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ものすごーーくおもしろかった!
ユーモアがあって楽しくて後味もよくて、あのディストピアなアトウッドとは思えないー。こういうのもっと読みたい。
陰謀によって演出家の立場を追われ、隠遁生活を送っていた主人公フェリックスが、矯正施設の更生プログラムの講師として、受刑者たちにシェイクスピア劇の上演を指導するようになる、って話で。
あまり教育を受けていない受刑者たちもいるなかで、フェリックスが巧みに「テンペスト」の解釈をして、彼らからユニークな意見を引き出しながら、巧みにみんなをまとめてすごく斬新な舞台をつくりあげていく、っていう過程が読んでいて最高に楽しかった。演劇ってこういう感じでつくっていくんだなあーとわかるみたいで。受刑者たちもみんな根はいい人間で魅力的で、舞台をつくっていくにつれて成長していくところもなんだか感動する。
シェイクスピアの「テンペスト」のストーリーと、演出家の立場を追われたフェリックスが復讐しようとするっていう小説のストーリーと、受刑者たちが上演する「テンペスト」とが重なっているっていう構成もみごと。
ちゃんと読まなくてはーといつも思っていてなかなか読めないシェイクスピア戯曲をこんなふうに理解できるのはお得、って感じもある。
それに、フェリックスのすごく孤独な心情もすごく胸に迫るところがあるし、フェリックスに亡霊のように見えている亡くなった娘ミランダが芝居に興味を持ってプロンプターをはじめるところとかすごくよかったし、ただよくできてるなーとかで終わらずに、なかなか感動したのもまたよかった。
「語り直しシェイクスピア」っていうシリーズなので、今後ほかの作家の作品も刊行予定だそうですごく楽しみー。
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シェイクスピアの『テンペスト』の公演を前にして、自分が目をかけていた部下に裏切られ、突然解任された舞台監督のフェリックス。
失意の中で妻や娘も失い、彼は名前も変えて刑務所の更正プログラムで囚人たちによるシェイクスピア劇公演の講師となる。
解任事件から12年後、部下だったトニーが大臣に出世し、刑務所の公演を見学に来ることになった。彼らに復讐をするチャンスだ!勿論、演目は裏切りへの復讐に燃える王の物語『テンペスト』。フェリックスのまさに復讐劇は成功するのか?
面白い!
複数の作家がそれぞれシェイクスピアの作品を取り上げて「語り直し」をする企画の一つとして生まれた作品で、『テンペスト』の語り直しを試みたのがこの作品。
「語り直し」なので、ベースは裏切られた男が、裏切った相手を罠にかけて復讐を試みようとするというテンペストの筋が踏襲されている。
しかし、演じる役者たちが素人の囚人であり、更生のためのプログラムという設定なので、「テンペスト』という作品を知らなくても楽しめると思う。しかも、囚人たちが自分の役を理解しようとする過程や、講演後に演じた役のその後を考えるという講義が更生プログラムの一つという設定なので、その中で「テンペスト」という物語に隠されたテーマ、構造などの話も出てくる。
読み終えた後で、「テンペスト」をもう一度読み直したくなった。
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妻と幼い娘を亡くし深い悲しみの中にいた劇場の舞台監督フェリックス。その隙に、信頼していた部下トニーに監督の座を奪われ劇場を追われてしまう。復讐を胸に、刑務所の囚人へのプログラムの一環としてのシェイクスピア劇団で監督を務めて約10年が経った時、大臣となっていたトニーが刑務所の視察に来ることに。フェリックスの復讐が始まった。囚人と共に立派に「テンペスト」を上演し、トニーの鼻を明かすのかと思ったら違って、フェリックスの策略により、もう1つのテンペストが繰り広げられる。でも、これって犯罪なんじゃ…?
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2020.11.29市立図書館
このところなにかと話題のマーガレット・アトウッド、私にとっての出会いの一冊はシェイクスピア語りなおしシリーズのこれになった。
刑務所の更生プログラムの一環としてシェイクスピアを上演するという物語の中に「テンペスト」がまるごと何重にも織り込まれた快作。主人公の人生を経糸に、演劇界や刑務所の裏話などを横糸、スパイスとして現代を写すアトウッド版「テンペスト」は演出家と役者・スタッフによる台本分析・研究から配役を決め稽古して上演に至るまで伴走し、さらに上演後の「登場人物その後」レポート発表会で参加者たちの得たものを共有できる趣向なので、演劇オタクでもそうじゃなくても、この芝居ひいてはシェイクスピアがよくわかるようになっておもしろい。さらに、この芝居が作られた当時も多分そうであったはずの現実世界への批評もしっかりもりこまれていて、シェイクスピア劇を見ながら両極化し分断が深まる「いま」をかんがえることができる。この入れ子のような牢獄から解放される日はくるのだろうか。このままシェイクスピア沼そしてアドウッド沼に引きずりこまれそう。
脳内上演が最善なのだろうけれど、いつか「天保十二年のシェイクスピア」(井上ひさし)のように実際に上演される日が来てほしいと期待している。今年であった双璧のシェイクスピアへのオマージュとして記憶に残ると思う。
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世界のベストセラー作家がシェイクスピアの名作をテーマとして語り直しシリーズの第1作。
『侍女の物語』、『請願』で生殖機能が国家によって管理されるディストピア世界を描いたマーガレット・アトウッドが選んだのは『テンペスト』である。しかし、この語り直しの世界が凄い。新たな『テンペスト』は刑務所、つまり獄中の中で囚人たちによって演じられるのである。
政治闘争に負けて落ちぶれたベテランの演劇演出家を主人公、彼がある刑務所で行われている矯正プログラムの一貫としての演劇をプロデュースし、その演目として『テンペスト』を選ぶところから物語はスタートする。この矯正プログラムが注目を浴び、自身を陥れた政敵が刑務所を訪れて観劇することを知った主人公は、『テンペスト』の上演を通じて彼らに決死の復讐を挑む・・・という筋書きである。
演劇に参加するメンバーは窃盗、詐欺、会計不正など極めて多岐に渡っており、一癖も二癖もある人間ばかり。彼らをうまくリードしながら次第に『テンペスト』という演劇が完成していく過程は非常に楽しい。セリフもラップ風に韻を踏んだものになるなど、随所に面白おかしさが溢れている。
かつ、教育効果を高める一貫として、終演後のメンバーに対して、彼らが演じた登場人物の事後談を考えさせてレポートを出させるなど、『テンペスト』という古典を考え直すヒントもふんだんに描かれている。古典作品をテーマとした創作のお手本とも言えるような傑作。
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最初に思ったのは、主人公への同情。妻と娘を亡くして、仕事も部下に取られる。これ以上ないほどの絶望。その後精神を病んで、復讐に燃えるのも、仮想の娘と暮らすのも仕方ないと思う。だけど、主人公がちょっと変わってて、評判が落ちてたことも事実だったのかもしれない。ただ部下がやり手だっただけ。そう思うと復讐の仕方は間違ってるかなと思わなくもない。でも、それによって矯正所でシェイクスピアを作ることになるから、良かったのかなとも思う。矯正所で指導するときは、相手の意見もしっかり聞いて主人公自身も自制できるようになってたのを見て、彼自身も矯正されてるんだろうなって思った。あとはラストのチームごとで解釈を言い合うのが本当に面白い。芸術作品に答えなんてないし、本だって映画だって人それぞれの解釈がある。それを聞けるのが本当に楽しかった。大学の授業でもやりたい。
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妻も娘も亡くし、仕事も奪われた男が辿り着いたのは…獄中劇団!そこで復讐心に燃えながら、テンペストを公演する。主人公の境遇に同情しながらも、私は途中から獄中劇団に魅せられ、本番では手に汗握り、ドキドキし。復讐のことなど忘れていた。
どうしても難しいイメージのあるシェイクスピア。それをこう読んでもいいとは!とっても……じゃなかった。
クッソ天才かよ!どちゃくそ最高!
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もっと「アトウッドらしさ」を期待していたので、ちょっと肩すかしで物足りなかった。囚人達の演劇プログラムの監督として呼ばれた主人公。妻娘を亡くして病んでる、と言われている。病まない方がおかしいんだって。
まあ、読みやすく楽しい。普通の人が書いたらもっと退屈な題材になっていたと思う。が、特に思い入れは起きなかった。
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シェイクスピアのすごいところは、設定を様々な解釈により大胆に換えても、その面白さを損なわないこと。しかし、古典の語りなおしを文章として表し、さらにそれを翻訳している、そして面白いというのはすごいこと。シェイクスピアは注釈が多くてそれが原因で難解になりがちなのだけれど、そこがとても上手くカバーされていた。ラスト、とても良かった。
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今まで読んだアトウッド作品の中では、1番、明るい話。ストーリー展開がポジティブなので、安心して楽しめる。原語で読めたら、きっともっと面白いんだろうなあと思いつつ、言葉遊び満載の翻訳し難いこの作品をこんなにも面白く仕上げてくれた鴻巣さんに感謝!!
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”Let your indulgence set me free."で終わる、『テンペスト』を読んだのは、学生の時でした。
プロスペローの魔法の放棄と赦しと、自由。ずっと、消化不良(理解できなかったまま、そのことも忘れていたけど)でしたが、「閉じ込められること」からの解放がちょっとだけわかるような気がした。主人公だけでなく、それぞれが解放されていくことに、解放されない人が残ることも。
ただ、忘れてはいけない。私の考える”自由”とシェイクスピアの語る”自由”は必ずしも同じ意味ではないこと、を。――何はともあれ、本棚に眠っているハズの、『テンペスト』を探してみよう。
「あとがき」にもあったけど、キャラクターの「その後の人生」は、考えさせられる。特に、キャラクターを細かく読み込んでレビューしている姿は、解説書。『テンペスト』の読み方講座ここにあり、かな?
最後に、娘のミランダが解放されて、ホッとしました。
できれば、もっと早く発刊されていれば、学生の時に読みたかった。
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一番の魅力は、デューク先生(主人公フェリックス)の『シェイクスピア現代解釈講座』!
劇の「言葉遊び」や「セリフの現代解釈」はまるでラップのノリで、自然に頭の中でリズムが刻まれていた。
デューク先生の作品解説では「シェイクスピアにとって自身の戯曲が古典とは全く思っていない」として、自由な発想のもとで演者自身の能力を引き上げている。
特に、講演後の最終課題で「演じた人物のその後」を発表し合う場面は、三か月の総仕上げとして演者自身の心に深く刻まれたに違いない(と、読者が感じてしまうことがすごい)。
もちろん、娘ミランダの幻影とともに生きるとも死ぬともされない主人公のフェリックスが、劇中の主人公プロスペローと同様に「復讐心」を力に「許し」を与えながらも、知らず知らずに自身の「再生」の道を手繰り寄せるくだりは、何だかほっとする場面である。
『テンペスト』はシェイクスピア最後の単独作で、終盤のプロスペローの「今日限りこの魔法の力を捨てよう」というセリフや「(エアリエルを)解き放つ」場面は、これまで「娯楽の奴隷」となって数多くの戯曲を書いたシェイクスピア自身の絶筆宣言ともいわれている。
すでに高名を得ているアトウッドが、そう意図していないことを願う。
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人生にはテンペスト(嵐)はつきもの。嵐でたどり着いた島という牢獄から脱出するには、「set me free」…観客のみなさんの助けが必要…
演じる囚人たちが役についての解釈をするのが、何ともすばらしい。海外の作家がシェイクスピアの作品を焼き直すという企画らしいのだが、日本人作家は書かないんだろうか?
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『テンペスト』の演出に心血を注いでいた舞台芸術監督フェリックスは、ある日突然、部下トニーの裏切りにより職を奪われた。失意のどん底で復讐を誓った彼は、刑務所の更生プログラムの講師となり、服役中の個性的なメンバーに、シェイクスピア劇を指導することに。
12年後、ついに好機が到来する。大臣にまで出世したトニーら一行が、視察に来るというのだ。披露する演目はもちろん『テンペスト』。
シェイクスピアの『テンペスト』を現代風にアレンジした小説。映画も舞台も見たことも読んだこともないですが楽しめました。ベテラン演出家が契約を打ち切られ無職なって人生迷子になってしまう。そんなとき刑務所で更生プログラムとして演劇を教えることに。『天使にラブソングを』の刑務所版みたいな話だなぁと思いました。
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劇場で見たことはないが、ピーター・グリーナウェイ監督、ジョン・ギールグッド主演の『プロスペローの本』という映画を観たことがある。『テンペスト』は復讐劇。魔法を究めることに執心し、政務を疎かにしたことにより、弟に大公位を簒奪され、三歳の娘ミランダとともに島流しにあったミラノ大公プロスペローが、十二年後、偶然近くを通りかかった船を魔法の力で難破させ、かつて自分を陥れたナポリ王や弟アントーニオに復讐を果たすという、シェイクスピア最後の戯曲だ。
『獄中シェイクスピア劇団』は、シェイクスピアの作品を現代作家が語り直すという趣向の「語りなおしシェイクスピア」シリーズ第一作。今回の作者は『侍女の物語』『誓願』等で有名な、あのマーガレット・アトウッド。この組み合わせで面白くないはずがないと期待しつつ読んだが、巻を措く能わず、の言葉通り一気に読み終えた。ラップあり、ダンスあり、罵倒語たっぷり、というミュージカル版『テンペスト』。期待は裏切られなかった。
ミラノ大公の座を追われたプロスペロー役を、カナダの田舎町マカシュウェグで行われる演劇フェスティバルの舞台芸術監督を務めるフェリックス・フィリップスという演劇人にすることで、アトウッドはシェイクスピアお得意の「劇中劇」という「入れ子構造」を使い『テンペスト』に更なる一捻りを加えている。劇作りに忙しい自分の代わりに資金集めやスポンサーの接待役を他人任せにしたつけが回り、ある日突然フェリックスは監督の座を追われる。部下のトニーがその後釜に座るという段取りである。
とりあえずの住まいとして見つけたのがマカシュウェグ近郊の廃道の突き当りにある丘の斜面を掘って建てられた『テンペスト』劇中の土牢そっくりの小屋。失意のフェリックスはそこで隠遁生活に入る。妻は産褥死、娘のミランダは三歳で死んだ。芝居にかまけて看取ってやれなかったことを後悔しているフェリックスは今でも傍にミランダがいる気がして、始終話しかけている。死んだ子の相手をしている間に九年が経ち、遂には娘の声まで聞こえ出す始末。フェリックスはこのままではいけないと社会復帰を考える。
そんな時、近くにある「フレッチャー矯正所」という刑務所内で文学を教えていた教師が急死、後任を急募中であることを知る。デュークという変名で採用されると、早速、講座をそれまでの「ライ麦畑」からシェイクスピアに変え、最後には受刑者たちによる演劇を披露する。それが受け、受講希望者も年々増え常連も出てくる。『リチャード三世』や『マクベス』の評判は上々で、瞬く間に三年が経ち、四年目の今年、「フレッチャー矯正所」に大臣が訪問するという知らせが届く。今では民族遺産大臣にまで出世した、あのトニーだ。一緒に来るのが当時後ろで糸を引いていたサルで、今は法務大臣になっている。
ようやく復讐の時が来た。今年の演目は、監督を解雇された年にやるはずだった『テンペスト』に決めた。ところが、問題が持ち上がる。大事なエアリエルとミランダ役に一人として手が挙がらない。大気の精エアリエルを妖精(フェアリー)だと信じる受刑者たちは、そんな役��演じたら後でどうなるか分かったもんじゃない(フェアリーには同性愛者の女性役という意味がある)と言う。また女の役でもマクベス夫人ならかまわないが、十五歳の可憐な少女役は、同じ理由で誰もやりたがらない。
獄中劇という趣向がここで生きてくる。エアリエルは妖精ではなくエイリアンのようなものだと言いくるめたが、ミランダの方はなすすべがなく、以前候補として挙がっていた女優アン=マリーに連絡し、快諾をもらう。こうして、劇の練習が始まる。キャスティングに始まり、それぞれの役柄の理解、舞台や衣装の製作、振付け、音楽や映像の準備(なにしろ獄中ということで、実際に観客は入れないで録画したものを見せる)と実際の劇ができていくまでが受刑者たちとの会話を通して生き生きと描かれる。
個性の強い役者が揃っている。ハッカーもいれば、元軍人の強盗、詐欺師、麻薬組織の一員、会計士、人種もアイルランド系、東インド系、スカンジナヴィア系、ヴェトナム難民の家系、WASP、ネイティブ・カナディアン、中国系、アフリカ系カナダ人、と色とりどり。受刑者とは言っても、シリアルキラーや小児性愛者はいない。それでも男ばかりの中に女優が入ってゆくのだから、フェリックスは心配するがアン=マリーはなかなかの強者で、すぐにチームの中に入り込み、かえって受刑者たちの強力な助っ人となる。
手ぐすね引いて待ち受けるフェリックスたちのところへトニーとサルたち一行がやってくる。ちょっとした薬を仕込んだ果物とジンジャーエールが用意され、それに手をつけた者は眠りこみ、暗転の中でミランダの相手役、ナポリ王子ファーディナンド役にあたるサルの息子は拉致される。トニーがこれ幸いとサルと党首争いが進行中のセバートにサル追い落としの計略を聞かせるところを録音し、それをネタにフェリックスは復讐を果たすというのが語りなおしの『テンペスト』。ネタばらしのようだが、そもそも種は初めから割れている。
それよりも、受刑者たちが最後にチームで話し合ったそれぞれの役の解釈を披露するとともに、その後の展開を語るところが、いかにも「語りなおし」という趣向にふさわしい。かつて独りよがりで、誰の意見も聞こうとせず、一人で悦に入っていた独裁者フェリックスが、受刑者たちの独特の解釈に百点満点を与え、演劇はチームプレイであることをあらためて理解し直してゆくところなど、胸が熱くなる。
ラップで聴かせるシェイクスピアという発想がぶっ飛んでいるが、『テンペスト』はもともと音楽劇として構想されているので、現代風の語り直しとなれば、ラップもあり、か。ラップといえば韻(ライム)を踏むのが知られている。「バン、バン、キャリバン/獣あつかい、ひどいじゃん!」。原文は読んでいないが、訳者も、かなり苦心したことだろう。原作を知らないからという、心配はご無用。そういう読者のために、作者による<オリジナル・ストーリー>が巻末に付されている。やみつきになりそうなシリーズの登場である。