電子書籍
身につまされる
2020/08/07 14:36
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投稿者:いのぜい - この投稿者のレビュー一覧を見る
認知症の専門家が自分の「認知症」について書いている、本当に身につまされることだ。
紙の本
言葉が心に響きました。学びになりました。
2021/04/11 18:36
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投稿者:ミモレ - この投稿者のレビュー一覧を見る
先生のひとつひとつの言葉が、こころに響きました。先生の優しさや温かさが感じられました。認知症になっても「心は生きています。」の言葉がとくに心に響きました。ケアにあたって大切にしたい言葉です。
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以前テレビのドキュメンタリで先生のことを知りあれからお元気にされているようで嬉しくなった。文体がわかりやすく、ユーモア混じりで読みやすかったし、認知症に関心のある方からない方まで、話題にあがった時におすすめしたくなる一冊となった。パーソン・センタード・ケア=その人中心のケア、という考え方は認知症に限らず発達障害や保護犬との関わり方にも通じるなと思った。"にっこりわらった女の子"の章がとてもよかった。こういう人になりたい、という象徴。認知症の診断や薬についても具体的に知れて、以前より関心があったので興味深かった。生きているうちが花っていう考えは悟っているけど、先生がいうとすごく説得力がある。具体的な夢があるのも素敵だなって思った。まだまだ浸透していない問題も山積みだけど、これから自分も年老いてどんどん接する頻度が増えてくるはず、そういうときに自分のまわりで悩んでいる人にいち早く手助けできる人間でありたいと思うし認知症とかに限らず、人ひとりひとりを尊重して、尊重されて生きたいと思う
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自分の親もそろそろ危ないかなと思いつつ参考になればと思い手に取った一冊。ご自身が認知症になったと公表された著者の長谷川先生はすでに90歳で、認知症界の長嶋茂雄のような人らしい。認知症になった認知症研究者による新たな発見が綴られていることを期待したが、とりわけそういう内容ではなく、むしろ先生が関わってきた認知症の歴史と先生自身の人生の紹介、認知症というものがどういうものかを一般の人向けに分かってもらいたい、という内容でした。
老齢に伴う認知症は基本的には治らないもののようだが、認知症と診断されたからと言って旧に別の人間になるわけではない、連続した人間なんだということを周囲の人が理解して接し支えることが必要なのかも。読んでいて、認知症の研究というのは人間の脳、記憶と人間の意識、人格の研究に繋がるのだな、と感じた。
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とてもいい本だった。親が認知症になったら…、自分が認知症になったら…介護する側、当事者の側、どちらの側からも参考になる。
P44
「最も重要なのは、周囲が、認知症の人をそのままの状態で受け入れてくれることです。「認知症です」といわれたら、「そうですか。でも、大丈夫ですよ。こちらでもちゃんと考えますから、心配ありませんよ」といって、いろいろな工夫をしてあげることです。
どういう工夫をするか。その人との接し方を、それまでと同じようにすることです。それまでと同じというのは、自分と同じ「人」であるということを、第一に考えるということです。
周囲の人がいろいろ手助けしてくれても、その人本位でなければ意味がありません。工夫している人の自分勝手な都合を押し付けるのではなくて、その人の立場に立って、さりげなく支援の手を差し伸べてあげる――。」
なるほどなあ。「OK、それでいいのよ」と受け入れることは確かに何より重要なことで、障害のある人に対して、あるいは外国人に対して対応するときも同じじゃないかなと思う。
P59
認知症を疑った場合は、かかりつけの医師にまず相談するとよい。日本老年精神医学会では、学会が認定した「こころと認知症を診断できる病院&施設」をホームページ上で掲載。日本認知症学会も、学会が認定した全国の認知症専門医リストをホームページ上で掲載している。また、日本認知症ケア学会では、学会が認定した認知症ケア専門士のいる施設・団体をホームページ上に載せている。「認知症と家族の会」では、電話相談も行っている。
P170
脳血管性認知症を除くと、アルツハイマー型認知症を代表とする認知症の大部分は、「アミロイドβ」や「タウ」などと呼ばれる特定のたんぱく質が脳内に異常に蓄積し、神経細胞が死滅することで発症すると見られている。そのため、この特定のたんぱく質が脳に蓄積しないようにする薬剤の開発が行われ、有望な薬もあったが、効果が明らかにできず、これまでのところは開発中止が相次いでいる。
アルツハイマー型認知症を発症した時点では、すでにたんぱく質の蓄積による脳のダメージは進んでおり、多くの神経細胞が死滅してから原因物質に働きかけても手遅れではないかとの見方が広がり、発症前の人への投与で効果が出るのかどうかが焦点となっている。また、根本治療薬の開発が難しい原因として、上記のような発症原因に関する仮説がほんとうに正しいのかといった疑義や、効果の評価に時間がかかること、治験には被験者がたくさん必要なことなども指摘されている。
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認知症の専門医が認知症になった...
やはりドクターということで主に認知症のことについて書かれている。
専門医の発症からの経緯などが詳しく書かれているのかなぁ〜と思って読んでみたのだが...
少し期待外れの部分もあった。
(他の本をいくつか読んでいたせいかもしれないが...)
認知症だから...と扱いを変えるのではなく
介護する側に患者に対して「人ありき」やはり人としての敬意を持って...ということが常に根底にあれば、きっと長くなるであろう介護の時間もお互いがスムーズに(?)過ごせるということだろう。
多くの本にそう書かれており、私自身もそう思う。
一口に認知症といってもその症状は脳の損傷部分で異なる。
一人一人の症状が異なるということだ。
「人ありき」目の前の患者にどう寄り添うのか...
介護する側の心のあり方を問われている。
そして多くの場合、多分、きっと自分も少なからず行き着くところなのかもしれない...とも思う//
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認知症のレジェンド長谷川先生が、認知症になってから書いた本。わかりやすい文章で読みやすいので、多くの人に読んでもらいたい。
認知症になっても日々は続くし、その人の本質は変わらないから、パーソンセンタードケア(その人中心のケア)が大切。認知症の人の話をよく聴く、待つ、その人に時間をあげる。
認知症の本質は、暮らしの障害だから、地域ケアで支える。
トムキットウッドの「オールドカルチャー(疾患中心の見方)」から「ニューカルチャー(ケアの質により大きく変わるとする見方)」と呼んだそう。
アルツハイマー型認知症になった義父を訪問した際に「みなさまはどなたさまですか?どなたかわからなくて困っているんです」に対して、長谷川先生の娘さんが言った「おじいちゃん、私たちのことをわからなくなったみたいだけど、私たちはおじいちゃんのことをよく知っているから大丈夫。心配いらないよ」と返したというのが素敵だった。
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読み飛ばせる話が多い本だった。孫娘さん(著者のではない)がしたという対応の仕方と,認知症は死のことばかり考えなくて済むようになるために与えられたものという考え方は,参考になったかな。
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今回は「自分が認知症になったらどうなるのか」という見方をしてみましょう。
認知症の臨床と研究の第一人者である長谷川和夫先生が80代後半になって認知症になったのです。認知症専門医が認知症になっていく過程で知る認知症の真の姿とは・・・。日本で認知症のテストといえば「長谷川式認知症スケール」。①年齢②日時の見当識(今日が何年、何月、何日かを問う)③場所の見当識(今現在の場所がどこなのか問う)④3つの言葉の記銘(3つの単語、桜・猫・電車(または梅・犬・自動車)を順番に暗記してもらう)⑤計算問題(数字を使った計算100から7を引いていく)⑥数字の逆唱(提示する3ケタの数字を逆から読んでもらう。正解したら次は4ケタで)⑦3つの言葉の遅延再生(④で暗記した単語を復唱してもらう)⑧5つの物品記銘(5つのアイテム-タバコ、ペン、腕時計など)を順番に見せ、後で何があったかを問う)⑨言葉の流暢性(野菜の名前などをできるだけ多く答えてもらう)・・・これを作ったのが長谷川和夫先生。2月にNHKスペシャルで「認知症の第一人者が認知症になった」(このwebsiteは読み応えあります、お薦めです)を見ました。長谷川先生が認知症になり番組の収録期間中の中でも進行していく姿は驚きでした。
この本はそんな長谷川先生の若き日から現在までの道のりをたどりながら、認知症が進んでいく過程での先生の思いを猪熊律子さんが聞き取りまとめたものです。先生の思いの中でもっとも大事なのは認知症の本質は「ボケること」そのものではなく、それによって引き起こされる「暮らしの障害」=「生活障害」なのだということ。
先生は、「年をとるのは自然の経過だから、『ああ、自分も認知症になったんだな』と受け入れて、上手に付き合いながら生きていく。」と言っています。だから周囲の者が認知症の暮らしの障害がどんなものなのかを理解し、生活を共にするときの知識や技術を周囲の人が知っておいてくれたら認知症の人にとっての生きやすさはかなり違ってくるのです・・・それを称して「パーソン・センタード・ケア(その人中心のケア)」・・・なんだと。
しかし、ここまで読んで私は思いました。先生がいうところの「検査や薬ではなく、パーソン・センタード・ケアの精神で生活の障害を支援しつつ老化の進行に付き合い、そして死に寄りそう」・・それって結局、昔の日本の大家族の中で普通に行われてきたことじゃないですか。大家族の中であったら、そして今ほど長寿じゃなかったら、家族とともに自然体で暮らしながら死を迎えられたんじゃないかと。それを長谷川先生が一生かけて疾病化し、病名も変え、診断手法も考え、医療化したことが本当に良かったのだろうか。結局、誰も老化は避けられず、脳の老化が先行することもひとつの自然経過なのだと。そしてそれを長谷川先生が身をもって示してくれたということではないでしょうか。
ところが、「認知症を病気にしてしまったことが本当に良かったのか疑問だね・・」などと、私が食卓で理屈をこねていると、現実的なわが妻が言うには、「病気と認められたからこそ、家庭と切り離すことができて、良かった・救われた」。ここで初めて、多くの女性にとって親世代や夫の認知症を介護することは老後に降りかかってくる災厄でもあったのだと気づかされました。
長谷川先生も認知症になりながらも快適な生活をおくれるのは奥様とお嬢様の二人の介護者がいるからなのでした。長谷川先生も私もまさに昭和男の「ボク」目線で認知症がわかったような気になっているだけなのかも・・・いやきっとそうですね。
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認知症の評価として有名な改訂長谷川式簡易知能スケールを作った長谷川和夫さんの本。
頭でロジカルに理解しているけど、体感が伴わないと、真に理解はできていないことは多い。
そんな中、認知症の大家として有名だった長谷川先生自身が認知症になられて、当事者としての感覚を発信されたこの本は非常に勉強になった。
認知症についての知識だてげなく、認知症になった人の気持ちも理解できた。
なかでも、ハッとさせられる言葉が何個もあった。
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「認知症になったからといって、人が急に変わるわけではない。自分が住んでいる世界は昔もいまも連続しているし、昨日から今日へと自分自身は続いている」
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「認知症」と診断されると、ステレオタイプに「この人は認知症だから理解できいだろう」と当人と話し合おうとしなくなりがち。
でも、実際は理解できないこともあるけれど、理解できることもある。1人の人として尊重しなければいけないなと改めて思った。
また認知症の人に限らず大切なことを学んだ。
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「聴く」というのは「待つ」ということ。そして、「待つ」というのはその人に自分の「時間を差し上げる」ことだと思うのです。
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ぼくはいままで、人の話を聞いているつもりで遮ったり結論を先に言ったりしがちになっていたけれど、その根底には「相手に時間を使いたくない」と思っていたからかもしれない。だからこの言葉が胸に刺さった。
相手のスピードに合わせて待つことこそ「聴く」ことなのだ。
最後に、大忙しの中様々な実績を挙げられてきた人ならではの話。
90になった今でも、やりたいことがいっぱいあり、やらなければいけないと活動し続けている長谷川先生。
その秘訣は、「明日やれることは今やる」だった。
ぼくは今まで「明日やれることは明日やろう」だったけれど、人にはそんなに時間はない。
本当にやりたいことな、1文でもいいから前に進もう。そうするとそれが未来につながり希望になることを学んだ。
まだ、ほかにも言葉にしきれないほど学びがあった本だった。
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急に人が変わるわけではないけれども、一緒に暮らしていないとその変化が急なものに感じられるのだと思う。
また、よくできた人というイメージが、現状を受け入れられないのだと思う。が、それは本人が一番そうで、なんとももどかしい気持ち、不快な気持ちになるのは本人自身なのだと感じた。
聴くことは待つこと。結論を急いでしまうのはよくないのだな。
いまを生きなさいという言葉がぐっと迫ってくる。
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認知症を発症した人が書いた原稿なの?と思うほど分かりやすい。ただ、認知症を発症してからのことに関する記載は期待してたよりも少なかった。
「認知症を発症したからといって、人が変わるわけではない。自分が住んでいる世界は昔も今も連続しているし、昨日から今日へと自分自身は続いている」
いわれてみれば当たり前のことかもしれないけど、こういう視点が自分に欠けていたことを自覚する。
もう亡くなった祖母にももう少し違う対応ができたんじゃないかと、気持ちがチクチクしてしまった。
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認知症の医療に関わる第一人者である長谷川先生が認知症の当事者として書かれた本。誰もが避けて通ることのできない老いに真摯に向き合う姿勢が素晴らしい。母の介護をすること、自分の衰えを突きつけられて重荷を感じることもあるが、誰もがそうして生きていることに勇気付けられた。認知症の患者と介護者のみならず全ての人に読んで欲しい。
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長谷川式簡易スケールの開発者であり、医師である著者が自ら認知症であると公表された後に書かれた本。
認知症は「固定されたものではない」ということを初めて明確に意識しました。
認知症への考え方、捉え方が変わりました。良書だと思います。
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「意志の力」だけでは対応出来ないのが認知症というもの。そういう方向に傾斜しないように、日々心身共に磨いていきたい。落ちてしまったら、落ちていく中で対応していくことにしたい。