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病気を患って、病院に入院したことがある人なら、これを読んで、仲間を見つけたと思うだろう。
自分は決して1人じゃない。孤独に震える魂の詩が、そっと寄り添って慰めてくれる。
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2020年7月
癌により28歳の若さで亡くなる女性の、最後の命の煌めきではなかろうか。
そのへんのノートに残されたメモを読んでいるような気もしてくる。
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本書は、若くして病を患い闘病中にドイツ人青年と結婚した女性が、命を終えるまでのおよそ五カ月間に、一冊のノートに綴った詩のことばを日付順に並べ構成したものだそうです。
著者のブッシュ孝子さんは1945年生まれ、東京育ちでお茶の水女子大学大学院で児童心理学を学んだのちドイツヘ留学。留学中にウィーンでヨハネス・ブッシュ氏と出会いますが、1970年乳がんと診断され手術を受けます。
1971年ブッシュ氏と結婚。
1973年詩作を始めます。
1974年92編の詩を残し28歳で永眠。
解説は詩人の若松英輔さんで、彼女の詩に出会うことがなければ、今、詩を書いていたかどうかもわからないとおっしゃられ、何編かの詩を私を救い出してくれた詩として挙げていらっしゃいます。
私はこの詩集は闘病中ということ、死ということを抜きにしては語れない詩集だと思いましたが、全くそれとは違う観点で書かれた詩にハッとしたり、美しさに心を奪われました。
図書館に、返却する前に、その3編を以下に記させてください。
無題
私のために生きようという人がいる
その人のために私も生きよう 9/14
「シャンソン」
愛はきっとどこかで私を待っている
どこか遠くの知らない町で
いつめぐりあうかは運の良さ次第
愛さえあればもう淋しくはない
愛さえあればもう淋しくはない
愛さえあれば私は幸せ
私は愛をはなしはしない
若いあなたにこう夢みている
昔 私がそうだったように
ところで
愛はあなたを待ってなどはいない
特に遠くの知らない町では
愛は運から 生まれはしない
愛の中でも人は淋しさに泣き
愛はあなたを 幸せにはしない
愛は明日にでも さよならをつげる
それでもあなたは愛を信じますか
それでもあなたは愛をさがしますか
心の傷を涙で洗いながら
おろかな今の私のように 9/20
「九月の庭は色とりどりの思い出で一杯」
サルビアの赤 ままごとあそび
葉っぱの上のごちそう 甘いみつのごちそう
松葉ボタンのべに色 花菱のべに色
氷かじって 山車ひいたあの夏まつり
けいとうの紅 兵庫帯の紅
べっこう飴なめなめ 金魚すくいした縁日
トレニアの紫 はじめての単衣
あいあいがさの散歩 はじめての散歩
かきねのつるバラ 遅ざきの紅バラ
ふるさとしのんで葉書をかいた遠いあの町
コスモスの白 花嫁いしょう
私はとついだ 九月の終り
何ももたず思い出だけもって
だから私の庭は色とりどりの
思い出で一杯 10/5
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人の命は寿命の長さでは計れないと感じました。
作品として残すことで、永遠の命を得たブッシュ孝子さん。
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「生きること」について考えた。
死が迫る恐怖と戦いながら生きた著者のいのちに触れながら、あまりにも当たり前に生きている己の情けなさを恥じた。
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たまたま、若松英輔氏の本を続けて読んでいて、たまたま手にしたこの本の帯に若松氏の言葉が書かれてあり、そして、たまたま「暗やみで一人枕をぬらす夜」を過ごしていた私であり…。
「何かに導かれるようにして…ブッシュ孝子の言葉に出会った」
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亡くなる間際に、詩を綴ることを通じて、ついに言葉から愛された人。
言葉は何のためにあるんだろう。一日一日、一瞬一瞬、言葉をどう紡いでいくことが、真に生きることなんだろう。心を問われる詩集です。
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旧版を大切に読んでました。増補され再出版されたのがとにかくうれしかったです。決して難解ではない素晴らしい詩の数々。
「詩は言葉から生まれる。言葉は命から生まれる。そんな詩でなければ詩とは言えない。そんな命でなければ命とは言えない」が今も残っています。
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読んでいて、ただひたすら悲しかった。読み進められるか心配になるほど、悲しみや死への恐怖が迫ってくる。時々、まわりの大人にすがりたい気持ちを書いているのも、心が苦しくなる。加えて、詩の後にある日付がカウントダウンに思える。 一方、美しい言葉づかいがうれしい。ご本人は意図していたのかどうかはわからないが、漢字とひらがなの使い方がとても素敵。ひらがな多めだが、それが著者の素直な気持ちを引き立てているように思う。
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ブッシュ孝子さん。
1974年、28歳の若さで乳がんのために亡くなった女性が死の直線の数ヶ月前に書き残した詩集。
詩人だったわけではない。いや、彼女は詩人だった。でも、詩をなりわいとしていたのではないという意味。
子どもの頃から読書が好きで、繊細な心を持っていたという母親の証言がある。
お茶の水大学で家政学部児童学科を学び、ドイツに留学、帰国後に乳がんが見つかる。そこで出会ったドイツ人の夫、ヨハネス・ブッシュと結婚。
そういう背景もあり、彼女の世界観、言葉の自由さ、キリスト教精神が詩のあちこちに見られる。
今のわたしが読んで気になった、心に留まった詩。
でも、数年後、10年後、20年後、私が再度この本を手に取ったとき、きっと心に留まる詩や言葉、見えてくる世界は全くべつのものだと思う。
詩には題名がつくものだが、どうやら、詩の世界には、題名がない詩は、最初の一行が題名として考えるならわしがあるらしい。
「人生」という詩が、まるで私の気持ちをまるごと代弁していた。
でも、私は今のところ、生きている。
生かされている。
神によって、生かされている。
神が、家族や友人や同僚や、この世界で私が関わる様々な人を通して、私を生かしてくださっている。
御心(みこころ)ならば、生きながらえるであろう。
死ののち、神のもとへ行くのだと分かっていても、死が怖い。自分に静かに忍び寄ってくる「死」が。
ブッシュ孝子さんが、「死」と向き合いつつ、時には病気のことを忘れ自然を感じ、時にはもう二度と会えはしないドイツの人を想う。
どれだけ科学が進歩し、医療が発展し、人間がすべてを支配しているかのような21世紀であったとしても、「死」はすべての人に平等に訪れる。
そこに向かって、私たちは生きている。
人生の長さも、道のりも誰にも分からないが、それが「生きる」ということなのだ。
『私がこれからしなければならないことは、その私自身の国の言葉を、より豊かに、美しく使えるようにすることです』
大学4年生のときのレポートのブッシュ孝子さんが書き記した言葉。
私も、私自身の国の言葉が好きだ。美しいと思う。
この言葉を味わい、この言葉を使うことで、豊かな人生を送っていきたい。