紙の本
昼はキャンパス夜はネオン
2022/10/01 12:21
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投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る
男社会の支配から抜け出すべく探求を続ける大学生に感情移入できます。夜の新宿2丁目の猥雑さと、主人公の故郷の閉塞感も印象的です。
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動物になること女性になることの線上で悩み、哲学と格闘しつつ日々を送る「僕」。著者初の小説作品。
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ゲイの大学生が悩みながら卒論向かう姿を自叙伝のような形で描いている作品。この作者の本を読むのは初めてで、やけに断片的な切り取り方をしているのが1人の若い人間の姿としてリアルでもあり、主人公にかっちりした設定を設けて語らせるという、小説ならではの不自然さから逃れようとしてるように感じた。
また、自分自身少し同性愛の気持ちがわかることもあり、以下の部分は長年感じていた感覚を代弁してくれたように思った。
僕は、僕自身を見ている。
そしてこれは僕だけのことではないと思う。男を愛する男は多かれ少なかれそういうものじゃないかと思う。男を愛する男の眼差しはカーブし、その起動で他の男を捕らえ、自分自身に戻ってくるのだ。
(以上抜粋)
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何からはじめようか、その水を掴むような、見えてるようで掴みきれないような感覚が残る。
けれどその水は◯◯のものだから、私に掴みきれないのは当たり前なんだと思う。
けれどそれでも、大衆が読むそれよりは近さを感じずにはいられない部分が多くあった。
思考の余裕を飛び越えて反応してしまう瞬間(父、K、純平へのリアクション)は特に気持ちよさが残った。
その不器用さ?があるからこそ、◯◯は分からなさに対して真摯であることがより伺えるのだと思った。
そしてその分からなさと違うところにある疎さはそれに囚われずにいられたあるいはその環境から隔離されていた◯◯のそれであるから、読書サイトで散見される「バイトもせずに/家賃が高く/ 実家の経済状態も知らずに」みたいな批判はなんでそうなっちゃうのか僕には理解できなかった。
著者は半生以上を一般市民から距離があるだろう思想・テキストに触れてきたはずなのに、だけど軽やかにそれは内容とは別の言葉の踊り方みたいなそれでやってのけてしまうのだから、そういうのも個人的には面白かった。とはいっても、著者の論文や他の著作を読んでいないからもしかしたら普段からそういう言葉に近い方なのかもしれないけれど。
ぜんぜん話が飛ぶけれど、P62のシーンは「Call me by your name」のなんかよくわからなかった観方のひとつに光を指す感じもした。
あらゆる円環の中でその流れのどこをゆくのか、円環と思えたものもいきなりその流れが止まったり、円環だと思っていたけれど、同じ循環ではなくなっていたり、そういうのがあるんだろうな。
煙草のイメージっていうのは、煙草を吸わないかもしれないけれど、ドトールとあいまって、この小説を読みながら感じさせることをいくらか開いてくれると思う。それは小説の舞台当時から現在に至るまでに排除の方向にあるから、21世紀になる頃に小学生になった僕には想像しきれないかもしれないけれど、「灰も残さずに」もそうだけど、吸殻、煙、臭い、灰、火種、(いまとなっては狭く追いやられた)喫煙室、そういう時間性や五感にまとわる要素がとても強い。
あと、ドトール。2021年の東京では喫茶店で紙巻き煙草が吸える数少ないチェーンなんだよね。(2畳にも満たない喫煙室だけれども)。その空間性っていうのはある意味でとても興味深いなそういえば。
個人的にだけど、僕は群れをなして回遊する魚、あるいはその流れ自体には興味がなくて、自身がその回遊の一部だとしたらそこから外れるために、既に外れているとしたらより距離をとるために、それよりも距離をとって孤独に自由に泳ぐ個体に引っ張られたいな、って思ってしまったよ。それはたぶん私が◯◯よりも群れに近い方にいたからだと思う。
あとP112,113はとても僕的ハイライト。
僕も大学で東京に出てきたけれど、東京じゃなくても暮らせる人ではないなと改めて自覚した。
てか『千のプラトー』買わなきゃ。めちゃ読みたい。
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ところどころ、難解な小説だった。と感じるのは、自分に哲学の素養がないからかもしれない。
この小説は哲学を専攻するゲイの大学院生を主人公とする。
院生としての生活と、ゲイとしてのプライベートの生活。両者が交互に描かれる。
ゲイとしてのパートの描写はかなり直球だった。冒頭からいきなりハッテン場が登場。男に欲情するシーンはオブラートなんて一切なく描かれる。
主人公の存在はどこか希薄。実名が明かされることはなく、○○くんと表記される。また、主人公のセリフは独白のように「」なしで書かれることが多々あった。
その「非実在」が儚さを感じさせた。
しかし主人公はマイノリティの在り方について、哲学者ドゥルーズの研究を通じて、道を見出そうとする。
それはきっとこの言葉の通り。
「ゲイであること、思考すること、生きること――。」(帯コメントより)
少数派としての人生の意味を見出そうとする、その姿勢には強い共感を持った。
けれど、あの結末はどういう意味を持つのだろう。
彼は負けたのだろうか。
再び、帯コメントを引用。
「もったいない。バカじゃないのか。抱かれればいいのに、いい男に。」
先述のコメントとは対極のような言葉だ。果たして、どちらが正しいのだろう。どちらが幸福なのだろう。
主人公は「ゲイとして思考する」道を外れ「いい男に抱かれる」道を歩み始めたのだろうか。そう考えると「動物になる」というのが伏線だったような気もしてくる。
あの結末に関して考えを巡らせてみたものの、うまく答えが出ない。なるほど、千葉雅也。なるほど、野間文芸新人賞。
悪く言えば、理解できずにもやもやが残る。よく言えば熟考する余地がある。
哲学に通じた読者は、この小説をどう読むのかが気になる。そして、ゲイではない読者の感想も読んでみたい。
(総評は以上。各論やメモ書きについては、以下の書評ブログに書きました。よかったらどうぞ)
https://www.everyday-book-reviews.com/entry/%E6%80%9D%E8%80%83%E3%81%A8%E5%BF%AB%E6%A5%BD_%E3%83%87%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3_%E5%8D%83%E8%91%89%E9%9B%85%E4%B9%9F
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ぐるぐる廻る流れのなかにいる。それは私もおんなじだ。ぐるぐる流れてタイミングを測り、逃し見失い、再び流れに身を委ねてそれでもなお不安を抱えたまんままたぐるぐると廻り、逃し、ため息をついてなお、真実に目を向けることもなくただ流れに戻る。くりかえす。哲学はよくわからない。ゲイではないしLTBGでもない。それでも性欲にまみれた青春はあったし、その苦悩もわかる。ちいさな世界で悩みもがいている姿は誰しも同じなのかも。
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主人公の表(大学生として)の日常のストーリーの中にに裏(ゲイとして)の日常のストーリーが程よく差し込まれてる。はじめは、読んだ時に急にストーリーが変わるような感覚がして、少し読みづらいように感じたが、だんだん慣れてきた。
主人公のゲイとしてのストーリーでは、結構生々しい直球的な描写がある。
大学生の修論のテーマと、自分のあり方を重ねていった主人公が、最終的にどのように進んでいったのかはっきりとしない。
その部分は、読者に想像の余地が残されているのかなと思った。
哲学を通して、性別、自己を見つめていく主人公の姿が印象的な作品だった。
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デッドライン
著作者:千葉雅也
千葉雅也を読んだ人はきっとこの小説を読んで欲しいお勧めの一冊。
タイムライン
https://booklog.jp/item/1/4103529717
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環八、新宿の喧騒、二子玉川、深夜のファミレス、どれもこれも情景が手に取るように浮かび上がってきてなんて映像的な小説なんだと驚いた。
「ぼく」とは全然違う人生を歩んだはずなのに、東京で大学生(「ぼく」は院生だけど)として過ごすという事は、多かれ少なかれこんな過ごし方を経験するという事だと思う。
没入して強烈に共感して仕方なかった。彼の私小説のはずが、わたしの私小説なのかと勘違いするくらい。
どんな経験を積もうが体験をしようが「ぼく」が永遠にピュアでまっさらで在り続けていることが救いで、それですごく心配なところでもある。なんと頭がよく、なんと純粋で、なんと何も知らないのだろう、このボクは。なんでも知っているのに、こんなにも頭がいいのに、という感じ。
スレずに、このまま哲学と、かっこいい男の間を、魚のように泳いで行って欲しい。東京の片隅で。
ドブの中を気付かず泳ぐ熱帯魚みたいだった。
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哲学についてはほとんど知らない状態で読みました。
不安定さについて1人の若者が感じること、の描写がされているのはよかったです。
自分の中にある文章の一単位からすると、文中の主人公の言葉が短くすぎるように感じ、「彼」が刹那的に考えているように感じてしまったのが残念でした。不安の中で人がまとまった思考ができていないという文章の効果はよく出ているとも取れました。
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第162回芥川賞候補。
哲学を勉強した事がない、
ドゥルーズも知らない。
「千のプラトー」という文字はもしかしたら生涯で一瞬目に入った事があるかも知れんくらい。
知らなくても物語としては楽しめる・・・楽しめるんだけど、ぐやじい。
良い作品だけにそれらを勉強していたならどんなに深みに嵌まれるのかと思うと。
そらから、ゲイが主人公のお話は初めて。
「千のプラトー」に対する主人公の気付きに惹かれた。
全体的に不安な感じが好み。わからない感じが嫌ではない。
一人称が一瞬三人称になったり、鉤括弧がなくなったり、不安感に拍車がかかる感じがたまらなく良い。
矛盾するけれど、哲学に明るくないからこその余計に不安を楽しめる感はあったと思う負け惜しみかなー。
なんか、錯覚かもしれないけれど、色々吸収した気になってる。
それが今後の思考に影響するといいなと思う。
読書の醍醐味のひとつだ。
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修論の締め切りが文字通りのデッドラインで、そこに至るまで、語り手は永久に(または、「普通の男性」よりはかなり遅い速度でしか)逃走線の引かれることのない人生を送っていた、そのことに気がついた、ということなのだろうと思う。
ドゥルーズや荘子の思想と、語り手自らのゲイであるという在り方を重ねて、論文を執筆する過程と自分自身への問いとを同じ時系列で表現しているのは面白い。また、著者は初の小説ということだが、構成も単線的ではなく、語り手の生活を多層的に描いていると感じた。
ただ、極めて個人的な感想になるけれど、大学院生を何の経済的不安もなくやれていてそのことに自覚的でなく(最終局面でとうとう父親の会社の倒産という現実に直面するけれど)、それで自分が男性なのか女性なのかというのも何だか非常に贅沢な悩みだなと思ってしまう。それはつまり、自分自身のあり方を問うている時に、その切実さに共感することが難しかったのかもしれない(ただもちろん同性愛者の人にとってはそうでないかもしれない)。
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めちゃくちゃ好きになった。
このワケわかんないこととわかることの同居してる感じが押し寄せてきて、あれもこれも中途半端なワタシがこのままではいかんと思えたかも。
叫びたくなる。
たとえば人を好きになる気持ちもちゃんと考えないと。ぼんやりと好きでもいいけど、なんでぼんやりとでもその人を好きなのかとか、そういうこと。
千葉雅也氏の小説じゃないものも読んでみたい。
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自分の話だ!!!
くるぐる回るその流れの中にいる、という話だったが最終的にはその流れも終わる。それは文中にあった「時間が引き裂く」ということなんだと思う。円環の中で漂い続けることはありえない。1Q87みたいにどこかのタイミングで世界が変わる。親の自己破産など。職人が砧公園で見たホモ狩りも引き裂くもの。ホモ狩りを止めさせた職人もまた引き裂くもの。
「でも、人間には絶対なんてありえない。他の男とやる可能性だって完全には排除できないのだから、嘘の約束はできないと思った。僕は約束するということの意味がわかっていなかった。だから、そういう約束はできないよ、と正直に言った。」
→その後、肉体の約束が後に精神の約束に変わるかもしれなかった、という心境の変化がある。
大学の入試で読んだ文章で歴史はらせん階段のようでおなじことの繰り返しのように見えるが実際は少しずつ移ろいでいるものであると書いてあった。この小説もそういう趣旨なのではないかと思った。
好きなフレーズ
「恐ろしかったのは、もう生でやっちゃえ、と一線を越えることだ。あってはならないが、そうなったらサイコーだ。」
→自己矛盾。
「通常フェラチオでHIVをもらうことはまずない。が、口に傷がある場合は別だろう。舌や唇を噛むということは、傷が塞がるまで男遊びができないということを意味する。」
→このように先々のことを考える一方で、そうなったらサイコーと思うことはよくわかる。けど、そういう発想を他人の書いたものから見つけられてとても嬉しかった。
「『神は、すべてに染み渡っています。』」
「少女としての僕が身体を盗まれている」
「回遊する魚のように導き合う男たちが、夜の底で、明日になればもう半分も覚えていない事実を共有する。」
→挿入=相手になるということ
共有するというのは相手の一部になるということ。
俯瞰して見れば、という○○くんへの純平くんの「君も一人の人間だろ?」はしびれる。大学時代に言われてたらその言葉の破壊力に死んでたかも。
○○くんの自意識とスノッブさ。退廃的。リバーズエッジやなんとなくクリスタルに雰囲気が似ている
→「僕は、すべてをやり直さなければならない。僕は何かを誤っていたのだろうか。何が僕をここまで連れてきたのか。」
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哲学ってつかめそうでつかめない。
静止してるようで流動的な事象を、言語にしているようなものなのかと思った。
壮子の鯉の話で、主観/客観の説明は面白かった。
「動きすぎてはいけない」はこうして生まれていくの?