紙の本
日本でこそ
2023/01/24 13:48
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投稿者:ichikawan - この投稿者のレビュー一覧を見る
南アフリカ出身でアメリカ合衆国でも人気となったコメディアンの自伝。タイトルにあるようにアパルトヘイト下ではノアは存在そのものが「犯罪」とされかねない生まれであった。現在の日本にはいないタイプのコメディアンだけに、日本でこそ読まれて欲しい。
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南アフリカのアパルトヘイト下で、カラードとして産まれたトレバー・ノアの自伝。
恋愛とか差別とかもあるけど、これは母と子の物語だ。ものすごくリベラルでものすごく息子を愛した母がいたから、トレバーは前を向けたんだと思う。
歴史背景とかもさりげなく解説が入るのでいい。
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歴史の授業と、映画『インビクタス』から程の知識しかもっていなかったアパルトヘイト。この本を読まなければ、おそらくこの先意識的に知識を得ることはないだろう。人間の歴史の中でも大きなトピックスであっても、遥彼方の出来事にアンテナを張れるほど暇ではないから。
この本を選んだ際も、特にアパルトヘイトに関心を寄せたわけではなかった。 カバーデザインがいい感じ。フィクションよりも自伝を読みたい。外国作品の方が、違った世界を見せてくれる。どうやら世の評判も良いようだ。そんなところだった。
話の軸は、主人公の成長と、魅力ある母親の姿。やんちゃ坊主と肝っ玉母さん。万国共通の生き様なのだろうか。そこに南アフリカの現実、アパルトヘイトの実態が色濃く反映されている。
この本の世界が、今、自分が生きている世界と繋がっている、なんて意識できなかった。架空の世界の出来事。別の星での話のようだ。ほぼ同世代の主人公が同じ星の下、同じ時間の中で過ごしてきたことと、想像することが今でもできない。
主人公は今や世界を股にかけて活躍しているようだ。グローバリゼーションとはそういう事なんだろう。世界中から様々なバックボーンを携えた人が集まって世界を作っている。世界は想像以上に複雑にできているらしい。
自分の世界は引続き極東中心で、今後もアフリカ南端とのかかわりは少ないと思われる。ただ、テレビで、ネットで南アフリカというキーワードが出てきたとき、今までとは違った感覚を持ちながらその情報を見つめることになる。
学校では得られなかった世界の歴史をこの本から学ぶことができた。
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黒人母と白人父の間に生まれ、育った稀有の世界的コメディアン。アパルトヘイトからマンデラ政権誕生が、その幼少期であり青春だった。こんな不条理な世にあっても、子供の世と青春は、羨ましいほどキラキラ、ワクワクしている。事あるごとにぶつかった、たくましく生きる母へのオマージュでもある。どんな状況であれ、子供時代や青春時代って最高なんだと思う。
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GG recommended:
This coming-of-age memoir begins with comic Trevor Noah’s birth to a black Xhosa mother and a white Swiss-German father in South Africa. During the final years of apartheid, his family often hid him indoors rather than face difficult questions or potential arrest—as black/white marriage was still illegal. Yet Noah learned to navigate racism in South Africa with the help of his mother Patricia—a woman who was both fiercely religious and rebellious. “My mother wanted her child beholden to no fate. She wanted me to be free to go anywhere, do anything, be anyone.” Noah’s tragic yet humorous story of hope, resistance, and resilience is a tribute to his mother’s bravery and their complicated bond.
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アパルトヘイトを機能させておく唯一の方法は、黒人の考える力を削ぐことだった。アパルトヘイト体制のもと、政府はバントゥー教育法に基づき、バントゥー学校をつくった。(中略)「黒人に歴史や理科を教えたってなんの役にも立たない。未開人なんだから。そんなもの教えたって、混乱させるだけだ。食べることが許されない牧草地に、家畜を連れていくようなもの」というのが政府の言い訳だった。(p.89)
生まれてはじめてお金をテニして、すごく解放された気分になった。お金があることでまず気がづいたのは、いろいろ選択できる、ということだ。人はお金持ちになりたいわけじゃない。選べるようになりたいのだ。お金があるほど選択肢も広がる。それが、お金のもたらす自由なのだ。
お金を手にした僕は、それまでとはまったく違うレベルの自由を味わった。マクドナルドだ。アメリカ人にはわからないと思うけど、アメリカ発のチェーン店が第三世界の国でオープンすると、それはもう大騒ぎになる。(p.257)
部外者が、被害者の女性ばかりを責めて「出ていけばいいのに」と言うのは簡単だ。家庭内暴力はうちに限ったことじゃない。僕はそういうのを見て育った。ソウェトでも、テレビや映画の中でも目にした。それがよくあることとされる社会で、女性はいったいどこへ行けばいいのか。警察も助けてくれない、自分の家族も助けてくれないのに。(中略)当時の僕は、こういうことがなにもわかっていなかった。若造のものの見方しかできない若造だった。(p.382)
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The Daily Showは最近知りましたが、司会者Trevorさんの面白い口調にハマっています。
この本も是非読みたいと思い、購入します‼また別途にAudio bookもあるようなので手に入れて、文章と音声の両方で楽しみたいです‼‼‼
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南アフリカ出身のカラードであるトレバーの半生を描いた本。
単なる自伝にとどまらず、所々でアパルトヘイト時代の南アの社会背景が説明されておりとても興味深い。
一番衝撃的なのは最終章で、トレバーの母の強さをあらためて感じさせる。
「なによりも、人とのつながりを保つのは暴力じゃなく、愛だと気づいていた。愛は創造的な行為だ。誰かを愛すると、その人のために新しい世界を創りだすことになる。」
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クッツェーの小説も読んだし、インビクタスとか遠い夜明けとか映画も見ていたので、アパルトヘイトについてちょっとは知っているつもりだったけど、ちっとも知らなかったんだなと認識をあらたにした。
クッツェーは白人インテリの富裕層で、底辺の黒人がどんな生活をし、どんな思いでいたのかをリアルに体験してはいないし、映画もアメリカ人が、つまり外国人が撮ったもので表面的なものでしかないということがよくわかった。
まず、黒人白人だけでなくカラード(もともと南アフリカにいたコイサン族女性と白人の間に生まれた混血を始まりとし、文化的背景がない。準白人として扱われる。カラード居住区で暮らす。)という括りもあったこと。黒人はたくさんの部族に分かれていて違う言語を話し、それぞれ別々の土地に暮らしており(当然比較的裕福な部族もあれば赤貧洗うが如しという部族もある)一つの集団ではないどころか、お互いに対立している。部族間の対立は前述の作品でも描かれてはいたが、そもそも会話すら成り立たないほどであり(言語が違うから。アフリカーンスはオランダ系白人とカラードの言語)、その対立を白人支配者たちは上手く利用していたこと。だから数々の矛盾がありながら制度として成り立っていたということ。そんな中で黒人やカラードがどんな思いで生きていたのかが、この本で本当によくわかった。
著者は見た目はカラードでありながら黒人の母の子として黒人(ネルソン・マンデラと同じコサ族)文化で育った(ヨーロッパ人の父との交流もあった)。すなわちどこの社会からもはみ出していることを子どもの頃から意識していた(何事も一歩引いて客観的に見る癖がついた)。自立心の強い母のお陰できちんと教育を受け、知能が高く言語を能力も優れていたので、英語もアフリカーンスも他の部族語もでき、何よりユーモア精神があった。これらがうまく結び付いた結果がアメリカでの成功だと思う。アパルトヘイトという悪法が産んだ奇跡。
重苦しくなって当然のエピソード満載でありながら、持ち前のユーモアセンスで笑いに変え、人種差別のバカバカしさを描き出すテクニックは最高。ヒトラーという名前の友人とユダヤ人学校に行くエピソードは面白過ぎるが、ナチスに迫害されたユダヤ人と白人に差別されている黒人の歴史を思うと、複雑な後味。
あまりに名言が多すぎて書ききれないが、「生まれてはじめてお金を手にして、すごく解放された気分になった。お金があることでまず気がついたのは、いろいろ選択できる、ということだ。人はお金持ちになりたいわけじゃない。選べるようになりたいのだ。お金があるほど選択肢も広がる。それが、お金のもたらす自由なのだ。」なんて、本当にそうだと思う。
いきなり性行為に関する法律(白人と黒人との性行為を禁止する法律、タイトルの「生まれたことが犯罪⁉」につながる)から始まる本ではあるが、高校生くらいから読んでほしい本。もちろん大人も。
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トレバー・ノアの半生、南アフリカのアパルトヘイト、そしてその地が如何に人種の坩堝あるのか。
すべての視点はトレバー・ノアが目にしたままに語られる。しかし、文章は軽妙でありながらトレバー・ノア自身は淡々としており、彼の客観性に信頼を置いて読み進めることができる。
パトリシア・ノア(ノンブイセロ)、彼の母親は、彼にとってパートナーであり、共に歩む仲間。
アパルトヘイト、南アフリカの人種差別どころか女性というだけで聞く耳を持たない世界で彼女がトレバーに与えた最初の愛は“意味を持たない”名前だった。何も背負わせたくなかったから。
彼女が生きる世界で、彼女は他人を憎まなかった。そして息子にもそのように教えて、自分とは違う道を歩ませた。英語を第一言語として、コサの言葉や他の部族の言葉も教えて、カトリック系の学校などにも通わせて本も与えた。
肌が白くないからと言って選択肢がないと息子に思って欲しくなかった、という思いはまさしくトレバー・ノアに正しく受け継がれたのだと思う。
いまの彼の活躍はどこから来ているのか知ることができ、同時にアパルトヘイトという先鋭的奴隷制度についても深く知ることができる。
人種隔離とは言うけれど、本来であるならばマイノリティである白人が如何にして多数の自分たち以外の人種を支配したのか。
パトリシア・ノアが息子に与えたものとはかけ離れたもので、あるには違いない。
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長らく読みたい本リストに入ったまま放置してたけど、英会話の教材にさせていただいてるアメリカのTVショーのホストがトレバー・ノアで、「あれ?この人あの本の人じゃん」と思い出しようやく拝読幼少期の話と、母の話を知った上でいまの彼をみると奇跡を見ているようだし(それほどに悲惨な社会かあることを知らずに生きていた私はほんとうに恵まれてるなとも感謝するし)、日本ではあまり顕在化しない(見えない場所に蓋をされてる)人種差別を考える機会にもなった。また、訳も良い。ノアのもともとの軽快な語りをうまく受取った日本語だと思う。
彼が言葉を自在に使えるようになった経緯が印象的だった。語学学習をきっかけに知った彼の生い立ちにおいて「言葉」がいかに生き残るためのツールなのかというのを思い知る。英語一つにまだまだ苦戦している身だが、わたしはこの言葉を通してどう生きていきたいんだろうか…。いろいろ考えてしまう。
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笑い事にならないことをたくさん経験されていて、ここに係れたのはほんの一部なんだろうな、と思った。
人生教訓を学び取る力がすごい。子どもの時から。すべてのたくさんのミスが生かされていると感じた。
アメリカでのBLM運動、暴動、抵抗についてのコメントの深みを感じた。
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ウーマンラッシュアワーの村本が尊敬する南アフリカ共和国出身のコメディアンの自叙伝。もう度肝を抜かれるくらいスリリングに物語は展開して、一旦読みだしたら止まらなくなるかっぱえびせんみたいな本や。そしてあの理不尽なアパルトヘイト政策をリアルに感じさせてくれる知らなかった世界を教えてくれる内容でもある。アパルトヘイト政策を取り扱った映画「インビクタス」どころではないな、ほんま。
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2021年8月
アメリカで活躍する有名コメディアンの南アフリカの家族の思い出。1984年生まれの著者の20歳過ぎくらいまでの話。
文章は常にユーモアを忘れないが、人種差別と女性差別という問題を鋭く描く。
帯など紹介文が"笑いで吹き飛ばす"といったニュアンスで書いてあることには違和感。著者は社会の不合理を笑いで昇華しようとは思っていないと思う。貧困から来る犯罪を個人の問題と解釈する富める者の無知を指摘し、貧しい者へは物質的な支援が必要不可欠であると説いている。
また子ども時代の思い出の、母親が夫(継父)に殴られ命の危険を感じて飛び込んだ警察署で結局警官(男)と夫が「やあ、こんばんは。まあよくある話で。まったく女ってのはなにをしでかすやら。ちょっとカッとなっただけなんですよ」と"男子会"ノリで話し出し、警察は自分たちを守ってくれないと恐怖を感じるエピソードは、今の日本の出来事だと言われても不思議はない。
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1990年頃までアパルトヘイトが行われていたことすら露知らなかったが,当事者として南アフリカで育った経験を元に書かれていたこの本は,とても勉強になった.
白人が現地民をコントロールするために,分断が起きるように一部の民族にだけ特権を与えたり,言語を統一しようしなかったりする対応をしていたことも,そういう効果があるのかと感心した.
一方で,見た目が違えど,同じ言語を使えば人は仲間に入れてくれようとする.それだけ言語というものは仲間意識を形成するのに重要なものなのだと感じた.
また,自分の仕事に照らして考えてみると,
自分が外国籍の人と話をするときに相手の言葉で話をしようとする努力がとても大事なのだということも理解できたし,同じ日本人でも相手の使う言葉は自分とは微妙に違っているので,出来るだけ相手の言葉を理解して使うようにすることが,距離を縮める秘訣なのだろう.
これを知って,ヴィトゲンシュタインの言語ゲームを思い出した.