紙の本
出版界はアイヒマンだらけだ
2020/01/22 16:49
3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ぴんさん - この投稿者のレビュー一覧を見る
出版不況、「人減らし」という間違った対策、そして委託配本というしくみが、「悪意のない」アイヒマンたちに、人を傷つける本に手を染めさせている。永江さんが「今も本屋が好き」と言えない原因は、ヘイト本が並んでいること。なぜヘイト本が書店の店頭からなくならないのか、それは出版社、取次、書店に至るまで誰も責任を取らない、日本社会の構造が反映されているから。この本で挙げられているようなヘイト本を置いていない書店もあるが、それはその書店の個人責任で選び並べているから。組織にいると、責任者不在のまま、それは並べられる。そしてそれは、いつの間にか増えていったように思う。いま社会のなかで、誰かを差別し排除するような言動を目にするにつけても、なぜその先の想像力が持てなかったのか、この問題に関しては歯切れよく語ることができない人は多い…ヘイト本が絶えない事情を、出版・書店業界の川下から川上にさかのぼって探る。福嶋聡氏の『書店と民主主義 言論のアリーナのために』と併せて読みたい。
投稿元:
レビューを見る
◆書店Title(タイトル)さんのツイート。「なぜヘイト本が書店の店頭からなくならないのか、それは出版社、取次、書店に至るまで誰も責任を取らない、日本社会の構造が反映されているから」 https://twitter.com/Title_books/status/1198840914745016321
◆マガジン航(2019.12.6):仲俣暁生〈月のはじめに考える-Editor's Note〉「アイヒマンであってはならない」 https://magazine-k.jp/2019/12/06/editors-note-49/
投稿元:
レビューを見る
ヘイト本が売られているのは見るに堪えない。私もそう感じる。平積みするような書店は(著者と同じく)敬遠したくなる。ヘイト本が作られ・売られる事情を,本屋・取次・出版社・編集者・ライターにインタビュー。ヘイトが人権侵害であるのは確かだが,その一方で表現の自由という側面もある。
現在の書店のほとんどには,自発的に本を選ぶだけの余裕がなく,取次から送られてくるものをそのまま店頭に並べるしかない。ヘイト本をよかれと売っているわけではない。少し安心したのは,それほど売れているわけではないこと,購買層は一部の高齢者男性(ほぼ)だということ。
商売のためにはヘイト本を売らなければならないとしても,出版社・編集者・本屋ともヘイトに鈍感である(ときにはライターでさえも)。書店としてはヘイト本と反ヘイト本を並置する「言論の闘技場」が理想なのだろうが…。我々にできることは何か。なお,ネット右翼はヘイト本すら読まないのだそうだ。
投稿元:
レビューを見る
ヘイト本は、そうした考え方を持っている人間がもっぱら作ると思っていたが、そうではなく、売れると作り手が思うからであり、またその流通を許してしまう出版界の構造があると理解した。
現在の出版流通は、雑誌を流通させることにそもそもの狙いがあった、ということは覚えておきたい。
本筋ではないが、近藤誠氏の著作を批判する箇所があった。きちんと読んだ上で批判したとは思えなかった。
投稿元:
レビューを見る
テーマは興味ある。書店員として「この本売るのかよ」という思いと、そんな本でも探してるお客さんに手渡して喜んでもらって売上が上がって喜ぶ自分との間で葛藤してなくはないし。
で、読んでみたけどさ、浅い。雑。
版元からしてもテーマからしても、関係者しか買わないとまでは言わないけど、まるで興味ない、知識ない人が買う可能性はあまりないと思うし、そう思って読むと知ってることしか書いてないし、結論もありきたり。今、パターン配本でない独立系書店にヘイト本が置いてないってことと、すべての書店でパターン配本を無くせばすべての書店がヘイト本を置かないのはイコールやない。オイラ自身がそうなった時どうするかと考えると、探しに来る人がいて売れるメドがあるならヘイト本でも置く。会社員としては売上も欲しいし、探してる人に本を届けるのは書店員の社会的な責任やと思う、内容問わず。と言うか、売上でなく内容で置かないと決めるのは会社員としては会社の方針でない限りやったらあかんやろうし。
ただ、著者が結論ありきではなく迷ってることを迷ってると書いてるのはいいと思う。一面的な結論が出せるほど簡単な問題やないし。
投稿元:
レビューを見る
溢れるヘイト本への怒り、
矛先には、「売れればいい」と良識を抑えて本を作り続ける出版社、無自覚に無分別に本を流通させる取次、届いた本をただ並べるだけの本屋。
中には「ん?」と思ってしまう言い回しもある。
中の人には、中の人の言い分もある。
でも、キツめの叱咤激励として受け取っておこうと思う。
投稿元:
レビューを見る
ヘイト本が世の中に蔓延る原因と出版業界全体の決して良いとは言えない現状が書かれた本。
近所には文具が沢山置いてあって小学生がよく利用している本屋があるが、ヘイト本や日本礼賛本が平積みされてある。さらには(コーナーは作ってあるものの)ポルノ雑誌も置いてある。著者が本の中で何度も批判しているような社会的責任(公共の福祉)を考えない店主が、パターン配本された本を何も考えずに置いているのだろう。
こんなことでは本好きの人間も足が遠のく、という著者の意見は一理ある。現に私もそこの本屋で本を買うことはないのである。
投稿元:
レビューを見る
書店で売られている本は書店が仕入れた本ではない。恥ずかしながらヘイト本以前にこの事実が衝撃的だった。何とも奇妙な商慣習。しかしながら内容は本に限った話ではなく「ネット時代におけるメディアの在り方」のような非常に普遍的な問題提起だと感じた。作り手は読まれるから書くのか?読者は信じたいものだけを見るのか?
投稿元:
レビューを見る
本屋のビジネスモデルをちゃんと認識したのは初めて。書店員が仕入れる本を決めてるんじゃないんだ。見計らい本というのもあるんだな。
そして、大手の書店での、ヘイト本に対する意識はあまり明確なものではないというヒアリング結果も興味深い。人手不足のなか、一冊一冊の主張を見るというのもたしかに現実的ではないし、出版社側の発行部数の主張という定量指標があるのなら、そちらを信じるのもたしかになぁ…。
アリーナという言い方は面白い。わたしは、図書館を使って自分の考え方と異なる本も読むようにしてるけど、書店でそういった読み方を支援しようとすると、経済的に余裕がある人にしか届かないだろう。(ある本と、対極の思想にある本を買ったら割引とかしたら面白いんでは?なんて)
情報がありふれている中で、書店にならぶ一覧をキュレーションメディアと同じ感覚で見る人は増えてる。その面をデザインする人は思考停止になってはいけないと思う…。「書店というメディア」を軽視してる、という筆者の考え方には同意で、わたしはもっとこのキュレーションに人的投資をしても良いのではと思ったりする。
投稿元:
レビューを見る
ヘイト本について書店員や編集者がどのように考えているのかよくわかっておもしろかった。
特に書店員は売れる本は売らなければならないという経済的な事情を抱えており、「ヘイト本へのカウンターとしてこんな本を置けばよい」と客に勧められてもカウンター本が売れなさそうだから考えちゃうらという書店員のコメントが面白かった。
左派リベラルがいかに売れる本を作ってこなかったか、いかに読者を意識してこなかったか、いかにユーザーフレンドリーを追求してこなかったか。このような姿勢は単に出版業界での話にとどまらず左派リベラル全体が有する構造的な欠陥だと思っている。そのことが書店というフィールドでも表れていることを改めて確認できて納得。
投稿元:
レビューを見る
最後の方で紹介される小田実の言葉「なんぼなんでも」はまさに今のヘイト本をめぐる状況を言い表している。
出版、取次、書店と本の流通について「なぜこうなっているのか」をわかりやすく解説しつつ、著者の怒りもよく伝わってくる。
ただ、ネット書店の影響力(アマゾン1位獲得!的な売り文句等)についても分析が必要ではないか、と感じた。
投稿元:
レビューを見る
「本屋が好きでした」
過去形であることから、本屋と別れを告げるという内容なのかな?と思いましたが当たらずとも遠からずでした。
ヘイト本と言われる、主に中国、韓国を嫌いであると声高に罵声を浴びせるような本を、本屋の店頭に並べることが如何なものなのか?そこに問題提起したいという意思の見える本です。
僕自身も差別を助長するような本は嫌いですし、基本的にヘイト本であると言われるような本は買ったことがありませんし、読んだこともありません。
しかしこの本の中で、「ヘイト本」と言われている本を定義出来てはいないので、実際にどういう本が入ってきた時にどうすべきなのか、文章が行ったり来たりして迷走しています。
検閲のような事をした場合、それ以降の言論の自由に何らかの影響が考えられるので、それは望まないという書き方も有ったので、法整備迄は望んでいないようでありました。
ヘイト本を見た中韓の人々が悲しい思いをするというのも、至極真っ当であると思います。
売れるから作るという程ヘイト本がヒットしているという事もどうも無いようだし、出す必要は無いし、書店もパターン配本(取次に選んでもらって自動的に入ってくる方式)を止めてヘイト本を取らなければよい。というのもそうだなと思いました。
それらを踏まえた状態で言えることは、この本には核となる論が実はあまりなく、
「ヘイト本を何も考えずに置く本屋にがっかりだ。そういう店は人々の足が遠のいてつぶれても致し方無い」
と、言っているに等しいし、実際に思いっきり言っています。
僕自身、百田尚樹さんの一連の本「日本国記」「今こそ韓国に謝ろう」は読んでいないし、読むつもりもありません。しかしそれらを読んだ人たちまで一様に貶める事は無いのではないかと思いました。
書店に関しても何が何でも選書して、文脈棚を作ったり熱意を持って平台を作り上げたりしなければならないとは思っていません。
セレクト系の書店にはヘイト本は無いと言っていて、それはきっと正しいのかもしれないけれど、町の本屋さん全般が、確固たる本への思想の元で経営しなければならないというのは、正直酷な事なのではないでしょうか。
昔、韓国朝鮮系の人々に対する蔑視というのは、日常用語の中にも自然に入り込んでいて、同年代の人が突然慣用句のように口走るのを目撃することがあります。小中学校の時、同級生が口にしているのを聞いたこともあります。とても浅ましく、悲しい汚い言葉達です。言っている人のが近しい人であればあるほど悲しくて顔を見ることも出来ません。
これは刷り込みのように綿々と受け継がれてきた負の遺産です。我々の代で何とか一区切りをつけて、悪しき風習とは手を切りたいものであります。
ちなみにヘイト本を避ける事は全くもって賛成です。しかしヘイト本を扱っているという事で違う意味での蔑視をする事自体は僕は良いとは思いません。
投稿元:
レビューを見る
長く業界に関わってきた著者の、悲しいレポート。大好きだった本屋、最近はのぞくのが苦痛になってきた。それは店頭に積まれた憎悪を煽るヘイト本のせいである。何故ヘイト本が店頭に溢れるようになったのか、その事情を本屋、流通、出版社、編集者と遡ってヒアリング、調査していく。そこには、売れればいいとだけ考える、あるいは思考を放棄した書店人、業界人の姿が浮かび上がる。
本を作る、売るというのは「志」の商売ではなかったのか。私たちは、何故本をつくり、並べ、売るのか。そのことを深く深く考えなければならない、ということを突きつける。すべての書店人必読、じっくりと心に向き合わなければ成らない。何しろ、「本屋という仕事は、ただそこにあるだけで、まわりの社会に影響を与えるのだから。」
投稿元:
レビューを見る
ヘイト本を切り口に、書籍販売の厳しい現状と、書籍流通独特の構造問題(再販制・委託制)を炙り出す様に描いている。本屋、取次、出版社それぞれの関係者、左右のネトウヨ知見者(安田浩一、古谷経衡)への丁寧なインタビューも価値が高い。著者の他書籍(『誰がタブーをつくるのか』『小さな出版社のつくり方』等)や、取次を通さないトランスビューについても関心を持った。
投稿元:
レビューを見る
以前にオオバ(大葉)農家から聞いた話だが「自分が売ってる大葉は自分では絶対に食べない」らしい。なぜなら大葉は虫が付きやすく極度に弱いので、びっくりするくらい農薬をかけるからだって。
大葉って生食する野菜なのに、そんなことを平気で言う農家がいるのが信じられない(あるいは信じたくない)のだが、この本を読めば、今の書店、いや出版に関わるほとんどの人がこの大葉農家と似たようなことを平然と口にしているのでは、という見たくない現実を否応にも見せられる。
この本は永江さんが書店の店先に、他人や他の国を深慮せずにコキおろすかのようなタイプの本(以下「イヤ事本」ともいう。こういった方が「ヘイト本」よりわかりやすいと思うが)が勢力拡大しているのを見たことによる“違和感”を起点に、関係者への取材を交えて、書店(いわば“川下”)から、書店へ配本する役割の取次、そして出版社、編集者、ライターと川を上って行くように、その原因をたどろうとしている。
しかし永江さんがもちろん本気で「ヘイト本」をヘイトしているが故にこの本を書いたというのは編集担当の方の名前を見て理解できたけど、私が一番引っかかったのは、本を売ることにかかわる業界すべてにはびこる「とりあえず今が良ければ」という事なかれ主義だ。
永江さんはヘイト本を斬ろうとして、返す刀で本を作って売る業界全体にはびこる「今が良ければ」病というより深い“病巣”を切ろうとしているように読めた。
そもそも書店に“文化の発信者”の役割を期待しているのは、なにも私だけではないと思う。
ましてや大葉などの野菜のような日常品と違い、文化発信者としての厳然たるポリシーで頑としてイヤ事本なんか置かない、という書店もあってしかるべきだと素で考えて思うのだが、実際にはほとんどの書店でイヤ事本は置かれている(その理由はこの本に詳述されているが、要するに「とりあえず送られてくるから店に置いてたらそこそこ売れるし」みたいな感じ)。
文化の発信者どころか、この本を読めば街の本屋のほとんどが“商売っ気”で成り立ってることに改めて気づかされる。
まあそれについてどうこう言う権限もないし、商売は自由なのだけれど、肝心な(と思っている)どういう本を並べて読み手に伝えたいかという書店の個性が、商売優先原則の前でなおざりにされているという割り切れなさは残る。
先の大葉農家の話の「売れればいいし、そもそも買う人がいるって話だろ?」というようなことが書店にも同列に当てはまるってことなのか?
正直なところ、ヘイト本うんぬんよりも、本の出版や販売に携わる者の矜持というか、私が求める文化の先導者としての精神性が、この本に出てくる書店、出版社、編集者、ライターの誰からも十分な形で感じられなかったことに大きなショックを受けている。
だが私はショックの一方で、大阪の谷町六丁目駅近くにある隆祥館書店のような本屋もあることにまだ希望は持っている。
一方で、永江さんがヘイト本を置くような書店は滅びろと結論づけてるように早計的に捉えがちだが、永江さんが言いたいのはそうじゃないと思う。
永江さんの結論は『今の事なかれ的な本の売り方では書店は総崩れでしょ、もう少し工夫してみようよ、工夫すれば客は足を運ぶし、工夫しなければ本当の本好きから避けられ、ヘイト本の読者の中軸の高齢者層がいなくなれば、書店は滅びますよ』というようなまとめだと思っている。