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20181008 なんか不思議な感性に惹かれてどんどんつぎが読みたくなる。こう言う発想も有るんだ!自分にはない感覚に痺れっぱなし。又しばらくしたら読み直しに戻ってくると思う。
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作品に句またがり、句割れの、無理気味な所がある。字余り・字足らずの多い歌とは読めない場合がある。
現実の景、心情から出発しても、定型にそのまま詠むのではなく、暗喩などを用いて、響き強く読んでいる。
生命力を、残生と勘案するのか、「時間」と呼び替えた作品がある。
恋人との性を詠んだ歌群があるが、ここでは控える。
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「ほかほかの駱駝」「縦書きの樅の木」「約束の薬草」 東直子さんのあとがきにある『スーパー言葉派』に納得。 楽しんだ、私は好きだな。
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非常口の緑のヒトを運命の人と言ったり手服を植えた場所からさよならが生えてきたり感性がクールだ。
東直子さんの絵も素敵です。
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九螺(くら)ささら氏は、神奈川県生まれ、青学大文学部英米文学科卒、2009年春より独学で短歌を作り始め、2010年に短歌研究新人賞次席、更に、2014年より新聞歌壇への投稿を始め、2018年に発表した初の歌文集『神様の住所』でBunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞。
本書は、『神様の住所』に続いて発刊された第一歌集である。
私は50代の会社員で、最近短歌に興味を持つようになり、俵万智、穂村弘、東直子、枡野浩一、木下龍也、岡野大嗣らによる入門書や歌集、多数の現代短歌歌人を集めたアンソロジー等を読み、半年ほど前から新聞歌壇への投稿も始め、最近ポツポツ採用されるようにもなった。
だが、現代歌人のアンソロジーを読んでいると、木下龍也や岡野大嗣ら、私小説的な近代短歌とは一線を画し、シンプルな言葉で「ふとした瞬間に兆した感情を共有する」作風の歌人を除くと、素人・初心者の私には面白さがわからない(全く個人的な感想です)、よって自らの作歌の参考にはできない歌人が少なくなく、ネットで自分の好みの志向の歌人を探していた中で、九螺ささらに行き当たった。(九螺は、2021年に瀬戸夏子が編んだアンソロジー『はつなつみずうみ分光器』には入っていない)
その際、私が気になった歌は、例えば以下だが(いずれも『神様の住所』)収録)、
〈体積がこの世と等しいものが神〉夢の中の本のあとがき
さびしいから神様が独りくしゃみしたそれがビッグバン有の始まり
さびしくて一個は二個になりましたそして細胞は孤独を失う
九螺の短歌は哲学的といわれ、九螺自身も「短歌は哲学や理性と相性が良い」、「形而上的世界を愛する「宇宙酔い」の持病があった」と述べているのだが、個人的にとても興味深い歌だった。
そして、本歌集を一通り読んでみると、九螺の歌は、「個」から切り離され、哲学的であるというに留まらず、極めて独創的であることがわかる。九螺はあとがきで「夢が、不思議でたまらない。「生きているわたし」という感覚も、同様に不思議で仕方ない。短歌は、「不思議」と相性がいいと思う。『ゆめのほとり鳥』でわたしは、「不思議」を表現してみた。」と書いているのだが、他の人には見えないものが、九螺には見えているとしか言いようのない歌も多い。東直子は解説で、投稿時代の九螺の歌を振り返って、「誰の作品にも似ていない、独自のセンスの歌である」と書いている。
自らの歌のモデルとするにはあまりにも個性的だが、哲学や理性を短歌にするというスタンスはとても興味深く、少しでも参考にしたいと思う。
(2022年1月了)
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①耳鳴りを「蝉時雨のよう」と言う人耳に俳句を飼っている人 ②引き出しを開けるとばあばが一生をかけて集めたこの世の袋 ③山椒は柑橘類であると知る両親はかつて恋人同士(だから、アゲハが好きなんですねw)④擬態した虫のように沈黙をしてわたしは彼と同じ皮膚になる ⑤たどり着くべき幸せは縁側で猫を撫でながら死ぬおばあちゃん 九螺(くら)ささら「ゆめのほとり鳥」、2018.8発行。新鋭短歌集です。
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『不要だと集められたる六千のピアノが奏でる〈乙女の祈り〉』
『ひっそりと飛行船は空に張り付き銀色のシーラカンスになった』
『(なんだろう、これは・・・)と呟き1号は自身の涙で錆びついていった』
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素敵な名前とタイトルに惹かれて。
けれど開いてみれば、夢見がちな印象とは真逆のリアルで生々しい歌が多いように思えた。
タイトル「ゆめのほとり鳥」が登場する歌は、
『「ハープとはゆめのほとり鳥の化身です」余命二ヶ月の館長は言う』
そして暫く読み進めると、違う形で「ほとり」と「鳥」の歌があらわれる。
『ほとりにはずっと鳥がいるきみに似たまたはわたしそのものの鳥』
この2首はとても印象深かったのだが、ささらさんのあとがきを読んで、一層、自分の中にすとんと収まった感じがした。
歌集や詩集って丸裸の心で味わうと思うので、読み手のその時の年齢や状況で感想がかなり変わってくると思うのだけど、
そんなわけで幾つかの歌はかなり苦手だった。
今の私が拒否しているだけで、
年月を経て読み返せば違った印象になるのかもしれない。
誰かの歌集を読んで自分自身の状態が見えるのも、楽しいところではあるのだが。
とは言え、発想が素敵だなと思った歌も沢山あり、
ささらさん独特の視点から、不思議な発想の飛ばし方をされているのが面白かった。
ご自身が感じた一瞬と、食べ物の味や形を、
こんな風に結びつけて表現できるなんて。
うん、やっぱり彼女の短歌は食べ物に関する歌が一番好きだ。
「醤油入れの醤油は幽閉された夜一滴ずつ解放される朝」
「アメリカンドッグにつけるマスタード秋を付け足すように付け足す」
「気付いたり傷付いたりして秋ふかくスイートポテトの焦げ目美し」
「紅茶葉から煙りのように色の出て湯に夕焼けが広がってゆく」
「愛された記憶のごとく金色で甘く凍えるマロングラッセ」
食べ物系以外で好きだったのは、
「ドアスコープの魚眼レンズを覗いたら一滴のこの世が見えた」
「フェンネルの和名が茴香であることそのことがしずかな福音のよう」
こんなことはあまりなくて、いつも全体としての☆評価ですし、
直ぐに世界観に酔ってしまうので、作品に対する私の☆評価は、いつも甘めなのかもしれません。
ですが九螺ささらさんの「ゆめのほとり鳥」に関しては、
苦手な歌と好きな歌との振り幅が、とてもとても大きくて、☆3つとさせて頂きました。