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談志なら何と言うだろう―。
立川談志に私淑して20年近く。
いろんな場面で、「談志なら…」と考えることが習い性になりました。
高座は2回しか見られませんでしたが、CDは20枚余り、著作はほぼ全て(30冊くらいか)持っています。
それらから推察される談志像は、世間一般の談志像とは異なるかもしれません。
たしかに一見、尊大で傲慢ですが、その実、シャイで優しい正義漢。
談志は歯に衣着せぬ物言いをする人ですが、たとえば障害者を題材にしたネタは「嫌いだ」として決してやりませんでした。
家族思いでもありました。
エロがあれほど好きなのに、女郎買いは嫌い。
弟子の志の輔は「ダンディーな人だった」と評していましたが、思わず膝を打ったものです。
本作は、そんな談志が最後に書き下ろした自伝。
「談志最後の三部作」の最後を飾る作品です。
ほとんど過去に書いてきた内容をなぞったものですが、晩年の談志が改めて回顧していることに意義があります。
高座と同じで切っ先鋭く、リズムのある文章ですが、どこか切ないものが漂っています。
それにしても記憶力の良さには舌を巻きます。
昔の映画名や映画俳優、昭和歌謡の歌い手らの名前が空でポンポン出て来るのだから本当に凄い(本書を書くに当たって改めて調べるようなことはしていないそう)。
そうそう、本書に載っているほとんどは既知の話やエピソードですが、談志が二つ目の小ゑん時代に作った人魚(マーメイド)の話は初めて知りました。
談志がなぜ「ダンディー」なのかを知る縁となりましょう。
以下に紹介して、レビューとも言えぬレビューとします。
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真珠は人魚の涙である。
「オイ、見ろよ。この両手一杯の真珠を」
「凄えな。どこで買ったんだ」
「それがネ、実は釣りに行った。で、眠ったのか、ふと目が覚めたら岩のところ、そこに美しい人魚が居たんだ」
「キレイだったのか」
「キレイも何も、この世のものとは思えない美しい人魚。それと一晩中恋を語った。朝の別れに彼女は両の瞼に一杯の涙。それがこぼれて、みろ、この両手一杯の真珠となったんだ」
「よし、俺も行こう」
彼も同様に、船で独り釣りに……。
「行ってきたよ」
「どうだった」
「お前のいう通り、彼女が出てきて一晩中恋を語って、夜明けに別れの涙。ホラ両手一杯の真珠だ」
「オイ、人魚の奴浮気っぽいネ。見せてみろ。……何だい、こりゃ。人工真珠だぞ」
「しまった、彼女は嘘泣きだったのか」