紙の本
橋本さんは校正刷に目を通さぬまま逝ってしまわれました。亡き橋本治先生の新刊
2019/10/07 21:43
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投稿者:ぴんさん - この投稿者のレビュー一覧を見る
なかなか面白い。浄瑠璃を全く知らない私にも話の筋がわかり、当時の考えなど興味深い。江戸時代の論理がややこしいのは、人が「自分の感情」や「自分の立場」を棚に上げて、その位置付けをもたないもののありどころーつまり正当性を探っているから。だから「なんでそんなややこしい話を作るの?」という疑問も生まれてしまうのが人形浄瑠璃のドラマであるわけですが、なんで人形浄瑠璃のドラマはそんなにもややこしく難解なものになったのか。人形浄瑠璃のドラマはとても複雑で、その設定はかなりぶっ飛んでいるのだけれど、ぶっ飛んだ設定がややこしくこじつけられて、最後は全然ぶっ飛ばない。その魅力を知るには、実際に劇場に行って観劇するのが一番だが、この本は人形浄瑠璃の素晴らしさを、橋本治の色気のある文章で紹介する。装丁も抜群にいい。
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説経節の「おぐり判官」は、のちに近松の「当流小栗判官」を生むなど、浄瑠璃や歌舞伎などの舞台芸術に大きな影響を与えています。橋本氏は現代的視点からみて、そのストーリー展開の変なところ指摘しながら、面白く「小栗判官」を紹介してくれます。
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前作「浄瑠璃を読もう」を読んだのは、2012年9月。その後、6年半、大阪で単身生活の間、国立文楽劇場に通い、前作に掲載された演目の殆どに触れることが出来た。
観ていないのは「ひらかな盛衰記」のみ。「本朝二十四孝」は八重垣姫の諏訪湖渡りの「十種香の段」のみだけ鑑賞できた。
文楽理解と演目鑑賞の助けになった本。
続編の刊行を知り、読む。
前作と比べ、マイナーな演目についての論考。僕が観劇したのは「曾根崎心中」「双蝶々曲輪日記」「摂州合邦辻」。
説教節からの進化、近松門左衛門、竹田出雲達の作者チーム、近松半二、並木宗輔の作家性を明らかにしたいという意図があったのかと思う。
(引用)
団七と徳兵衛は「固めの儀式」として、お互いの着物の片方の袖をちぎって交換するのです。(略)二人は「礒之丞様のために働こうな」と誓い合います。ヤンキーのやることは昔からよく分かりません。
(引用)
「恋をすると人間はバカになる」というのが江戸時代人の素晴らしい発見で、(略)与五郎はは、それほどのものではなくて、ただの「脆弱な困った若旦那」です。どうしてかというと「つっころばし」になると、それ自体が「おもしろいキャラクター」に完結してしまい、「人間としてのドラマ」が演じきれなくなるからでしょう。
身も蓋もないけど、判り易い論考。こういう橋本さんの文章は大好物。
しかし、前作より判りにくい演目が多いと思う。近松半二の「伊賀越道中双六」は元になった仇討ちがかなり奇妙だった説明の所為で、仇討ちの原因である和田行家の詩のシーンが説明されていないし、肝心の仇討ちのシーンもない。橋本さんは「決闘鍵屋の辻」なんて言葉をみると、今でもドキドキしてします、と書かれているのに。
正直、前作と比べるとシンドイ読書でありました。
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橋本治先生の、古典系の本は特に好き。
前作の「浄瑠璃を読もう」は抜粋で読んだ。(やはり原作を読みたくなるが、それには手間暇がかかるので、知ってる作品や、超有名な作品しか読めない)