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主人公と一緒に旅をした気になった。主人公と一緒に過去の出来事や旧友を偲んだ気になった。
とても大きな喪失の後、旅に出ずにはいられない気持ちはとてもよくわかる。
愛読していた著者が被災され、どのようなことを感じ、どう行動され、どうなっていかれるのか。
私小説を愛読していた読者は待ち望んでしまう。はしたない感じはするし、人ごとのように作品を読んでしまうのは違う感じはする。
その反面わかった気になるのも違う感じがする。
本当の意味で共有できないのに共有しなきゃとプレッシャーがかかる。
だから、この本の感想もなんか書きにくい。
お気楽感想しかいつも書いてないから書きにくい。
日本というのは本当に災害の多い国。昔から。諦めのいい、我慢強い国民性(ほんまか⁈)はそんなところからもくるのだろうか。
十津川には2度行ったことがあるが、なかなか遠い。
大和八木から新宮に抜ける路線バス乗ってみたい。
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10年前、2009年に豊橋を出発して伊勢に亘理、吉野から山に入り十津川を新宮まで抜け、串本を回って和歌山まで自転車で走った。
十津川は北海道以上に何もなく、100km走ってコンビニもない。
昼飯どうしようかと、当時はつるんで走る二人で困り、十津川の河川敷にテントを張って野宿したりと、五日間走った。
日本で最長の路線バスは大和八木駅から新宮へ至る、166.9km、6時間半のバス旅だ。
その途中、天辻峠を越えてからは十津川沿いを走る。
十津川は明治に大水害があり、そして近年2011年にも水害に見舞われた。
かつての水害、近年の水害とを東日本大震災の津波被害と重ね、そして自身の過去をも重ね合わせて旅は進む。
南朝時代、明治維新の天誅組、遠い津の川という都から遠く急峻な山に囲まれた土地の物語が語られる。
内容が散文的だ。
バスに揺られながら、歴史が語られ、自身の過去が語られ、そのバスでの出会いが語られ、過去と現在が入り混じる。
そして終わりは唐突だ。
バスに揺られて散逸する思考そのまま文字に起こしたごとく。
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416年 日本書紀 日本最古の地震の記述
1666年 越後高田地震
1670年 越後村上地震
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このあたりは台風銀座やから台風には慣れっこになっとるけど、台風が熊野灘沖を通るのか、それとも紀伊半島の山中をもしくは紀伊水道あたりを通るのかはいつも気にしとるんです、経験的に熊野灘を台風が通るときは風雨の影響をあまり受けないことを知っとりますから、とTさんは言った。(p.140)
1時間に100ミリを超える雨量というのは想像が付きますか、とTさんに訊ねられて彼はかぶりを振った。気象庁の説明にあったんやが、よくバケツをひっくり返したような雨いうでしょう、あれで30から50ミリの雨量なんやそうです。それで滝のようにゴーゴーと降り続いて、傘がまったく役に立たへんようにナルト50から80未満、そして80ミリを超えると、私も表へ出てみたんやけど、水しぶきで視界も悪くなり、生き苦しくなるような圧迫感があって恐怖を感じましたわ。それに加えて風も吹いて雷もなっていたしねえ。
頷きながら、彼は改めて1時間に100ミリという雨量を考えてみた。それまで天気予報などで耳にしてもきちんと意識してみることはなかったが、降った雨がそのまま貯まったら、1時間で推進10センチになるということだろう。ということは1平方メートルに100ミリの雨が降ったら、水の量は100リットル、重さにして約100キロとなる。その水量がいたるところで高所から低所へと流れ込んでいくときの膨大なエネルギーを彼は想った。(p.141)
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8月4日 吊り橋の日 にちなんで選書
小説内で、十津川村の谷瀬の吊り橋が重要な場所になっている。
日本最長の鉄線の吊り橋「谷瀬(たにぜ)の吊り橋」など、村内に約60ヵ所の吊り橋があり、その数は日本一といわれる奈良県吉野郡十津川村が制定。
日付は「は(8)し(4)」(橋)と読む語呂合わせから。村の急峻(きゅうしゅん:傾斜が急でけわしいこと)な地形が生んだ吊り橋は、人々にとって切っても切れない命の道。毎年この日は谷瀬の吊り橋の上で太鼓を叩く「揺れ太鼓」という「つり橋まつり」を行い、吊り橋に感謝をする日としている。記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。
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7/21は佐伯一麦さんの誕生日
近刊『山海記』を。私小説の名手が地誌と人々の営みを見つめて紡ぐ、
人生後半のたしかで静謐な姿。
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紀行文の形を借りて、私小説の手法をさらに深化させた会心作。
健康が許せば日本中を回ってシリーズ化してほしいくらい。
ちなみに、「八木 新宮 バス」でいろんな動画が見つかる。作中で作者が辿った各所を映像で回想するのも楽しい。
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山海記(せんがいき)
佐伯一麦著
2019年3月20日
講談社
奈良県橿原市の大和八木駅から和歌山県の新宮駅まで、高速道路を通らない路線バスとしては日本一長いバス路線がある。距離166.9キロ、停留所数167、所要時間6時間30分、乗車料金は5250円。私も最初に大阪から車で十津川村~新宮へ取材に行った時、十津川沿いの、車がすれ違えないような細い国道168号で、反対側から「大和八木」行の奈良交通バスがきて、八木まで行くの?とスタッフと一緒に目を丸くした覚えがある。
この小説は、東北に住む主人公の「彼」が、東日本大震災の数年後の3月11日に、奈良県を訪れ、八木から新宮までのバス旅を試みる話。実は、震災と同じ2011年、夏に十津川村は台風で大洪水に見舞われた。十津川村は明治22年にも大水害があり、村で生きていくことを諦めた人たちが大挙北海道に開拓移住して、新十津川町をつくったという歴史がある。それに匹敵するような大洪水だった。
主人公は、全国各地の水害の被災地を回って、最後に十津川村を訪ねる旅に出た。バスに乗りっぱなしで、停留所を通過するたびに、その土地にまつわる歴史や水害のこと、そして、それから連想される東北での震災被害(水害)のこと、また、1967年の岐阜県飛騨川バス転落事故など各地の水害のことを綴っていく。歴史でいえば、十津川村は天誅組が来たところ。この話題が一番たくさん出てくる。旧大塔村(現五條市)の護良親王についても出てくる。そして、明治22年の大水害。幻の鉄道となった五新線も出てくる。それぞれとても念入りに、丁寧に調べ上げていて、村としては日本一面積の広い(東京23区より広い)十津川村にこんな歴史があったのか、という興味と驚きを関西以外の読者は持つことだろう。
ただ、それがはたして小説として面白いのかどうか、という点では疑問を感じた。単なる知識、博覧強記の世界に入っていないだろうか?とも感じる。
小説として、3分の2までは「彼」が主人公で、残りの3分の1は、その「彼」が「私」という一人称で語っている。最初の旅の2年後に、再びバス旅をしたという設定だ。実は、最初の旅で「彼」は体調不良のためにあと2時間というところで旅を断念していた。だから、もう一度訪ねた。
有名な谷瀬の吊橋(日本一の吊り橋)や、十津川温泉などの旅情も出てくる。そこではバスを降りている設定だ。
著者の佐伯一麦は仙台一高卒業後、雑誌記者や電気工などいろいろな職を経て作家になった。今回の主人公も仙台の高校を出て、幼少期の性犯罪被害のトラウマからはやく街を出たくて進学せずに東京で就職したという設定。電気工の経験ありとなっていて、作者とダブる典型的な私小説だ。今回は、高校時代の親友が最近、自死をしたという心の傷も抱えながらの旅という設定でもある。
この人の作品を読むのはじめてだが、無理して格調高い日本語を使おうとしているように感じた。もっと簡単に言った方がずっと綺麗なのにと思えるところがいくつもあった。そして、日本語として疑問に思うところも。例えば、
「耳触りのよい」という日本語が使われていたり、
「人々は、神仏に命乞いを縋るしかなかった」という文があったり。
縋るにはルビがないので、普通に「すがる」と読むのだろうけど、縋るは自動詞であり、「命乞いを縋る」は変だ。「縋(す)る」とでもルビがあれば別だが。
全体として、少し空回りしている小説でもあった気がした。
でも、よく売れている本のようだけど。
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天災、人災(歴史)、自殺、病気を通して死を見つめ、そして個人にとっては災害よりも身近な生死が最大の事件であり、その積み上げが世界である事を認識させてくれる良書だと思う。