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思わず頷くこと多数
2019/05/17 20:26
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:WNBA - この投稿者のレビュー一覧を見る
私自身グレーゾーンと言われた経験があるので購入した。
グレーゾーンである自分にとって"あるある"な人物が何人も登場したり、当事者でなければなかなか理解できない辛さや苦悩が言及されており、その度に強く共感し、予想以上に早く読み進めることができた。
ただ、そこまで専門的なことは書かれていないのでそれ目当てで購入すると落胆するかもしれない。私の場合は半ばエッセイのような感覚で読んでいた。文章自体は分かりやすいので、前知識の少ない人が読むには向いてるかも。
WAISがあくまで判断材料の一つでしかないというのは大きな発見だった。目次にもある「正直、発達障害の診断の診断をもらった人がうらやましいです」という言葉が忘れられない。これに強く共感する当事者は私だけではないと思う。
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片付けができない、遅刻や忘れ物が多い、雑談ができない、時間通りにタスクが終わらない…など、生きづらさを感じる人がいる。それまではずっと、怠けだとか努力不足かと思われてきたのだけど、もしかしてそれは発達障害かもしれないよ?
ただし、生きづらさを感じるのは発達障害だと考えて、病院で検査を受けるも、発達障害でないと言われたり、「その傾向がある」と曖昧な言い方をされた人もいる。そんなクロでもシロ(定型発達)でもない、グレーゾーンな人(グレさん)たちがこの本の主軸である。
発達障害は知的障害や身体障害のように、容易に分かるものでもない。ここからが発達障害、という明確な定義はないので、その傾向が大きい人もいれば小さい人もいるというグラテーションになる。だから、医師によって診断結果はまちまちである。
自分がダメなのは発達障害だからかもしれない。そう思って病院で検査を受けたものの、「その傾向がある」程度の曖昧な結果で終わってしまう。発達障害の診断がもらえない。自分は発達障害ではない。発達障害でないならば、ダメな自分はただの怠慢で努力が足りないだけだと落ち込んだり、自分を追い込んだりしてしまう。
本書では、グレーゾーン限定のぐれ会!の様子の他、インタビューとしてグレ会の主催者、精神科医、発達障害の人を支援する団体の人などが掲載されている。また、箸休め的にグレーゾーン当事者の話なども載っている。
そんな中で印象的だったのが、発達障害をカミングアウトした後の話だ。自分が発達障害であることを職場の上司に告白するのはいい。しかし、そのあとで、自分が会社にどうしてもらいたいのか話す必要がある。分かって欲しいで終わってしまっては、ただの独りよがりの告白だ。
この本では発達障害のこと、グレーゾーンの人たちのこと、発達障害の診断や支援のことなどを理解することができる。
俺も「発達障害かも?」と考えているグレさんである。この本に登場する人たちのこれまでの人生が書かれていて、大いに共感した。そして、自分だけじゃないんだと安心できた。
ただし、それで終わってはいけなくて、どうやって自分の苦手なことと向き合っていくのかを考える必要がある。
とても分かりやすくて、自分もグレさんかも?と思っていた俺はこの本を読んでいろんなことがスッキリした。
欲を言えば、どうやって足りない部分を補ったらいいのかが書いてあって欲しかった。それは著者の次回作、ということで…?
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グレーゾーンの本は本書が初だと思います。
自分にも当てはまる事ありすぎて、スラスラ読んでしまいました。とても良い本だと思います。
この著者の本他にも読んでみたくなりました。
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≪blogに書いたのと同一の内容になります≫
発達障害の確定診断には至らないものの困り感を抱える、
発達障害グレーゾーンの当事者に焦点を当てた本です。
発達障害グレーゾーンの当事者にとっては
「白黒はっきりしない状況」そのものが落ち着かないだろうし
「発達障害ではないなら、できないのは甘えや怠けなのか」
という葛藤と戦うことになるのだろう、と想像はできます。
発達障害グレーゾーン限定の当事者会というのも、
当事者会というものの良し悪しはさておき
「棲み分け」という意味では良いのかな、と思います。
私は発達障害グレーゾーンではありませんが、
全体的には違和感なく読める内容でした。
ひとつ、疑問に感じたのは、精神科医の見解がまとめられた第4章の記述について。
DSM-5によるASDの診断基準に照らし合わせると、
「社会性の障害」と「コミュニケーションの障害」に当てはまっても
「興味の限局性(こだわり)」には当てはまらないことが多い。
本来、重度のASDで見られる「興味の限局性」とは
「工業機械のカタログや洗剤を大量に集める」といった、並々ならぬものである。
「興味の限局性」が見られない当事者は「コミュニケーション障害」と診断され、
この診断名では障害者手帳が取りにくい。
DSM-5による診断基準が、発達障害グレーゾーンを生んでいる側面がある。
というのがその要旨なのですが、この見解には違和感を覚えます。
そりゃあDSM-5の診断基準を杓子定規に当てはめると
そういう診断になる、ということなのだろうけれど
現場ではもっと柔軟に運用されているものではないのかなぁ、と。
現に、私に所謂「普通の人」には見られないような
強烈な「興味の限局性」はありませんが、
「コミュニケーション障害」とは診断されていません。
多分、そこまでの「興味の限局性」がなければASDと診断されないというのであれば
実際に「発達障害」と診断されている人も含め、
かなりの人が「発達障害ではない」と診断されてしまうことになります。
「『興味の限局性』がないのにASDと診断されている自分って」
などと悩むのはバカバカしいので、敢えて考えないことにしますが
「現場では実際にDSM-5をこんなふうに解釈しているのか?」
という点については、大いに気になっています。
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フリーライター姫野桂さんの力作。
タイトル通り、明確に発達障害と診断されない、または診断を受けず、発達障害を公表しない人が、どのような生きづらさを抱えているかを丁寧に追ったルポルタージュ。
著者自身が発達障害の当事者であり、発達障害にグレーゾーンがあることを知る。そこで、本書では彼らのことを「グレさん」と親しみを込めて名付け、ケースステディを6例、軽度発達障害のための当事者会OMgry代表のオム氏への取材など、類書にないコンセプトで、意義の高い本である。
かくいう私自身も、おそらくグレさんであるので、非常に心づいよい本である。著者の姫野さんには、今後も期待したい。
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「発達障害グレーゾーン」腑に落ちました。
これを知り、子どもたちにも落ち着いて接する事が出来そうです。
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「グレーゾーン」という言葉に思う。
人はブラックのみ、逆にホワイトのみという人はあり得ない、つまり100パーセントの存在としては。だから全ての人はグレーゾーンにいる。あるのはその「濃淡」だけ。人は不完全な存在だけれど、限りない能力が内在していると思う。それを自分に信じて、人にも信じて、それを引き出すことを楽しみを持ってやっていけば、生きていくことの楽しさや喜びが深くなるんだよね。
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発達障害に対してたくさんの思い込みごあった。障害そのものより、自己肯定感の低さ、うまくいかないことから来るストレスなどで、うつなどの二次障害が深刻とのことは、初めて知った。
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傾向がある人は思ったより周りにも多くいるものだなっと。
そこで、対処の方法を考えるかどうかはまた別の話なんだよな。
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発達障害の傾向を指摘されながらも診断には至らないグレさんたちが感じている「生きづらさ」に焦点を当てた本書。
「最低限のことができていないから、助けてほしいときも手伝ってほしいと言えない」
という言葉が他人事に思えず、読み終えてからも深く考えさせられた。
生きづらさを抱えながら、日々もがいている全ての人に読んでほしい1冊です。
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自分ではなく身内のこととして読み始めたのが、読み進めていくうちに、「あれ? 私もそうかも?」と思い始め、そのうちに「すべての人が発達障害またはグレーゾーンにあてはまるのでは?」と思えてきました。
もう、「定型発達ってなに?」「普通ってなに?」と脳内ぐるぐるしてきます。「自由を手にした僕らはグレイ〜♪」のフレーズが頭の中を回ってました。
忙しい方は、第6章の「当事者たちが実践しているテクニック」だけでも目を通すと、何かひらめくものがあるかもしれません。
(「第三章」だけ漢数字になっていたとこに引っかかって何度も見てしまった私は、こだわりの強いタイプなのかも……)
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この書籍で言うところの「グレ」さんの生きづらさが当事者の声として複数取り上げられていて、参考になりました。
もしかしたら自分が、家族が、職場の人が…と悩んでる方、また最近の「発達障害」ブームで自分と反りが合わないからあの人はと決めつけてる人もいるようなので、先ずはきちんと理解するところから始めるのをお勧めすると共に、こちらを一読されると良いかと思います。
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発達障害を巡るモヤモヤがよく描き出されていて良かった。
診断を受けて発達障害と認定されかったらという不安―「自己責任」「努力不足」と言われた気がする不安について、よく解きほぐしてくれる。
個人的には医師とのインタビュー記事が秀逸で、特に下記2点は心に残った(超訳)
・診断されたからと言って(自分の困り事に処していかねばならない状況は)何も変わらない
・現に今困っているのだから、何らかの障害を抱えていると言ってよい
皆それぞれに困難を抱えながら何とかやっている姿に、自分も何とかやっていこうと勇気づけられる。
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発達障害でもグレーゾーンの人は見た目でパッとわかりにくいこと。ADHDの多動傾向が強いひとは分かりやすいが、ASDのように自閉傾向の人は第3者からの見た目ではわかりにくいこと。
ハッとしたのは、医師でもある発達障害の西脇さんが、ハイビスカス柄の派手なネクタイを好んで着けていたのを上司がみて「ネクタイが趣味ですか?」と問われて、真面目に「いいえ、違います」と答えたというエピソード。これは「嫌み」をいっていたらしいのだが、私も西脇さんの解説をみるまで、このやりとりや発言が「嫌み」だとは気がつかなかった。こういうところから、発達障害者と多数派である定型発達の人とのコミュニケーションの齟齬がはじまり、しかも、両者がコミュニケーションが取れていないということに気がつかないのだろうなと感じた。
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発達障害であると診断されず、かといって定型発達者でもない、いわゆるグレーゾーンの方に焦点を当てた本。
こういう本は今までなかったように思われる。
私自身、ASD 傾向が平均値よりも高いこともあり、飲み会の雑談が苦手だったり、人と仲良くできなかったりと生活を営む上で支障があった。だからといって、本当にASD なのかというとそういうわけでもない。
そのような人が自分だけでもないことを知り、少し救われた気分になった。