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地味な表紙だなあ、これじゃ今どきの子どもたちは手に取らないんじゃないか、と心配しつつ読み始めた。
まず、最初の「オオカミが来た朝」でやられた。えっ、これはかなり上等な短編ではないか!と。「子ども向けだからこれくらいにしておこう」なんて忖度はちっともない。
1935年、父を亡くしたばかりの14歳の少年ケニーは、4人の弟妹(一番下はまだ赤ん坊)のために働くことを決意する。そうしなければ、母と赤ん坊は祖母の家、妹は叔母の家に行かされて、家族はバラバラになる。2人の弟は船乗りになると言っているが、幼くて体も小さいからとても無理だ。自分が働くしかない。もともと貧しかったのに、父の死で、限界が来ている。母は子どもに食べさせるために、自分の食事を減らしている。
しかし、少年は自分の無力をよく知っている。体は小さいし、内気だ。クリケットのボールが当たって歯が抜け、入歯にしたが合っていないので、発音がおかしい。だからますます無口になった。
経験も知恵もない自分を雇ってくれる大人がいるのか?大恐慌後の不況で大人の男ですら失業しているのに。
少年の苦しみが痛いほど伝わる。誰だって初めて社会に出ていくのは不安だが、後ろ盾も自信もない少年の不安は察して余りある。
さて、ここまでは、上手いが他に無くはない小説である。ここをどう乗り越えて終わらせる?
なんと、ここに文学のあるいは教養の力を持って来るのですよ!
少年は学校の勉強はできる方ではないし、学校で習っていることなんか実生活では何の役にも立たないと思っているのだけど。(これは、現代でも勉強の出来ない子どもの共通認識だと思う。)
この最初の短編があまりに良かったので、他は大したことなくても、まあ良しと思ったのだが、次の老いを描いた「メイおばさん」も大変良く、これはすごい短編集かもしれないと感じ、「想い出のデイルクシャ」で決定した。これは、久々の名作だぞ、と。
この小説は、ケニーから曾孫までの一族の人生の一コマを描いていており、最初の短編以外でもケニーが脇役で登場する所は『オリーブ・キタリッジ』にも似ているのだが、描かれている世界の広さ、深さはそれ以上。
「想い出のディルクシャ」はウガンダのアミンが暴政を行ったため、追われたインド人一家を描いているが、その姿はあらゆる世界の難民、移民を想起させずにはおかない。かれらの不幸は、かれらだけの問題ではない。私たちの問題であるということを、これほどはっきりと、しかし、押し付けがましくはなく刻みつける作品が児童文学であっただろうか。子どもが主人公なだけに、彼らの心の奥に無意識にしまわれた恐怖と悲しみが痛くて、泣かずにはいられなかった。
イスラエル人とアラブ人の対立と、それでも残る希望を描いた「冬のイチジク」も良かった。
これは、一応児童文学ということになっているが
、きちんと人間が描かれた上質な物語を読みたい大人にむしろ薦めたい。早川epiとか河出書房新社とか新潮クレストとか好きな人に。実際、そこから出ても全くおかしくない。違いがあるとしたら、子どもにも読める、という一点のみ。
初めて読んだ��家だが、ぜひ他の作品も読んでみたい。この一族の物語をもっと読みたい。
図書館で借りて読んだけど、買いに行った。それくらい、何度も読み返したくなる本。
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1935年大恐慌時代オーストラリアの14歳のケニーの話から、6つの短編が一族4世代に渡って登場する。
それぞれの生活の一こまを取り上げながら、時代背景を浮き彫りにし、大人が築く辛い社会に翻弄される子どもたちを描いている。大人として辛い。
時代が変わってもどんな境遇の中においても、子どもが悩み葛藤し、優しさや繊細な心を持つことは変わらない。未来を見つめ希望を失わない強さを持っていることも。そう信じたい。
『オオカミが来た朝』でケニーが選択した道が一族の道となり、最後の章『チョコレート・アイシング』のジェイムズに「前に進むんだ!」と呼び掛ける場面には胸が熱くなる。
一族は繋がり見守っているのだと。
ジュディス・クラーク、知らなかった。
著作をもっと読んでみたい。
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3週間前に突然父親が亡くなったので、14歳のケニーは、母親と4人の弟妹たちのために、大恐慌のさなか単身仕事を探しに出かけなくてはならなくなった。彼は、父親が亡くなる直前に事故で前歯を損傷したために全部の歯を入れ歯にされてしまい、うまく話せないことからますます自信をなくしていた。とても寒い朝、母親に見送られて自転車に乗った彼は、荒れ地に気をつけろという彼女の忠告にもかかわらず、暖を取ろうとそこに燃える焚き火に手をかざした途端現れた見知らぬ男に強く足首を掴まれる。命の危険を感じた彼は、今までの自分の悩みが、命に比べればとるに足らないことだと気づく。
この「オオカミが来た朝」をはじめとした、ケニーの子孫を中心とした、主に思春期を描く6つの短編集。
*******ここからはネタバレ*******
「一家の四世代にわたる子どもたち……」と書かれていたので、勝手に4世代記と思って読み始めたところ、時代も飛び飛びのショートストーリーで、これが「折々の心もよう」ということのようです。
世代が変わっても、時代が進んでも、若者たちは悩むということを描きたかったのでしょうか?
タイトルの「オオカミ」はどこに出てくるのか?と思いながら読み終わりましたが、これは最初のお話の詩の中だったんですね。レビューを書くために読み返して気づきました。
「オオカミが来た朝」や「メイおばさん」は、まだ救いがあっていいのですが、「字の読めない少女」以降、貧困・障碍・差別・離別・戦争・両親の不仲と自殺未遂等々、子どもではなんともし難い重い問題が多く扱われていて、辛くなります。
かなり高い評価を得ている作家さんによる評価の高い本のようですが、私個人としては、これは、子供の心を理解するための「大人の本」のように思えます。
オススメするとしたら、かなりしっかりした中学生以上でしょう(本当、子どもにはオススメしませんけれど)。
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友達から薦められて、全編を続けて2度読みました。
読んでいる間は、全ての光景が目の前で起き、一緒にその時代を通り抜けたようでした。 どの時代も「ほんの子ども」と呼ばれる子どもたちが誰よりも見、聞き、感じ、悩み、体の中に抱えて大人になっていく。 子どもたちの心の震えに涙が出ました。