投稿元:
レビューを見る
(1972.09.08読了)(1972.08.06購入)
(「BOOK」データベースより)
アルジェリアのオラン市で、ある朝、医師のリウーは鼠の死体をいくつか発見する。ついで原因不明の熱病者が続出、ペストの発生である。外部と遮断された孤立状態のなかで、必死に「悪」と闘う市民たちの姿を年代記風に淡々と描くことで、人間性を蝕む「不条理」と直面した時に示される人間の諸相や、過ぎ去ったばかりの対ナチス闘争での体験を寓意的に描き込み圧倒的共感を呼んだ長編。
☆関連図書(既読)
「異邦人」カミュ著・窪田啓作訳、新潮文庫、1954.09.30
「シジフォスの神話」カミュ著・矢内原伊作訳、新潮文庫、1954.11.15
投稿元:
レビューを見る
重みをもった文章、しかしリズミカルでよみやすい。死とは、生きるとは、宗教とは、そして、悪とは、このような議題の話がすすんでいきます。そして、読み終わると、だれしもが”ペスト”にかかった状態になるのではないか。少なくとも私は、犯されてしまったようです。
投稿元:
レビューを見る
圧倒的な死の病とともに閉鎖された町と、そこで生きる人々の生 アルジェリアの港町オランにペストという、死病が発生する。その拡大を懸念し、市は町をを閉鎖する。逃げることの出来ない状況下で圧倒的な死を目にしての人々の行動を描く。冒頭のねずみの死の描写から、筆者は読者をぐいぐいと物語に引き込む。主人公の医者リウーの心の中の苦悩、人々が抱える別離の悲しみ、様々な人間の感情とともに、物語られる一つの町の話。
僕はまだ完全に理解はしていませんが、よい小説だと思います。
投稿元:
レビューを見る
『ペスト』が老若男女、地域や生活習慣、信仰の違いを越えて読み続けられているのはなぜか?そのひとつの答えとして日本語翻訳者の宮崎嶺雄氏は「この作品の簡潔なリアリズムが、さまざまな角度からきわめて明瞭な象徴性をもっていて、読者の一人一人がその当面の関心を満足させるものをそこに見出しうるからだ」と分析しています...
【開催案内や作品のあらすじ等はこちら↓】
http://www.prosecute.jp/keikan/004.htm
投稿元:
レビューを見る
ペストが流行し、隔離された街での人間模様。人間の醜さ、エゴなどを描き出すので、読後感はよくないです。でも読まずにいられない。そんな作品を書く作家です。
投稿元:
レビューを見る
カミュは「異邦人」での衝撃が強すぎたので、こういった「普通」のストーリーを書かれると逆に肩透かしをくらった気になった。それでもこの小説も良い。
投稿元:
レビューを見る
非日常が日常にくみこまれていく様とか、それが日常に戻る様とか、観察描写がすごいんだろうなあ。ものすごく緻密なかんじがする。
そのなかに差し込まれる、空や風、匂いもまた効果的というか、お見事。もっと読書筋肉がついたら、また、丁寧に読み直してみたい。
投稿元:
レビューを見る
「人間のあらゆる不幸は、彼らが明瞭な言葉を話さないところから来るのだ」というタルーの言葉に思わず頷く。では、何故人々は言語を所有しているのだろうか!
投稿元:
レビューを見る
アルジェリアのオラン市で、ある朝、医師のリウーは鼠の死体をいくつか発見する。ついで原因不明の熱病者が続出、ペストの発生である。外部と遮断された孤立状態のなかで、必死に「悪」と闘う市民たちの姿を年代記風に淡々と描くことで、人間性を蝕む「不条理」と直面した時に示される人間の諸相や、過ぎ去ったばかりの対ナチス闘争での体験を寓意的に描き込み圧倒的共感を呼んだ長編。
投稿元:
レビューを見る
〜アルジェリアのオラン市で、ある朝、医師のリウーは鼠の死体をいくつか発見する。ついで原因不明の熱病者が続出、ペストの発生である。外部と遮断された孤立状態のなかで、必死に「悪」と闘う市民たちの姿を描く〜
カミュの「異邦人」を見て衝撃を受けたので、その延長で読みました。先入観も下調べも無く読み始めたのですが、登場人物が多いなか、その説明が少なく、最初は入り込めませんでした。しかし、そこはカミュ。気付けばのめり込みました。語り手が誰かと思っていたら、なるほど…彼だったのですね。それで淡々とした内容だった事も頷けます。
しかし深い…。
本当に怖いのは、果たしてペストそのものなのか…この作品において「ペスト」と言う病気は、主題でありながら主題では無い様に思います。カミュの作品は、一度読んだだけでは全てを味わえませんね。
投稿元:
レビューを見る
Yさんが哲学ではなく医者を志したきっかけとなった本。高3のMくんとの話。Who's Pestなど。読む時期がきていたのだろう2007年最後の一冊。淡々とした語り口は難しくないのだが、陰気で長い話だった。確かに頭で読む小説である。ナチスとの闘争を寓意、とか、キリスト教とコミュニズムのあいだの人間的な第三の道を表現、とかいうあたりは最後のタルーの独白の中に。不条理とは?生活に満足している今の私には実感が湧かない。
投稿元:
レビューを見る
カミュといえば「異邦人」ですが、個人的にこちらのほうが好き。
ペスト蔓延で隔離された村の人々の絶望や苦悩、そして希望が力強く描かれています。
現在、批評作成中。
投稿元:
レビューを見る
カミュです。セインカミュのおじいさん。「不条理の哲学」を大衆的に位置づけさせたいわずと知れた大御所。「異邦人」が個人的不条理だとすれば、これは万人型不条理ですかね。
ペストが勝手にきて勝手にいなくなる。という有名すぎるお話。。
とても社会性の強い作品。てことはまあつまり象徴性の強い作品でもあります。
ただただ不条理を受け入れよってワケじゃなく、不条理の中でも幸福のために足掻くべきで、神がいようといまいと人としてつまるとこは大して変わらない。 共感すること、連帯感を持つこと、人間的であることが肝要。。。てこと?? ただ伏すのではなく、蔽晦せずに、真っ向から立ち向かえってことですかね。
そえば昔の作品てこういう`象徴`する作品多いですよね。。。
なによりもそういった思考を織り交ぜつつ複雑なお話を細部まで描ききる、このカミュの筆才に感動してみてはー!
ところでカミュは戯曲の天才でもありますYO。
投稿元:
レビューを見る
ペスト発生によって外部と遮断されたアルジェリアの町オランの物語であり、医師リウーが語り手となる。リウーは「熱病」を「ペスト」であると言語化し、町に防疫体制を敷くのであるが、疫病の流行とともに、「治療」するものから、死を「宣告」するものになっていき、感情を殺すことにしか、安息を見いだせなくなる。それでも「誠実」としての医師のつとめを辞めることができない。そこへ、死刑制度に疑問をもち、世界各地をさすらった政治運動家タルーが合流し、また、妻に逃げられ、妻にかける言葉を探すために小説を書いている市役所臨時職員グランや、神父パヌルー(彼は当初ペストを神の裁きとしてただ跪くように説教するが、子供の死をみてから、ただ善意の道をすすむしかないと態度をかえる。ペストの流行収束にむかったとき、罹患し医師にかかることを拒否して死亡)、新聞記者ランベール(はじめは恋人に会うために町からの脱走をはかるが、しだいに町へ残って防疫を手伝うようになる)、犯罪者コタール(ペストのなかで暮らすのが心地よいといい、投機で儲け、みなが自分と同じように不安を抱いていることに溜飲をさげる。ペスト収束後に歓喜する市民に銃を乱射し逮捕される)など、多彩な人物が自らの立場からペストについて語り、ペストという疫病を通して、社会や国家や人間や神といったものを重層的にかたっていく。とにかくものを考えさせられる小説である。文章は読みやすいが理屈が多いので、哲学書を読んでいるような感じがある。また、リウーとの友情の記念に海水浴に出かける前、タルーがいった言葉、つまり「心の平安」の問題、「神なくして、人間は聖人になれるか」という言葉は、東洋の思想が常に考えていた問題であり、この点は西洋人の問題であると感じる。翻訳の面は、最初にある「赤い白墨」には少し引っかかった。意味は分かるが形容矛盾であるから、ちゃんと「赤いチョーク」と書けばいいと思う。「ソフトを阿弥陀にかぶり……」というのもちょっと、現代の若者には解読しづらいんじゃないだろうか。そろそろ改訳が必要だろう。
投稿元:
レビューを見る
アルジェニアのある町にペスト(黒死病)が発生し、町の完全封鎖下で人々の心情や行動の変化を詳細に追っていく小説。
物語の流れがよく整理されていて、よく言われるカミュの不条理の描写のうまさに驚かされるが、長くて飽きてしまう…異邦人もそうだがカミュの作品とは相性が悪いようだ。
時代背景の共有がなかったというのは、ほとんどの作品についてそう言えるので言い訳にならないと思うが不思議だ。
個人の利益の追求から、社会全体の利益への貢献に個人の心境が変化していく過程が読み取れて面白かった。