投稿元:
レビューを見る
初出 2018〜19年「すばる」
昭和戦前・戦中期の福井を舞台に戦争へと向かう時代のなかで生きた女性たちの物語。重く、美しく、悲しい。
貧しい農家の次女として育つ13歳の絵子は、好きな読書を有害なものと親から否定され、父と弟だけに魚が付く食卓と、唯々諾々と父に従う母を批判したため、父に家を真冬に追い出される。
肺炎になったところを助けてくれたのが友人まい子の家の旅館で、福井で儲け始めた人絹の織物工場の住み込み女工なるが、帳簿の改竄と賃金の不正をみつけたために無給の雑役婦にされる。
そのころ福井に初めてできたえびす屋という百貨店に「本の読み聞かせができ、お話しが作れる」と売り込んで、食堂の給仕をしながら専属少女歌劇団に係わり、戯曲を書く。歌劇団のスターの一人キヨが、実はボーイソプラノの清次郎で、兄とともに大陸から逃れてきたことを知り、絵子はキヨのためにはごろもという作品を書いて演出もする。女たちの苦労を描いた2作目は不評で、自分の周りの人々を物語にしたことを後悔して、職員寮の雑役婦に転じる。
百貨店が専属歌劇団を持つ事が政府に禁じられ、統制経済で百貨店も売る商品も無くなり、やがて空襲でえびす屋をふくむ市内中心部が焼かれて、絵子は村に帰る。勤労動員の宿舎や学童疎開の宿舎になった旅館の手伝いをして終戦を迎え、焼け跡でまたお話しを作りたいと思うのだった。
投稿元:
レビューを見る
時代のうねりの中で不確かながら、常に正しさに向かっている主人公。抑えながらも、漏れだすように現れる正しさが、ままならないこの時代に生きただろう人々の真の姿のような気がした。
投稿元:
レビューを見る
大正末期、貧しい農家に生まれた少女・絵子は、農作業の合間に本を読むのが生きがいだったが、女学校に進むことは到底叶わず、家を追い出されて女工として働いていた。ある日、市内に初めて開業した百貨店「えびす屋」に足を踏み入れ、ひょんなことから支配人と出会う。えびす屋では付属の劇場のため「少女歌劇団」の団員を募集していて、絵子は「お話係」として雇ってもらうことになった。ひときわ輝くキヨという娘役と仲良くなるが、実は、彼女は男の子であることを隠していて―。
絵子は少女歌劇団の脚本を初めて書く。彼女は”青鞜”を貸してくれ後に労働運動の前線に立つ女工仲間の朝子や、羽二重の織り手の修業をしつつ苦しい恋を経験する親友のまい子、さらに大人の都合から10代で嫁に出された絵子の姉や妹たちー自分の周囲に生きる女たちの苦悶や嘆きを著した。その処女作は夢や希望を与える歌劇団の演目としては相応しくないと評価され、お話係を辞退してしまう。その前は人絹工場の女工も自分に向かないと辞めている・・・。ラストには戦争が始まり学童疎開して来た子供たちの居場所を作ろうとする絵子が居た。読解力が足りなかったのか、絵子の人となりが最後まで霞んだままで、主人公としての影が薄く何を伝えたかったのかが分からないままに終わった。それとも絵子の宙ぶらりんは別な意図があったのだろうか。
投稿元:
レビューを見る
たまたま雑誌「すばる」を読んだからだったか、何がきっかけか忘れてしまったが、「すばる」から生まれた本、という中村佑子さんのweb書評でこの本のことを知った。年明けに、二兎社の公演「私たちは何も知らない」を見たからかもしれない。この本も二兎社の公演も、ちょうど100年ほど前の「青鞜」があった時代の話だ。
この本の舞台は福井の村、主人公の絵子(えこ)は字を読めるようになると何でも読む子どもだった。ひまがあれば本を読みたい。だが、なにごとも男が先、未来のためにと金をかけてもらえて、魚のおかずがつくのは弟ばかりだ。遊びに行きたいと言う弟に、父は「お前は勉強せんならん。偉うならなあかんで」と言うが、女の絵子には母さえ「絵子は女の子なんやで。ほんな勉強なんかせんでもいい」と言うのだ。絵子は食べるために働かねばならぬと言うのだ。
絵子はたまらない。ぼんくらな弟は、なんで自分だけが魚を喰わせてもらってるかも分かっていないのに。
▼小学校を出て以来、この半年以上ずっと考えていたことだ。頭を使い、考えて、それを言葉にするということ。勉強がその道のりならば、それは男にしか許されていない。陸太はあきらかに勉強が嫌いだし、賢いとも思われなかった。でも男だから、それを許される。女は、男の子を産んで育てて、その子の将来に託すようにしか夢を描くことを許されない。そのようにしてしか生きることができない。(p.35)
絵子は言わずにいられない。
▼「かあちゃんなんて、陸太の将来しか楽しみがないんやが。かあちゃんみたいになるんやったら、生きてても仕方ない…」(p.36)
それで、父から打たれ、かあちゃんに謝らんのやったら、出て行け!と追い出された絵子は、村を出る。人絹工場で女工として働いたのを振り出しに、絵子は「青鞜」にも触れ、自立への道を模索する。福井に初めてできた百貨店が少女歌劇団を新たに設けることとなり、絵子はそのお話を書く係となるのだ。
大正の終わり頃から、昭和の戦争に入り、敗戦あたりまでの時代、村と都会のこと、福井と世界のことを重ね、暮らし方の変化も描きながら物語はすすむ。読みはじめるとほとんど一気に読んでしまった。
字を読む女、本を読む女、ものを考える女、主張する女、そんな女が打たれ、厭われ、追われるのは、青鞜の時代もそうだったし、今も変わらない部分があると感じる。今日読んだ、松田青子の『持続可能な魂の利用』でも、つくづくと感じた。
本のタイトルは、絵子が小さいときに教わったというおまじないの一節。
▼「よい初夢が見られるようにっていう、おまじない。ちいさいとき、村の外れに住んでたお婆に教わった。長き夜の、遠の眠りのみな目覚め、波乗り舟の、音のよきかな、って」
俄に、そのことが思い出された。お婆は村で育ったけれど、飛び出していって、また戻ってきた。ものすごく年寄りというわけでもないのに、言うことが突飛で非常識だから、耄碌していると決めつけられ、村の衆から嫌われていた。けれど子どもには優しかったし、行けば面白いことを教えてくれた。物心つくかつかないかのころ、絵子は和佐とこっそりそこへ通ったものだ。��婆は読み書きを教えてくれたし、屋根の破れた小屋には本が幾つも隠してあった。学問というものをしてきたひとかもしれなかった。都会で女郎をしていたらしいだの、みなは陰口を叩いていたが、ほんとうは別の理由で隠れるように暮らしていたはずだ。それが何かわからないうちに、流行り病で死んでしまった。その小屋も、いまはもうない。遠の眠りの、の歌とともに、そんなあれこれがいっぺんに思い出されてきたのだった。
「初夢のため、眠るためなのに、なんで、みな目覚め、なんやろう、って」(p.189)
「長き夜の遠の眠りのみな目覚め波乗り舟の音のよきかな」は回文になっている。
*中村佑子 評
沈黙の雲を抜けて
http://subaru.shueisha.co.jp/books/2001_2.html
(2020/04/19了)
ネットではさらに中島京子と斎藤美奈子の書評が出ていた。
*中島京子 評
因習から逃れる「女という難民」
https://allreviews.jp/review/4106
*斎藤美奈子 評
「夜明け前」生き抜いた女性たち
https://book.asahi.com/article/13128330
投稿元:
レビューを見る
冒頭からものすごく好きになる話だった。吉田朝子さんも大好き。その後の展開は私には難しすぎた。
歴史的に敦賀にそんなことがあったのかというのも勉強になった。旅行に行くことがあったらその点で巡ってみたい。
投稿元:
レビューを見る
女であることで軽んじられる。そういう時代に、絵子に疑問を抱かせ変えていったのが、本を求める力だったのかと、本の持つ力に触れて嬉しくなりました。
家を逃げ出し福井の町の女工に。そのあとデパート務めに。本が人や仕事を繋げた。
まい子と友だちになったのも、吉田朝子と知り合ったのも、「青踏」を通して新しい女性像を知ったのも、少女歌劇団のお話係になったのも、全て本からの繋がりだ。
絵子の書いた脚本『遠の眠りの』は、女という難民の物語。清太から聞いた祖国を奪われた難民も含まれていただろう。絵子自身も。母も姉妹も。友も。これは絵子がこれまで感じた理不尽さへの怒り、悩み、諦め、これまでの人生全てを表したものと同時に、この時代を生きたたくさんの女性たちの心の物語だ。
明治から昭和の終戦まで時代が大きく動くうねりの中で、揉まれ流されながらも考え続けた一人の女性の物語に胸打たれました。
時代は、手織り機から織屋で女工によって織られる絹織物に、そして工場で機械が織る人絹へと移り変わり、それに合わせて女性たちの生活も変化していった。
「まい子が手織り機で織った布が仕事をした」とあったが、ヒトラー政権からポーランドのユダヤ人がリトアニア経由で日本に逃れてきた。その「難民を救う」その手助けを、昔ながらの女の手仕事が担ったとしたら、それは象徴的だ。
軽んじられてきた女性たちの寡黙な強さのようなものを感じた。
投稿元:
レビューを見る
ストーリーも、舞台設定も面白かった。
女工哀史で、悲惨な生活だと思っていたけど、こういう側面もあったのかなあと。
百貨店の栄枯盛衰があっという間だった。
ドラマとか、映像で見てみたい。
投稿元:
レビューを見る
福井の貧農の少女絵子.父に逆らって家出し,金持ちの友人まい子に助けられ,人絹機織りの女工となり,百貨店に拾ってもらう.これが13歳の出来事とは驚きで,彼女としては計画性もなく流されてきただけかもしれないが,それは何という運の強さで,またそれを引き寄せる彼女自身の強さなのだろう.少女歌劇団やポーランドからの難民,出兵に敗戦といろいろな事件がてんこ盛りで絵子の心の中を吹き抜けていく.とても面白く読んだが,もう少し焦点を絞って清次郎との何かを深く描いて欲しかった.
投稿元:
レビューを見る
読み終えるのがもったいないのに、読むのが止まらない、久しぶりの本でした。
自分が主人公 絵子になったような気持ちで本を閉じた後に、門井慶喜さんが「現代の私たちも絵子かもしれない。」と推薦されているのを見つけて(福井出身の)私だけじゃないんだ!と嬉しくなりました。
投稿元:
レビューを見る
大正時代、農家の娘が家を出て、ひょんなことから百貨店の劇団で働き始める。
戦争へと傾斜していく昭和、今よりも生き方を限定されている女性が生き抜いていく。
福井の小さな村で、貧しい家に育った絵子。
本好きだったが、女の子は勉強しなくていいと言われ、弟だけが何かと大事にされる。
家を飛び出して友達のところに転がり込み、やがて人絹工場の女工に。そんな就職口が開かれている時代ではあったが労働条件は過酷。
町の百貨店で支配人と知り合い、少女歌劇団のお話係として雇われることに。
当時、全国の百貨店で、客寄せのための劇団が生まれていたのだ。
絵子は勝気だが、これといってやりたいことがあったわけではないのです。
家出もちょっとした成り行きで戻れなくなっただけで、家族は待っていたと後でわかります。
とはいえ、時代の流れの必然と言える側面もあったかもしれません、
百貨店という働き口も新しいもの。
そして、港が近い町は、ヨーロッパから来た難民がたどり着くところでもあった…
「青踏」という雑誌に触れ、自分らしく生きようともがく女たち。
劇団でひときわ上手な女の子「キヨ」と絵子は親しくなりますが。実はキヨは男の子。
男性にも、ありのままでいられない生きづらさ、不自由さはあったのです。
重苦しさと、生命力と、リアルさと、どこか不思議な行き当たりばったり感。それもけっこう現実にあることなのかも。
混然とした濃厚さが印象に残りました。
投稿元:
レビューを見る
ラストに向けて体がゾクゾクして止まらなかった。読みながら『いだてん』と『とと姉ちゃん』が頭によぎった。あのドラマたちと(たぶん)ほぼ同じ時代に生きた女の物語。
柴崎友香さんが朝ドラで見たいと呟いていたけど、本当にそう。この物語を朝ドラで見たい。
女工時代に知り合い、青鞜を教えてくれた朝子と主人公である絵子が再会したシーンで、朝子は言う。『わたしたちが、わたしたちのようでいられる世のなかが訪れるまで。』『生き延びましょう』『この戦争が終わるまで、生き延びて、逃げ切りましょう』
読み終えて、朝子に語りかけたくてたまらなかった。戦争が終わって75年が経った。あなたが望んだ世のなかを私たちは作れているだろうか。
いま生きてる私は誰かが戦って勝ち取ってくれたものをそうとは知らずに受け取ってきた。それなら私もまた戦わなければならない。戦ってる人を非難めいた目で見て戦うことを嘲笑って恩恵だけ受け取る人になってはならない。あなたも私も誰かの戦いの上に暮らしているから。
最後のページを読み終えて、絵子はこのあとどこへ向かったのか、何を成したのか成さなかったのかとても気になった。辛く重いラストシーンのはずなのに、再び歩き始めた絵子の道の先に一筋の光が差し込んでいるようだった。
投稿元:
レビューを見る
なんだか不思議な小説だった。
戦前から戦争が終わった時までの
ある変わった少女のお話。
舞台も福井。どこまでがほんとうでどこからが物語なのか良くわからなかったけど
最後は希望を持つことができたかな
投稿元:
レビューを見る
朝の連続テレビ小説のちょっと暗い版。その時代の産業や経済の話が興味深かった。女性の地位の低さも。清次郎が出てくる前までが面白かった気がする。
投稿元:
レビューを見る
「ちいさくて取るに足りなくて、するべきことだけすませたら、あとは勝手に好きなところに行く。とても気楽なことだった。」
山の動く日来る
山は姑く眠りしのみ
山は皆火に燃えて動きしものを
いまぞ目覚めて動くなる
遠の眠りの小舟に乗った女性、難民
投稿元:
レビューを見る
大正末期〜昭和と現代よりも制限の多い時代が舞台だけど、出てくる登場人物が感じていることは今の私たちに通じるものがある。絵子が現状に違和感を持ち、居場所を求めてもがく姿をどこか身近に感じる。
その一方で、どこかふわっと淡い夢の中にいるような色彩も感じる。その辺りのバランスが絶妙で、ぐんぐん読み進めたくなる1冊だった。