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過激なことばをつかいながらも、これまで、そして現在の日本の置かれた状況をよく説明できているともう。現政権がおわってもその状況はかわらないという著者の見通しには同意せざるを得ない。
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天皇制の存続は日本国憲法と同じくアメリカの当時の判断によって今に至る事は知るところであったが、その経緯や当時から現在に至るまでの変遷を詳らかにしており、またそれが故に今の我々がこの史実をもとに如何に日本国としての存在感を示していくのか?という命題の重要性を知ることが出来た。対米従属に抗いえないというトラウマは田中角栄の失脚によるところが大きいのか否かは判然としないが時代も変わっているし米軍の圧倒的優位性については沖縄での様々な事件でも明確であり、独立した国家としての対応は必要だと感じた。
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国体の頭が戦後「天皇」から「アメリカ」に変わったのは宮台真司氏などでも言われてきたことで有るが、何故日本の統治機構がそこまでして「国体」を必要とするかについてもやもやっとした疑問を持っていたのだが、本書により理解できたと思う。ただそれは希望ではなく、この30年も十分に酷いと思うのだが、それ以上の破滅がこのままだと待っていそうなところである。安倍政権が噛まし出す醜悪さはその表面のごく一部でしかなく、この先に待っていそうなのは、より悲惨な状態で我々が「国体」に向き合う場面が来そうだと言うことだ。
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これは今現在の日本人に対する叱咤激励。自分の頭で考えよ、事実を直視して、犠牲になっている人たちの痛みを理解せよと、厳しく言われてる。多くの日本人に読まれますように‼️
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永続敗戦論の延長にある国体論。戦後は天皇からアメリカが国体となったとの展開。しかしそんなに日本人はアメリカが好きだろうか。天皇はそんなに自身を誇れるほど祈りの中心であっただろうか。興味深い話ではあるが、結論に疑問符がたくさん浮かぶ。
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日本人の深層心理を分析したような書。なぜ天皇制は廃止されなかったのかに対し、ある意味の解答を与えてくれた書。
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隠蔽されがちな事実を把握しておかないと何に支配されているか気付けないってことなんだが、生まれた時点からそういう状況に置かれていることに対しては怒るべきだと思うんだよな。
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「本物の奴隷とは、奴隷である状態をこの上なく素晴らしいものと考え、自らが奴隷であることを否認する奴隷である。さらにこの奴隷が完璧である所以は、どれほど否認しようが、奴隷は奴隷にすぎないという不愉快な事実を思い起こさせる自由人を非難し誹謗中傷する点にある。本物の奴隷は、自分自身が哀れな存在にとどまり続けるだけでなく、その惨めな境涯を他者に対しても強要するのである」という言葉が現在の状況を端的に言い表している。そして、それは当たり前のようになっており、おかしいと思わない雰囲気になっているのが末恐ろしいが、希望はどこにあるのだろうか。このような書籍が出版され共感を得ていることも一つの希望だろう。
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「昭和天皇はマッカーサーに征夷大将軍を任じた」というのは言い得て妙である。じゃあ、今上天皇はトランプに征夷大将軍を任じたの?って疑問が沸いてくるが、そのお膳立てを安倍がしたとは言えなくもないか。というのはさておき、やはり本書の特徴は戦前の天皇と国民の関係を米と国民の関係に置き替える事により、戦前戦後は同じ歩みをしているという事を浮き彫りにした事だろう。さすがにこういう視点はなかったので言われてみればそれなりの説得力はある。対米従属を継続するのもウンザリなんだが、かと言って現状の日中韓関係でアジア主義を進めていけるとも思えず、なら超然国家になるしかないのだが、その能力・実力に疑問があるのが悩ましいところ。
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20181125 今の政治の状況が見えなくなって、いろいろ解説してもらえるような本を探していた。そもそも米国至上主義がこんなにまかり通っていて、ニュースにもならない現実。天皇の退位は他にもいろいろと考える機会になるかも。年代が近い浩宮様がどう思っているか本人の言葉で聞いてみたい。
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●つまり、対米従属の現状を合理化しようとするこれらの言説は、ただひとつの真実の結論に決して達しないための駄弁である。そしてそのただひとつの結論とは、実に単純なことであり、日本は独立国ではなく、そうありたいという意思すら持っておらず、かつそのような現状を否認しているという事実である。
●安倍政権は、夜郎自大の右翼イデオロギーと縁故主義による醜態をさらし続けてが、それが長期政権化した事実に鑑みれば、原因を「一部のおかしな人たち」に帰することは到底できない。世論調査によれば、安倍政権支持者の最多の支持理由は「他に適任者が思い当たらないから」というものであるらしいが、言い得て妙である。現在の標準的な日本人は、コンプレックスとレイシズムにまみれた「家畜人ヤプー」という戦後日本人のアイデンティティーをもはや維持することができそうにないことをうっすらと予感しつつも、それに代わるアイデンティティーが「思い当たらない」ために、鏡に映った惨めな自分の姿としての安倍政権に消極的な支持を与えているわけである。この泥沼のような無気力から脱することに較べれば、安倍政権が継続するか否かなど、些細な問題である。
●本書で強調してきたように、歴史的に言えば、日本はアメリカの同盟者として「冷たい戦争」を闘い、そこから受益しながら、勝者の地位を獲得した。アメリカは日本に代わって八紘一宇を実現してくれたのであり、日本はそれを助けたのである。しかし、この勝利は、ソ連・東欧圏の崩壊、共産中国の世界資本主義市場への統合をもたらし、共産主義の最終的敗北を意味したが、それは同時に、日本が冷戦構造から受益できる状況が失われたことも意味していた。(略)驚くべきは事態が直視されてこなかったことである。その姿は、破滅的な戦況を直視することから逃げ続けた戦時下の日本を彷彿とさせる。あたかも「神国ゆえに負けるはずがない」という命題が、「アメリカ流なので間違っているはずがない」へと転化したがごとき光景を、われわれは目にしている。そこには一片の合理性もない。
●かくして、「戦後の国体」の末期たる現在において現れたのは、「戦後日本の平和主義」=「積極的平和主義」=「アメリカの軍事戦略との一体化」(実質的には、自衛隊の米軍の完全な補助戦力化、さらには日本全土のアメリカの弾除け化)という図式である。この不条理そのものの三位一体は、しかしながら、三項すべてが「天皇制平和主義」であるという一点において、首尾一貫しているのである。朝鮮半島の緊張に対する日本政府の対処とそれに対する世論の反応は、「戦後の国体」の臣民たる今日の日本人が奉ずる「平和主義」の内実を明るみに出した。「平和主義」の意味内容の変遷は、「戦後の国体」の頂点を占める項が、菊から星条旗へと明示的に移り変わる過程を反映している。今後の東アジア情勢次第では、「天皇制平和主義」を生産しないかぎり、われわれは生き残り得ないであろうし、生き残る価値も見出し得ない。
「知ってはいけない」参照
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「国体」と聞けば,神国ニッポン,教育勅語,万世一系の天皇…など,戦前の日本を覆っていた「国民を統合するための思想」「国民をしばっていた雰囲気」「はみ出しを許さない社会」などを思い出します。ところが,本書の副題には「菊と星条旗」と書かれています。「菊」は分かるけど,「星条旗」って,あの国の旗のこと? 一体どんな内容なのだろう…気になるタイトルですね。
戦前は天皇,戦後は米国…その連続性について書かれています。そう,日本人は,敗戦後変わったのですが,変わっていなかったのです。これまで「天皇バンザイ」だったのが「アメリカバンザイ」になっただけ。国民を縛り付ける(雰囲気も含めて)もの,それが「国体」なんでしょうね。
本書は,2016年8月8日の天皇の「お言葉」から始まります。天皇は,なぜ,あのような意思表示をしなければならなかったのか。そこから見えるものは…。
「国体概念」がなぜ有効なのかという段落では,次のように述べています。
当初,共産主義対策を意図した国体護持の手段であったはずの対米従属は,共産主義の脅威が消えてもなお生き延びた,というよりもむしろ強化されることとなった。「国体としての安保体制」は,その存在根拠を失ってからこそ,それが「国体」である所以を露わにし始めたとも言える。(59p)
それにしても,オキナワ米軍基地の普天間と辺野古をめぐる騒動を見るにつけ「そもそも米軍に出ていってもらうことが無理である」という出発点でしかないことが「星条旗が国体の国体たる所以」を物語っています。
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私の理解では「戦前は天皇絶対君主制、戦後はアメリカ絶対君主制」と言うことか。
アメリカに盲従して、世界で批判を受けているトランプにいち早く馳せ参じた安倍晋三の支持率は未だに高いまま。
そんな彼が提唱する改憲がなされ、ベトナム戦争のような不義の戦争が勃発した時に、アメリカの弾除けになった日本人が「アメリカ万歳‼︎」と言いながら玉砕していくのだろうか。
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神聖にして侵すべからずは、立憲君主制における君主無問責を意味していた。
天皇制は、幕府、内閣と権力者がいる中で象徴として利用されてきたが、それが戦後はアメリカになった。
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日本の政治の形を規定する国体という概念。戦前には明確にあり、敗戦によってそこから脱したように見られている概念について書かれています。国体とは何なのか。まずそこから始まりますが、それによって戦前の国体と戦後のそれの類似性、連続性がわかるようになります。戦前の天皇制という国体が、どのように解釈され使われてきたのかを知ることで、並行して戦後の国体への日本人の解釈と使われ方が分かってきます。背筋をぞっとさせるような類似性。
戦後の国体を、当初の政治家たち、そして昭和天皇が、どれでも自分たちの考える方向に導こうとされた努力。それが現代では忘れ去られてしまっていること。それゆえ、それの転換点でもある今、間違った行動をしてしまう可能性があります。まず、なぜこうなってしまっているのか、歴史を知る必要があると考えさせられました。