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平井呈一訳の短編、エッセイ、そして生田耕作との対談(!)を纏めた1冊。
まさか平井呈一名義の文庫で生田耕作の名前を見るとは思わず(生田耕作は澁澤龍彦とセットで語られることが多かった)、これは嬉しい驚きだった。対談の内容も面白かった。
短編は、これはしょうがないことだが、既読の作品が多かった。何度読んでも面白いのだが。その代わりにエッセイは殆ど読んでいないので、こちらも嬉しかった。
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平井呈一氏と生田耕作氏の対談が興味深かった。平井氏のアン・ラドクリフへの評価が低いのが意外。『ユードルフォの謎』の一日も早い訳出を望む。『ヴァテック』『オトラント』『モンク』は一応読んだけど、忘れてるな。アーサー・マッケンは昔読みかけて挫折。平井先生がここまで絶讃されるなら、再挑戦せねば。
ゴシック文学は文体という両氏の発言に快哉。東雅夫氏編のゴシック名訳集成を読んだ時、そう思った。
この対談の1975年当時、平井先生は最近の作家は翻訳ものを読まないと嘆いておられた。あの頃でさえそうなら、今は…
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13の翻訳短編、生田耕作との対談、「THE HORROR」掲載等の
エッセイ、書評と、平井呈一尽くしの一冊。
・翻訳短編・・・アウトサイダー、幽霊島、吸血鬼、塔のなかの部屋、
サラの墓、血こそ命なれば、サラー・ベネットの憑きもの、
ライデンの一室、“若者よ、笛吹かばわれ行かん”、
のど斬り牧場、死骨の咲顔、鎮魂曲、カンタヴィルの幽霊
付録I 対談・恐怖小説夜話・・・生田耕作との対談
付録II 「THE HORROR」・・・掲載のエッセイ等
付録III エッセイ・書評
出典一覧有り。
思えば「怪奇小説傑作集1」はボロボロになるまで読んだものです。
あれは丸ごと平井翻訳の傑作集でした。怪奇の愉しさといったら!
その、英米の怪奇小説翻訳の第一人者である、平井呈一。
翻訳短編、対談、エッセイ、書評と、彼の翻訳職人としての
拘りや想い等が窺える一冊。紀田順一郎による解説と略歴もある。
短編は読んだものが多いけど、改めて味わい深く楽しめました。
生田耕作との対談は、当時の文学界や翻訳者たちに対する、
率直な考えが窺えて、興味深かったです。
エッセイや書評は未読ばかりで、良かったです。
改めて小泉八雲や「オトラント城」を再読してみたくなりました。
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滅茶苦茶面白かった。
ページ数500ページと少し分厚いけれど、短編集なので読みやすい。怪奇小説は普段あまり読まないジャンルだが、見事に沼に落とされた。
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平井呈一氏の訳文による、19世紀~20世紀前半の英米古典ホラーのアンソロジーである。
ラヴクラフトの中では「ダンウィッチの怪」や「クトゥルーの呼び声」に比べたらマニアックで知名度が低い「アウトサイダー」で幕を開け、ブラックウッドの表題作や、時代を象徴する吸血鬼もの数作等を挟み、最後を締めるのはオスカー・ワイルドのコミカルな幽霊譚。
もちろん21世紀のホラーやミステリーに期待されるようなものを求めるべきではないが、当時の空気を想像してその世界に耽溺する魅力を上手く見出すことができれば、してやったりか。
付録のヴォリュームが凄い。
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ワイルドの『カンタヴィルの幽霊』が、喜劇色がありながらも切なさもあり面白かった。
付録の対談なども全部で100ページほどのボリュームがあって凄い。
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平井呈一(1906ー1976)による海外の様々な怪奇/恐怖小説の古典の翻訳を集めたアンソロジー。
割と最近知ったのだが、平井は永井荷風(1879ー1959)に一時期弟子入りというか、親しく接した時期がある。1935(昭和10年)からの数年間で、その出会ったとき、荷風は57歳、平井呈一はまだ29歳。
しかし荷風の伝記をいろいろ読んでいると、どうもこの平井呈一は人格的に危ういところがある。ひそかに自分で書いた書字や色紙を荷風筆と騙って売り金銭を得たりしていた。これは今なら完全に犯罪である。それだけなら荷風はさほど怒らなかったようだが、荷風作の秘本で一種の春本のような原稿を、勝手に持ち出して人に見せて回ったりもしたので、これは自らに筆禍を招きかねないと危惧した荷風は本気で怒り、2人の関係は断絶。そして荷風は短編小説『来訪者』に平井をモデルにした人物を登場させた。
詐欺行為や、人が怒るに決まっていることをやらかす平井青年は、どうもまともな人物とは思えない。
その平井呈一は、怪奇小説の翻訳者として、確かに日本のエンタメ翻訳文化において重要な足跡を残したと言えるのだろう。海外の怪奇/恐怖小説の古典を読もうとすると、どうしても日本では、創元推理文庫で大量に刊行されている平井呈一の翻訳を避けることは出来ない。
しかし、この平井呈一の翻訳は名訳なのか? 私は違うと思う。本書を見ても、ことさらに古めかしい文体を採っているものもあるが、読みにくいだけで決して雅趣があるわけではない。文章がうまいとはどうしても思えないのである。アーサー・マッケンなど、平井呈一でない新訳を、もっとどんどん出してほしいと思う。
翻訳のことを棚に上げて言うと、本書はバラエティ豊かな、さまざまな作品が収められていた。私はシンシア・アスキスの「鎮魂曲」(1931)の物語が気に入った。
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数多の西洋怪奇小説の紹介と翻訳で、本邦における怪奇翻訳の礎を築いた、翻訳業界そして編集業界の巨匠、平井呈一。本書は彼の偉業である怪談翻訳の集成として、名訳として知られるラヴクラフトの「アウトサイダー」ほか、彼の筆によって邦訳された傑作怪奇短編13篇に加え、対談やエッセー、書評を収録している。収録作品はいずれも古典ながら、現世に至っても色褪せない魅力を輝かせている。古きを温めて新しきを知る、怪奇小説読者必携の一冊。
以下、なるべくネタバレなしの収録作品各話感想。
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★ラヴクラフト「アウトサイダー」(1926)
遥かなる年月を孤独と闇の中で過ごしてきたわたし。ある時に覚悟を決め、日の目を求めて塔を登り、ついに突き当りの石の扉を開いた、わたしの目に飛び込んできた光景は――。
(結末にて、哀しみの中に混じる救いの描写は、社会からの逸脱者(アウトサイダー)を自認していた著者自身が求めたものか。)
★ブラックウッド 「幽霊島」(1899)
これはカナダ湖にある小さな離れ小島であった話。島で一人過ごしていた自分は、一週間目を迎えた朝、急に自分が寝ている部屋に嫌なものを感じるように。心落ち着かぬまま一日を過ごしたその夜、窓越しに覗いた湖面に現れたのは――。
(因果も因縁も不明な、怪異特有の不気味な雰囲気を読者に味わわせることに特化した秀作。)
★ポリドリ「吸血鬼」(1819)
まだ世に不慣れな若紳士であるオーブレーは、とある場でルスヴン卿と出会い意気投合する。しかし卿の怪しい面が明らかになったことを機に袂を分かつことに。後日、旅の途中で卿と再会するが、その先で賊に襲われ、卿は凶弾に倒れてしまう――。
(怪奇物としては凡庸だが、いわゆる「吸血鬼もの」と呼ばれるジャンルの嚆矢となった作品ということで、評価や時代を理由に読まないでいるのは勿体ないだろう。)
★ベンソン「塔のなかの部屋」(1912)
ある年の八月。わたしは友人が一夏の間借りた借家に共に泊まらせてもらうことになった。当日、その借家を目にしたわたしはゾッとする思いをする。なぜならその借家は、わたしが16歳の頃から見続けた夢に出てくる家とそっくりだったから――。
(「吸血鬼もの」の一編。クライマックスの描写は恐怖以上に生理的嫌悪感が際立つ。)
★ローリング「サラの墓」(1910)
教会の修理・装飾を専門とする会社の社長であるわたしの父は、旧友から教会の拡張修理の依頼を受ける。その教会の敷地には禁忌めいた碑文が刻まれた特異な墓があり、それを移動させる必要からやむを得ず墓を暴くことになったのだが、収められていた遺体は異様なほどに生々していて――。
(「吸血鬼もの」の一編だが、牧師の方が怪異に懐疑的で、業者の方が仕事柄ゆえか超自然的現象に肯定的なのがなんともユーモアを感じる。)
★クロフォード「血こそ命なれば」(1911)
イタリア南部にある小さな入り江。私はいつもそこに建つ塔を避暑地にして過ごしている。友人はといえば、塔から見える丘の中腹の一��を見つめていた。そこには小さな塚があるのだが、友人はその上に死人が横たわっているのが見えるという。そこでわたしが友人に聞かせた、塚にまつわる悍ましい出来事とは――。
(「吸血鬼もの」の一編。終盤から解決に至るまでの模様は、あからさまに描写しないことで読者の想像と恐怖を盛り上げることに成功している。)
★ハーヴェイ「サラー・ベネットの憑きもの」(1910)
サラー・ベネット――ベネット夫人は、老いてなお元気矍鑠たるクェーカー(キリスト教プロテスタントの一派)教徒だ。その彼女の周囲では、奇妙な出来事が不定期に発生していた。それらの出来事をまとめることで露わになった実相とは――。
(これを無理解による悲劇と捉えるか、滑稽な喜劇と捉えるか。読む者によって抱く感想が大きく異なるのではないか。そうした意味では一風変わった怪奇譚とも評することもできるだろう。)
★バーラム「ライデンの一室」(1960)
神学博士ハリスの孫で聡明なフレデリックは、長じてから薬学の道を究めんと大学に進む。しかしフレデリックは卒業間近の時に大学を退学し、遠地に旅立ってしまう。一方のハリスは孫のことに痛む心を隠しつつ、教区内のある若い娘の所に赴くことに。その娘は病の床についていて、何やら悪意のある発作に悩まされているようで――。
(最後に語り部を襲う結末は、恐怖よりも不気味な奇妙さがあり、読者にざわざわするような読後感を与える。)
★ジェイムズ「“若者よ、笛吹かばわれ行かん”」(1903)
休暇で海沿いの村を訪れたパーキンズは、友人に頼まれていた遺跡に赴く。試しにナイフで地面を掘ってみると、円筒形の物体を見つける。宿に戻ったパーキンズが汚れを掃除すると、それは笛のようなものだった。試しに吹いてみた途端、脳裏に浮かんだ映像は――。
(かつて "シーツのおばけ" がここまで怖い作品があっただろうか!)
★ベリスフォード「のど斬り農場」(1918)
避暑を目的に、広告につられてとある谷間にある農場にやってきたわたし。家畜はどれもみすぼらしく、家主夫婦は閻魔のよう。特に亭主は目にするたびにしきりと包丁を研いでいて――。
(あからさまな異常は描写せず、しかし全ての行間から不穏さを醸し出し、わたしとの同一化を図ることで読者に恐怖を与えることに成功している秀作掌編。)
★クロフォード「死骨の咲顔」(1911)
いとこ同士のガブリエルとイブリンが結婚を間近に控えていた一方、ガブリエルの父でイブリンの伯父であるヒュー・オクラム卿は死期を間近に迎えていた。その臨終の時、長年一族に仕えていた乳母がヒュー卿に真実を語れと迫るが彼は拒絶し、厭らしい笑みを浮かべつつこの世を去る。直後、何かが窓を叩いた――。
(バンシー[泣き女]を狂言回しに、主人公が父の遺した秘密に迫っていくゴシックロマン風ホラー。)
★アスキス「鎮魂曲」(1931)
医者のわたしは心臓に病を抱える若女主人の診療に招かれ、彼女に恋をする。明るく聡明な彼女だったが、心臓の他に今ひとつ問題を抱えていた。それは、時折"もう一人の自分"が現れることに悩まされることで――。
(適度に色気と湿度のあるゴシ���クホラー。その結末に、読者によっては想像を覆される驚きに襲われるかもしれない。)
★ワイルド「カンタヴィルの幽霊」(1887)
イギリスは16世期に建てられたカンタヴィル卿の古屋敷には長年幽霊が住み着いており、住人を恐怖のどん底に突き落とすことに愉悦と誇りを持っていた。今度の住人はアメリカから来た公使(外交官)一家。いつものように行動を起こしたが豈図らんや、合理主義・物質主義の一家に逆にやり込められるはめに――。
(オスカー・ワイルドによる、当時の英国人と米国人双方の性格を皮肉ったコメディ調のホラー。その滑稽な展開と美しい結末から、映像化も何度かされている。)