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数年会っていなかったけれど、同じ戦いを生き抜いてきたことだけは確かに知っている友人と飲み交わす、木製の器に注ぐマッコリ。
乳酸菌の口当たりのまろやかさ、下に微細に響く炭酸のこそばゆさ、若干喉に残る独特のねばりの感覚、飲み干した後の満足感。
そして気づいたら1リットルくらいはゆうに飲めてしまっている
壮大な大河ドラマ、そして朝ドラ。
「死の棘」以来の衝撃。人生の妙。
一見そんなドラマ的なものに見えて、
だけど奥には深い深いふかい社会と歴史のからくりが潜んでいる。
でも、登場人物たちには、そんなの知ったこっちゃないのである。人生とは、たいがいそんなものかもしれない。
ボレロのように、寄せては返す波のように、
淡々と繰り返すように見えつつも、
しかし確実に変化し前に進んでいて
知らないところで指揮者の指示のままに進んでいる
そんな音楽みたいな物語。
まさかのラスト。何てことないのに、どすんと落とされる。
前半までに感じていたマッコリのような
どこか粘っこい甘さのある、
だけど飲み口さわやかな感じはそのままで、
しかし同時にああ、ダシと唐辛子の効いた
実に手のこんだ、少し味濃い煮物みたいなものを
自らの酔いに気づかぬままに
箸を運び続けていただんだなと
最後になって気づく感じ。
ベネディクト・アンダーソンを引く小説だよ。
移民体験、異「民族」、被支配、同化政策、ナショナリズム、全ての節に、章に明記されている時代、
明確に言及されない何か
その全てに触れるのはあまりにも刺激が強すぎるけど、
透けて見えざるを得ない所は、まさにマッコリのかすかな微炭酸のよう。
その緩やかな、しかし確かな鼓動とともに紡がれる物語に、
抽象的な表現とともに思いをはせよう。
https://youtu.be/n7FfCXW-LuM
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作者の、作品に対する大いなる労力と情熱、正確で詳細な描写に深い敬意を表します。在日でしか表現できないだろう心理描写がいくつかあってびっくりした。
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すごく面白かった。テンポもいいし読みやすい。久しぶりに寝食忘れるくらい没頭した。何より知らなかった併合中の半島の様子や、北朝鮮への複雑な思いなどが垣間見られてよかった。
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在日という言葉が嫌いだ。
ただの名称だった言葉の裏に透けた悪意を感じるようになってから。
私は、日本人だ。たまたまこの島に何代も前から住んでいるという、ただそれだけのことだ。最近は、日本人という言葉も好きではない。
在日は~、日本人は~、こんな風に言葉を並べて誰かを攻撃する人や攻撃を正当化する人が大嫌いだ。そして、何も知らなかった子どもが、この言葉に悪意が含まれていると感じる大人になるような社会が嫌いだ。
私は、基本的に事なかれ主義で、人に面と向かって自分の感じ方を伝えるのはあまり得意ではないし、可能な限り人から嫌われたくない。そんなふうに長年過ごしてきたのに、こんなにも嫌いなものができるなんて。涙が出るほど腹が立つことがあるなんて。そして、これはずっと前からこの国にあった思考、悪意、構図なのだ。私が気付いてこなかっただけで。
ノアが死んだ。
勤勉で、心優しく、字を書くのが上手で、家族思いで、勇敢な、まるでお手本のような子。父を慕い、母を助け、弟を心配する、優しい優しい青年。
そんな、ノアが死んだ。
みんながノアの肩に少しずつのせていったのかもしれない。優秀な、公平な、勤勉な、有望な、これからを担う、そんな朝鮮人になってくれ。ノアなら、ノアは、ノアみたいなら、兄貴だったら。
そして、多くの人がノアにたくさんのものを投げつけた。きたない。国に帰れ。泥棒。いやしいやつらめ。そして、多くのものも奪っていった。働いても働いてもなかなか貯まらないお金。居場所。仕事。故郷への思い。
押し付けられ、期待され、奪われ、罵られ、追い詰められてノアは命を絶った。
ノアは日本人になりたかった。けれど、その願いはかなわなかった。
ノアを殺したのはこの国だ。
ノアに植え付けられた自分の出自への劣等感、どんなに努力しても向けられる偏見の目。どこまで行こうとも逃れられない、血。
けれど、ソンジャとイサクがこの国に来なければノアは産まれなかった。
この国に生まれたからノアなのだ。
それでも、この国がノアを殺す。
生まれながら、生まれた場所に否定されるということ。
日本人という冠で生まれたものには、決して実感することのない、
絶望、苦悩、恐怖、屈辱、孤独、怒り。
この国は今までに、一体何人のノアを殺したんだろう。
ネット上には、ノアを殺した言葉が今日も溢れている。
あんたは何をされたんだと叫びたい。あんたは国を追われたのか、生きていくのが嫌になるほどの目にあったのか。生まれた瞬間から居場所を追われ貧しさを強いられ努力しても努力しても報われず、立ち向かう気力さえ奪われたことがあるのか。
ノアは日本人になりたかったんだよ。この意味が分かるか。日本を嫌いだとか日本人を憎んでいるとかじゃない、ただ生きていくうえで蔑まれ疑われ努力を足蹴にされ出自を軽んじられもうこれ以上は無理だったんだよ。もうこれ以上。一人の人間として扱われないことが、努力が努力として評価されないことが、同じことを同じようにしている日本人と、同じよ���に前に進めないことが、嫌だったんだよ。ノアはもうこれ以上、日本で日本人でないままでは生きていけないと、思ったんだよ。
読み終わってからもずっと、ノアのことを考えてしまう。
生きることを手放すことでしか安寧を得られなかった心優しい青年。
汚れていたくなかった、汚れてなんかいない青年。汚れているなんて、彼に思いこませたのがこの国だ。
血に何の意味があるんだろう。
生まれた場所はその人の何を決めるだろう。
ノアがノアとして生きていけなかった国で、私は生きている。
これは、日本を非難するような物語では決してない。置かれた場所での人々の生き方がちりばめられていて、故郷、異国、そこでの生活、愛着や嫌悪、期待や失望、思いの錯綜が、簡潔で潔い言葉で書き綴られている。
それでも、私が、悲しかったのだ。
田舎暮らしで何も知らずにハンスに惹かれ、身ごもり、イサクと人生を共にし始めた矢先にその生活を奪われ、愛する人の衰弱していく姿を看取り、それでも健気に育っていくノアとモーザスの幸せを祈っていたのだ。本気で。
私はソンジャだ。でも、私は日本人だ。そして、私はノアに口をきかないクラスメイトでもあるし、家族を理由にモーザスとの結婚に踏み出せない悦子でも、きっとあるのだ。
この国で幸せになってほしかった。
この国が、彼らが幸せになれる国であってほしかった。
読後、悔しさと悲しさと申し訳なさと情けなさと怒りと、うまく言い表せない、それでも、ただの負の感情だけではない、たくさんのことを与えてくれる力強さ。この本に出会えたこと、この本が日本語訳され、日本の書店に置かれていること。全てに感謝したい。
美しい装丁の美しい本です。
Min Jin Leeさん、私にソンジャの人生を歩ませてくれて、本当にありがとうございました。
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読み終わって深くため息を吐いた。様々な人達が、それぞれの人生を必死に生きている。決して楽しいことばかりではないし、思い通りにならないことも多い。それが自分ではどうすることもできない理由によるものだとしたら……。上巻で予想した展開は半分当たったが、いい意味で外れたのでよかった。本書は最後まで格調高い文学作品だった。
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在日コリアンの壮大な、しかし小さな物語。
その一瞬には抗えない、それでも後悔が募る、
自分が想像もできないようや後悔を、子供が
体験する。
愛だけでは解決できない。悲しい。
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すごく面白かったー!!!上下巻かなりの分量あったのに読みやすいし引き込まれてどんどん読んでしまって、読み終わるのがもったいないぐらいだった。。。フィクションでこんなに読んでしまうの久しぶり。装丁もかわいい。
ヤンジン、ソンジャ、ノア・モーザス、ソロモンの4世代。朝鮮半島から日本に渡り、日本での暮らしを積み重ねていく。各世代の苦悩がある。長い年月を描いているから、それぞれの登場人物も変化していく。ずっと関わり続けてくるコ・ハンス。「風と共に去りぬ」とか「浮雲」を思い出した。
自分などももうほとんど意識しない世代に入っていると思うけど、なんでこんな差別があるんだろうかと思う。最初、なんでこのタイトルなんだろうと思って読み始めたけど、いろんなことが「パチンコ」に通じている。
ノアのことは悲しかった。。。変えられないものを隠して、隠して、ないものとしようとしてもそれはできないと分かったときの絶望感か。
彼らは、ラッキーだったのかそうでないのか、よくわからない。でも、そんなふうに一概には言えないのが普通だろう。
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学生アパートで、まさによく学びよく遊んだ仲間がいた。
学校も学部もさまざまで、ついでに言えば経済環境もいろいろだったので、夜を徹した議論をしていても多面的な見方があるということがわかり、その後の人生に大きくていい影響を受けたと思う。
就職が視野に入ってきた頃、その中でも優秀で一目置かれていたひとりがスッと消えていった。
彼は在日でパチンコ屋の息子だった。
応募条件に日本国籍が明記されている時代だった。
風の噂で、親の後を継いでパチンコ経営者となったと聞いた。
この本を読んで、彼はいまどうしているだろうかと思いを馳せたが、連絡先もわからない。
自分が直接は知らない上巻の敗戦前のほうが興味深く読めた。
下巻に入ると、ちょっとリアリティーに欠けるところが見え隠れしてしまう。
もっと声高に日本人の在日朝鮮人差別を糾弾するような内容かと思っていたが、身近でも見聞きしたようなことが淡々と書かれているのが、かえってインパクトがある。
ニューヨーク・タイムズで、あれほど長い間ベストセラー・リストの上位を占めていたのに、こんなに翻訳が遅くなるのは不思議だった。
新大久保や川崎で日の丸や旭日旗を振り回している人たちにも読んでもらいたい。三行以上の文章は嫌いだろうけど。
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最初は韓流歴史ドラマの文字起こしかと思いながら(だからそれだけでも面白いのだが)読み始めた。しかし徐々に、本の見た目としてのボリュームだけではない、ずしりとした重みを感じ始めた。ページをめくる手が止まらなかった。作者の魂の声が聞こえる物語であった。上下巻計約700ページ、上下巻計4800円(税抜)以上の値打ち。生きること。愛すること。ゆるすこと。ゆるすこと(大事だから2回)。すっかり引き込まれた。きれいごとだけじゃない、親子4世代と、彼らをめぐる人々の壮大な物語に、自分も入れてもらえたことへの喜びと、感謝。在日コリアンの歴史を知れたことも、ほんとうに良かった。しばらくは彼らは私のなかで生き続け、事あるごとに想い出すであろう。
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日韓併合の後4世代に渡るコリアン、うち3世代が在日コリアンで、彼らの波乱万丈の人生を描く。人情と絆、貧困、自立、挫折とドラマチックな要素はふんだんに盛ってあり、読ませてくれる。ただノアの自殺は唐突で、いかがなものか。あれほど賢い青年にしてはあまりに依怙地で、ハンスへの恩義、ましてソンジャへの感謝の念を失うべきではなく、いずれ彼らの若き日の出会いを容認して欲しかったし、死をもっての抗議は理解できん。それを含めて在日がテーマながら、著者の実体験でなくて取材によるものなので、そこの訴えがなかなか胸に届かなかった。
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都合良く登場人物が金持ちになったり亡くなったりする話。確かに在日コリアンの境遇は悲劇そのものだ。日本に生まれながらパスポートは韓国政府から支給され、そもそも祖先が日本に来たときは半島は一つの国だったのに今は韓国か北朝鮮を選ばなくてはならない。このテーマに小説という形でダラダラと向き合う作家が少なかったのか、反響が大きいようだが、著者は実は在日コリアンについて知識が浅かったようだ。取材をして情報収集したようだが、日本に住む私達からすると違和感を感じる。著者はおそらく在日コリアンの数を数字ではわかっているが、日本で生活しながらその数を実感していない。この本で読むより圧倒的に多くの多様な在日コリアンがいる。社会派のフリをして低俗な昼メロ小説。体型の魅力的な女、美人の女、女の側に立つようで、かなりなステレオタイプばかりが出てくる。ハンスに殴られたホステスはひどい書かれよう。得意客ならホステスを殴って怪我させてもよいの?ましてその後の人生が風俗でボロボロになるとか何なのこのミンジンリー。
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困難の中、生きる人たちの物語。
"困難な状況"の価値観は人ぞれぞれ違うと思うけれど、
きっと大多数の人にとって、これは困難に値するはず。
それは、時代がそうだったとも言える。
日本が韓国を統治しようとしていた時から、
1989年まで続く物語は、植民地時代の韓国、
戦後の日本、経済の急成長する日本や世界
という時の流れが大きく変わっていく瞬間を捉えている。
その頃のことは、
どんなに話を聞いても、小説を読んでも、
信じられないことの方が多いし、
どちらかというと、その実感のないまま
育ったから、自分はどこかのほほんと生きているのかな
と思うことさえある。
主人公のソンジャやその家族は、
大波に揺らされているような時代の中を、
日本で生きる。韓国人として。
16歳で未婚のまま身ごもってしまった、
貧しい少女は、奇跡的に良い夫を持ち、
日本で新しい家族を築いていくわけだけれども、
彼女の人生からは、遊ぶ、暇をえる、眠る
というような言葉が、全てないようにも感じた。
贅沢は罪で、女は男のために家を守る。
やはりその言葉は、今を生きる私にとっては、
違和感でしかない。
そして、それを受け入れ、
息子たちが私の生甲斐、と言うソンジャの気持ちも
わかる部分とそうでない部分も。
ノアとの再会の場面については、
コ・ハンスと同じく「会わない方が良かったのに」と
思うし、中年の男に「家族のところに戻ってきなさい」
も、なかなか理解はできないかな、と
それぞれに共感しながら読んでいただけに、
余計にノアの気持ちになってしまった。
歴史事実を基にしながら物語られる
4世代のお話は、当時の匂いや
情景が浮かびそうなほど細かな描写と、
次々と展開してゆくストーリーに
グイグイと引き込まれた。
渡辺由佳里さんの解説の中での
著者への取材で「現代の日本人には、
日本の過去についての責任はない。
私たちにできるのは、過去を知り、
現在を誠実に生きることだけだ」と語っていた
と書いてあった。
私は、現代人には責任はなくとも
事実として知っていることは必要だと思う。
歴史について無知でいることは
自分の生まれ生きているこの時代にも
しっかり色を付けてるのだから、
なぜ、どうして、の興味を持って
これからもこう言う本をたくさん読んでいきたい。
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4代にわたる在日コリアンの物語。日本で暮らすことの苦労や2世3世の意識の違いや日本に対する考え方などが描かれ、最後まで読んでよかった。ソンジャと一緒に泣いてしまった。
訳者による解説はわかりやすく職業選択の自由がなかった話などはとても参考になった。「おしん」を思い出すという話は納得。渡辺由佳里さんの「ベストセラーからアメリカを読む」というブログ読みたくなりました。
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上巻に続けて下巻も、一度読み始めたらページをめくる手が止まらず読了。
上巻で主人公だった少女は夫とともに韓国から日本へ移住したが、下巻ではその子ども達であるいわゆる在日二世、三世の物語が中心。二世、三世の抱える一世とはまた異なる種類の悩みが鮮明に描かれ、移民として生きることの難しさを教えてくれる。
解説でも言及されていたが、本書の主題は在日コリアンであるもののそれに留まらない移民に共通する心理が書かれているようで、それが移民の国アメリカで全米図書賞の最終候補になるほど共感を呼んだ理由なのかな、と思う。
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米国在住コリアンの作家が描く在日コリアンの物語。4世代に渡って第二次大戦前からバブル期までの日本を舞台にした壮大な大河ドラマで、かなり読み応えがありオモシロかった。上巻で登場人物をはじめとした物語の骨格が作られ、じっくりと世界観を頭の中で構築/堪能。下巻でそれが爆発していくという印象で特に下巻のページターナーっぷりはかなりのものだった。
そもそも「在日コリアン」と呼ばれる人々がどのような立場にいる人のことを示すのか?曖昧にしていた自分の認識が整理された上でかなり特殊な立場であることを改めて知る。敵国に祖国を支配されて日本にきたはいいものの今度は帰るところがなくなってしまった、この悲しみはユダヤ人が置かれた立場を想像させられた。アイデンティティを失ってしまう二世/三世の物語は移民大国アメリカの十八番であり数多くの作家の物語を読んできたが、日本でも同様の境遇が発生していることをなかなか想像しにくい。それは日本が移民を限りなく制限していて「単一民族国家」という幻想を追い求めるからだろうけど今後の人口減少/高齢化社会においてはいつまでも呑気なことを言ってられない訳で本著のような物語がさらに普遍性を持つ社会が目の前に迫っているとも言える。そのときに何が重要かといえば人は人種で判断できないということだ。しかし物語の中では在日コリアンであることに起因した残酷な出来事がいくつか起こってしまう。また血は変えられないという話が繰り返し登場して、そこで何度も苦悩する登場人物たちがいて、彼らのその苦悩する過程を教訓にして我々は同じ過ちを繰り返さないようにしなければならない。小説内で安易に解決させずに自分で考えることを促す、これは解を提示するような啓発書では得られない、小説だからこその魅力だ。
本著のタイトルにある「パチンコ」と人生を重ね合わせるメタファーが非常に秀逸だった。これに限らずとくに下巻はパンチラインのつるべ打ちだった。一部引用。
モーザスは、人生はパチンコに似ていると思っている。ハンドルを調節することはできても、自分ではコントロールできない不確定な要素があり、そのことも心得ておかなくてはならない。何もかもあらかじめ定められているように見えて、その実、運まかせの要素や期待が入りこむ余地が残されたこのゲームに客が夢中になる理由はモーザスにも理解できた。
許すことを学ばなくてはならないよと諭したかった。何が大事なのかを見きわめなくてはならないと。過ちを許さずに生きていくことは、息をして動きながらも死んでいるに等しいと。
なあ、人生ってやつには振り回されるばっかりやけど、それでもゲームからは降りられへんのや
ゲームに勝つのはほんの一握りだけで、ほかの全員が負ける。それでも人はやはりゲームを続ける。自分こそ幸運な一握りかもしれないと期待する。自ら望んでゲームに参加する者たちに腹を立てる筋合いはないではないか。悦子はこの重大な側面で失敗を犯した。子供たちに希望を抱くことを教えなかった。自分は勝てるかもしれないという、およそ不合理な可能性を信じることを教えなかった。パチンコはたわいもないゲームだが、人生は違う。
「ぐはぁ」と思わず声に出してしまう出来事とそれに対する各自の立場。それはどこで生まれて何を見て育ったかによって異なり人間は環境にたぶんに左右されてることも痛いほど伝わってきた。人生はパチンコ。Apple TVでドラマ化される際には多くの日本人俳優がフィーチャーされることを切に祈る。