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「婦人と言えども人である」なんてフレーズが踊る創刊時。人気エッセイストが愛と毒をもって読み解く一世紀分の本音と男勝りの歩み。
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著者が大正から現代まで遡って”婦人公論”から読み解いた女性論。まさに労作。
長い間女性の人格が無きごとく扱われていたことか。
男女すべて平等というわけでもないけど、現代に生まれてほんと良かった。
各時代にやはりスキャンダルな話題はあるわけで(不倫、心中)そこらへんはじっくり読む。
それと著者が籍は入れてないけど一緒に住んでいるパートナーがいてちょっと安心した。
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産経新聞201885掲載
朝日新聞202378掲載 評者:安田浩一(ジャーナリスト、『労働情報』編集委員@wiki)
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軽く読める本かと思っていたが、思いのほか手ごたえのある本だった。「婦人公論」も時代に合わせて変化してきたことがわかる。
個人的には、有島武郎と心中した自社の波多野秋子に対する特集とか、死人に鞭うつ記事が多く見られたというのが新鮮だった。いつごろから、死者を丁寧に扱うようになってきたのだろうか。
戦時中は「産めよ増やせよ」と言っていたのに、戦後に「産児制限」と言ったり、政治家(やその意見を載せる雑誌)は勝手なものだな~と思ったり。
そういえば、以前は「妻は家に入って夫を助け子どもを育てるのが望ましい」と言っていましたが、最近は「専業主婦はムダ」扱いですよね。
女性の歴史が学べる1冊です。
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読み応え満点の一冊。これは酒井さんがんばりましたね。婦人公論のバックナンバーをなぞりつつ、時代と女性を丁寧に考察している。それにしても女に人権がなかった時代の各種発言は今となって笑えるものも中にはあるけど、正直言って今だって似たようなことを言う人はいっぱいいるもんねえ。100年前に戻したい人だっていっぱいいるみたいだし、よーく気をつけないとね。
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かなりの力作。婦人公論の100年の歩みを追って書かれている。いつもの酒井さんのイジワル目線は少なめで、丹念に取材した本という感じ。読み終わるのに2日かかりました。婦人公論というと意識高いオバサマ雑誌という印象がありましたが、常に時代と女性にフォーカスし続けていたのだなあ。
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婦人公論を材料に女性に対しての言説を、酒井順子らしいイジりもいれつつ分析した本。どぎつい家父長制、そもそも女性には選挙権はなかった、優生学的によい子どもを産めと言われるなど、Game of thronesの世界がそれほど昔ではなかったというところから始まるが、今は令和だから違ってよかったね、とも言えないところが悲しいですね。女性の真面目に話していることを男性がまともに取り合わない、むしろ女尊男卑だと言われる等現代でもありがちなことは一通り歴史の中に出揃っていました。
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「婦人公論」一度も手に取ったことはないということはないのだけれど。図書館の雑誌コーナーで何回か手に取ったことがある…今ではたまにネットで記事を読むことがある…でも、きちんと読んだことなど一度もない。自分が対象になってない感じがずっとしている。年齢的に?タイプ的に?長い年月生きてきたのだから、年齢的にはどこかではまってるはず。今?もう遅い?
実家の母も昔、一度か二度くらいは買っていた。とにかく歴史が長いので、買ったことも、ろくに読んだこともないのになぜか「知っている」感じがする。
その100年の歴史を酒井順子さんがたどるって面白そうだなと思い、読み始めた。
100年の女性史を婦人雑誌から見るというのは、とても良かった。
創刊の頃と比べて、女性の地位も向上し、権利も自由もたくさん獲得できた。それは過去の女性たちのおかげだ。でもまだまだ女性は生きにくい。あと100年経ったら、もっと自由にのびのびと生きていけているのだろうか。今の私たちももっと戦わなければいけないのだと思う。夫婦別姓やDVや低賃金やセクハラや性被害や離婚後の養育費や、いろいろと。
"たとえば昭和55年10月号には、作家吉行淳之介と宮尾登美子による「女と男のほどよい関係」という対談が掲載されていますが、そこで吉行は、女性というのは誰しも、男性から殴られるなどひどい目に遭わされると「とてもいい気持」になるものだ、と語っています。対して宮尾も「それはあると思います、女はみんな」と答えているのに驚かされるわけです(略)" 274ページ
戦前の女性と現代の私たち、その立場、扱われ方が全然違うのは、まだ納得もするが、昭和50年代くらいもまだこんな時代だったのかというのが結構衝撃だった。
"封建社会で家父長制を守り、家を存続させていくためには、女性、特に「嫁」の忍従が不可欠です。その時、嫁に個性だの人間性だの自由だのを認めてしまうと、夫が主で妻が従という家父長制は崩壊するのであり(略)」"23ページ
平成でも「嫁」だったのだなぁ。まだ家父長制に縛られていた。ん?過去形?いやいや義両親が亡くなったとしても、まだ夫に受け継がれている。深いところで…(個人的なボヤキ)
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たった百年でここまで変わるのだなと、そして変わったことは後でから振り返ったときにだけ見えるものなのだなと。女性がほとんど登場しない男性目線の「女性啓発誌」から徐々に、本当に徐々に女性自身の雑誌となっていく様を順子先生の軽い筆致で追いかけてゆく。
歴史とはあくまでも後世に創られるものであって、変化の過渡期にはいま起きていることがどんな意味を持つのか理解できないものなのだと再認識。
もうひとつ、人々の意識というのは、そのことを意識しなくなって初めて定着するものなのだ、変わるものなのだと感じた。生まれた時から女性に選挙権があったり、恋愛結婚が当たり前だったり、普通に働くこと(これなんてたった30年前は当たり前ではなかった。)、それぞれが意識しなくなって初めて定着したと言えるのだなと感じた。
働き方改革なんて言わないで普通に自宅でテレワークをしている時代がもうすぐ来るのだろうけれども、その時もたった○年前はみんな会社に行ってたなんて語られ方をするのだろうな。
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雑誌・婦人公論から、世の中で女性がどう見られてきたか、女性のイメージがどう変わってきたかを読み解く。
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時代を映す鏡である雑誌、ことに「婦人公論」は、その見出しを追っていくだけでも、時々の女性を取り巻く諸問題や流行があぶり出され、市井の近現代史そのもの。しかしそこは酒井節!ただ見出しを眺めたり記事をそのまま読んだりするのとは違って、その記事に内包される諸問題をわかりやすく突きつけてくれる。特に興味深かったのは、大正期と現代の死生観の変貌。昔はなぜか死をカジュアルに扱っていたという不思議。人の死に際が病院ではなく家庭にあり、もっと死が身近なものだったためだろうか。あと、上野千鶴子さんの「とくべつな女でなくても、仕事も家庭も両方持てて当たりまえの社会が望ましい」という意見。昭和60年にこれを語っていたのだからすごい。最近、ジェーン・スーさんが、「できる女性が管理職になるのは当たり前で、できない女性も管理職になる世でなければ、真に平等ではない(できない男性の管理職はたくさんいるのだから)」というようなことをラジオで言っていたのを思い出し、深く同感した。
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100年前の雑誌はいまでいうSNSの役割を果たしていたのかもしれないと感じた。同じ問題や課題に対して、異なる人が何週にもわたって議論をしている様はTwitterでのレスバのようでもあった。
女性をめぐる現代の課題は100年前と地続きだ。婦人公論上での男性目線での女性評は、いまでも政治家や男性から言われることのあるものが多く、社会が遅々として進歩していないことを実感。もちろん認識が改まったものもあると感じるけれど、それでも100年経ってもなお何もわかっていない男性(ともすると女性も)がいることに虚無感を覚える。女性は子供を産む道具ではないし、家のことをするためだけに生まれてきたわけでもない。何度言ったらわかるんだろう。ただ、社会に自分としてありたいだけ。そのことを言い続けていかないといけないね。
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『婦人公論』というと、分厚くて対象年齢は少し高めでマダム御用達雑誌、と言うイメージだった。
幼い頃母親が読んでいたような気もするが、そうすると、今の私より若かった…ってコト?
(ちいかわぶってもおばさんに変わりはない)
むむむ、自分だけが自分のことを若いと思っているのだな!
さて、大正5年(1916年!)に創刊した婦人公論。
創刊からずっと女性の在り方、立ち位置などを見てきた。
例えば、日本女子大学創設者の言葉は、「婦人といえども人である」。
時代が違うのはわかる。女子教育を理念として掲げた人が、そもそも先進的だった時代。
こんな言葉が残されているということは、つまり、当時女は人ですらなかった…。
今だったらプライバシーの大侵害で炎上案件になりそうな記事もある。
ある上司が、亡くなった自身の有名な部下についてペラペラとプライベートまで喋っている。
昭和の戦争期になると、宝塚歌劇創設者の小林一三は看護婦を嫁にしろ、結婚は見合いでと言う発言。
戦後は中原淳一が、家事のことを考えながら仕事をしたくない、とか、
瀬戸内晴美は、女は男にいじめられたい被虐本能がある…だの(寂聴先生、それって後年考えが変わりました、よね?)。
語られる内容は時代時代でどんどん変わっていくが、100年経ってもまだ、女性は男性より低く見られている。
仕事をすること、家事をすること、夫や姑、老い、皇族の結婚、代替わり…セックスレス、天災。
ありとあらゆるものを文章にしてきた婦人公論。
時代は変わった、でも、戻りやすくもある。
自由や権利は手に入れた。
けれども、それはまだ道半ば。
誰かを貶めて自分の地位を高められる時代は終わった。
共に、の気持ちでこれからを作っていかねばならない。
著者はタイムトラベル、とこの連載を評していた。
確かにその通り。
見えづらかった近現代史がそこにある。
出版不況ではあるが、雑誌には雑誌のプライドが、誉れがあるのだと感じさせる本であった。