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読みやすくて、するすると、そうめんを啜るかのように読み終わってしまった。
読む前は特殊な話なのだろうと思っていたが、読んでみると、深く共感し、揺さぶられ、誰もが考えることのある、普遍的な話をしているように思えた。
話の随所に挟まれる、LINEや掲示板のやりとりが余計にリアルに感じさせた。
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能町さんは文章が上手。
結婚についての本はたくさんあるけど、
こちらは万人にお勧めしたい。
好きな人と結婚したい、という婚活中の人も
なんで結婚するのかわからない、という迷える独身者も
ぜひ一読してほしい。
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恋愛や恋、結婚についてここまで分析されたものを初めて読んだし、たしかにそうそう!そういうことか!と思うところも多々あった。
でも特筆すべきは雨宮さんの章。
とにかくスピード感というかアップダウンがすごい。急降下から底を這って這って、再び急上昇する流れは読んでいて息が切れるようだった。読んでいて久しぶりに辛くなった。
こんなにも凄まじい「思い」(あらゆる感情が絡まりすぎて思いとしか言いようがない)が溢れ出すことが起こりえるなんて、と怖くなるのと同時に、私の大事に思う人々よ、どうか突然いなくならないで、長く健康でいてと思わずにはいられない。
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前半は軽いエッセイかと思いきや、後半から終盤までが、かなり重い…
残念ながら私は常識に乗ってる人間のようで、芯までは理解できない。
それでも、結婚というような同居の良さは実感してるし、うんうんわかる、となる部分もあり。
雨宮まみさんの著書と、こだまさんの『おとちん』は既読。
あの重さ、衝撃、この作品と似てるところ、ある。
重さと衝撃でつらくなったので、☆3.5くらい。
また違った時に読んだら評価変わるかも。
追記
数時間経ったら、別の感情が出てきた…
私にも常識に乗れない部分があった。子供に関して。
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人生を変えるような恋愛だの結婚だのは無理だが、ひとりは嫌だ――
ゲイの夫(仮)と「結婚」と称して同居を始め、
恋愛でも友情でもない二人の生活をつくるまでを綴った能町みね子の最新作。
「ウェブ平凡」連載『結婚の追求と私的追究』の単行本化。
するすると一気に読み終えた。
こういう結婚のあり方もいいものだ。
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雨宮まみさんのことが書いてあると聞いて、すぐさま読んだ。よかった。ここにまだ雨宮さんがいると思ったし、もういないんだとも思った。それにしても、憧れる。私も恋愛の絡まない結婚がしたいんです。夫婦になりたいわけじゃなくて、家族がほしい。自分だけの。また読み返そう。
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同僚からめずらしくお勧めされた一冊をすぐさま読んでみた。
第一章で引き込まれてからの能町節がすさまじかった。
能町さんと考えが似ているので、ものすごく共感できた。
「同じ(ではないにしろ似た)考えの人がいる」と
首を縦に振りながら時々ぷっと笑かされ読了してとても満足。
美味しいものをお腹いっぱいに食べた時のような多幸感。
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入籍まではしていないようなので、結婚(仮)でしすね。
とかくに住みにくいこの世ですが、誰かと共生することでうまく物事が回ることもあるのかもしれない。
明日死んでもいいということをつづっていた部分があるが、その感覚はすごくわかる。
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「恋愛感情の無いゲイとの結婚」で話題になった著者の“プロジェクト”の一部始終。自分も継続した共同生活を前提とした結婚には恋愛よりも友情に近い関係性の構築が大切と考えているので興味深かった。とはいえそうなると本質は結婚というより同居なのだろうか?色々考えるきっかけを与えてくれる一冊。
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不毛な話をずっと聞かせ聞かされしてきた高校からの友人に、「これを読んで回り回って(わたし)に何か変化があれば面白いなと思って」ともらった。いくつになっても彼氏の一人はおろかそういった話が一切ないわたしを面白がっての贈り物だけど、本をもらったのはうれしかった。
能町みね子のことは久保みねヒャダで1、2回見たことあったかなぐらいで、性転換した人で、なんかやたらおしゃれな人ぐらいのことしか知らなかった。
恋愛に対する意識、「みんな当たり前のように楽しんでるのに自分が楽しめないのはおかしい、というか損してる」とか「周りみんなずるい」みたいな考えはすごく共感するものがあって、読み進めるほどウッ…となった。
共感するというのも図々しいというかおこがましいというか、そもそもこれを共感するために読んでるわけでもないし、でも「あ〜…そう…こういうこと思ってるな〜…」と思わざるを得ない部分が大いにあった。それで「自分と同じ考えの人がちゃんといる!」と勇気付けられるわけではもちろんないし、かといって落ち込むわけでもないし、正直特に感情は揺れずに?読み終えたような気がする。そりゃそうだ。
なんか、特に感想は出てこない。プラスにもならなかったしマイナスにもならなかった、でも途中で読むのが嫌になるわけでも、飽きるわけでもなかったから、こういう本がいいのかもしれない。
強いて言うなら「いいな〜」かも。書いてあったけど、人との生活って本当に劇的にちがうものなんだろうなあ。ひとりじゃできないことができるんだろうな。そんでこのひとが言うんだから、本当にそうなんだろうな。
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結婚とは「家」のためのもので,どちらかというと「個人」の気持ち(=好意)の問題ではありませんでした。端的に言い換えれば,結婚とは「生活」のために行われるもので,「親密性」は二の次でした。ですので,(生活が安定するから)好きでもない人と結婚する,結婚した後に相手を好きになっていく,みたいなことがありました。ここでいう「生活」は『結婚と家族のこれから(筒井淳也)』でいう「食べていく」に相当します。
しかし,徐々に結婚は恋愛が伴うという価値観が普及していきます。「結婚につながる恋愛が正しい」というようなロマンティク・ラブ・イデオロギーから始まり,現代では「恋愛をしている結婚が正しい」というようなロマンティック・マリッジ・イデオロギーに変質していきました(谷本・渡邉, 2016)。要するに,結婚は「生活」のためだけでなく,「親密性」(恋愛という限られた親密性)も必要とされるのが現代の結婚と言えます。
『結婚の奴』で記されるエピソードも,(「生活」+「親密性」のもとで行われる)現代の結婚とほぼ近いです。なぜ「ほぼ」なのかというと,恋愛という限られた「親密性」ではない,人としての「親密性」とでも言えるような,より広い「親密性」のもとで行われているからです。窮屈な現代的結婚(「生活」+「(恋愛という限定的な)親密性」の達成が必要)を,少し自由にするような結婚の在り方が提示されています。
『結婚の奴』では「恋愛」についても触れられています。とにかく誰でもいいから付き合おうと思ってネットで知り合った相手と付き合った話,不倫の話,雨宮まみさんとの別れの話。「恋愛」とは,中身(気持ち)ではなく形式でもあり,自分の中からではなく自分の外からであり,その時にあるものではなく事後的に構成されるものであることが読み取れます。これらは結婚についても同様に言えます。
恋愛や結婚が目的化した現代社会において(その一端が婚活現象でしょう),恋愛や結婚を手段として捉えるための視点を提供してくれる一冊だと思います(能町さんは「恋愛したい」という願望を持ってはいますが)。
個人的には「自分の懊悩,コンプレックス,卑屈さなどを丸出しにして作品に書き記し,優しさと表裏一体となっている情けなさをあらわにする(p.153-154)」著作が得意ではないのですが(能町さんはご自身をこのスタンスの文章に分類されると述べている),本書はそこまで癖がなく読めました。
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年齢的に結婚を考えたことはある。でも、自分にはあまり向かないだろうこともうっすら分かっている。別居婚か週末婚なら、と思ったりする。
時折そう親しくない他人に結婚をせっつかれたりする。言われている意味は分かるものの、望むことの内容は個々違うのになぁとも思う。
でもずっとひとりで生きるのは淋しいことだと想像できる年齢になってしまった。
そんな、世間の常識に自分を合わせることに違和感がある私のような人(とくにアラフォー辺り)ならば、この本はとてもはまると思う。
著者の能町みね子さんは元々男性で、20代のとき性転換をして女性になった作家。
そして現在かたちとして『結婚』している相手が、ひと回りほど歳上のゲイのおじさん。
トランスジェンダー同士の、絶対に恋愛感情は芽生えないふたりの結婚。というか、共同生活。財布も別だしお互い別のパートナーを作るのも自由。読んでいて楽しそうで、羨ましくすらあった。
面倒くさい感情が絡まないから、楽でいいよなぁなんて。通常の結婚生活で生まれる面倒な感情も乗り越えることが成長に繋がるのは事実かもしれないけれど、最初から無いのなら無くたって良いのでは?とも思う。
先進的とも言えるから田舎ではなかなか難しそうな関係だけど、都会ならば成立するのだろう。
時系列も面白く、結婚(共同生活)初日の出来事から始まり、遡ってそこに至るまでのいろいろが綴られている。
途中で、数年前に40歳で亡くなった雨宮まみさん(能町さんと仲が良かったライター)のことが書かれている章は、他の章のような冗談っぽさや軽さがなくて、それが悲しみを表していた。
全体的に、とても自分を曝け出している印象で、コンプレックスを突くというか、その気持ち解るかも…という部分も多くあった。
そう感じる度に「あぁ私もほんとダメ人間だわ」とも思うんだけど。笑
結果的には、自分は自分として、世間を丸無視するのではなく、その上で自分らしくどうにか生きていくしかない、という思いにたどり着いた。
能町みね子さんの本、他のも読んでみたい。と思うきっかけになりました。
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読み始めてすぐに、自分の脳みそのコチコチになったところが溶かされてガラガラ自由になっていく感じがする。
そういう自由は想像したことがあったけど、とても怖くて手が出せないもののように思っていた。
でも、いけるかも!と思える。
わたしは自分は恋愛の楽しさがわからないとは思わないけど、どうしてみんながそんなにすいすいうまくいっている(ように見える)のかはかなり長い間謎で、今も謎だ。
同じ恋愛でも、私はもしかして求めているものが世間一般できちんと恋愛を恋愛らしく楽しめている人とは違うのかもしれないとなんとなく思った。
わたしは恋人ではなくて、仲間が欲しいのかもしれない。
パーティー。
もっとたちがわるいかもしんないけど。
人は一人ひとり価値観が違って当たり前ということを、常識の前段階で話しかけてきてくれる、そのことがすごくうれしい。
そしてその上で能町さんが見つけた指先がほんのり暖かくなるような優しさや明るさが本物のように思われて、それでちょっと涙が出そうになる。
雨宮さんのくだりは、本当に怒りを感じて、文字から振動を感じる。
あの文章を読んでいるときは、能町さんが自分に乗り移ったかと思った。
恋で、悲しくて、はらわたが煮えくり返って、無。
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エッセイ
夫(仮)のサムソン高橋(アキラ)と結婚の話
社会人の頃のハンドルネーム「曇り」の話
雨宮まみさんの死
加寿子荘への恋愛感情
日々が「生活」になる
最終目標は「浮気」
スタンプカード
恋愛感情のくだり共感しかないし
試みも似ててびっくりした
通過儀礼、義務です。
やはり擬似
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モテそうには見えないのにプライドだけ高い人がよく使う言葉「飽きた」(「モテない」「恋人ができない」とは言わずに「恋愛に飽きた」「恋愛するのがめんどくさい」と言うやつ)著者が「一人暮らしに飽きた」ことから結婚キャンペーンを始めます。
腹立ちや愚痴を吐き出したいときはツイッターに書いてるそうなので、日頃のいきり立ったツイートや言動と照らし合わせながら読んでみた。相思相愛で恋愛結婚した男女への異常な噛みつき方を見ていると、経済的に劣った相手と結婚と称した同居生活をしているだけでは、結婚への嫉妬や憎しみが消えないことがわかった。
若い時に結婚願望がなくても年齢を重ねて生活に安定を求めることは恐ろしく普通のことで、著者も「常識」に吸い込まれてるんですが、セックスできるパートナーがいない鬱憤を恋愛結婚した夫婦を「常識」という枠にはめることで精神を保っているようです。
テレビでザ・ノンフィクションのジョンさんマキさん夫婦を観ていて、性的マイノリティの人たちにとってこれも普通の選択だと思っていたので、わざわざ「常識」と切り分ける意味が分かりませんでした。
夫のちんぽが入らないへの言及の仕方も、他の男とはセックスできてるんだからいいじゃん、元男性の私のほうがもっと不幸と言わんばかりにくどくどと書いてるんですが、後半では本能的にセックスしたいわけではない、自分はやりたくないけど楽しんでる人がいるのが羨ましいだけと、やけにあっさりしてるのが別にセックスする相手がいなくてできないわけではないとでも言いたげなプライドの高さが垣間見えます。性欲に対して正直にならずに少女漫画のような感情で誤魔化しているからツイッターでのイライラに繋がっているのではないだろうか。
要するにこじらせた人間とは、他人のことを否定して自己正当化し、自己愛が人一倍強く、プライドが高くナルシストな人間なのだろうと思いました。
結婚生活については、中村うさぎさんの結婚とジョンさんマキさん夫婦のいいとこどり二番煎じ。
明らかに恋愛結婚までの過程や結婚生活に対して嫉妬や羨む気持ちが読み取れるのに、私の求めているのは効率だけを追求した結婚と書きながら矛盾を感じなかったのだろうか。
プライドの高い人から恋人ができない理由を「できないんじゃなくて作らないだけ!」「恋愛に飽きたから」「恋人作るの面倒」「別にそういうの好きじゃないしぃ」などと、長々聞かされている気分になりました。