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父と息子の話
当然ですが、息子であり父である自分自身も
いろいろ感じるところがあり、思うところがある
内容でした。
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今年、息子が産まれた。夫は息子とどんな『親子』になっていくのだろう? ワタシは父親にとってどんな『子供』なのだろう? ワタシの側にも確かに『ひこばえ』は有るんだ。止めどなく涙が次々溢れてくる。でも、夫には気づかれたくなくて、そっと涙をぬぐって読み終えた。『どうして泣いてるの?』って聞かれたら、言葉にしてしまうと、心に残った大切な思いが、形を変えてしまいそうだったから。この『思い』を大切にしたい。そんな読了ができた。シン(ノブ)さんと、『息子』(洋一郎)さんが、『父親と息子』になれて良かった。
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内容紹介
父の数少ない知り合いたちから拾い集めた記憶、やがて自身の内からよみがえる記憶──
果たして父は、どんな父親になりたかったのだろうか、洋一郎の思いはあふれる。
『流星ワゴン』『とんび』に続く、父から息子へと受け継がれる感動の物語。
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2020/03/18予約
そんなにうまくいかないよ、とも思うが、これぞ重松清!って印象。
主人公の小さい頃に生き別れた父親の信さんは、後年はノブさんと呼ばれ慕われていた。
自分の知らない父親を知る旅。
お節介が過ぎる?登場人物が多く、家主の川端さん、最後の友人神田さん、ライターの真知子、腐れ縁の小雪、和尚、主人公の勤務先の困ったちゃん後藤父、その息子。
フィクションだから、いいかな。
死んだ人の想い出を語れる人が、だんだんいなくなる、その気持ちがとてもよくわかる。
だからこそ、今生きてる人に、亡くなった人のことを伝えておきたい。
ひこばえ、切り落とした切り株から若い芽が出てくることらしい。
生きてる木は、次の新芽を見ることはできないが、その木があったからこそ、次が生まれる。家族とはそう紡いでいくもの。
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重松清さんは、好きな作家さんの1人で、じんわりと人の哀しさや温かさを感じさせてもらえるところが良い。普段見過ごしていたり、見ないふりをしている、日常にあることを、改めて深く静かに考えさせてくれる。
重松さんの父と息子のお話はとても好き。この小説も、ノブさん(信也)と洋一郎、そして洋一郎と航太、それぞれの父子の物語。
ひこばえ、と言う言葉を初めて知った。とても素敵な言葉だと思った。『「ひこばえ」とは、木の切り株から若い芽が生えてくること。たとえ幹が倒れても、孫のような芽が生えるように、命は、親から子供を経て、孫の代へと続く。』
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下巻では、父親の遺骨問題と老人ホームに入居した後藤問題の2つが要となって、物語は進行していきます。
随所に心に響く台詞があり、毎回毎回ウルッとさせてくれました。
映像化していたら、脇を固める人達が素晴らしかったです。普段は空気読めない人達ばかりなのに、なんでそんなに良いことを言うの?と思うくらい、ガツンと心に響きました。
ちなみに「ひこばえ」とは、樹木の切り株や根元から生える若芽のことです。ここでは、孫が生まれたことや再生など様々な解釈での「ひこばえ」が登場します。
父親の知人に出会うたびに印象が違う父親像。良いも悪いも自分がそう思うんだったら、そう思えば良い。「思い出は身勝手なもの。楽しい思い出だけ作ればいい。」ある登場人物が言った言葉です。スーッと心に響きました。
他にも、色んな人の台詞が印象深かったです。
後藤も今までの印象が変わったので、驚きました。親子のシーンは、涙を誘います。
誰もが老いに対する不安はあるかと思います。
独りであるにしろ、家族であるにしろ、今までの人生が良いにしろ悪いにしろ、自分自身だけでなく、みんな幸せであれば良い。後ろからポンと背中を押されたようで、ちょっと不安が取り除けたように感じました。
一人でも近くに誰かがいることって良いですね。そう思わせてくれました。
今一度、親子と向き合ってみようかなと思わせてくれる感動作でした。
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重松 清氏らしい父と息子のお話。
何があっても父は父。
今ここに自分があることに感謝しなければ。
とても良い作品でした。
大切に持っておきたい本です。
メモ
萌芽更新 ひらたく言えば、質のいい丸太を切り出したり、森を守ったりするために、意識的にひこばえをだすんだ。
松尾あつゆき 「原爆句抄」
親に抱っこされて眠ってた赤ちゃんが、親の遺骨を抱っこしてうたた寝するようになるのが、人生ってことなのかもね。
親子だろうと夫婦だろうと、なにかと面倒だ。そりゃあもう、どうしようもない。オレは面倒臭いのが嫌だから結婚しなかったんだが、でも、、、面倒と迷惑は違うぞ。
悲しさには、はっきりした理由やきっかけがあります。病気で言えば、急性のものです。でも、寂しさは慢性なんです。ふと気づくと、胸にぽっかり穴が空いていて、いつの間にかそれが当たり前になって、じわじわ、じわじわ悪化していって、、、
自分史とは、お魚が美味しい干物になる前の、元気に大海原を泳いでいた頃のお話です。
私の父は出会ったことを喜んでもらえる存在だった。それがなによりうれしい。
出会った人に語られる人生が、その人のほんとうの人生かもしれませんね。
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上下巻で、生きて登場する事のない父が、段々と浮かびあがり(しかし、ハッキリと姿を現す訳ではない)、絡まっていた糸が、少しずつ優しくほどけて、物語を締めくくる、そんな感じがしました。
下巻の序盤で、タイトルともなった、ひこばえ、が初めて登場し、この人か、と言う人物に語らせる。
登場人物は、みんな完璧なスーパーマンみたいな人はいない。みんなちょっとずつ、欠点があったり、ココロに傷があったり、人知れずとも、もがきながら生きているような人ばかり。それを明るく乗り越えるのは女性陣の登場人物に多かったか。男性の作者ゆえか。
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4.5
記憶というのは誰かと共有出来て初めて「記憶」としての確かさを持つ
その誰かがいなくなった時…
自分にとって確かに「あった事」が、
だんだんとその輪郭が曖昧になって、
やがて萎んでゆく
話をしなくちゃ❗️
父の唯一の友人・神田やアパート大家・川端らとの交流の中で少しづつ変化を見せていた洋一郎の気持ち。
下巻では、新たに父・信也が生活を共にした女性・小雪が登場し父親の新たな顔が見えて来る。
また、施設のダメ親父・後藤との係りの中で次第に父親の輪郭が確かなものとなって行く。
そして洋一郎の家族は…
道明和尚が良い
神田さんがたまらなく良い
息子の涙脆さが嬉しい
姉ちゃんの頑なさが良い
「会おう」に続かない
「またいつか」・・・
恐れ入りました
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複雑な過程の親子。親子は気持ちがつながる。これは必然か希望か。ちょっと現実でこのような展開がと思う部分は多々あったが。親子関係を考えさせてもらった。
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重松さんは、僕より少し年上で、その年代年代の、家族をテーマとした小説を書く人、というイメージ。
この作品もまさにそうで、いろいろ考えるところがあった。
50歳も過ぎて、人生初心者ともいえないが、老いることは、当然だけど、初体験。
上手に老いていければなぁ、と思う。
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朝日新聞の連載で読んだ。重松清のまた愚か父と子ものかーと思って読んでたけど、さすが重松清。読ませるなと思った。毎日楽しみではあった。これだけ父子もの書いてもまだ読ませるのは大したもんだと思う。
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あまりにも丸くおさまりすぎて、アマノジャクの私にはちょっと物足りない。歳を重ねたとき、こんなやすらかな気持ちに落ち着くのだろうか?
この時代、散骨や合同墓は大いに賛成!といいながら、現実は難しいのである。
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重松清作品の主題は「父や息子、夫の役割に座る違和感」なのではないだろうか。
上下巻を読了。父と子、祖父と孫。義父や父の旧友旧友など多くのテーマを盛り込んだ作品。突然に父が失踪した家庭であったり、一人息子が学校で突然死する喪失、そして新しい義父、義母や娘婿。血縁のほか日本の家庭制度の中、筆者は違和感を感じているのではないだろうか。自ら子を産んだ実感のある母とは異なる父、夫の持つ違和感。そんなものが滲み出た作品だったように思う。
「流星ワゴン」より現実味が増し、「とんび」より登場人物の格段に多い、筆者の成熟を感ずる作品。
誰にも共通に訪れる老い。重松清も老いと終活を描く年齢。同じように自分も歳をとっているのだが、どこか寂しい。でもこれが新境地であってほしい。
今後の作品にも期待大です。
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【あらすじ】
老人ホームの施設長を務める洋一郎は、入居者たちの生き様を前に、この時代にうまく老いていくことの難しさを実感する。そして我が父親は、どんな父親になりたかったのだろう?父親の知人たちから拾い集めた記憶と、自身の内から甦る記憶に満たされた洋一郎は、父を巡る旅の終わりに、一つの決断をする―。
・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆
最近初孫ができたばかりの、どこにでもいる55歳のおじさんが主人公。その主人公が、まだ子どもの頃に離婚により離れ離れになった父の死を知るところから物語は始まります。生前の父と関わった人々との交流を通じて、父親と息子、そして孫へと受け継がれていくものの存在を感じるとともに、きれいな老い方とは何かを考えさせられる…そんな内容です。
私、実は重松清さんの描く物語が昔からすごく苦手です。綺麗事だけでは済まされない人生や人間模様がリアルに描かれていて、さまざまな不幸や問題がいずれ自分にも降りかかるのではないかと怖くなるからです。今回読んだこの話も、自分も一歩間違えればこの父のように、別れた妻や子のことを考えながら孤独に生きるような男になってしまうかもしれない怖さを感じました。温かい内容ですが、やっぱり父親も息子である主人公も寂しかったのだと思います。本当はもっと別の生き方があったのでは。後悔だって生半可なものではないはず。でも、そういうものも飲み込んで生きていかなければいけないこともあるんですよね。
自分自身、子どもや孫へ「ひこばえ」をつなぎつつ、きれいに枯れていくことはできるのか、心配は尽きません。それでも生きていかねばならない。心のどこかで何か覚悟のようなものがギュッと絞められた気分になりました。