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ずっと気になっていた本。
アートも写真も音楽も、歴史や込められた思いを知ることがとても大切だと思った。
今までも雑誌や評論家の言葉に違和感を感じたことがあったけど、そんな些細な違和感を大切にしたいと思った。
本を読みながら、自分が無自覚に男性の視線を意識して服装を決めていること、男性から見て魅力的じゃなかったら自分は魅力的ではないという意識があることに気付かされた。
本当の自分の美しさ、楽しさ、喜びを取り戻したい。
自分の写真を撮りたくなった。
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女性写真家
1980年くらいから、写真を撮るから作るへ
グラフ・ジャーナリズムからプライベート・フォトへ
1990年代 ガーリーフォトの時代
長島有里枝
セルフヌード
過剰にセクシャリティの問題に持って行かない
作者が見る側に
HIROMIX
したいことをする
私たちだけにわかるもの
キム ゴードン(Sonic Youth)
X-GIRLデザイン
エンパワーメント
蛭川実花
木村伊兵衛賞同時3人
ヌード
陰嚢(ポルノ)か芸術(アート)かの二択
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本書は過去に繰り広げられた写真論・評論を,膨大な資料を元に再検証し,時に冷徹に,時に客観的に,時に痛烈に批判する.対象となる過去の批評はかつて著者自身をも対象とするものであったがゆえ,クールな論文の体裁を取りながらも,ときに「悪魔」が顔を出す.その抑制感がなんともいえない.いや,さすが.非常にエンターテイニングでもありました.
これまで読んだ本の中でホントにガックリきたというか,胸くそが悪くなった本というのはそんなにないですが,飯沢耕太郎の『「女の子写真」の時代』を読んだときはほんとに頭にきてそれは amazon のレビューにも書いたけど,本書は飯沢の本を読んでから読むのとそうでないのとで味わい深さが100倍いや1000倍は違う.
本書を読んであらためて考えされられたのは,写真という身近なメディアの難しさ.見ることの難しさ.批評の難しさ.そしてこの日本にまともな写真批評などというものがほとんど存在せず,少なくともアカデミックなトレーニングは受けたはずの人間が,教養的にもまだ未熟な学部生のレポートのような雑文を書き散らしてきたという黒い歴史.
そのような歴史にたしかな一石を投じた論考.
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ずっと以前から飯沢耕太郎という写真評論家をつまらんと思っていたけど、この本を読んで自分の感覚が間違ってなかったと納得しました。
また、ずっと以前から長島さんが父親と一緒に裸になって写っている写真が気になってましたが、この本を読んでこの写真が持つ意味が少し分かったかもしれない。
でも、フェミニズムについては恥ずかしながらずいぶん誤解していて、女性が男性と同じ権利や自由を得るための運動ぐらいに思ってたけど、男と対比してしか女のことを考えられないそのことこそが、最も差別的だという事に気づかされました。
男こそ読むべき本ですね。
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作品が世に出てから、誰にどのように評価されるのかについて考えさせられた。もし、大衆誌でセンセーショナルに取り上げられなかったら、もし、写真作品の文脈を理解する人が「女の子写真」と決めつけずに写真作品として評価していたのなら、当事者を苦しめることはなかったのかもしれない。
何も話さない作品を前にして作者本人が語る以外に、作品を見る私たちは何を拠り所にして理解したらいいのだろう。無知な私たちに見方を委ねられてしまったら、手に取りやすく、わかりやすい「女の子写真」ということばを頼ってしまうと思う。まあ今回の場合、正しく解説すべき人が全然役に立っていなかったのだけど。
「女の子写真」を手がかりに、当事者である作家本人が女性であるとことと作品との関係性について研究した読み応えのある内容でした。
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異議申し立てることはしんどい。大きな権力に立ち向かうのには覚悟がいる。そもそも生きづらさ、違和感に気づかないまま過ごしてしまうことも多い。
戦うことを決意した長島さんに感謝。
声を上げてくれてありがとう。
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自分で自分を撮影することが、セルフポートレートからセルフィと名前を変え、自撮り写真がプロ・アマ、男女問わずネット上に溢れている現在、著者の言う撮る者と撮られる者との権力関係を撹乱する、という考え方自体が過ぎ去った時代の遺物であるように思われる。
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女性へのエンパワーメントな本ですが、いや待て、LGBTの方々にとってもエンパワーメントになる本だなとも思いました。
男性以外のセクシュアリティの人々は、言葉によって束ねられ、言葉によって境界線を引かれ、言葉によって上げて落とされてきたのだなと、本を読んで感じました(例えば「女史」とか、「女流」、「女子大生」などの単語は、例外的な存在という意味を含蓄しています)
長島さんに浴びせられた言葉の数々は、純粋にビジュアルの本質について語る認めるところまで到達していないような。。
怒りを怒りのままにせずに、冷静に要因を因数分解して作品を作り続けていらっしゃるのがすごいです。
女性ではなく、すべてのセクシャリティを持つ人間の体に温もりのある血が流れています。簡単に言葉によって束ねられるものではない。そうこの本から教えていただいた気がしました。
ところで、女性は生まれながらにメカに弱いわけではなく、子供の頃からの環境要因がそうさせてきたのではないかと思います。
(玩具によるセクシャリティの区分け、男児向けとされた玩具は理数系の知育ものが多い。女児向けの玩具は、家政をメインに、ビジュアルの美しさを尊ぶべきだと知育するものが多い。色の好みも、玩具の影響がある)
センスがないのではなく、体験値の違いだけではないかと思います。
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んんんはいそうですかという思い。
どこかで上野千鶴子氏が書いていた、他の人には聞かなかったのか、という言葉にそうだよなぁと思った。
あと文中で明確に“区別”していた“世間”での自撮りブーム(多くが女性である)をどのように定義づけするのか(しないのか)に興味がある。個人的にはスマホを使ったセルフ撮影が女性にどの様な写真的あるいは映像的好奇心を及ぼしているのか、そこに写真界(そんなものがあるのかは疑問な時代だが)との接点はあるのか興味を持っている。
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私にとっては今年一番の本。90年代の女の子写真ブームの実情と当事者としての憤りが書いてあると思いきや、もっともっと広義な社会全体の分析。ほぼ同世代なので、自分としてもいろいろ思い出す。それにしても、当事者でありながら、こんなに冷静に分析できるのは素晴らしい。久々にじっくりゆっくり読み込みました。
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自分の中の違和感がより明確になった。
被写体が女性である写真と対峙した際、「この写真はなんだかモヤモヤする」という漠然とした感覚でしかなかったものが、「撮影者(男性)と被写体(女性)」という権力の不均衡さ、アンバランスさ、見え隠れする支配被支配の関係性に自分は嫌悪感を抱いていたのだ、と。
筆者は勿論のこと、本書で取り上げられていたHIROMIXについても、私は全く知識がなかった(2人が活躍したのが自分が生まれる前だった)ので、二人の写真集はいつか必ず手に入れようと思う。