紙の本
少年から青年に
2022/06/24 07:41
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投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る
大人の世界に漠然とした嫌悪感を抱く小学生、慧の揺れ動く心に共感できます。転校生・コズエとの交流と、舞台となるしなびた温泉町も情緒豊かでした。
紙の本
ムズムズします
2021/08/04 22:21
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投稿者:qima - この投稿者のレビュー一覧を見る
自分の小学校時代を思い出して、もどかしくてムズムズします。
主人公の目線に立って一緒に一喜一憂するのではなく、一歩引いて考えられるようになったのが大人になった証のようで、嬉しくもあり、少し寂しい気持ちもする、そんな読了感でした。
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小さな温泉街に住む小学5年生のぼく。みんな猛スピードで「大人」へ行こうとしているけれど、ぼくは、みんなが変わってゆくのがこわかったし、本当は、自分が変わってゆくのがこわくて、大人になりたくありませんでした。
そんなぼくの宿あかつき館に、ある日急にコズエがやってきました。コズエは、ぼくをまっすぐ見てくれるけれど、どこか変でした。そして、楽しそうに”まく”子でした。
コズエがあかつき館にいたのは短い間でしたが、小学5年生のぼくのリアルで瑞々しい悩みが、コズエや周りの人たちとの交流を通じて消えてゆく、心温まる物語でした。
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僕たちも宇宙人なんだなぁ
自分にとって他人が違って見えるとき、相手からも自分は違って見えてるのかもしれない
そんな自分を周りの人をそのまま受け入れられたら素敵だよね
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温泉街が舞台、小学生男子の大人になることへの怖さや葛藤が、宇宙人と名乗る謎の転校生の女の子との出会いで変わっていき、成長する話。
人が大人になっていつか死ぬということは当たり前のことだけど、それにいざ対峙した時にどう向き合うかっていうところが描かれてて、やっぱり西加奈子さんは子供と大人の境界線を描くのが上手いな~と思った
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最初は、温泉街の子どもたちの思春期の感じ、「たけくらべ」みたいでいいな、素敵なコズエって女の子、出てくるし。
しかし、途中て投げ出しそうになり…
何故か、ラストの訳の分からないSFファンタジーみたいになった後が、ものすごくピュアで好きだった。
ラストの感じ、子どもたち、好きなんじゃないかなー。
_大人たちは、今このぼくたちの延長線上にあるのだ_
って言葉が好きでした。
あと、ソラちゃんのお母さんが自分のようで身につまされました。
気をつけよう(・∀・)
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性的なものや自分の成長が怖い慧、コズエという宇宙人を名乗る女の子と出会い最終的には成長への自己受容を得ることができる。とても神秘的で深い内容だった一気に読めた。
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『いずれ死ぬのに。ぼくらはみんな、いずれ死ぬのに、どうして成長させられないといけないのだろう。大人になって、こんなに苦しまないといけないのだろう』
あなたは”大人”という存在をいつの頃から意識し始めたでしょうか。これは家庭環境など子ども時代に置かれた環境によっても異なってくるかもしれません。子どもである自分たちとは体つきも異なり、考え方も異なる彼ら。”大人はわかってくれない”と感じ、”大人は汚い、汚れている”とも感じ、そんな『大人になりたくない』、そんな風に思ったことはなかったでしょうか。私が感じたのは、中学時代だったと思います。意味不明な校則に縛られ、理由を聞いても意味不明な説明しかしてくれない先生、仕方ないじゃないの一言で取り合ってくれない親、そんな大人たちを見て、『大人になりたくない』と感じたことを覚えています。いや、正確には『なりたくない』というよりは、そんな『大人』という集団の中の一人に溶け込んでしまうことを恐れた、そう言った方が正しいかもしれません。でも、無情にも時は過ぎていきます。どんなに抗っても『大人に近づいている。ぼくの体はどんどん変化している』と大人になっていくことは避けられません。そして、今、大人になった自分がここにいます。そんな大人になった私は今、一冊の小説を手にしています。そこには、かつての私が抱いた感情と同じく『大人になりたくない』というその感情を強く抱きながら生きている一人の少年の姿が描かれていました。”からだ”が変わっていくことへの怖さを感じ、大人という未知の世界に漠然とした不安を感じる少年。そんな少年を見る時、大人になった今の自分は少年の姿に何を見るのでしょうか?何を思うのでしょうか?
『まくことが好きなのは、男だけだと思っていた』、『いつだって何かをまいているのは、男だ』と考えるのは主人公の南雲慧、11歳。『例えば節分の日、神社の境内で豆をまく人たちだって、女より男のほうがはしゃいでいる』、そして女子は『何かをまいて騒いでいる男子をいやねーって顔で見ている』と考えます。『「せいきょういく」というやつはもう受けた』という慧。それ以降、女子たちが『どんどん得体の知れない何かに変身してゆく化け物みたいに見えた』と感じます。そして『そんなとき、ぼくはコズエに出会った』という運命の時が訪れます。『まくのが好きだった。大好きだった』というコズエ。『ポケットに入れた小銭を、神社に敷いてある玉砂利を…とにかく』なんでもまいたというコズエ。『ぼくらの集落にいたのは、ほんの少しの間』にもかかわらず『コズエがコズエとして、まるのままでいてくれたあの時間を、ぼくはすべて、はっきりと思い出すことが出来る』と慧は振り返ります。『小さな温泉街』に暮らす慧。『ぼくのクラスは12人。小学校の全校生徒は、50人いる』という村で『客室20、内風呂がふたつ』という『あかつき館』の息子として育った慧。そんな中『あかつき館に住み込みで働くことになった』お母さんに連れられ従業員寮で暮らし始めたコズエ。そんなコズエと初めて会った慧にいきなり『こども?』と尋ねるコズエ。『変な言い方だったし、正直めちゃくちゃ失礼だ』と感じた慧。『耳が赤���なってる!』と『追いうちをかけるようなことを言』う不思議な少女・コズエ。しかし『ものすごい美人だったし、細い足やすっと伸びた背中は、最近クラスの女子が夢中になっている中学生モデルにも負けなかった』というコズエは『クラスの中で一番人気のあった』マナより一瞬で人気者の地位を獲得します。『コズエが来てから、集落のみんなは、やたらあかつき館に来たがった』という日々。『ぼくは毎日憂鬱だった』という慧は『静かにひとり』で過ごせた日々を懐かしく思います。『少し坂になっている道を上がれば、常盤城という城がある』という城跡でひとりの時間を過ごす慧。そんな時コズエが突然現れます。『ぼくらは黙ったまま、座り続けた』という静かな時間。『ここは、城の跡なんだ』と一言しゃべると『意味もなく石垣をほじくった』慧。そして『強く小石を投げた。ほとんどまきちらした』という慧を見て『同じように石垣をほじくって、石粒を拾って投げ始めた』コズエ。『それから何度も何度も、同じ動作を繰り返した』二人。『それが、コズエがまいた初めての日だった』とこの日から二人の常盤城での時間が始まります。そして、そんな場所で、コズエはにわかには信じがたい秘密を慧に語り始めるのでした。
主人公が11歳の男の子という設定もあり、その雰囲気に合わせて柔らかい文体が特徴的なこの作品では、1ページ目に『「せいきょういく」というやつはもう受けた』と慧の語る一文が象徴的に登場します。『ぼくはだから、女子が月に一度、またの間から血を流すことを知っているし、少しふくらんだ胸を隠すために…』と学んだ知識からクラスの女子のことを強く意識し出す慧。『女子たちは、猛スピードでどこかへ行こうとしていた』と感じる慧は、そんな女子が『大人や女性に向かっている人間というよりは、どんどん得体の知れない何かに変身してゆく化け物みたいに見えた』とも語ります。慧が生きるこの年代は、子どもが大人へと成長していく過程の中でも、理性と好奇心が微妙なバランスの中で揺らぎを見せる時期でもあります。そんな多感な時代を生きる慧。女性の”からだ”に変化が訪れるように、男性も大人に向かって”からだ”は変化を始めます。『女の子の体の変化っていろいろ書かれているけど、男の子も体が変わるのって怖いだろうなと思ったんです』と語る西加奈子さん。確かに小説、映像作品含めて女性の”からだ”の変化を象徴的に描いたものは多々ありますが、男性については、面白おかしく語られることはあっても、それを真正面から真面目に捉えた作品は思い浮かびません。『自分の体の変化に戸惑っている、怖がっている慧君に寄り添って書いていこうと最初に決めました』と続ける西さん。そう、この作品はそんな主人公・慧の”からだ”に起ころうとしていること、そしてそれが起こることで慧の感情がどのように変化していくかが、物語の進行に合わせて真正面から極めて真面目に描かれていきます。自らの男性器のこと、精通のこと、そして大人の男性器を見た11歳の素直な感じ方を11歳の男の子の視点で描いていく西さん。その描写からは、いやらしさといった印象は全くなく、11歳の目が見る、心が感じる、大人へと変わっていく”からだ”の変化が瑞々しく描かれていきます。そして、”からだ”の成長とと��に大人への階段を上っていく慧は『ぼくはもう大人としてふるまわないといけないのだろうか』と悩みます。そんな慧の純粋無垢な感情の動きが繊細に描かれていく、それがこの作品のひとつの魅力だと思います。
そして、慧が大人への階段を上っていく大切な時期に現れたのがコズエでした。『そんなとき、ぼくはコズエに出会った』という二人の出会い。自分が持っていた価値観と色々な意味でかけ離れたコズエ。『大人よりもうんと大人に見えて、でもほとんど赤ん坊みたいにも見える、不思議な』存在と感じた慧。一緒に帰ろうと誘うコズエに『ひとりで帰る』と言い放つ慧。それを見た男子たちが『そうだよな、男はひとりで帰るもんだ!』『お前、よく言ってやったなぁ!』と褒める行動をとるのは、この時期の男子そのものです。しかし常盤城で”まく=撒く”経験を共にしたあと、『不思議さが一番発揮されるのが、まくことだった』というように『小石、木の実、葉っぱ、消しゴムのカス』など『まけるものがあれば、何でもまく』という不思議な行動を見せるようになったコズエ。そんな『コズエからどうしても、目が離せなく』なる慧。”まく”という行為に執着するコズエ。それは『全部落ちるから素敵なの』というその理由。『ずっと、ずうっと飛んでたら、こんなに綺麗じゃない』、『全部落ちるから』という結末のある美しさ、もしくは潔さに意味を見出すコズエ。それは『永遠』という言葉に置き換えることで分かりやすく伝わってきます。『永遠に続かないから、きっと素敵なんだよ。永遠に続くって分かっていたら、こんなに素敵じゃない』という私たちの人生に重ね合わせた大きな世界観から見る世界が広がっていきます。そして、『コズエがぼくらの集落にいたのは、ほんの少しの間だ』というその結末に西さんはまさかのファンタジーの世界を出現させます。えっ!まさか?というその不思議な体験。でも、それは一方で、純真無垢な慧が主人公の物語を追い続けてきた読者には、素直な感動の中に極めて自然に受け入れられるものだと思います。コズエの語った秘密はこうして目の前に現出するのだと読者が望むイメージそのままに描かれていく感動的なその場面。『大人たちは、今このぼくたちの延長線上にあるのだ』という慧の気づきは、その先『大人もまだ、何かの渦中なのだ』という大局的な視野にまで上り詰めていきます。そして、”まく”という『全部落ちるから素敵』=『永遠に続かない』=『再生』の可能性という、その先をも見据えて物語は結末を迎えます。何か壮大な物語を読んだような不思議な読後感に包まれた不思議感いっぱいの読後でした。
『ぼくは大人になりたくなかった』という慧がコズエという少女と出会ったこと、そして慧自身の”からだ”が大人への準備を始めたことで見えてくる世界がありました。誰もが上っていく大人への階段。そんな階段の途中で後ろを振り返り、再び見上げたその先には、確かに真っ直ぐに、今までと同じように踏み締めていくことのできる階段が続いていました。この世に永遠はないのかもしれません。誰もがいずれ死ぬのかもしれません。でも、だからこそ、今を大切に、今をしっかりと噛み締めて生きる。人生が儚いものであるからこそ、今という瞬間を感じて悔いなく生きる。そう、今をしっかり生きよう、そんな風に感じた作品でした。
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不思議な世界観。
地域の人がみんな自分のことを知っていて煩わしくて。
でもみんな優しくて優しく見守ってて。
宇宙にはそんな星もきっとあると思った物語。
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西加奈子に対する私の印象は「わかりやすい今村夏子」。そして西加奈子を読むとなぜかいつも、漫画家マルジャン・サトラピの映画『ペルセポリス』を思い出します。たぶんふたりともイラン生まれだというだけなのでしょうけれど(笑)。
「まく子」は「何でも撒く子」でしたか。放火事件後の意外な人の登場にウルリ。そうそう、大人だって、パニックになって笑ってしまうことがあるんだよ。
みんなきっと少しずつポーカーフェイスを覚えてゆくけれど、感情をそのまま顔に出したっていいときもある。「うっかり素直になれる」、そんな相手に出会いたい。
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図書館から借りては返しやっと読了。 不思議な作品だけど嫌いではなく、男の子の描写がいつもながら面白おかしく読めました。西さん上手だなぁ。
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『漁港の肉子ちゃん』と同じように、あくの強い大人と子供が出てくる。
それしか出てこない。
読んでいるうちに、「近所にヘンな大人がいたなぁ」と思い出す。
そのあと、ヘンな大人たちは、ちょっとずつ自分と被ることに気づいた。
自分で気づくのも、他人のことをあーだこーだ思うのも、自分の勝手で自分の責任。
コズエのことが気になったり、他の同級生を否定するのも、慧自身。
そして、読んでいる自分自身でもあった。
そのような感情を、人のせいにしてはいけないな、と反省した。
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やっぱり西さんの本が好きだ。
哲学的でユーモアに溢れていて、優しい。
思春期に読んだら発狂してたんだろうな。
思春期特有のモヤモヤ感とか、暴力的な感情って
必要だったんだな。
それを受け入れて優しく生きていくことって大切だな。
優しく生きていきたいよーーー。
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初めて西加奈子さんの作品を読んだ。
最初は、子ども思春期をむかえ、変化することに戸惑う物語だと思っていた。
これは、そんな単純な話しじゃなくて、「生きる」とはどういうことなのか。
人間が一人では生きていけないのは、どういうことなのかを描いた、深い深い物語だ。
とても面白かった。西加奈子さんの作品をもっと読んでみようと思う。
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誰しも一度は感じる、考えることじゃないだろうか。
大人になること。死ぬこと。
いくら悩んでも、明確な答えは得られなくて、いつの間にかその独特な恐怖は薄らいで大人になっていく。
その悩みを、恐怖を、そして答えを、目の前に突き付けられたような文章だった。
それは、私の中に染み渡るような、言葉だった。
明確な答えじゃない、それこそ、心に訴えかけるような、何かだった。
ソラと村の人達との接し方に置いて、思ったこと。
何を考えてるかよく分からない、無愛想な人に接した時、そんな人なんだと切り捨てたり、邪険にするのは簡単。でも、自分とは全く違う生命体なんだと思うことで、相手を知ろうと思える。だって自分にとっての普通とその人の普通は、違って当たり前なんだから。
見方を変えると、人に優しくなれる。深く感動しました。