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2021/2/4
今さらながら、翻訳は原文に敵わないという考えが吹き飛んだ。翻訳が原文に命を吹き込み、各国・同時代の人々の中に脈々と生き続ける。当然、訳者によって蘇生の仕方は異なるので、それぞれに味があるという意味では翻訳に優劣などないんじゃないか。むしろ、多様な翻訳が誕生することによって、作品がより豊かな可能性を帯びていくんじゃないかな。
中立的に作品を評するという点は手薄な印象があるが、いずれの作品紹介も秀逸!
メモ↓
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デイヴィッド・ダムロッシュ「世界文学とは、翻訳を通して豊かになる作品である」作品が書かれた社会・文化とは別の社会・文化において新たな生命を得た時に世界文学としての実り
ロミジュリは不純な愛を描き、それこそ現代のヘイト問題に一隻を投じる
若きウェルテルの悩み
書簡体形式は一人称の書き手が赤裸々に書くことができる形式として18世紀後半に好まれた
ゲーテは自然を「もの」ではなく、観察者としての自分をも巻き込む「力」として捉えた
翻訳は原作になって引き起こされた新たな創造である
小説は近代文学の産物であるとともに、個人が内面に抱える「個性」を描写する意味で近代文化の生みの親
→語り手は直接話法を使わずとも内面を代弁するように
「小説」…近代小説が西洋文学の進化の結果たどり着いた最も高い水準のジャンルであると理解した坪内逍遥の造語
小説はバルザック以前とバルザック以後に分かれる。バルザックは小説に巨大な構築物としたの威厳を与えた。
当時は作家の生きている時代を描くことを一般的ではなかった。古典主義以来、目の前の現実を描くことは嫌厭されていた。同時代のフランスは書くべき事柄に溢れ創作意欲を掻立てた。現実社会の鋭い分析に基づき、様々な階層の人々の暮らしをリアリズムでかき、奔放な想像力で神話のように変形したりした。
ルイ16世の処刑は「父」の打倒。王権神授説とキリスト教の権威は廃退。ゴリオ爺さんも父親の権威失墜の犠牲者。
ドストエフスキー
極めて正確なリアリズムを持ちつつも神話的に描く→異様な迫力
深淵と通俗、高邁さと安っぽさが同居しながら、破綻しながらもギリギリのところで形を保ちながら型破りの世界を作るのが、ドストエフスキー 小説世界のユニークさ
「乗り越える」突然別の状態へ劇的に変化していくダイナミックな構造もドストエフスキー の小説を貫く原理
ex)個人の苦悩からいきなり人類や全宇宙に飛躍など
純愛に基づいた家庭生活を理想として掲げようとするほど、対置されたアンナの肉欲に基づいた破滅を避けられない愛が輝きを増す
アイザア・バーリン 狐はたくさんのことを知っているが、ハリネズミはデカイことを一つ知っている。世界を一つの原理によって説明し、自分の一つのビジョンの強力な枠組みの中で統合するドストエフスキーはハリネズミの典型で、モーツァルトやプーシキンは狐。トルストイはハリネズミだと思いたい狐
→ 一つの原理で自分を律しようとしながらも���この世の多彩な美と快楽に無関心ではない。矛盾に満ちている