紙の本
2021年から導入される大学入学共通テストにメスを入れます!
2019/01/09 09:49
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、長年、高校の国語教育に携わってきた著者が2021年から導入される大学入学共通テストの試行テストに容赦なくメスを入れた作品です。著者は、上記新テストと新学習指導要領の国語について詳細に分析し、そこに見られる問題と課題を抽出し、それを将来における国語の危機として広く訴えようとしています。同書を読むと「なるほど!」と頷けることが多々あり、非常に興味深い作品です。ぜひ、多くの方々に読んでいただきたい一冊です。
電子書籍
記述式問題の延期で終わりではない
2020/03/06 16:50
1人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:MK - この投稿者のレビュー一覧を見る
近代文学研究の第一人者である氏が、共通テスト試行調査の問題を詳しく分析し、その問題点を抉り出す。特に、「実用的な文章」の扱いについて、「署名のない文」とする指摘は鋭い。契約書や規約を読んでも味気ない理由はそこにある。だが、そうした文章にどう向き合うのかということも大きな課題だろう。
投稿元:
レビューを見る
PISAショック、AIの脅威とも絡めて、読解力低下が起きていると論じられてきたこの十年。
2021年度からの「大学入学共通テスト」の開始、つまり大学入試改革と、22年度からの高校新指導要領実施を控え、今、大きな転換点を迎えている。
そういう現状に向けて、新指導要領と、現在公開されている新テスト試行調査で用いられた問題を分析したのが本書である。
指導要領の分析は、比較的コンパクトにまとめられている。
テクストを情報と同一視することへの批判は、文学研究者ならではだなあ、と思う。
ただ、ロラン・バルト流のテクスト概念が、どこまで社会に受け入れられているか疑問に思う。
一つの意味、一つの主体の意図に収斂しない読みを称揚し、多様性を尊ぶことは、理念として理解できる。
ただ、その理念が実現された社会、あるいは個人像がどのよようなものかが具体的には想像できない。
それは私の想像力が足りないからなのか?
それから、古典は、古典を論じた現代文と抱き合わせにされるようになり、実質的には縮小されるであろう、との見解だった。
ベトナムが漢字・漢文を廃したために、自国の歴史書を一般の人々が読むことができなくなったということはよく知られているが、日本もやがてそんな時代が来るのかもしれない。
さて、本書の大部分が、公開された新テスト試行問題の分析だった。
問題を取り上げ、丁寧に解説されていく。
問題ありというものも、良問とされるものもある。
ここで指摘されるのは、新形式の問題を作る難しさであり、持続的に作ることがほぼ不可能と予想されることだ。
そして膨大な「資料」を読んで、瞬間的に必要な情報を抽出することを要求するこれからの形式で、狙いとする論理的な思考力、創造的な能力を問うことができるのか、と。
ここに関しては、納得。
新指導要領も、新テストも、もう止められない。
けれど、著者、紅野さんには、確実にできることがある。
紅野さんは教科書の編集委員なのだから、良質な国語教科書を作ることだ。
それを期待したい。
投稿元:
レビューを見る
去年の今頃、プレテストの分析やったの思い出した。
言い方は悪いが、最低な問題だと思った。
今の時点で何かできるかという問いに
「何もできない」という意見で一致したのが印象的。
改めてこの本を読んでぞっとした。
もう教員を続けていけるか不安。
でも、どうせ5年もすれば元に戻るんだろうとも
思っているのだけれど。
変わらなくちゃいけないのは重々承知。
でも、このやり方ではないと思う。
投稿元:
レビューを見る
共通テストでの入試「改革」での国語の扱いを知り、愕然とする。試されようとしているのは「資料」なるもののスキミング。「読解力」や「思考力」とはほど遠い。
投稿元:
レビューを見る
共通テストに対しての批判をしつつ、国語教育はどうあるべきかを示している。
国語を教える人には必読の書。
投稿元:
レビューを見る
センター試験に変わって導入される「大学入学共通テスト」。その試行テスト内容を初めて読んだ。「国語」教育の目的が、あのような雑多な資料を統合して読み込む力の獲得にあるのだとは、到底思えない。
さらに、著者が指摘するような問題文がもつヒドゥン・カリキュラム性ー「自由意志」と「自己負担」という、今登場人物たちが直面している大きな問題を、「補助金」支給問題で切り抜けようという方向に導くように問いと答えが用意されている」44ペーも問題だ。
普段、業者テストはそれとして利用し、授業では多様な考えとその根拠を重視した授業を意識している。子どもたちの「国語力」をどうテストで評価するのか、そもそもテストによる評価というスタイルがよいのか、いろいろと思うところはあるが、それを考える機会になった。
著者の「国語論」をもっと読みたかった。最初の章および最後の章だけ読んだ。我孫子市民図書館から借りた。
ー大事なことは、一つのテクスト、一人の人間の中にも複数の要素があり、さまざまな価値の衝突があることをじっくりと見ることです。夥しい情報の渦に目を背けて、自分だけの世界に閉じこもりながら、それだけが世界だと錯覚し、身を固くしている者たちに対して、相反する様々な刺げき?に反応し、揺れ動く自分がいることを知り、価値の多様性のなかに見を開いていくこと。それこそが重要です。「国語」という教科は評論文とともに、小説や詩歌などの文学テクストを取り入れてきたのは、そのためです。279ペ
投稿元:
レビューを見る
「思考力・判断力・表現力」を測るあまり大学入学共通テスト・学習指導要領の内容が大きく変わりすぎているという筆者の主張はその通りである。
また、筆者が在籍している麻布高校の例を通じて「思考力・判断力・表現力」を身につけることがどれだけ労力を要するかが述べられている。
これを踏まえ大学入学者選抜試験で国語教育を変えるのではなく、初等・中等教育の内容から変更すべきであると論じている。
英語でもそうだが、プログラミング教育等の導入もある中で学校教育をこれ以上改善することは困難ではないだろうか。そうであれば入試制度を変革する『上からの改革』が真っ当なものと思われるが、今回の一連の騒動でこれも難しくなってしまった。
教育改革に惑わされず、今後どういった能力をどのような手段で身に着ければよいのか、ヒントを与えてくれる点ではよい本だと思う。
投稿元:
レビューを見る
国語の教科書編纂に携わった経験のある著者。
その経験があってこそわかる文章の取り扱いや策問の難しさについてわかりやすく書かれている。
これから正に行われようとしている共通テストや来年度からの国語教育について不安を覚えると同時に、現場の先生方の苦労も思いやられる。
一体将来どんな子どもたちが育っていくのだろうか。しっかりと検証し、修正が必要な場合にはそれを求めていくのが大人の役割だろう。