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人生100年時代。
2025年 あと6年後 大阪万博という1970年の千里の大阪万博を体験した人達 65歳以上の人の5人に1人が、認知症になると・・・と政府が言い出している。
この本は、ドキュメンタリー「徘徊~ママリン87歳の夏~」の映画でもなっているらしい。
母親のアサヨさんが、認知症と診断されてからの同居生活に、介護をして行くのか・・・
老いた母の「大丈夫、大丈夫」は、大丈夫ではない事。
色んな時代・・・「カモ時代」の1章から6章の「楽勝時代」迄、12年。
そして、終章の「これからの時代」に冷静に理性的に最良の選択をしないといけない事。
祖s手、未来の認知症介護は、どうなっていくのだろうと、、、、
最近は、テレビでも、「健康」を取り扱ったものが、多く放映されており、そして、新聞の折り込みチラシは、健康食品の広告チラシが、一杯である。
平均寿命より、健康寿命が、長くないと、人生楽しくはない。
介護される側、介護する側、どちらも負担が、大きいのだから。
なりたくて、なるのでない認知症という病に、どのようにして、ならない方法、そして、なったのなら、どのように介護して行けば良いのか?
難しい社会問題である。
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痛快。
大変な状況だけど、
著者がサバサバと考えて
母親の認知症に試行錯誤して対応していく。
しんどそうなのは確かなのに
なんだかくすっと笑えてくる感じもあって。
ほどよく、てきとーに。
考え方がいいなぁと思いました。
最後の未来予想というか希望図は
素敵だなと思いました。
そんな社会になってほしいですね。
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疎遠だった母親との突然の同居
その理由は認知症
自由を謳歌している1人暮らしの著者が向き合う認知症の母親とのドタバタ奮闘記!
うわ~!
酒井章子さんってすごい!
認知症の母親と向き合う姿が型破りで
笑ったり、泣いたり、感心したり…
私も読みながら感情が忙しくなった~
なんだろう…不真面目というのではないけど
介護っていうことに真面目に向かい合いすぎて疲れきってしまう人が多いということを聞きびびっていたのだけど「あ~こういう気持ちで向いあうこともアリなんだ」とちょっと気持ちが楽になった。
祖母の介護で大変だった母親を知っているだけに
認知症の恐ろしさを見聞きするとびびっていただけに…
と、言いつつもまだうちの親は元気なのだけど
いつ何が起こるかわからない…
老いた親が「大丈夫、大丈夫」と口にするようになったら、それはぜんぜん大丈夫じゃないサインかもしれない…と書かれているのが胸に刺さった~
もしもその日が来たらもう一度この本を読み直したい
いや、その前にこの本の映画を見に行こう。
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詳細に日常について書かれていて、生々しい介護現場。読むのに辛くなってなかなか読み進められなかったけど、「〇〇モード」として周辺症状を客観視することで、著者は現状を理解し受け入れられていたんだろうなと思いました。なかなかできることではないです
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「リピートモード」「なんで、あたし帰ったらあかんの」という質問を100回くらいする。同じことを聞くなと言っても、「認知症やからしょうがない」と聞いてくる。他に「帰る帰るモード」「ジェフ君モード」「迷惑かけたくないモード」「ゾンビモード」「悪魔ちゃんモード」「極道の妻モード」「徘徊モード」そして「天使ちゃんモード」。「あんな、私をこんなところに連れ込んで、私のお金が目当てなんやろ。ふん、なんぼ盗ったんや。もうスッカラカンにしたんか」といった誹謗中傷、罵詈雑言の「悪魔ちゃんモード」「極道の妻モード」はたまらないだろうなと思う。認知症でもこんなに違うんですね。
酒井章子さんはとにかく文章がうまい。軽いタッチで、認知症を余すとこなく描写尽くす。苦労話も同情をひこうという気が全くなく、どこか楽しんでるようなタッチなのがいい。
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奈良出身、認知症の母親を北浜のマンション兼ギャラリーに呼び寄せる。
深夜徘徊にとことん付き合う。
こりゃ大変だ。
看護師時代や夫の死ぬ前の世界にトリップ。
いろいろなモードに突入。
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『家出回数約2340回』『徘徊距離3000㎞以上』
この本の帯を見て、驚かない人がいるだろうか。
恐るべし認知症。
18で家を出てからずっと一人暮らしを続けてきた娘(著者)が、母親が認知症で近所から苦情が来るようになり、引き取って一緒に暮らすことを選択する。
家に帰りたいと落ち着かなくなる『帰る帰るモード』
突然キレて、今までの母親では考えられないような罵詈雑言を吐き続ける『ブチギレ・モード』
とにかく勝手に出ていき、何時間でも歩き回る『徘徊モード』
知らない女(娘)に拉致され、有り金も奪われ監禁されていると触れ回る『犯罪被害者モード』
まだまだ色んなモードが出現するのである。
昼夜問わず徘徊し迷子になるので、著者は母親が出て行ったら、本人に見つからないように尾行し、問題が起きそう(迷子、誰かにヘルプして交番へ連れていかれそうになったら)になると、現れて、事情を説明し、母親を連れて帰る。
それでも、自宅での仕事中や夜中に居なくなってしまうと、近所の人たちやお巡りさん(もう保護の常連さんになっている)が見つけて連絡をくれる。
この10年あまりの自宅介護を面白おかしく綴っていて笑えるが、しかし、この状況を自分の身に置き換えたらどうだろう?
絶対に笑えない。
『人生は近くから見ると悲劇であるが、遠くから見ると喜劇である』とチャップリンが言ったそうだが、まさにその通り。
自宅で10年みてきた著者に拍手を送りたい。
絶対自分なら、どんなに親が大好きでもくじけそうだ。
そんな自宅介護を10年間も続けてこられたのは、地域の人たちが温かく見守ってくれたおかげと語っているが、そうなのだろう。
一人で抱え込んではきっとつぶれてしまう。
そして、大阪、という土地柄もこの母娘を温かく包んでくれたのではないだろうか。
本人出演のドキュメント映画も制作されたというから驚いた。
何年も認知症の母親に振り回されながらも著者がたどり着いたのは、同じ土俵にあがらないということ。親族だからこそついつい感情的になってしまうだろうが、1日の終わりにはリセットする。一歩引いて対応すること。
長寿社会になり、認知症も増えている今世、この本は認知症患者とその家族のありのままを伝えてくれている貴重な1冊だと思う。
2019/05/09
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両親と折り合いが悪く18歳で家を出た筆者が、認知症となった母と同居する。
元から仲が悪かったので、母の人格が壊れていくことに対するショックは少なかったというが、罵詈雑言に徘徊、変化せざるを得ない自分の生活。
ユーモアたっぷりに描かれているのが、やっぱり読んでいる内に気持ちが落ち込んでしまった。
可愛がられていた弟さんが出てこないが、何で筆者同居することになったのだろう。
親だけでなく、自分が先に認知症になったらどうしたらいいんだろう。