電子書籍
若き日の体験を脚色した私小説
2024/02/03 04:27
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投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る
とにかく汚くみっともないことが書きたい、は西村さんの遺言になってしまいましたね。「貫多」シリーズの中でも洋食バイト編は特に愛着があります。
紙の本
貫多はいつから貫多だったのか
2020/01/30 15:23
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投稿者:てこな - この投稿者のレビュー一覧を見る
私小説。北町貫多シリーズで最年少の17歳の頃を描いた作品。17歳の貫多はどうだったのだろうか。ページをめくってみると、1ページ目からすでに北町貫多は北町貫多だった。クズっぷり、底辺っぷりに笑いながら少し寂しい気持ちにもなって、最終的に爽快感が来た。
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こんな青春も、存在する―。17歳。中卒。日雇い。人品、性格に難あり。しかし北町貫多は今日も生きる―。無気力、無目的に流浪の日々を送っていた貫多は、下町の洋食屋に住み込みで働き始めた。案外の居心地の良さに、このまま料理人の道を目指す思いも芽生えるが、やがて持ち前の無軌道な性格から、自らその希望を潰す行為に奔りだす―。善だの悪だのを超越した、負の青春の肖像。渾身の長篇私小説!
痛い、痛すぎる。でも読んでしまう。
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ざっくりと言えば、17歳の貫太が洋食屋でアルバイトを始め、住み込みになり希望を抱くが、辞める、というだけの話。
終盤に至って気づくが、そういえば彼はまだ文学に開眼していないのだ。
探偵小説などを読んではいるが、田中英光の名前が出てこないあたり、そうらしい。
著者には「小説にすがりつきたい夜もある」という芯を食ったエッセイ集があるが、
少年貫太は「すがりつきたい気持ち」だけがあって「何にすがりつけばいいのか」がわかっていないのだ。まだ。
すがりつきたいものがわかっているだけ幸せともいえる。
それにしても書いているものは同じ。
とはいえ長いぶん、溜まりに溜まった鬱憤を晴らそうとする終盤の畳みかけるような罵詈雑言は、しびれるくらい面白い。
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『苦役列車』以来、西村作品二作目。『苦役〜』より前の17歳の貫多が主人公。この頃からもう既に貫多でしたw どうしようもないこの感じがとても良いです。アキコさん?だったか、噂の彼女が出てくる作品が読みたいですね(^^ まあ、この調子だとあまり変わらなそうですが…彼は。
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17歳の自分勝手な青年の話。気分を害す思考が多く、読んでいて不快に思う。クズな主人公を読みたい方はぜひ!
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自分がいい奴でも悪い奴でも
自分からは逃げられない。
日記が続かない理由は、破くから。
嫌な思い出は全部破って捨てる。
記憶に重石を置いて、忘れるまで置いておく。
腐った記憶がドロドロになってやっと燃やせる。
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びっくりするぐらい非モテダメ男の青春奮闘記
「彼は見た目は野良犬ながらも 、その根は余りにも貴族気質にでき過ぎてしまっていた 。そしてまた 、見た目は若きお菰風ながらも 、その根は余りにも坊っちゃん気質にでき過ぎてしまっていた 。」という文から伺えるように、主人公はとにかくプライドが高くて、被害者意識の塊。バイト先の人間とか割とふらっとに見ているはずなのに、自分は馬鹿にされてる、疎まれてると思い込み暴虐な限りを尽くす。もう少し自己肯定感が高くて、他者に歩みよれば普通の関係性を築けるのにと思いながら読み進めていた。
でも、こういう北町貫多的な卑屈性は自分の中にも心辺りあるなと思い、深淵を覗いてると思ったら、自分の深淵の部分を見つめ直していた。
「確かに自分は 〈青春の落伍者 〉にはなりつつあるが 、しかしながら 、まだ 〈人生の落伍者 〉には至っていないのだ 。」という文がまた心に染みる。
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私のブログ
http://blog.livedoor.jp/funky_intelligence/archives/1994808.html
から転載しています。
西村賢太作品の時系列はこちらをご覧ください。
http://blog.livedoor.jp/funky_intelligence/archives/1998219.html
本作品は、貫多が横浜の造園会社に勤務する前に東京で勤務した洋食店「自芳軒」での話。先輩や上司への毒付きあり、岡惚れあり、犯罪すれすれの行為ありと、安定の貫多が楽しめる。
かつての私(私も飲食店でのアルバイト経験が複数あり、似たようなことをしたり、思ったりした)と被ることもあり、その共感が西村賢太作品の面白さなのだろう。
二度目の感想
http://blog.livedoor.jp/funky_intelligence/archives/2007344.html
寛多が洋食屋で住込バイトする話。これも非常に中毒性のある作品。20代まで飲食店でアルバイトしていた経験のある私には特に堪らない。特にオーナーとの微妙な関係が絶妙。そしてオーナーの妻も。こういう奴たくさんいたなぁ、何て懐かしさを思い興させてくれる作品である。もっと多くの人に読まれるべき作品だと思う。
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『苦役列車』『小銭を数える』に続いて。北町貫太セブンティーン、洋食屋での奮闘の日々。今回は長編ということもあり序盤はいささかかったるくもあった。読者としてはやはり貫太が暴虐の限りを尽くすのがオモロイわけで。洋食屋の仕事に慣れるにつれ、彼の本性が顕になり小狡いちょろまかしや淫行を重ねていくのはなんとも生々しい嫌らしさがある。バイトの小娘のスカートの匂いをこっそり嗅いで悪態を吐きまくる場面は大いに笑わせてもらった。
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作者の私小説を読むのは数冊目
私小説だから、事実を元にしたフィクションだそうであるが
どこまでほんまかいなと、いつも感じてしまう
と、言うことは作者の術中にハマっているのだろうと思う
物語は毎度ひどい内容で、言い回しも下劣な感じ
なのに、リズム感があって読んでいるのは楽しくて、毎度一気読みしている
You Tube の作者の動画があるので興味があれば見てほしいなと思う ← 誰に向けとるん???自分
内容はいっぱい他者が書かれているので、書かないけど
人生を簡単に諦める若者に読ませたい、どんな事があっても自分は自分で生きていくことが、来ていることが大事なんだと言われている、そこを感じてほしい。
乱読ジジイでした
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自分にとって2作目の北町貫多モノ。以前読んだ"苦役列車"は救い様の無い物悲しさが漂っていた記憶だが、自分が貫多に慣れたためか、こちらは随所でクスッと笑ってしまう愛嬌ある作品。飲食店の見習いに潜り込んでも、変わらず"どうしようもない"貫多の姿には、人間のカルマを感じてしまう。
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西村賢太の作品は文庫本にして5〜6冊は読みましたが、この作品が1番勢いがあり、もはや疾走感とも言えるテンポで、悪行と自堕落の果てに破滅に向かって行くいつものストーリー。
内容はいつも通りの破滅型青春文学ですが
個人的には最高傑作だと思います。
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まず冒頭申し上げたいのは、西村賢太作品を相部屋の病室で読んではいけないということです。
思わず吹き出して、同室の患者に眉を顰められること必定。
笑いを堪えようとして咽たり咳込んだりし、事態が悪化することもしばしばです。
今回、大腸ポリープの摘出手術を受けるため1週間入院していますが、西村作品を持ち込んだことを軽く後悔しております。
それはさておき、本作は言わずと知れた「北町貫多」シリーズ。
貫多17歳、洋食屋でアルバイトをする青春の日々を描いています。
「青春」と書きましたが、貫多の青春は、一般にイメージされているものとは真逆のものです。
貫多は、小学5年のころに父が性犯罪で捕まり、母と姉と共に都内の別の土地へと逃げました。
その後、中卒で社会に出ると、港湾人足など重労働で糊口をしのぐ生活を送るのです。
しかし、まだまだ17歳。
自身初となる洋食屋でのアルバイトも順調です。
貫多はこう思います。
「確かに自分は〈青春の落伍者〉になりつつあるが、しかしながら、まだ〈人生の落伍者〉には至っていないのだ」
見上げた心意気ではないでしょうか。
不遇をかこつのではなく、むしろそれをバネにして自ら人生を切り開く――。
なんてことは、貫多に限っては一切ありません。
バイトで得た給金は酒と買淫に費消し、家賃は踏み倒し、金に困れば実家に戻って母から金をむしり取る。
自ら人生を切り開くどころか、職場その他で出会った年配の人たちを「人生の落伍者」と決めつけ、優越感を得て恬淡とする始末です。
それだけではありません、自分を棚に上げて、気に食わない人をとにかく悪し様に罵るのです。
何と下劣な品性の持ち主でしょう。
しかし、この下劣さこそが貫多の魅力として、私を含む多くの読者の心を捉えているのだから不思議です。
しかも、貫多の言い立てる悪態の痛快さといったら、もう中毒になります。
これだけ多くのファンがいるということは、恐らく私を含め、貫多のように自分にもっと正直に生きたい人が多いのだと思います。
蛇足ですが、西村賢太には珍しいエンタメ作品「悪夢――或いは『閉鎖されたレストランの話』」の着想は、この洋食屋で得たものなのだと本作を読んで知りました。
ちょっと感動した。
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871
西村賢太の小説って主人公がめちゃくちゃ下品で貧乏でアウトローなのに、神保町まで家から歩いて行って手に入れた本を読むのが好きだったり文化的な一面もあるところがなんか魅力的なんだよね。
西村 賢太
1967年東京都江戸川区生まれ。中卒。2007年『暗渠の宿』で野間文芸新人賞、11年『苦役列車』で芥川賞を受賞。著書に『どうで死ぬ身の一踊り』『二度はゆけぬ町の地図』『小銭をかぞえる』『瘡瘢旅行』『人もいない春』『廃疾かかえて』『一私小説書きの日乗』等がある。
たかだか性犯罪者の 倅 で家庭内暴力にも及んでいた中卒、及び性格破綻の生活不能のマイナス要素程度のことで、すべてを諦め去るには、まだまだ早過ぎるのである。
すると、その店主──あとで知ったが浜岡と云う名の、ゴマ塩頭をスポーツ刈りみたいにした猪首男は、いかにも脂肪でノドの気道が圧迫されているような、ヘンにくぐもった笑声を洩らし、 「なにも、スピードを競うわけじゃないんだから、そう足腰は強くなくてもいいですよ。それに配達するものもお弁当箱だから全然軽いもんなんだけどね。けどこのあたりは人の通りも多いし、細い道にもバイクや車がバンバン入ってくるから、自転車に乗り馴れてる人の方が、こっちとしても安心なんだけど……北町くんなんかは、その辺のところは大丈夫そうだね」 と、過大評価を下して、それでもう話は交通費のことに移り、貫多は完全に採用済みとなった模様であった。
元より貫多は、小学生の頃から友人が極端に少なく、他者と会話をするのが至って苦手にもできている。
「あっ、ぼく東京です。江戸川区の、駅で云うと新宿線の船堀の辺りです」 「ふうん。江戸川って、映画とかによく出てくるあの川か? 俺はあの辺りは、まったく行ったことがないな」 「あの、木場さんは、どちらのお生まれなんですか」 「俺は青森。青森に○○球場ってあるだろ。あの近くだよ。元浅草ってのは、ただ単に今住んでるアパートの部屋だ。店で借りてる、寮がわりのな」
尤も貫多は歩くことに関しては、元より余り苦にはならぬ質でもある。現に、神保町辺りへ古本を拾いに行く際には電車賃をケチり、平生からせっせと徒歩で往復している程である。なのでこれは単に骨惜しみのことではなく、そうして駅から或る程度の距離を歩いてしまうと、また無駄に腹が減ってきてしまうと云う、一種の損失を指しての不便さである。
それは、やや点数を辛くするならブスのカテゴリーにも包括できそうな、やけに顔の長い一重瞼のひっつめ髪だったが、それでも一応、股間には女陰の備わっているであろうレッキとした 雌 である。 このブスが、年下の男のことを好むかどうかは全く知らぬが、しかしながら貫多は自分の甘いマスクと、その常日頃から意識的に放っているところの、孤狼のムーディーで危険な香りには些かの自信をふとこっている。 ちょっと本気を出してアプローチを試みれば、これまでに男から声をかけられた 様 なぞほぼ皆無であろうこんなライトブスは、いとも簡単に、そしていともあっさりとなびいてくるに違いあるまい。赤子の手を捻るようなものである。
なので、それらのことを併せ考えると、さしもの根がロマンチストにでき過ぎてる夢見がちな貫多も、所詮はこのアルバイト先で恋人を得るなぞ云うのは虚しき夢想でしかないことを気付くに至ったが、しかしそうは云ってもその彼は、やはり狂おしい程に女の友達が欲しくてならないのである。
「見たまんまを云ったまでですよ。そこに立ってるのは、どこから見たってブタとババアの合いの子みたいな、醜い化け物じゃありませんか」
朝、決まった時間に起きて夕方までを働き、それから後は恋人と仲良くデートしたりする日常を、普通に手に入れてみたかった。小汚ない、すべてが共同使用の乞食部屋でなく、玄関が独立し、水洗トイレが完備されてる広々とした六畳部屋で、そこに机なぞも置いて小説本を読むと云う、ごく当たり前の環境を、ごく当たり前に得てみたくてならなかったのである。 その為に必要なのは──ここでもまたもや繰り返すことになるが、何んと云ってもお銭 と云うことになる。幸い、母親の方も来週末頃にはパートの給金を貰うであろうから、その内より六畳間を借りられるだけのものをぶん盗ってくるのだ。
アパートの家賃を何カ月も支払わずに強制退去させられているし、煙草も吸っているし、年を越すのもままならないようなその日暮らしを送っているし、関わる人のほとんどに胸の内で悪態をついています。 それでも、いつもと様相が異なるのは、なんと貫多、肉体労働を脱し、洋食屋でアルバイトをするのです。しかし、少し毛色の違う仕事に就いたからといって、性格や暮らしぶりが激変するわけではありません。貫多は貫多、ある意味まったく期待を裏切らない日々を送ってくれます。 アパートの強制退去が決まり、未払いの家賃を踏み倒して夜逃げした貫多は、洋食屋で寝泊まりすることになります。もう、いやな予感しか生じません。 深夜に、店の酒を盗み飲み、その際のつまみも店の備蓄品からまかないます。店でためているクーポン券を無断で使いおやつに換えるという、みみっちいこともします。そして、現金にも手を付けるのですが、これもまたみみっちく、レジ台に置かれた募金箱から小銭をくすねて煙草代に充てるのです。
アパートを出て行く時、洋食屋を出て行く時、貫多の荷物の中にはいつも本が入っています。文庫本二十冊など、夜逃げの際にはかなり負担になりそうなのに。 対談の際、賢太さんご本人にお伝えしたところ、本はお金になるから、と照れたようにおっしゃっていましたが、本を大切にしてきた人だからこその発想だと思います。 親として、教師として、という大人の目線に戻るなら、十七歳の貫多のそばに本があったことに、一番ホッとしました。十代のうちから、自分の人生に必要なものを知っている人は、そう多くありません。 貫多は未来の貫多に 繫 がる。そんな希望を持つことができます。 同時に、この物語から、貫多の生きる強さを感じることもできました。 『確かに貫多は、中学卒業時点で学歴社会の落伍者としての烙印を押されはしたが、けれどまだ人生の落伍者までには至っていない。』 物語前半に出てくるこの文章に深く 頷きました。他にも、貫多は十七歳を『まだまだ人生の一回裏の攻撃中たる若さ』と位置付け、『人生の逆転のチャンスはいくらでもあろうから、この段階での敗北は決して認めるものではないが、』と考えたりしています。