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期待して読んだけれど
2019/08/16 08:38
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投稿者:さくら - この投稿者のレビュー一覧を見る
世界が狭すぎて、展開が地味すぎました。
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今村夏子さんの作品ってどこかこう気色悪さがあるのがいい。楽しみにしていた新刊、最高だった。むらさきのスカートの女と黄色いカーディガンの女の話。一歩間違えたら(や、間違えなくても、か)ものすごい危険な話をなんでこういとも簡単に淡々と描けるんだろう。いやらしさがないんですよね、今村さんの作品って。初っ端からニヤニヤしちゃったけど、終わりまでニヤニヤ止まらなかった…最高です!
芥川賞受賞おめでとうございます。
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むらさきのスカートの女より、断然黄色いカーディガンの女が気になって仕方ない。
危険なオーラがそこここに溢れてる割に、意外とあっさり、何事もないような風情。
「私」視点の「狂気」は、駅で毎朝すれ違うどこか宗教家のような「オダギリジョー」を見かけない日は気になって仕方ないと通じるので合点がいってしまったけど、突き詰めて煮詰める勇気はないな。
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近所で頻繁に見かける、名前も知らない人。
何故か見かけると気になって自然に目が追ってしまう…
ただそれだけの話かと思ったら…うふふ
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今村夏子の最新作。
この何処かずれている感、読んでいてざわざわする持ち味は、著者独特のものだと思う。タイトルの『むらさきのスカートの女』からして、妙に『白いメリーさん』っぽさがある(そういえば一昔前は、メディアに登場させてはいけない方の『有名人』が、何処の繁華街にもいたよなぁ……)。
主人公が『むらさきのスカートの女』に抱く執着心とか、気持ち悪いんだけど面白い。
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得体の知れないけど不気味なことはなんとなくわかる、なにかを遠巻きにみている。だんだんと可視してくると、足元キワキワにぽかりのみ込まれそうな空洞あったよ!みたいなヤバさ。
自分も、むらさきのスカートの女を好機の目でみていたから、結末に仰天する。
それにしても、彼女はどうやって空洞を埋めるつもりなん…や…
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〈わたし〉と〈むらさきのスカートの女〉は本当はよく似ていたのかもしれないし、〈わたし〉と〈むらさきのスカートの女〉は本当はまったく似ていなかったのかもしれない。
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いつも紫のスカートをはいた女の人がどういう人物なのか。をおいかける女視点で描かれている。(←この地点で地味に怖い)人間の豹変していく様がじわりと怖く感じる作品。登場人物みんなキャラが濃く、紫のスカートの女の変?さが、そこまで際立っていなかったかも。それより、紫の~を観察してた権藤さんの方が怖い(笑)
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むらさきのスカートの女と黄色いカーディガンの女の話。
むらさきの女と友達になりたいと思いながら、就職先まで誘導して結局友達になれずに終わる。
しかし奇妙なお話でした。そしてむらさきのスカートの女はとても面白かった。
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権藤さんコワいよ!
いつも一人称の主人公がどこか平衡を欠いていて読み進めていくとその周りの人物よりもなんだか毀れている感じが不安感と不安定さを醸し出していて落ち着かなくなりますね。ヤケに存在感のある歪なキャラがユニークで好き。
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読み手の平衡感覚を失わせるというか、産毛をそっと逆なでする、というか、とにかく「心ざわつき小説」を書かせたら今村夏子が天下一品だろう。
小学生たちからからかいの対照にされるほど街で有名な「変わった女」を、執拗に追いかける「わたし」。
なぜそんなに固執するのか。なにが目的なのか。おかしいのはむらさきのスカートの女なのか、わたしなのか。
軽やかな文章でおかしな女のこだわりをコミカルにつづっているけれど、実は「変わった人」に対する世間の「常識」の不確定さというか危うさを内包している。あなたは自分のことをまともだと思ってますか。まともってなんですか、という問い。
これを読んで「だからどうだ」というヒトがいるかもしれない。そういうヒトには「だけどそうだ」と答えよう。だけど、そうなんですよ。
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この地味やのに癖が強いちょい怖い人
語り口調で状況説明するような文章
ソワソワしながら読み終える感じも
好きです。
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芥川賞候補になっているのを知り、慌てて購入。
今村作品を読むたび、その不穏さに引き込まれてきたが、「今回はこれまでほどではないな」と読後に思い、ちょっと肩透かしをくらった気がした。が、時間が経つにつれ気になり出す…。「一番おかしいのは誰なんだ?」
むらさきのスカートの女なのか、いや、黄色いカーディガンの女も相当じゃないか?そもそも平気で嘘をついたり不正やいじめまがいのことをしている職場の面々はどうなんだ?
「父と私の桜尾通り商店街」に本作に結びつくような短編があった。この「父と私の…」から作風に明るさやユーモアの色が加わったと感じていたが、その流れは続いているようだ。しかし根底には、多くの人が持つ悪意やエゴが変わらず描かれている。これからどんな物語を読めるのか楽しみだ。
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えー。すごい。「自分はその人」「社会のただのパーツ」という話は遥か昔から使われているけれど、こんなふうに現代にアップデートされたなんて…
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少なくとも古川真人よりも断然読みやすい。話として(つまり、プロットとして)面白い。そのことは言えると思う。
話の筋は、その界隈で「むらさきのスカートの女」として(奇人として)有名な女をひたすらストーカーのように観察する女性目線の話。その観察の徹底ぶりは異常であり、ついに女を自分と同じ職場に導くことに成功する。ところが、変人奇人扱いされていたむらさきのスカートの女は、職場で気に入られ、だんだんと「リア充」の方向性へ。それを目の当たりにする主人公の女が強くオレンジを噛む場面があったが、そのようにむらさきのスカートの女がだんだんと「普通」の女になっていくことにやや焦りも垣間見えるが、最後所長を突き落としたむらさきのスカートの女を逃す場面は、そうした「普通の生活」が破綻し、自分の元へ帰ってくることを信じて疑っていない。そう実は、語り手の女も同じく「黄色いカーディガンの女」として(おそらく)近所でも知られており、同じような存在と思っていた彼女に近づこうとしていたのであろうか。それともむらさきの女が「普通」になっていく過程を見たかったのか。
前回読んだ「星の子」と同じく、形容や描写に優れているとか、記述の方法に特徴があるとかいう作家ではないのに、あっというまに読者を自分の世界観に引きずりこむのはさすがである。
変人奇人扱いされている人は、本書に書かれたケースのような場合に限らず、例えば学校のクラス内とかにもいる。本書では最初にむらさきのスカートの女がなぜ「有名」なのか、子どもたちのからかいの対象となってしまっているのかについてはそれほど説明されていない。実際、変人奇人扱いされるほどの奇行をしているとも言えないのではないか?それが、だんだんと子供達とも仲良く話し、職場でもそつなくこなせるようになっていく。しかし、そのきっかけは?内面にどのような変化があったのか?何が普通で、何が奇行なのか。何がその両者を分けているのか。むらさきのスカートの女の専用シートは、誰でも座ることとなる可能性を秘めている。怖い小説であった。