紙の本
(教育システムの中で)人は何を評価されてきたか?その理由と問題点そして処方箋は?
2020/04/22 15:56
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:neoaco - この投稿者のレビュー一覧を見る
時代の移り変わりとともに「人」に対する評価軸は変遷し、それに合わせた
教育思想、システムがつくられてきた。
より複雑化、多様化する時代の流れの中で、評価軸も複雑化・抽象化が
進み、評価の適正性が担保できなくなる・・。
果たしてその行く末に対処する策とは?
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就活中の学生が愚痴っている。エントリーシートの段階ではじかれてしまうと。京都で3番手の大学の学生である。しかし逆に言うと、学生がそういう会社しか選んでいないのだとも思う。小さな会社でもやりがいのある仕事はできる。会社は大学名で学生を選び、学生は仕事の内容ではなく会社名で就職先を選んでいる。そんな気がする。未だに。本書は1,2章と終章を読めばいいかも知れない。途中の章にある資料は読むのに疲れた。1章図1-4がおもしろい。日本人は、現在の仕事より高度な仕事ができるとは思っておらず、もっと研修が必要だと思っている。自信がない。自分も同じような気がする。謙虚と言えばそうも言えるのかもしれない。しかし、やはり自信が持てないのだろう。逆に言うと、諸外国はどうしてそんなに自信があるのか。それも不思議だ。平均的な学力は日本が高いのだ。でも自信がない。このあたりの理由を、本書からちゃんと読みとることはできなかった。外国の学校制度にも興味がある。終章にイエナプランの話が少し出てくるが、果たしてそれがいいのかどうか。今以上に格差ができるのではないか。ただその格差は決して悪いものではない、と感じられるようになるのかもしれない。人はそれぞれ違ってよいのだ。高校が大きく変わろうとしている。高校段階で専門をいろいろ分けようとしている。これはどうだろう。どちらかと言うと、高校までは全員普通科で、なんなら義務教育でもいいのではないかと思っている。専門に分けるのは大学からでいいような気もする。たしかに大学への進学率を下げようとしているのなら、早期に専門化するのは正しいのかもしれないが。ハイパーメリトクラシーとかハイパー教化とか、なんとなくしか分からないが、それが2010年代に入って色濃くなっているのだとか。それというのは、一政府、一首相の違いで、そんなに大きく変わるものなのだろうか。文科省にも芯のある職員がたくさんいると思うのだが。ところで、P.222の探求科は求で正しいのだろうか。単なる誤植か?
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最も注目を集める教育社会学者による最新刊。期待して読んだものの……。論文をまとめ再構成した内容なのか、文章が必要以上に硬く、回りくどい。記述の厳密さを優先した結果なのだろうが、「いかにも学者の文体」「官僚的」といった印象を受けた。内容は「能力」「資質」「態度」をキーワードにして今日の教育を巡る状況に警鐘を鳴らし、また、具体的な解決策も提示されている。示唆に富む主張だけに残念。
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著者の主張がデータと共にわかりやすく展開される良書
家庭環境に由来する垂直的序列化の”恩恵”を預かって生きてきたので、少し心苦しいところもあったが、特に”能力主義”と”meritocracy”の相違についての考察と、それがもたらす力学的効果についての考察にうならされた。
データの扱いや分析方法に若干の主観を感じなくもないが、新書という限られたボリュームで、これだけ学術的な内容を記述しきった著者の熱量に、著者の抱く本物の危機感を感じた。
僕も、自民党•保守団体の主導する昨今の教育改革の”教化”にとても危機感を抱いているのでその点での同意は勿論、日本型メリトクラシーと、ハイパーメリトクラシーの弊害も、感じていたモヤモヤを言語化してもらった印象。
最後に、解決策の提示とその限界についての言及があり、考えるきっかけにもなった。
著者自身お認めのように、昨今の一般的な新書とは構成が違うとは思うが、その分著者の真摯な態度と強い危機感がビシバシ伝わってきた
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本書では垂直的序列とか、水平的画一化とわざわざ小難しそうな言葉を用いていますが、つまるところ人が人を評価することになんの疑問も持たずに教育活動が行われていることに疑問を覚えますね。
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2020/5/23読了。日本型能力主義で一番ムカつくのは戦前の旧軍部の歪んだ能力主義→士官学校恩賜勲章をもらった者が国運をかけた参謀本部をはじめとした政治的な指導者にいたこと。また、民間でも一高帝大が全ての幹部に連ねていた。概ね的を得た人事もあったんだろうが、その歪みも是認して来てしまった国家の教育の失敗も見える。一方で、自ら学んできた小、中、高、大の教育を振り返りなが
ら符合する国家の教育政策を見ていくと自分自身の抱えるフラストレーション(その時々の教育政策…様々な施策に翻弄)と不思議と重なって来る。
では、会社に入ってから何を学び評価され年功を重ねて定年を迎えるか?そこにあるのは相変わらずの
偏差値序列の学閥主義。また、今では通用しないと言いながらも古臭い年功賃金と職能給で生活を積
み上げて来た現実だ。
変化に対応出来る人材の開発と掛け声ばかりで、素直で横並びの国民しかこの国は作って来なかった様にしか思えない。資質と国の望むあるべき態度の強要。しかし、一方で自分自身にも葛藤はある。
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日本の教育が「能力」「資質」「態度」という3つ(ないしは2つ)をどのように位置づけ、それを用いて生徒・学生を評価してきたかを記述し、終章に筆者の提言が載る。
自分は所詮、(学力よりの)能力と、人に悪印象を与えない態度(コミュ力)でやりくりしてきただけだと、改めて思ってしまうよね。
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PISA(国際学習到達度調査)等、国際的な調査では、日本人は高い評価をされているのに、賃金水準は、他国との比較でもその評価に見合うものとなっていない。加えて、本人の意識が「職務を十分にこなすスキルが足りない」という自己評価になってしまっている。社会的な役割発揮意識が、諸外国の中でも目立って低いのも大きな特徴。どうして、そうなってしまっているのか。
著者は、<「能力」「資質」「態度」という言葉が、社会と人々をがんじがらめにしていることが、多くの問題を生み出してしまっている>、ということを仮説として提示。このことがどうして異常なのか、それはどのようにしてできあがってきたのか、そのがんじがらめになった縄をほどいていくにはどうすればいいのかについて、根拠を示しながら解説。
著者によると、日本は、「能力」にもとづく選抜・選別・格付けがされる「垂直的序列化」と、特定のふるまいや考え方を全体に要請する圧力である「水平的画一化」の二つの要素が際立っており、「水平的多様化」の要素が少ないという。これは日本に特有の状況。諸外国では、「良い市民であるために何が必要か」という質問に「意見の違う人の考えを理解すること」という回答や、民主主義における権利の質問に「政府のすることに異議がある時それに従わない行動をとること」という回答が、「とても重要」とする回答が多いのに、日本は、その回答に対する評価は、欧米14ケ国中最低になっている。日本は、「異質性や批判を排除する空気」が際立って強い。
日本が欧米と比較し新型コロナウィルスの死亡者率が少ないこと(アジアの中では多いが)について、副総理は「民度のレベルが高いから」と発言し問題視されたが、ただ、その論調は、「諸外国の民度が低いと評価したと受け取られかねない」との批判が多かったが、問題の本質は違うはず。同調圧力が強く、強制力を行使しなくても、行動を引き出せるのは、為政者にとっては都合がいい。かつて「ナチスの手口を学んだら」と発言している政治家の発言。「民度のレベルが高い」という評価について、何をもってその評価とし、その評価は真に妥当なのかについて、突っ込むべきだったはず。国民の主体的な行動自粛は、新型コロナウィルスの流行の抑制ということではプラスに作用したが、底流にある「同調圧力」の負の面についても、眼を向けていないと、この先危ういことになってくる。社会の空気が、SNSもあって画一化の方向に加熱しがちな傾向は注意が必要で、こういう時こそ、多様な見方を大切にすべき。
垂直的序列化と不可分な言葉は「能力」、水平的画一化と不可分な言葉は「資質」「態度」。著者は、現状の社会の中で、「能力」「資質」「態度」がもっている弊害を考慮し、できる限り使わないこと、使う時は注意して使うことを提起している。特に、社会が「危機」を迎えている状況だからこそ、受け止めるべき提起と考える。本田由紀氏は、東大大学院教授で、教育社会学者。固い部分は残るが、一般の読者に向け提起。一読の価値あり。
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曖昧な資質・能力論や言説への批判はうなずける。一方で保守派といわれる現政権が退いたとしても、野党も教育観や資質・能力などの見方はかわらないのではないかと思う。
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今までもやもやとしていたことを資料も使ってはっきりと示してもらえた感じ。特に、教育基本法にもあった「能力に応じて」のくだりは納得。やはり教育の目的は人格の完成にあるのだから、評価をしてはいけないと強く思った。
それぞれの子どもの良いところを見て伸ばし、社会性を育んでいければいい。
さらに巻末の提言があり、未来へ向けた指標になる。
ここで示された「垂直的序列化」と「水平的画一化」という概念はとてもわかりやすく、納得のいくものだった。
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メリトクラシーという用語が、日本では「能力主義」と訳されることが、そのまま受け入れられているというところが、やはり日本は本当の近代化がなされずじまいで、脱近代の時代を迎えようとしてしまっているのだなと、思う。
まずは近代化からですね…。(ムリか)
このように間違った訳語が流布されることで、独自の考え方がどんどん再生産されてしまうという悲しさ!というより間抜けすぎるでしょ。
それに加えて水平的画一化(ハイパー強化)により、「態度」や「資質」を養うことを強いられている子どもたち。その閉塞感たるや、想像に難くない。
経済的基盤が高く、クラスに影響力もある生徒は、勉強もよくできて、道徳の授業が好きだという恐ろしいデータ。
それらの条件をみたしていない子どもたちは「自分には未来がないように思う」という割合が多い…。こんな日本に誰がした?その矢は自分に返ってきます。
閉塞感の強い国は、少子化も進む。
本田由紀さん、本気で日本のことを考えてくれてます。
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小学校まで
横並び推奨(水平的画一化)
中学校
横並び・縦並び評価半々
高校から
縦並び評価(垂直的序列化)
生徒に対する評価はこんなイメージなので、生徒が自己肯定感を持つのは難しいかな。
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教育関係の本にしては珍しくデータや引用を多用している。明治以降今日までの日本の教育言説を分析し、まず日本社会の現状と日本の教育の特徴に触れて、戦前、80年代まで、90年代、2000年以降に分けて論じている。
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様々な著者の論文を集めて新書にしたものであるが、それなりに統一は取れている。
学力、能力、態度についての歴史的な変遷や現在の状況まで説明しているので、読めば基本的な考えはわかる。また、水平的多様性のすすめがある。
多様性について企業からの考えも示されているが、非定期雇用の問題が指摘されていないのは教育の限界かもしれないので要注意である、
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本田さんの著作の中では、読みやすく分かりやすい。当人はあとがきで、分かりにくくて申し訳ないと謝罪してるけど。
行政や法律で「資質」「能力」の育成とか謳ったところで立法の精神が行政に引き継がれるとは限らない。例えば「能力」もそのコトバの解釈の仕方で現場で用いられるときには立法時とはずれた能力観になったりする。
最終章で提言された「水平的多様化の推進」にはとっても同意する。何とか多様性を受け入れることのできる社会になってほしいもんだ。ただこういう書籍で触れられないのが、到達度をいかに確保するかだ。到達できないことを多様化にかこつけて肯定しちゃうのは困るよね。