紙の本
経済と戦争
2018/08/16 13:35
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:451 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「経済で読み解く大東亜戦争」(上念 司)のような内容を予想していたがそれとはかなり異なる。ただ、これはこれで面白かった。
特に行動経済学による説明、社会心理学による説明が面白かった。
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なぜ、あんなにも無謀な日米開戦を進めたのか?当時のエリートが集まっていた軍部で、なぜ、そんな判断が行われたのか?大きな疑問だった訳ですが、プロスペクト理論と、群集心理論などを使っての説明には、腹落ち感があった。決定者たちの決定心理プロセスを勘案すると、経済学者(政策提言者)として、提示すべき代替案があったのではないかとの言葉は、現代組織にもあてはまる。
日々、「会社」という官僚組織における意思決定の現場でも、この決定心理プロセスに配慮した進め方が求められるものだと思う(やり過ぎると、「誘導」になりそうだが・・・)。
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後世の人間が振り返ってみて、とても素直に、いたって普通に考えてみて、どうしてそういうことになったのかわからないという出来事がある。1941年12月8日(7日/UStime)の日米開戦はまさにそのものである。さまざまな書物、映画、テレビ番組などでずっと長い間問われ続けてきた。
日本は米英と戦争をすれば必ず敗れる、その国力・生産力の差は市井の人々でさえもうすうすわかっていたことであったにもかかわらず開戦となった。どういうストーリーがあったのだろうか。
「おわりに」において、筆者は、より良い選択をするために、エビデンスとヴィジョン、そしてレトリックをどのように使うのか、このことを考える機会にしたいと述べている。すべての事象は選択の連続であり、本書の真意はその核心に突き刺さる。
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経済力の観点で対米開戦は勝ち目がないとわかっていたのに、なぜ開戦に踏み切ったのか?この疑問に対し、行動経済学におけるプロスペクト理論と、強力なリーダーシップのある指導者が不在ななかでの意思決定に関する社会心理学的な知見から答えている。
開戦回避では確実にジリ貧が見えているなかで、ドカ貧リスクが極めて高くても、僅かながらもジリ貧を避けられるかもしれない道が示されたがために、秋丸機関にとって本意ではない結論に突き進んだのはもどかしい。後講釈かもしれないが、ドカ貧の悲惨さ、つまり焦土と多数の戦没ということについて想像しきれていなかったから絶対の開戦回避という選択がなされなかったのだろう。リスクの高さについては理解していながら、ネガティブなインパクトの大きさから目を背けると、いかに悲劇的な結末を招くか。戦争だけに限らず、様々な場面で究極の選択を迫られる際に肝に銘じないといけない。
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第1章 満洲国と秋丸機関
第2章 新体制運動の波紋
第3章 秋丸機関の活動
第4章 報告書は何を語り、どう受け止められたのか
第5章 なぜ開戦の決定が行われたのか
第6章 「正しい戦略」とは何だったのか
著者:牧野邦昭(1977-、経済学)
第7章 戦中から戦後へ
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018/06/24経済学者たちの日米開戦 牧野邦昭 ☆☆
残念ながら画期的な内容はなかったが、開戦を丁寧に整理、好感
開戦の決断 データ上で不合理でも、国家として選択あり得る
しかし日本は決定者が明らかでない 幕引きもできない
最大の問題は「兵站の欠落」犠牲者が多過ぎる
この根幹は物流を甘く見たことだが、責任者は不在
秋丸機関知らなかった 総合研究所は有名
資源・食料を求めて
ドイツはソ連の労働力とウクライナの農作物 日本は満州
新体制運動 近衛文麿
戦時体制の閉塞を打開しようとした
社会主義体制変革として受け容れられなかった
見通しのない開戦
回避してもじり貧なら 百に一つでも戦争に賭けるのは合理性ある
戦略の統一はなされず 陸軍の仮想敵はソ連 海軍は米国
根本的な問題 「商船造船能力」
船舶の減少 650+360−850=160万トン
米国の造船力 想定は年間600万トン秋丸機関
実際は1,250万トン 日本は100万トンの12倍
プロスペクト理論
損失については「リスク愛好的」
利益については「リスク回避的」
確実に3000円か8割確率で4000円事実かビジョンか
ゾルゲ事件の影響 昭和16年10月 絶妙のタイミング
終戦工作 ソ連を信じたわけではないが、国内で受け容れやすい
→日本とソ連で対米・英連合を作れる可能性に賭けたと(19.01.03)
面白い ソ連は米国より信頼できると!
エビデンス ビジョン レトリック
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【合理的に不条理へ】対米英開戦を前に,彼我の戦力差を研究するために陸軍省に設けられた通称「秋丸機関」。多くの経済学者の関与を得たその機関が導き出した研究成果を解説しながら,日本を「無謀な」戦争に導いた内的論理について説明した作品です。著者は,摂南大学の経済学部で准教授を務める牧野邦昭。
秋丸機関を通して見る日本近代外交史としても読み応えがあることはもちろんですが,本書の白眉は,絶対的な戦力差が把握されながら,なぜ戦争という選択肢を選び取ったかの理由を推察したパート。本書を通じて描かれる,合理的な考え方の積み重ねが必ずしも合理的な結果をもたらさないという点は,今日の組織運営でも十分に学ぶに値する内容かと思います。
〜結局のところ,日本は「戦争の終末」の見通しなく,そしてそれゆえに戦争を始めたのである。〜
個人的には「なぜあの戦争を1945年8月までやめなかったのか」というのが次に気になる☆5つ
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非合理的・情報軽視というイメージのある日本陸軍ですが、実際には開戦前に多くの一流の経済学者を「秋丸機関」というシンクタンク的組織に集めて、日本だけでなくアメリカ・イギリス・ドイツなどの主要国の経済抗戦力の調査を行っており、勝ち目がないことを知っていたそうです。それにもかかわらず、なぜ開戦に踏み切ってしまったのか、理想的な戦略は何だったかを秋丸機関の報告書を軸に読み解いていきます。
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昭和19年(1939年)陸軍省軍務局の岩畔は関東軍から秋丸次郎を呼び寄せ石井細菌部隊に匹敵する経済謀略期間の創設を命じた。日本、アメリカ、イギリス、ドイツなどの戦争継続能力を分析し、それぞれの経済的な弱点を見極め対策を立てるのが目的だ。メンバーには前年に治安維持法違反で検挙された保釈中のマルクス経済学者有沢広巳を筆頭にトップレベルの経済学者、統計学者や地理学者が参加した。
後年、有沢は秋丸から軍部に迎合するようなことを書いてはいけないと言われたと語っている。また、報告書は国策に反するものだったためすべて焼却されてしまったと何度も語った。現在では「経済学者が対米戦の無謀さを指摘したにもかかわらず、陸軍はそれを無視して開戦に踏み切ってしまった」というのが通説となっている。あるいは経済学者たちは実際には高度な経済分析に基づく「秘策」を提示し、それを信頼した陸軍が開戦に踏み切ったという異説もある。著者は新たな証拠に基づき別の答えを導き出した。
日米比較では製鋼20倍、石油数百倍などであり秋丸は以下のように回想している。「説明の内容は、対英米戦の場合経済戦力の比は、20対1程度と判断するが、開戦後ニカ年間は貯備戦力によって抗戦可能でも、それ以降はわが経済戦力は下降をたどり、彼は上昇し始めるので、戦力の格差が大となり、持久戦には耐え難い、といった結論であった。」 いっぽうで秋丸の相談相手でもあった経理局高級課員の遠藤武勝は戦争意思は別のところで決められ、経済学者がその気配に媚びて強く厚いその経済力でも「突き崩し得ないことはあるまい」という意見が付け加えられたと述べている。
・アメリカとイギリスの経済力を合わせれば第三国に対しても供給余力はある。しかし、海上輸送には弱点が有りドイツがイギリスの船舶を月平均50万t沈めればイギリスを屈服させられる可能性がある。
・アメリカも商船隊が老朽化しており現時点では輸送力が不足しがちである。
・ドイツの抗戦力は現在がピークであり、対ソ戦を短期に終わらせウクライナの農産物とソ連の労働力を手に入れる必要がある。対ソ戦が長期化すると対英米戦長期遂行は全く不可能になる。
・日本はドイツを助けドイツに対し強い立場に立つため、また英米ソの包囲を突破するためには北進ではなく南進して資源を確保すべきというのが「ドイツ編」の結論となっている。ただ、ドイツ編を書いた武村自身は慶応大教授として参加した座談会でドイツの思い通りにはいかないだろうと否定している。
ドイツが短期間でソ連に勝ち、抗戦力をつけてイギリス商船を沈める。日本は南進してイギリス領を支配しドイツと連携して中東の石油をイギリスに入れさせないようにする。できればアメリカにはドイツと戦わさせれば有利な状態で講和できるかもしれない。こういった内容は武村もいろいろなところで発表しており「秘密研究」ではなかった。またどうやってというのが無ければなんとでも書けるので秘策とも言えない。(林千勝氏のようにこの報告書を元に合理的な勝算があったという人もいるが。)それではこの報告書がどう受け止められなぜ対米開戦に踏み切���たのだろうか。
日本が長期戦を戦うことが難しいというのは調査するまでもない常識であり、一般の人々にも英米との差は数字で公表されていた。では「非合理的な意思決定」「精神主義」が原因かというと著者は別の回答を示している。その一つが行動経済学でいうプロスペクト理論だ。
経済封鎖を受けた日本は3年後には確実にアメリカに屈服させられる。しかしドイツ編の結論にあるように極めて低い確率であっても開戦すればよりマシな講和の可能性がある。期待値では開戦しないほうが合理的な選択なのだが損失回避性が嗜好されリスクを取ると言うのがその説明だ。またリスクを取らなかったフランコ独裁のスペインとは違い日本には強力な意思決定者がいない「集団意思決定」の状態では極端な意見が採用されるリスキーシフトが起こったという社会心理学からの説明も試みられておりいずれも精神主義よりはもっともな意見に思える。世論も好戦的な対米強硬論が拡がっていた。
日米開戦を避けるために経済学者はどうすべきだったのか。同じくプロスペクト理論で言えばジリ貧にならずに3年後にアメリカに抗戦できるポジティブなプランがあれば開戦は先延ばしにされた可能性はある。例えば満州で発見された油田が有望であり日本は力を蓄えることができるであるとか。岩瀬昇氏の著書によれば、アメリカの経済封鎖を受ける前であれば関東軍が自前主義を捨てアメリカの探鉱会社を起用すれば大慶油田を発見できていた可能性は充分にあった。
牧野氏にしてから武藤章軍務局長の考えを否定しない。屈服する民族は永久に屈服する、避けられない敗戦でも再び伸びることを期待して戦うことを選んだ。「日本が太平洋戦争によって多くの経験をし、反省し、教訓を学んだことが戦後の日本の発展につながった」と。であれば経済学者はやはり開戦を止められない。
この本では対中戦についてはほとんど語られていない。そもそも中国は主要な研究対象にもなってないようなのだ。3年後にジリ貧になるのは中国や満州の権益を捨てられないからで、今から見れば損切りをしてアメリカからの経済封鎖を解くというのも合理的な対案となる。それができない理由がいくらあったにせよ検討すべき方策だったはずだ。後知恵ではあるのだがそれが歴史から学ぶということだろう。
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2019/01/02 年末年始用に図書館で確保
●有澤広巳
●陸軍省戦争経済研究班
・陸軍省主計課別班
・秋丸機関
●秋丸次郎←岩畔豪雄→中野学校
●東亜経済剤懇談会第一回大会報告書
・GoogleBooksで見れる
●昭和研究会
・笠信太郎
●P63 レオンチェフ・産業連関表も,秋丸機関で研究対象にしていた
・このとき,産業連関表を作成していたら,戦後の石炭傾斜生産政策もかわっていたかも?
●CiNii 陸軍省主計課別班で検索するとヒットする
●日米の差 1:20
●P149 正確な情報は皆知っていた(軍も政府上層部も)
★なぜ開戦?
・3年後に,アメリカと勝負できる戦力と国力を日本が保持できるプランを統計学者が示せなかったから。
・格差などのネガティブプランやネガティブな現状だけを示せば,戦争が止めれるかと言えば,そうではない。
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うっすらと名前を知っていた「秋丸機関」。その報告書の問題を通して、日米開戦にいたる経緯をさまざまに検証している。
陸軍が、治安維持法違反で検挙され保釈中だった学者たちを迎えて、英米独ソの経済分析をさせていたのが秋丸機関。そこでの結論は、その後の歴史を予見しているようである。しかしそれは、当時の常識的な見方だった。つまり陸軍も、まともに戦えばアメリカに勝てないことは重々わかっていた。それを精神論だけで乗り越えようとしたわけでもない。
開戦の動機を、行動経済学のプロスペクト理論や社会心理学を援用して、解説している。たぶん、その通りなんだと納得できる推察だ。
だからこそ、現代社会にも通じる示唆を多々含んでいる。
■経済学者たちの日米開戦:秋丸機関「幻の報告書」の謎を解く
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昨年村木さんの日本組織の病を考える、などを読み、日本組織の疲弊に関心を持った。典型的な日本の官僚的組織である旧日本軍について、改めて理解する必要があると感じ、なにが開戦へと向かわせたのかを知りたいと思って手に取った。
秋丸機関の報告書だけではなく、国民全体に英米と開戦すれば敗戦するのは間違いないと理解していた。
それでも開戦に踏み切った理由は、
厳密であるからこその日本開戦の成功の可能性はあるとした報告書の記述、
プロスペクト理論による意思決定が生じたため。
学校教育では昭和史は意識的に語られないような気がする。本当は学ぶべきことが非常に大きかった時代なのでは。
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●:引用
●高橋財政期における日本の景気回復に大きく貢献したのは輸出の増大であったが、日本からの綿織物を中心とする輸出の急増はイギリスとの間で激しい貿易摩擦を引き起こし、イギリスは不況の中で自国の貴重な市場である植民地を守るためにスターリング・ブロック(イギリスポンド経済圏)の強化を図っていく。イギリスとの経済関係の悪化はスターリング・ブロックに対抗する「日満経済ブロック」、さらには「日満支経済ブロック」の建設の主張につながっていった。(略)さらに昭和12年の日中戦争勃発後、日本では蒋介石の国民政府を支援していると考えられたイギリスに対する反感が強まり、また日本が「日満支経済ブロック」の確立を目指して中国中部から南部に支配地域を拡大していくことによって香港や上海におけるイギリスの経済活動は大きな打撃を受け、日英関係はさらに悪化していく。ドイツと友好関係を結んでいた日本では1939年に第二次世界大戦が勃発すると排英運動が激化し、さらに昭和15(1940)年に日独伊三国軍事同盟が結ばれると日本とイギリスとの関係は決定的に悪化していく。イギリスとの関係悪化はアメリカ合衆国と日本との関係悪化につながり、太平洋戦争を引き起こすことになる。太平洋戦争はイギリス要因を無視できず、さらに後述するように日本は開戦に際しイギリスを屈服させることによりアメリカと有利な講和を結ぶことを考えていた。本書のタイトルは「経済学者たちの日米開戦」であるが、より正確には「経済学者たちの日米英開戦」なのである。
●ただ実際問題ととして、「世の中がまた変わってくるだろう」というだけでは説得力がない。(略)したがって「戦争論を抑える」ためには、「三年後でもアメリカと勝負できる国力と戦力を日本が保持できるプラン」を数字によって説得力を持たせて明示し時間を稼ぎ、その間に国際環境が変化するのを待つことが必要であった。恐らく日本の経済学者が「日英米開戦」の回避に貢献できたとすれば、日本とアメリカとの経済格差という「ネガティブな現実」を指摘することではなく、こうした「ポジティブなプラン」を経済学を用いて効果的に説明することだっただろう。この「ポジティブなプラン」はあくまでも開戦論を抑えて時間を稼ぐためのレトリックなので、必ずしもエビデンスに基づく必要はなく、極端な場合、事実や数字を捏造しても良かっただろう(「満州国で発見された油田は極めて有望である」等々)。そのうえで「ドイツの国力は現在が限界なので数年でソ連と英米に挟撃されて敗北する、その後は英米とソ連との対立が起きるのでそれを利用すべきだ」とエビデンスを踏まえてビジョンを示せれば、「臥薪嘗胆論」に説得力が増し、「日米英開戦」は回避された可能性がある。(もちろん硬貨している国民世論をどう説得するか、という問題は残る)。筆者は秋丸機関というのは、こうしたことが可能だったかもしれない組織だったと考えている。有沢広巳をはじめ多くの優秀な経済学者を動員し、また多くの統計を持っていたので必要であれば経済学を使った「ポジティブなプラン」をレトリックとして作り上げることができただろう。また蠟山政道らにより国際政治の研究も行われており、武村忠雄のように将来予測と戦略思考をできる人物もいたので、今後の国際環境の「ビジョン」も示すことができただろう。そして中谷伊知郎、武村忠雄、蠟山政道らは当時の論壇で活躍しており、メディアを通じて世論を変化させることも可能だったかもしれない。(略)そのように秋丸機関を使うことができなかった陸軍そして日本は、敗北することが確実な「日米英開戦」に踏み切るのである。
●歴史を学ぶ意味は、そこから現代への教訓を読み取ることである。読者の方々にとって本書が、歴史の本というだけでなく、現在の社会において「エビデンスとビジョン、そしてレトリックを使って、より良い選択をするためにはどうすればよいか」を考える機会となれば幸いである。
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本書は、陸軍軍人であった秋丸次朗が主導して構築した経済学者集団である「秋丸機関」の活動と、当機関が作成した報告書とその影響をまとめたものです。
一般的に秋丸機関は経済力分析を通して日米開戦の無謀を説いたが、その報告書は(戦争遂行という)国策に反したため闇に葬り去られたといわれてきました。
しかし実際のところ秋丸機関は何を語り、陸軍はそれをどう受け止めたのか。そして何故に開戦という選択がとられたのか。そのいきさつと分析(開戦理由については著者の説)が本書には詳細に紹介されています。
率直に言ってこれは素晴らしい一冊です。一言でいうなれば非常に詳細かつ大胆。
まず前半では秋丸機関の由来が語られます。秋丸機関は発起人である秋丸次朗少佐にゆかりの深い満州に起源を求めることができる。そして機関発足を指示したのが岩畔豪雄だというのがまた面白い。この男は太平洋戦争前後のたいていの謀略ごとにおいてその名前が出てきます。
またそれとは別に、当時盛り上がりを見せていた体制変革運動(新体制運動)と、秋丸機関への影響が語れますが、実はこれは非常に重要なポイントです。
「戦前の日本は独裁的な国家だった(軍事独裁)」とよく言われますが、当時を分析した歴史書によるとこれとは真逆で、実は過剰なまでに分権制度の敷かれた体制だったことが指摘されています。例えば内閣において総理大臣は閣僚と同列に位置付けられており、それがゆえに首相は独断できなかった。
新体制運動はソ連に影響を受け中央集権体制を目指すもので、これにより大政翼賛会が結成され、最終的には国家総動員法につながっていく流れです。しかし主導した近衛文麿は途中で動揺し、中途半端な形で終わります。つまり政治機構は従来のままとどめ置かれたことになります。
これは何を意味するか。端的に言えば「何事も決められない意思決定体制が残った」ということです。
本書ではその後、秋丸機関の具体的な活動と報告内容が説明されます。分析は日本、米英、ドイツの主に3軸から行われましたがその内容の正確さに驚かされます。
特に「アメリカの経済構造に特に弱点はなく、英の弱点を補って余りある」こと、「日本とドイツの経済力は今が頭打ちであり、あとは下降するのみである」こと、「日独ともに長期継戦は不可能である」ことなどが正確に分析されています。
また報告書をつくり、これを受けた陸軍も実際はそれほど硬直した姿勢ではなかったことがわかります。秋丸次朗は機関設立にむけて経済学者たちを集める際、マルクス主義者として当局からマークされていた有沢広巳をスカウトするなど柔軟な人選を行います。そして日本に都合の悪い分析結果であっても「よく分析できている」とその成果を褒めてさえいます。
報告書は全般的に日本と米英の経済力に隔絶の差があることが述べられています。では次の問題は必然的に「なぜ日本は米英開戦を選択したのか?」ということになる。
巷では秋丸機関の報告は「好戦的な軍人たちに一顧だにされず葬���れた」ことになっています。しかし本書を読むと、軍人たちは素直に報告書を受け止めたこと。それどころか米英との経済差の大なることは、当時では「常識」であったということがわかります。つまり秋丸機関の報告は闇に葬られたのではなく、当時の常識を補完するものとして受け止められたにすぎない。
ますます開戦動機の謎が深まったところで著者の開戦理由の仮説・分析が行われます。
『逆説的ではあるが、「開戦すれば高い確率で日本は敗北する」という指摘自体が、逆に「だからこそ低い確率にかけてリスクをとっても開戦しなければならない」という意思決定の材料になってしまうのだろうと考えている。それはどういうことだろうか。』
以降で語られる著者の分析はなかなか面白い(株をやったことがある人ならしっくりとくる説ではないでしょうか)。
上記の心理的作用に加えて、当時の軍人、政治家たちが実にバラバラな思惑を持っていたことがわかります。
外相の松岡は即時対ソ戦をの望み、陸軍参謀部も同様に対ソ戦を強硬に主張。一方で同じ陸軍でも軍務局では南進論が主流でその中にも消極的南進論と積極的南進論があった。
これらバラバラな意見を一体だれが調整するのか?「だれもいない」というのがその回答だった。これが冒頭に触れた「何事も決められない意思決定体制が残った」の帰結だったわけです。
本書での秋丸機関の活動言及は詳細にわたっており、その一つ一つが有意義です。また世間の通説がいかに誤解に満ちたものかもわかります。たとえば新体制運動の盛り上がりとともに東条英機は秋丸機関への介入を深めます。それはソ連の政治体制に影響を受けた革新派軍人たちが政体転覆の無謀をおこすことを気にかけていたことが透けて見えます。軍事独裁を目指す人間であればそのようなことはしない。
また軍務畑の武藤章は対ソ戦に絶対反対であり、対米英戦に消極的賛成ながら実際のところこれにも反対していました。
両者は東京裁判において極刑に処され、巷では「戦争を起こした極悪人」として認識されています。しかし事実はそうではなかったことを物語っています。
個人的には戦争動機を語るうえで海軍の動向は欠かせないと思うのですが、これは本書の趣旨にそれているので著者は深入りしなかったのでしょう。それを差し引きしても、本書は非常に面白い。
第二次世界大戦の欧州戦争の開戦理由は明快です。それはヒトラーの戦争決意だった。しかし太平洋戦争の開戦動機は何だったのか?これまで多くの歴史家たちにより様々な説が出されてきました。つまり謎なのです。
本書を読むことは、読者がその謎のヴェールを脱ぐ一端になると思います。
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第二次大戦、日本は圧倒的な不利な条件なのになぜその当時の政治家達は開戦に踏み切ったのか。
当時の経済学者達が国力(経済力や軍事力)を分析しそれをそれをまとめた秋丸機関の文書を発掘し、その当時の雑誌の記事や新聞などから精力的に調べ上げた本。
戦争をしなければ国力ジリ貧、戦争に負けたらドカ貧となる公算が高いが、戦争に勝ってさらにいろいろ都合の良いことが重なると日本は「貧」を回避できるかもしれないとい思ったのだろうという指摘は首肯できる。
日本の国内のマスコミ(新聞、雑誌)などをつぶさに読めば
日本の政局がよくわかることに驚いた。アメリカに通じているひとがアメリカに報告するだろうと思わなかったのであろうか。
アメリカには簡単に日本の状況を知り得て、日本は敵の造船能力や軍事力を過小評価して戦争を始めてしまったことがよくわかる。
造船に力をそそいでいなかったとう事実も驚愕的。
本当に短期決戦しか考えていなかった。しかい短期で戦争をやめる術もしらなかった。
嗚呼。