紙の本
買ってよかった! 勉強になりました!! ありがとうございます!!!
2019/11/16 12:36
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投稿者:中村 - この投稿者のレビュー一覧を見る
買ってよかった! 勉強になりました!! ありがとうございます!!!
大変、読みやすかったです(漢字にふりがなが増え、ありがたい)。これは、倉山工房さんのお陰?(^-^)
ただ、何か、不謹慎な言い方でしたら、大変、申し訳ないのですが、著者である倉山氏の、これは、遺言なのでは?と。次の(次の次の?)世代の若者よ、日本を頼むぞ!江戸末期、日本人は、西洋列強諸国をはねのける事ができたんだ!。との遺書なのでは?と。 再度、読み返し、著者の想いに感動しています。
ほんと、名著にめぐり会えてよかった。
紙の本
現実の政治は絶望的です。
2021/06/21 21:29
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投稿者:FA - この投稿者のレビュー一覧を見る
『日本は形式的には民主主義の国ですが、選挙など儀式(セレモニー)にすぎず、実質的には官僚が支配する国なのです』身もふたもございません。この作者は、冷酷なぐらいに皮肉屋さんですが、言っていることは筋が通っていて、熱意を感じることが出来る。
現実の政治は絶望的です。
国会では全会一致でなければならないと対中非難決議も提案できないと言ったら、民主主義ではないではないか。法案を提出しようとしたら、今ある法律と矛盾があるからダメとか、文言が不適切だとか、官僚が指示するって、可笑しいでしょ。矛盾があるから、世の中を良くしていきたいから、法案を出すんじゃないか。
それと、なぜ少数の存在が多数を左右するのかわからない。少数意見を大事にしろって言ったって、多数が幸せにならなければどうしようもないじゃないか。
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投稿者:タタ - この投稿者のレビュー一覧を見る
13歳の子供にもわかるように書かれているので、大人が読んだら、もっと分かりやすくなっていたので理解できた。
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以下、本書より。
【絶望的に知性が欠如した自民党議員】
本書では財務省に対してかなり厳しいことを書いていますが、もともとは愛国官庁です。
多くの官僚が仕事熱心で、自由闊達な議論が許される気風に溢れていました。
つい最近でも確認できたことですが、上司に対して部下が対等に議論して構わない官庁だそうです。
ただし条件(ルール)があって、最終的な結論には従う。
決定に反対意見でも、自分の本音を外部に漏らさない、です。
だから、政治家のところに「御説明」と称して増税の必要性を訴えている財務官僚が、実は省内では増税反対の急先鋒ということが多々ありうるのです。
そういう時、「この主張に反対してください」というニュアンスを説明に混ぜることがあります。
昔の自民党政治家は、そういうのを見抜けたものでした。
ところが最近の自民党政治家は劣化していますから、「東大を出た財務官僚の言うことだから信じてよいのだろう」と、まともに経済を勉強したことが無い人が一瞬にして増税派になった、という笑えない喜劇が生じます。
なぜ自民党には絶望的に知性が欠落しているのか。
官僚の話を聞くことだけが勉強だと思っているからです。
真面目な官僚が、「それでは困る!」と嘆いている理由は、本節の説明を読めばおわかりでしょう。
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江崎道朗 有事に戦闘になった場合、護衛艦が戦い続けることのできる時間はせいぜい数十分。基地が攻撃されないという前提でも、もって一ヶ月
空軍は飛行訓練時間が200時間を切ると、戦力として感情に入れない 自衛隊 160時間 北朝鮮 30時間
その時点で合理的だと思うことも、実は不合理かもしれない。自分たちの長い歴史を大切にしなければならない
官僚に対する安倍一強は法制局と主計局以外
外国では法律の矛盾なんか気にしません。新しい法律を作るときには日付を書いておき、最後にこの法律よりも前にできた法律と矛盾するときには、この法律を優先すると書いておく 後法優先の原則
官僚にはできない政治家の仕事は、官僚の監視
政治家が官僚に対抗、コントロールするには
欧米の民主国ではシンクタンク
政治が絶対に押さえておく必要があるのは、軍事と外交、それら2つを行うための経済の3つです。財務大臣、外務大臣、防衛大臣がしっかりしていれば、すくなくとも国を保つことはできる
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歴史書です、現代に役立てるものです
倉山満集大成(実は毎回集大成だという疑惑)
今まで氏の著作で語られた内容が1冊に体系立ててまとめてある。個々のテーマについても多くの氏の著作により補完できるので助かる。13歳で理解できるだろか疑問も湧くが、背伸びすればよい事であるし、また結構侮れない少年少女も多いだろう。日本の未来に何ができるか、13歳に期待する。爺は見守るだけにしておく(笑)
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第一章:人殺しに囲まれた国、日本
防衛費が他国よりも低いこと(対GDP比1%未満)が最初の驚きで、憲法の条文や解釈以前の考え方が問題であること、自衛隊の立ち位置、軍隊と警察の違いなど、自身の知見のなさを感じる。
やはり、「知識より意識」の派生で、条文の文言や解釈以上に自衛隊をどのような組織にするのかという意志力の欠如がこの事態に繋がってるのだと思う。
第二章:先人たちは、どのように祖国を守ってきたのか
まず、幕末の大久保利通や大村益次郎の考え方に心を打たれた。本気で国のことを想い、行動し続ける。決して容易ではないはずです。分母意識の高さが行動力を生むのだと思う。何かできることはないかを探し続けることは大切だとここでも感じる。
そして、特攻隊に関して、侵略戦争史観か聖戦史観かの考え方は、教養として非常に重要だと感じる。
本書でいう右上こそ正義とは言えませんが、少なくとも下に属するような安直な考え方は避けねばならない。
第三章:危機にある皇室、日本が無くなる!
「先例、男系、直系」の三原則は、今までなんとなくは知っているようなおぼろげな知識だったが、明確に学ぶことができた。
具体的な歴史の例は正直難しい部分ばかりだったが、悠仁さまの例に関しては一国民として理解すべき部分。もう少し読み返して、せめてその部分は理解できるようにする。賢者は歴史に学び愚者は経験に学ぶという言葉も何度か耳にしたが、歴史に学ぶ重要性を改めて感じました。
第四章:たかが経済、されど経済、まずは経済
最も興味を持って読み進めることができた。やはり、「知識より意識」。
経済の基礎を改めて勉強する中で、本書は非常にわかりやすかったが、その理由を考えたとき、
「風が吹けば桶屋が儲かる」の流れが鮮やかだからだと感じた。
特に金融緩和など金融論に関する範囲は私の弱点だが、マインドの考え方含め、難しくない内容になっていました。こうなるとこうなる、さらにこうなって…という説明方法がこんなにもわかりやすいのだという発見があった。
第五章:日本を守りたければ政治のことを知ろう
派閥による政策の流れはセンシティブな部分もあったが、今後の政治に関する流れを考える大切な知識を学ぶことができた。
なぜこの人がこのような主張をするのか、今国会では議論されているのかを考えることは、先見性を養うためにも重要な力だと感じる。
今まではうわべの議論で「そんなことがあったのか」を感じるだけだったが、これからは「ということはこうなるのでは」という、いわばカゼオケの発揮を目指す。
こうなるとこうなる、さらにこうなって…という説明方法が
こんなにもわかりやすいのだという発見がありました。
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これ、小中学校の歴史教科書にしてもいいんじゃないか。
文明国とは、人を殺さないこと。
自由主義は人を殺さない。
共産主義は、世界中の金持ちを殺せばみんなが幸せになると言う思想。
国の守りとはなんだ。
金と鉄と紙。
端々、どうかなあ、と思うところはあったが、迫力ある主張。
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人殺しに囲まれた国、日本。
国際社会では、負けたほうが悪いのです。自分の身は自分で守るしかないからです。
何が正論なのか知るために、自分が学問をすることです。
そしてともに学ぶ仲間を増やすことです。
日本国を守ろうとする結集が、いまこそ求められている時はありません。
他人に自分の運命を預けないために、自分の力で大切な人を守る気概を持ち、そして学び、仲間を見つけましょう。
一人一人は微力かもしれない。しかし、微力は無力ではない。
いま、多くの日本人が我慢している。しかし、日本人は我慢をさせられているのです。
日本を敗戦国のままでいさせたい勢力に。
日本人には、誇るべき歴史があります。現状に絶望し、政治や経済に何の希望も持てない時代に、学問と教育で国を救った歴史があるのです。
この本が出版された約2年前よりも、ますます日本社会全体、日本人の働き方、暮らしが悪くなっていってしまっています。
明日に希望が持てない、今頑張っても、将来に明るい希望が持てない社会になっていってしまっています。
ただ、それでもコツコツと学び続けて、少しでも日本人全体が成長していくことでしか、乗り越えてはいけないでしょう。
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ほしいのはより良く生きていくことだ。
そのためには、どんどんと自分から広がっていく外側までもひっくるめて、すべてが「自分」なんだと捉え、理解し、そうやって手にすることになった範囲を、より良い方へ運んでいこうとする行動が必要なんだ。それはつまり、自己というものと全体というものの境なんてないことを、遮る必要がないことを、区別することが何にも繋がっていかないということと同じ意味だ。
おかしい、と感じていた。変だな、と思っていた。小さな頃からだ。
まるで、「ずれて」いるみたい。自分がおかしいのか、それとも、ほかがおかしいのか。自分の中が正しいのか、世の中が正しいのか。もやもやとしているけれどでもまちがいなく存在している感覚がずっとそばにあった。自分の中に培われていく世界観(美徳といってもいいかもしれない)と相容れないものが世界というものを覆っていて影響を及ぼしていて、そして圧倒的に構成しているという予感や手応え、そして確かな遭遇がこれでもかとやってきた。
曖昧としていた。でも決して近づくことがない、埋まることがなさそうな距離は、いったいどうして存在しているのだろうか。近づかなきゃいけないのだろうか。埋めなきゃならないのだろうか。そのために自分が変わらなきゃいけないということなのか。ずっと片隅で考えつづけてきたことのようだ。
でも、それももうはっきりした。そんなのはどうでもいいことだ、と。
結局それは、何が「正しい」かということをどう「把握」しているのか、という基本のところにたどりつく。
簡単に信じるんじゃない。おいそれと当てはめるんじゃない。
世界に溢れだす正義、主義、立場、理念、もしくは欲求、希望、本能というものが、それを語った途端あっという間に有無を言わさぬ譲ることができない、動かすことができない固い「正解」になってしまう。そういうことが自らの生きる意味だと思い込みたくて、重ねることによって作り出してしまうものたちがただただ1つ1つの「世界」でしかありえないのに、まるでそれこそが全体としての「世界」にもならなければならない、と思い込む。無邪気にそんなことを信じられるものだから、本来あるべきひとつひとつの違いや距離、溝となって表れるものを埋めなければならないと、それが自分にとっての使命、役割、生きている意味だ、なんて押し付けがましい世界観を外側に撒き散らしてながら生きることに、なんの疑問も湧いてこなくなる。ちょっと待った、と自分に語りかけることができなくなる。
だから何だよ、と言う。
関係がないよ、と言う。
たったそう呟くだけで、立っていられなくなるくらいの理由でしか、「世界」は成り立っていないよ。
おかしさ、の正体はそういうことなんだ。
おかしさに気づくということは、考えているからだ。学ぶことを止めていないからだ。
すべてを、与えられるのではなく、まずは自ら手に取ろうとするということだからだ。
社会に溢れる常識や理屈をそのまま鵜呑みにするというこではなく、自らの足を運んで、手の届かないところまでに手を伸ばして、いまは見えていないものを、いまの自分の中には見あたらないものを探しに行って、ようやく手に入れるという意味だ。そうすることは、手に入ったものによってまた考えはじめるということだし、そうではなくても、手に取ろうとするその過程においても考えつづけるということが、当たり前に自分の中に起こってくるということになるからだ。
1つを知ると、その分だけ不確かさが露わになるようだ。つまり、認識はどうしたって相対的にしか立ち上がれず、自己の確かさによってではなく、周りを囲む存在との対比によってしか、その輪郭を作ることがままならない。でも、それで良いと思う。それが良いと考えることができる。より広く、より深く、より沢山の物事が見えるようになることで、それに比例して、より確かな「現実」という存在が見えてくることを、体感として手に入れることが、徐々にではあるけれど出来るようになってきたからだ。
世の中のおかしさは、この世界で「現実」だと捉えられているもののほとんどが、十分に相対化が図られたものでまるでなく、ごく一部分的な認識のところでただただ立ち止まっているだけのものを、全体的であり、確信的であり、正義的であると錯覚して、もしくはそう思い込みたくて、採用されただけしでしかないものたちによって生み出されているからだ。そして、そんな風に簡単であることを、手軽であることを、一旦手に入れたものは頑なに手放そうとしないことを、自分自身の本能だとしてしか処理できない人間の本質が、まざまざと表わされているからだ。
現実を生きているのではない。現状を生きているだけだ。空想に逃げ込んでるだけだ。
という倉山さんの言葉。彼の著作の中で通底している、世界を表す、特にいまの日本を表す概念だ。
現実とは何か。それは、まず自らで考えるということだ。
どうして現状にしか生きられないのか。それは、真っ先に理想や理念がないからだ。
いまの日本のおかしさ。それは、ぼくが感じつづけてきたおかしさと同じ根を張るものだと分かる。
このままではいけない。それは、日本を良くしたいとか、世界を変えたいとか、大袈裟なことなんかではなく、ただただおかしいと思うから。そんなものに囲まれて、自分が生きていくことは自分が望むものではないと、ただ考えるからだ。
日本はもう失われているのかもしれない。でも日本というものははるかにずっと続いてきたものなのだ。
歴史という流れを、営まれてきた現実を学ぶことで、日本という姿かたちが自分にも投影されてくる。
日本らしさというものと、自分の中に培われているものとがたしかに繋がっていることを感じられるようになる。
寄る辺はもうすでここにあるということだ。
'1840年にアヘン戦争が起きても、1853年にペリーが来ても、日本には強い政治家は登場しませんでした。しかし、大久保たち若者が本気で目覚めたら、あっという間に討幕維新が成し遂げられました。
元治元(1865)年、高杉晋作がたった1人で決起。翌年、西郷隆盛と木戸孝允が薩長同盟を締結。さらに翌年、大久保利通と岩倉具視が��川慶喜に戦いを挑み、勝利しました。本当の意味で維新ができる。もはや徳川の時代ではないと日本中が確信したのは、慶応4(1868)年1月4日です。この年は明治と改元される年です。
世の中が変わる時は一瞬です。若者たちが奇跡を起こしました。そして彼らは何が正解かを知っていました。江戸の日本人はきちんと学問をしていたからです。一定層の目の肥えた国民がいたから、正論が通る世の中になったのです。
ならば、令和の日本人が真っ先にやることは1つ。何が正論かを知ることです'
まずは、自らによって、だれのためでもない自分のための「現実」を、きちんと捉えるができるようになること。
そのためには、自ら学ぶということだ。いまこの瞬間からでもはじめることができる。とてもとても簡単なことだ。
'すべての読者の方々に申し上げます。他人に自分の運命を預けるのではなく、自分の力で大切な人を守る気概を持ちましょう。そして学び、仲間を見つけましょう。
1人1人は微力かもしれない。しかし、微力は無力ではない。
今までの日本だって、国を想う人々が、知恵と勇気と行動力で守ってきたのですから'
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憲政学者・倉山満の一冊。
文字通り、国防について中学生にもわかるように記述しており、勉強になった。