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<目次>
序章 教育は何のためにあるのか?
第1部 教育の進化学
第1章 動物と「学習」
第2章 人間は教育する動物である
第2部 教育の遺伝学
第3章 個人差と遺伝の関係
第4章 能力と学習
第3部 教育の脳科学
第5章 知識をつかさどる脳
おわりに
<内容>
最初から、人間の能力は遺伝する、という身も蓋もない話から入る。しかしだから良しとするのではなく、遺伝の影響は50%だが、親の影響10% 教育20% 環境20%なので、教育が各自の学習能力を変えることは十分に可能で、ここが大事だというわけだ。また遺伝も環境との相互作用によるので、各自の能力に遺伝の要素を認めたうえで、例えば暗記についても、個々人に適した憶え方をすればよいと説く。
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いや、最も興味のある内容だし、おもしろいはずなのです。けれど、読んでいると寝てしまっている。その繰り返し。電車の中で立って読んでいればいいのですが、座るとほとんどダメです。そんな中、眠気が吹っ飛んだのは最終章の少し手前、「個人差と教育環境」という節です。引用します。「何らかの望ましい素質のある人には自由な環境を与え、素質のない人には手厚い教育的な手助けが継続的に必要」「仮にあなたが数学や語学の才能があって、ふつうにしていても周りの人たちよりもそのことに強い関心が向いてしまったり、自分からどんどん学びたいことが出てきてしまうようなら、役に立ちそうもない先生の指導など無視するか、自由にさせてくれる先生の下で、自らの関心に従って学習を進めたほうがいい、しかし才能が乏しくて、自分から進んでやる気にならなかったり、やってもどうしてもわかるようにならないとしたら、厳しい先生や上手な先生の導きに従ったほうがいい」「憂慮する必要があるとしたら、才能があるのに、それを自由に伸ばすのを妨げる教え方に無理やり従わせようとする先生や学校の下にいる人、あるいは才能がなさそうという理由からよい教育を受けることを放棄させられている人です。」ふだんから感じていたことが的確に表現されています。生徒ひとりひとりをしっかり見て、それぞれにあった指導をしていく必要があるということでしょう。こちら側の指導のしやすさから、全員に同じ課題を与えるということも慎まなければなりません。また、前半には、学業成績について、遺伝が50%、環境が30%、本人の努力で何とかなるのは20%程度という記述もあります。努力が続けられるかどうかも遺伝だったりする可能性がありますから、なんともやるせない結果です。我々ができることは、本人が努力しやすい、よりよい環境を与えてあげるということなのでしょう。子どもたちのもっている遺伝的な素質を見抜くことも必要になるでしょう。そのためにも、つねに子どもたちと向き合っていたいものです。
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人の能力や才能や性格や成績などがいかにして決まるかを、行動遺伝学の観点から見た本。
それらの50%は遺伝子で決まり、30%は環境、20%が本人の努力である。
つまり半分は遺伝で決まる、と。
生まれた時から遺伝子によってそれらの能力値が決定される。
行動遺伝学の研究によって一貫して結果として得られる、元も子もなくなる教育業界のある種タブーでもある、この本から学んだ事実をどう捉えるか。
事実は一つだが、
解釈は無数である。
人には向き不向きや好き嫌いがあるということ。
それは、どれだけ努力しても遺伝子的に不得手なことは、遺伝子的に得意な人間には敵わないということである。
それを受容する。
そして最重要なことは、その上で自分は何を選ぶかという選択だ。
これはアカン!と直感したら、その土俵をより得意な人間に譲る、潔さ。
そして自分の好きで得意な土俵で戦うこと。
遺伝的に優れたる所で。
才能は使うべきものであって、才能あるものは才能を使うことが責務。
遺伝学的に、
なんでもできてしまう人と、なにをやってもうまくいかないという人がいる。
遺伝子による知能数によって。
だが、なにをやってもうまくいかないという人でも、何か一つは人並み優れたものはあるはず。
そこを伸ばせば良い。
人と違う、人にはできない、
そんな独自性を伸ばせばそこに必要性や需要も生まれるだろう。
本来人は、遺伝子的にも一人一人が完全にオリジナルなのだ。
そのオリジナルを伸ばせない道理はない。
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遺伝子がヒトの能力に影響を与える。
当たり前だけれど、表にでないこの真実を
科学的検証に基づいて教えてくれる。
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学業成績は遺伝の影響が50%、本人の努力が20%、家庭環境が30%であることが科学的に立証されているそうだ。これを読むと、遺伝で決まっているのだから何をしても無駄、と思い込んで、遺伝を「制約」と考えてしまいがちである。だが、「他の誰でもない世界でたった一人の自分」ととらえてみる、という著者の考えを読んだとき、パッと視界が開けた。他人と比較するのはやめて、自分自身なりに日々学び、成長し、生きていくしかないのだ、という覚悟を持てた。
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人はなぜ学ばなければならないのかという疑問を持った著者が教育学に進んで教育の本質を研究する。そして、こうではないかと結論を得る。「教育とは決して他人よりも良い成績を取ろうと競い合うためではなく、また自分自身の楽しみを追求するためでもなく、むしろ他の人たちと知識を通じてつながりあうためにあった」のだそうだ。
ぼくにとっても新しい発見だ、教育は個人のためというより社会的な行為だったのだ。学ぶというのは社会生活を営むために必要な行為である。
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すぐ役に立つか立たないか(実用性?)でこの本に対する評価を決める気はないのだけれど、今回求めていたのは子どもがモチベーション高く生きていくためのヒントみたいなものだったので、そういう意味でストライクとは言えず。高校・大学生向けという点から、新たに知ることもわりと少なかった気がする。
なぜ学ぶのか、それは学ぶようにできている生き物だから。ヒトという種が学びから逃れられないのなら、学びを肯定的に捉えたほうが生き延びる上で有利なはず。「学び」はもちろん、学校という狭い箱に閉じ込められたものではない。
将来、子どもの成績を簡単に上げることはまぁできなさそうだけれど、子どもが自分の成績を上げたいと考えたときに何を補うべきかの役には、多少は立つのかもしれない。実際には、学校の成績なんて気にしない、くらいの親子になりたいもの。
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某模試で出題されていたので読んでみた。遺伝という面から教育を考えている中々見かけない話でした。ヒトは幼い頃から、また、親の知らないうちに親から教育されている。
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興味深く、また面白い分析がなされていますが、忙しすぎてしばらく棚上げてしまっていたので、続きを読むのは後日、としていちど図書館に返却。
単純な「成績(テストの点数)」を他者と競うための”学力”ではない「学習」についての意義を生物学的な観点から考えるという本書の視点は刺激的ですし、ぜひ「進学校」といわれる本校の生徒にも読んでもらいたいと思います。
p.5
教育と学習について、このように生物学的な視点から考えてゆくと、私たちが学校や学校以外のさまざまな機会を通じて学習しなければならないのは、頭をよくするためでもなければ、成績を上げてよい学校に進学するためでも、豊かな生活をするためでもなく、学校が生まれるはるか昔から、ヒトが生物として生き延びるために、異なる遺伝的素質を持った人たちどうしで、どうしても知識を共有する必要があったからだということがわかります。成績がなかなか上がらないことが遺伝のせいであることを否定はできません。しかし一人ひとり異なる遺伝の影響が教育によってあぶりだされるからこそ、人はみな異なった知識の使い方をすることのよって互いに助け合いながら生き延びることができてきたのです。教育とは決して他人よりもよい成績をとろうときそいあうためではなく、また自分自身の楽しみを追及するためだけでもなく、むしろ他の人たちと知識を通じてつながりあうためにあった。その意味でヒトは進化的に、生物学的に、教育で生きる動物なのです。
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行動遺伝学(Behavior Genetics)から言えることは、学業成績に影響するのは、遺伝が50%、家庭環境の違いが30%、先生の教え方や本人の中で変えられる要因の違いはわずか20% である(p135).さらに行動遺伝学の三原則(p159)を示しており、1 すべての行動は遺伝的である(遺伝の普遍性)2 家族が類似するのは環境が類似するからではない(共有環境の希少性)3 個人差の多くは一人ひとりに固有の環境による(非共有環境の優越性).まとめると、"いかなる行動の個人差も、遺伝だけからでも環境だけからでもなく、遺伝と環境の両方の影響によって作られている." 遺伝の影響があることはよく耳にするが、ここまで具体的に研究されていることは驚きだ.
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教育を生物学的観点(遺伝や脳)から解き明かした本。
答えのなかったこの問いに一定の答えを論理と事実から与えてくれたことはとても大きい。
ある程度の生物学、心理学、教育学的知識が必要なため、読み応えはそれなりにあるが、関心のある人なら読んで損はない。
教育成績の多くは遺伝で決まる、というのは過激な一文に聞こえるが、逆に多様性を無視して学業成績を全て努力に帰す方が差別的であり、多様性に合わせた教育の重要性を考えさせられた。
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この本は、分かったつもりになっている事、あるいは、肌感覚として理解している事を、しっかりとした言説で言語化し、スッキリさせてくれた。
先ず目を引いたのは、人間の3大欲求についての考察。性欲、食欲とあと一つ。睡眠、排泄はそうだが、別に何か獲得が必要な外部に向けた欲の類ではない。この本では、それを学習欲としようと。生きるための知識、経験を得ること。そして、それを同じ種である人間に伝え、共有する。ここに、教育の本質があるようだ。幼児ですら、利他的に振る舞ったり、見つけたものを〝教える“行動を取る。
これが人間の形質ならば、自粛警察や論破の理屈なども分かってくる。人間のもつ社会性にはルール、つまり、知識や規範の共通化が必要であり、その適用について、人は本能的な側面を持つことから、教育が効力をもつ。学校教育に限らず、世の中のルール全てについてだ。先の自粛警察は、この本能に従い、他者への想像が欠如した形で、押し付けを行う。論破は、ルールの解釈を巡る勝ち負けの決着だ。それは、あなたの感想ですよねでは済まさず、必死に反論する事がしばしば。
こういう考え方を知ると、人間をまた違う角度で見てしまう。承認欲求、支配欲、ルールへの固執、宗教、哲学。社会性を生むための学習欲が、形を変え、もしかすると、人間社会における対立の根源の一部になっているかも知れない。
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【感想・メモ】
・つまるところ、人それぞれ。
・遺伝はまだまだ未知の領域が広そう。
【内容】
なぜヒトは学ぶのか?
→ 人間は進化の過程で遺伝子を残しつなげる(生きる・生き延びる・命を繋ぐ)ために「教育」というものを獲得したから。
・教育とは、知識や技能を持つ個体の利他的な行動によって、知識・技能を持たない他の個体に学習が生じることを言う。
・学習とは、得た知識・技能によって行動を変化させられるようになること。
・全ての能力は遺伝的である。が、それが全てではない。
・自分に合うテーマを、自分(の遺伝子)に合う仕方で学ぶことが大切。
・その人が、その人の人生にとって、本当に使うことのできる知識を身につけることが大事(→闇雲に学んでも無駄)
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☆信州大学附属図書館の所蔵はこちらです☆
https://www-lib.shinshu-u.ac.jp/opc/recordID/catalog.bib/BB26817538
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教育と遺伝の関係はタブーという風潮もある中、明確に影響すると示しており、学ぶところが多かった。特に一般知能説と多重知能説の違いを学べたことは大きな実りだった。