わないような感覚がある。ニヒリズムを前提として生きる者こそ、あらゆる価値の真の探求者となることができる。また、世界が表現する機微に心から感動することができる。これからは、その感覚に自信を持とう。「それは本当は、どうでもいいことなのではないか」と思いながら。
第4章。現代倫理学は仮言命法のため、倫理の基礎づけに葛藤をはらんでいるように見える。秋葉原事件や池田小事件は、法という罰でも倫理というツールでも防ぐことはできない。歴史的に倫理の根拠として定言命法の可能性が模索されてきた背景って、きっとこういうことなんだよなと思う。
第8章。私的言語論をめぐる野矢茂樹との対話。ネガな永井もポジな野矢もどちらもファンが多いので、ボーナストラックな感じ。