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著者の博士論文をもとにした本で、中井竹山と履軒の兄弟を中心に、懐徳堂の儒学思想の特質について考察をおこなっています。
著者はまず、近世における儒者の社会的地位について検討するところから議論をはじめます。研究者たちは、しばしば近世の儒者たちを「知識人」と呼んでいます。しかし、近代以降における「大衆」と「知識人」という枠組みにもとづいて近世の儒者たちの立場を理解することは誤りであると指摘しています。
つづいて著者は、五井蘭州、尾藤二州、頼春水らの思想について検討し、竹山および履軒の思想との関係について考察をおこなっています。彼らはいずれも朱子学を重視する立場に立っていましたが、とりわけ竹山と履軒において「修己」と「治人」のバランスをとる立場が打ち出されていたことに、その特質が認められると著者は考えています。
さらに著者は、履軒の経学と竹山の経世について考察しています。履軒は朱子学の性善説を基本的に踏襲しながらも、朱熹の「性」をめぐる思想に対する批判を通して、人間が本来もっているはずの善に向かうことができるという思想を表明しました。他方竹山は、儒者が政治にかかわることのできない当時の社会制度の限界のうちにありながらも、儒学にもとづく統治の可能性をさぐっていたことが明らかにされています。
著者の意欲的な試みには好感をおぼえましたが、懐徳堂儒学の経学解釈と、儒者の社会的地位についての考察とのあいだに、まだ若干ギャップがのこされているような印象もあります。