紙の本
歴代総理は読んでみろ
2022/06/23 12:03
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投稿者:hid - この投稿者のレビュー一覧を見る
いや、すべての政治家は読め。
フィクションだけど、フィクションじゃないよ。
復興五輪?原発は壊れない?
いいかげんにしろって。
紙の本
忘却は許されない
2023/03/31 15:51
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投稿者:BB - この投稿者のレビュー一覧を見る
能の演目のスタイルを借用し、短編5編を収めた連作集。
福島第1原発事故によってもたらされた生命の危機や市民の分断、痛み、やるせなさ、怒りなどを等身大の人間の目線で描いている。タイトルは、記憶力が良いとされる象のことわざからで、震災や原発事故のことなんてすっかり忘れてしまっている人間への強烈な皮肉に思える。
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【あの震災と原発事故。私たちはここにいる。】原発事故で失われた命。電力会社と政府の欺瞞。福島から避難した母子が受けた差別……。福島第一原発を題材に紡がれた連作短編集。
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アガサクリスティとはなんの関係もなかった…
9年前関東に住む私は、起きて食べて働いて日常を送る事が、この国を守ることだと信じていた。電力会社社員でも、政治家でもなく、ボランティアにもなれない私ができる唯一の事は淡々と日常を続ける事だと思っていた。
ヒサイシャでない''私達''は、"彼ら''の気持ちを理解できないし、理解しようとすることは傲慢でさえあるのではないかと思っていた。でも、私達と彼らが、いったい何によって隔てられているのかを、考えた事はなかった気がする。
私達と彼らはいったいどこで隔てられていたのだろう。そして、現在にいたるまで、被害者と加害者はいったいどこで隔てられているのだろう。
私達はヒサイシャではないのでしょうか。ヒサイシャもヒサイシャ以外も、私達はみんな原発事故の被害者であるし、加害者なのではないのでしょうか。
そうだとして、誰を責めればいいんだろう。誰に謝ればいいんだろう。
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東日本大震災の福島原発事故に人生狂わされた人たちのお話。象は忘れないという諺と裏腹に、人間は、特に日本人は忘れっぽすぎるのではないかな~と自戒を込めて思いました。
原発の安全神話は信じた方が悪いのか、信じさせた方が悪いのか。
それにしても震災の前と今で大分世の中の見方も変わったな、と思いました。あの時電話・携帯がことごとくつながらない中でネットは割とストレスなくつながり、SNSやSkypeという通信手段を使うようになった人が増えた気がします。そして多額の寄付金は結局どうなったんだ、という大きな組織への不信感。ネットなどを通じて、実際に困っている人の現場に届けたいという気持ちが高まったのもこの事件からじゃないかなぁ。
作中の、福島で苦労した母子が東京に出てきたら「東京オリンピック開催地決定」で浮かれている街を見て同じ国と思えなかったという辺りがなんともつらい。喉元すぎてないのに、所詮は他人事と忘れ去ってしまう薄情さ。前の都知事は復興税を東京五輪に使ってほしいなんて言ってたなぁとぼんやり思いだしました。
そういうことも含めて忘れてはイカンよな、と改めて思いました。象だって忘れないんだから人間だって。
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原発事故の話。ミステリを期待してたら違った。人物描写が生々しくて良いね。各短編の主人公の被災者は悪人でもないけど、人並みに愚かしく描かれている。事故さえ無ければ何の問題もなく平凡に幸せだったんだろうなー、でも事故は起こってしまって良くないところ出ちゃってるなー、当事者になったら自分もそうなるかもなー、って感じ。
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「人は未来に後ろ向きに入っていく
目に映るものは過去の景色だ」
2011年3月11日14時46分。東日本大震災。
この後、大きすぎる地震の被害に日本中が怯苦する。
津波の被害、次いで原発の被害…日本がまたもや被爆国となった。
「日本にいて、大丈夫? 早く、日本から逃げないと!」と海外にいる友人が心配してメールしてくる。「私の住んでいるところはと遠いから」と説明しても海外のニュースでは日本列島が全て被曝色に塗りつぶされいると言われた。そして、外国人たちは、上司も、同僚も、直ぐに自分たちの国に帰っていった。
道成寺
「電力会社、すげー」新開純平の幼い時の口ぐせ。原発地元では頻繁に電力会社主催のイベントが開催されていた。新作アニメ映画の無料上映会、レアものキャラクターグッズの配布。高価キットの無料お土産。
「原子力発電所は最先端の科学技術によって二重三重に安全が守られています。原子力発電所の建物は何があっても壊れません。みんなの暮らしを日々守っているのです」
世の中は不況であっても、地元に帰って、電力会社に頼めば、あいだに入って就職を斡旋してくれる。
「電力会社、すげー」そんな言葉が出てくるのも当然である。
そう信じてきた現実が、文字通り一瞬で吹き飛んだ。ジェット機が落ちてきても崩れないはずの原子炉建屋が、地震により水から顔を出した核燃料が暴走を始める。そして福島第一原発一号機が爆発した。核燃料を収めた格納容器内の圧力が高まり、本来電気で動くはずの圧力解放弁を「決死隊」が手動で開けなければならなくなる。「決死隊」のベント作業。純平は、三号機爆発後、気がつくと病院にいた。
「まあ、しばらくのんびりして下さいよ。労災扱いですので、入院費はどうぞご心配なく」要するに、被曝による入院であった。
うまい話には裏がある。絶対壊れないのであれば、そんな優遇をする必要はない。
後になってみれば、冷静になってみれば、わかること。後悔先に立たず。
「絶対」なんていう言葉を使う人はやっぱり信用できない。
黒塚
原発が爆発した。「もし原発が爆発したら、東京の人たちもみんな死ぬ」これで地元の人も、東京の人たちも、みんな死ぬ…阿佐利慶祐はそう覚悟した。なのに何もおきなかった。
辺りを見回したが、目に見える変化は何ひとつない。爆発した原発から上がる白煙が10キロ以上離れた慶祐たちのいるところまで流れてもこない。匂いもない。熱くも冷たくもなかい。周囲でバタバタ人が倒れるようなことも、ない。一緒に車で逃げている同級生の田辺陽一郎は、大学院で物理学を専攻。原発事故や放射能の影響にも詳しい。
そんな陽一郎が放射線被曝を説明する。「目には見えないけれど、とてつもなく固くて細い糸が体を突き抜ける」と、へらへらしながら説明する。
陽一郎の話しでは、放射線は目に見えない。匂いもしない。被曝してもDNAレベルの傷だから痛みは感じない。傷がついてもすぐには気づかない。結果は時間が経ってみないとわからない。だから因果関係が証明できない。という。
ニュースでは、格納容器の���発ではなく「建屋の水素爆破」と言っていたので、陽一郎はこの時まだへらへらとしていた。
しかし、陽一郎が車からみた外にいた人の姿を見た時、へらへらした陽一郎が変わった。完全使用の防護服にガスマスクまで装着し、線量計で放射線量を測っている。30キロ離れれば大丈夫ではなかった。線量計はその数値を振り切っている。
公民館では、沢山の人が休んでいる。そこは安全であるとのことであったのに、実は高濃度放射線汚染地帯であったのだ。
被曝線量は単純に距離に反比例するのではない。どの方向に強い放射性物質が流れるかは、その日の天候、風向き、地形によって複雑に変化する。慶祐な陽一郎を含む町の人ちち全員が非難した方向は、むしろ放射性物質が流れる方向に沿って移動をいていたのである。それがわかったのは2ヶ月後であったが、政府や県や警察は、早くからその事実を知っていた。しかもそれは原発が爆発する2時間前にどの方向にに放射線物質が流れるかを知っていたのだ。政府は最新コンピュータでシュミレーションし、それをアメリカにも伝えていた。彼らは原発が爆発した場合、人体に有害な放射性物質がどの方向に飛散するかを知っていた。
政府が、警察は国民を守るのではないのだろうか…結局、政府からは誰一人として謝りにこなかった。
これって、事実なんだろうか?と、思った。もし、事実なら…と考えて愕然とする。
卒都婆小町
靖子の夫、高野信幸は福島県の漁協で働く漁師だった。
地震の翌日、福島第一原発一号機が爆発し、その後も次々に原発が制御不能の事態に陥り、それにより放出された大量の放射性物質が大地と海を汚染した。
海を離れて仮設住宅で暮らす信幸の精神が壊れて、靖子と娘・美海は、東京に出ることになる。
靖子たちが東京に出てきた年は、2020年のオリンピック東京開催が決定し、オリンピック招致成功に沸いていた。
福島での原発事故などなかったのごとく、東京は明るく輝いていた。アベノミクス。好景気。株価高。
「原発なしでは日本の経済は立ち行かない。福島の原発が日本の経済を支えている。福島原発で作られた電気は、全て遠くの東京に送られている」と、信じていたが、福島原発が一基も稼働しなくても東京は明るい。
東京では福島のことなど関心の外で、そこに暮らす人たちも、関心は福島ではなく、朝鮮人であった。悲しくなる事実…に思わず自分勝手な人間という言葉がついてでる。私もこんなことを言っていても、同じなのであろうか…
善知鳥
世界から見た日本、日本人の甘さを知る。
日本の電力会社が地震と津波という天災への対応を誤ったために引き起こされた人災である。たとえ原因が自然災害だとしても、世界でも類を見ない地震大国で原発を動かすのであれば、こうした自然災害を当然想定しておくべきことで、世界規模で甚大な被害が出る原発に関して、『想定を、超えた』や『想定外』という言葉は通用しない。…東電に対する責任だけではない。それを認可した国に対しても同じである。
また、外国人からは日本人が使う「オトモダチ」、「ジョシ」のような言葉は、自らを幼く振る舞うことで責任を回避しすためのものに見えるようである。幼児言葉の特徴は、論理的思考の停止と事象の平面化。幼児語を使うことで、社会的責任を回避しているという。
先日、福島第一原発事故で千葉県に避難した人たちが訴えた集団訴訟の2審の判決で、東京電力と国に対して賠償を命じたニュースを思い出す。
闘わずにはいれないものの、今ではなく、もっと前に闘うべきではなかったのかと、今にして思う。そう考えると、今行われている訴訟すら虚しく感じる。
俊寛
司辻俊寛、田中経成、平子康頼は、小学校に上がる前からの付き合いである。
テレビで原発が吹き飛んだ様を見たとき、俊寛は『大変なことになった』と思いながらも、頭の隅ではどこか他人事のように感じていた。地震と津波による直接の被害が大きく、それどころではなかった。爆発した福島第一原発から直線距離で20キロも離れている。政府も県もマスコミも「放射能は直ちに健康被害が出るレベルではありません」「大丈夫です」「安心して下さい」と繰り返していた。
が、しかし実際には「避難区域」に指定され、住み慣れた家や土地を追われるように離れ、最初は近隣市町村の体育館、公民館。少し経つと仮設住宅に移る。
しかも、その間に残してきた家は小動物や虫たちが入り、さらには空き巣が入るなんて、信じられなくなる。詐欺が蔓延する世の中なのだから、よくよく考えれば、住人が帰ってこないとなると空き巣にとってはゆっくりと仕事ができる。しかもそれは1件ではなく、手当たり次第にターゲットが並んでいる。追い討ちをかけるような仕打ちに腹が立つ。
そして何よりまだまだ本当なら帰ることができない家に仮設住宅の家賃が払えないから強引に帰らせる。
確かに国としての対応には限界がある気もするが、電力会社がこんな時こそ責任を取るべきではないのかと、思ってしまうのは私だけなんだろうか?
何より、こんなことで友情に亀裂が入ることが寂しいと感じる気持ちと仕方がないのかもしれないと思う気持ちが押し合って半々になる。
読み始めは、もう10年経ったんだと思った。そしてら読み終えて、まだ10年しか経っていないんだと思った。放射能の脅威に怯えながら福島で暮らす人の心情を考えてしまう作品であった。
「An elephant never forgets.(象は決して忘れない。)」という英語のことわざ。
象は記憶力がよく、昔の恨みを忘れないとされている。この言葉は記憶力がよいことを賞賛する分脈で使われることもあるが、自分に不親切であった人に対する恨みをいつまでも忘れない、という意味で使われることも多い。(現代英米情報辞典より)
タイトルはつまり、忘れてはいけないことであるのであろう…
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東日本大震災による福島第一原発事故で翻弄される市井の人々。その悲劇は、もちろん知っているつもりだったが、その認識を改めないといけない。
家族の崩壊、友情の分断、特に差別を受けた痛みは自分が差別することでしか癒やされないのか。
震災後10年が経ったいま、大量の汚染水を海に放出することが決まった。薄めて流し終わるのに30年もかかるという。忘れちゃいけない悲劇、この本はバイブルとなる。
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柳広司さんが震災と原発事故がそこに住まう人々や関わった人々にどんな影響を与えたのか、人生をどう変えたかに真正面から向き合った作品集。
能の舞台を枠組みにしてあるので、詳しい人にはより楽しめるのだと思う。
重苦しかった。その重さを忌避してはならないと地続きで暮らす自分に対して思った。
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タイトルからはクリスティーのパスティーシュなのかな? と思い、目次を見た限りでは「俊寛」「卒都婆小町」・・・とあるので、『風神雷神』のような時代ものなのかと思って読み始めた。
これが東日本大震災と福島原発事故の記録だった(過去形にしてはいけないけど)とはびっくり。記録と書いたけど、小説だからこその記録になっていて、目次を見て時代ものだと思ったのもすべて『能』の演目らしい。残念ながら能に詳しくないので本作が能のパスティーシュになっているのかは、「俊寛」以外わからなかった。それにしても上手い。国や電力会社の無責任、被害者間に生じる分断など、やり場のない怒りに満ちている。そう、この問題は今もなおそこにあるのだから。
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2021.11.24.読了
そうだ、そうだった。10.5年前こんな大変な事が起きたんだった。
大きな地震だった。東京近郊でも埋立地の液状化でマンホールが飛び出し、道路がねじまがり、家々が傾いた。
2,3年後東京、千葉の埋立地のタワーマンションが飛ぶように売れていると夕方のニュースショウでの特集をみた。その時わたしは不思議な気持ちがしたものだ。もうみんな忘れちゃったんだ!液状化で大変だったじゃないか?!また大地震がきたら。。。タワーマンションが傾いたら。。。東京にも津波がきたら。。。
でも、高額の物件に関わらず人々は競うように購入を決めていた。
その時、私は大丈夫。ちゃんと覚えてる。忘れない。簡単に忘れるわけないじゃないか!と思った。
ところが本作を読んで、自分が震災を忘れないどころかまだ何も知らなかったことに愕然とした。
フクシマ。それば世界共通語だ。ヒロシマ、ナガサキに勝るとも劣らない灰色の共通語。
でも、そこで何が起こったか?その後、人々の暮らしや人生はどう変わったのか?そして未来に何が待っているか?いまだ問題はまったく解決されていないことに多くの人が無知であるに違いない。
映画もみた書籍も読んだ。はずだった。フクシマを知った気でいた。でもそもそも映画なんかのエンタメで扱えるほど生易しいことでもなく、過去の事柄でもないんだわ、フクシマは。
オリンピック招致で日本中が盛り上がっていると思っていた。安倍首相は原発はコントロール下にある。と明言した。本当はそんな簡単に解決する問題じゃない事に気づいていたはずだったが知らず知らずのうちに耳を塞いでいたのかもしれない。
この作品を1人でも多くの人に読んでもらいたい。
フクシマの現状をもう一度考え直さなければいけないと強く思う。
恐ろしい現実はまだまったく解決していない。
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3.11の時、もう日本は汚染まみれで終わったと思ってた。だから桜を愛でる気分にもならなかった。でも、最近はそんな気分も薄れつつある。なにも終わってはいないのに。日本人は忘れやすいということか。でも、象は執念深く、嫌がらせをされたら忘れないそうだ。そう、僕らは忘れてはいけない、あの事故を。柳広司さんのそんな怒りがこもった作品だ。
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柳広司氏だからミステリーと思ったら、福島原発事故に関する話だった。ノンフィクションのようなフィクション。タイトル『象は忘れない』から、決して忘れてはならないというメッセージが感じられた。
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久しぶりに原発のことを思い出した。
まだ12年なのに。
作者自身へ、読者へ、全ての人への怒りを感じた。
読む前は想像できなかった人の気持ちが少し想像できるようになり、すごく良い小説だと思った。
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裏スジより。〝2011年3月11日。あの日、あの場所では何が起きたのか?”
福島第一原発を題材に、その時起こっていた日常を物語で描かれた短編集です。
象は忘れないー象は非常に記憶力が良く、自分の身に起きたことは決して忘れないー