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梨木香歩さんのエッセイを読むと、どの文章も、厳しく鋭く突き刺さってくるようだ。辛くなることもある。
なにかを感じずにはいられない。感じなくてはならない、このまま読み飛ばしてはならない。非常に覚悟を問われるのだ。
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自分が死んだ後も世界はなくならない、自分だけが消えるのが怖い、といった感情は、確かに(精神が)幼いころにあった。
そして今は、自分が死んだ後も鳥は樹々は海は空はずっとある、と思う。そうあって欲しい。
『炉辺の風おと』p.115を読んでの感想。
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八ケ岳の山小屋に籠もり小屋周りの鳥や植物、小動物、自然界のことを話りながら、話は人間社会に繋がり思索を深めていく梨木さんの語りが好きだ。
炉辺の話に惹かれた。薪の魅力が存分に語られている。
変わらず愛情深く鳥や植物、自然に目を向けているが、(野鳥の餌箱設置など)その距離感が以前とは変わってきた印象を受けた。
ご自身のご病気、お怪我、身内のご不幸など辛いこともあり、より身近な自然へ眼差しを向けることが多かったのだろうか。
どこに目を向けていようと、梨木さんの眼差しは常に優しく深い。じんわり心に染みてくる。
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八ヶ岳の山小屋で過ごす日々を書いたエッセイとして読み始めたけれど、後半はお父さんの最期の日々に寄り添って考えたり感じたことや、コロナ禍で考えたり感じたことが主になっていた。もちろん、それはそれでとても興味深かった。
鳥や植物など名前を聞いてもわからないのがほとんどではあったけれど、読んでいると自分もひんやりとした木の匂いのする森の中にいるような清々しい気持ちになれて、夏の暑さも少し忘れられた。
私にとって人生の一冊ともいえるのが「赤毛のアン」なのだけれど、首都圏で生まれ育った私はやっぱり都会が好きで、都会以外では暮らせないと思っていた。でも数年前に「赤毛のアン」の舞台となったプリンス・エドワード島に行って、思っていた以上に自然に囲まれた環境が気分良くて、とても好きなのだということに気づいた。そういう環境で生活をしたことはないので(もちろん旅行で数日滞在するのとは違うだろうから)、実際移住したりする自信はないのだけれど、憧れる。
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梨木さんの最新エッセイ。
八ヶ岳に山小屋を得て、そこでの様子など徒然と。
毎週の連載だったもよう。そちらでは挿絵の油絵があったようで梨木さんも好きだったようなのでできれば収録してほしかったな。
相変わらず植物、鳥の名前が個別名がしっかり特定されてでてきて、本当に好きなひとは図鑑を引きつつ読むんだろうなあっと思う。
残念ながらそれほどの熱意は私にはない。
家に暖炉があるというのはいいものだろうなあ。
それなりの手間がかかるのだろうが、チラチラとゆれる炎をずっと眺めているのは気持ちが良さそうだ。
梨木さんは自分の手で実感することを大切にされてる感じがする。そーゆー意味で自分で自分の火をつける、という行為がなんとゆーか好きなのかなあっと。
面識はないもののその住んだ家の気配に魅せられるお話が好きだった。
残念ながらその家はもうないのだが。
お父様の話は心痛めた。
それがただの仕事、いや作業となってしまった時に起こる悲劇を思う。
全くレベルは違うものの自分が働く姿勢のなかに、彼らのような部分があってしまっていることに反省。
つくづく人の生き死にに関係ある仕事についてなくてよかったと思う。私は私が一番信用ならんから。
ネジバナは私も大好きなのでその出会いを喜んでおられる一文に、私も好きなんです!っと心の中で叫んでしまった。
好きな人が同じものを好きと言ってくれるとなんか嬉しい。
あまりご自身のことをだされない感じの方なので、
今回、背骨骨折やら、耳が聞こえないやら、お体があまりよくないこともあったことを書かれてて、
どうぞご自愛ください!っとめっちゃ伝えたい。
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エッセイ
私もそこで鳥の囁きに耳を傾けているように微睡む反面、中盤以降の噛み殺して砕け散った言葉の端々に悲しみが差す
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八ヶ岳の自然の中の暮らしも楽しそう。ずっと八ヶ岳で暮らしているのではなかったのでちょっと想像していた内容とは違ったけどエッセイとして面白かった。
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八ケ岳山麓の小屋に設えた暖炉の炉辺にたたずむ、憧れの姿勢だ。
毎日新聞「日曜くらぶ」に連載されていたエッセイなので、テーマはいろいろだけれど、落ち着きのある文章に共感する。他人が書いた文章を読むことで、自分自身をつかんでいくような不思議な感覚だ。
毎日新聞「日曜くらぶ」は僕が高校生のころから続いている日曜版だ。当時は文庫本のプレゼントコーナーや読者投稿のスペースがあり、高校生の僕の投稿も1度載せてもらったことがある。本書の書評で、「日曜くらぶ」掲載の・・・というところで一気に40年前のことが思い出された。遠くに来てしまったな・・・。
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ゆっくり、ひとつひとつの文章を、言葉を、味わいながら読んだ。
梨木さんの野鳥や植物を観察する力、気にかける眼差しがとても素敵だなと憧れるも、私には何かが欠けている。いつか同じ景色を見ることができるのだろうか。
言葉にできないけれど、こんな今だからこそ、大事に何度も何度も読み返したい。
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梨木先生のエッセイ。
この方の自然との共存の姿勢がとても好き。
家はどのように建てられてどのような人がどんな風に過ごしているのか。
そういうことに思いをはせました。
いつかアイルラドやイギリスを訪れたくなります。(もちろん信州も)
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梨木香歩の著書は片っ端から読んできたけど、こんなに同じ時間軸で書かれた本は初めてだった。
変な話だけど、あぁ同じ時代に生きている作家さんなのかと実感。
父親の件で、涙が滲んだ。大人ということ、娘ということ、あらゆる目線から湧き上がる感情を俯瞰的に眺め、今あることに集中する、その姿勢に感服した。
私には出来ない。たとえ同じ歳になっても。このとき著者は、この文間に沈んだ時間の中で、どれほどの暗い感情を押し殺したのか。
この著者の本をたくさん読み続けてきたから感じる、滲み出た哀しみ。怒り、そして怒りをを超えた悲しみ。何故かわからないけど、それでも柔らかさと美しさを失わない文章に、こちらが涙ぐんだ。この人の姿勢は、少なくとも文字列の中では、決して揺るがない。
著者の本で初めてハッキリと違和感というか違いを覚える部分があったのも面白かった。私は非効率は目指せない。我々は違う時代を生きる別世代だということを痛感した。
基本的にはいつもの豊富な知識量を誇る植物たちとのお話や、山小屋で出会う小動物たちとのお話。こんな暮らししてみたいなぁと思うが、狭い部屋だけでも管理が手一杯な私には憧れのまま終わる生活だな。
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「西の魔女が死んだ」から気になっている作家。
今回は暮らしぶりも含めてのエッセイ。
イギリス、スコットランドなどの留学を経て、自然との関わりを再考しつつ自分の暮らしを見つめていた著者。
家を探すのも、まずは建築家の暮らしぶりや価値観をも考え共感できるか。
興味から家に対する考え方や家を通じて、人の生き方、哲学など広い範囲に。
この暮らしぶりを真似できるものではないが、自然を見つめる、自然の中に身を置く暮らしぶりは、達人とはいかないまでも自分のできる範囲で人生を楽しむ。
今はやりのキャンプにも通じる部分あり。
後半は、コロナにも言及。
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初読。図書館。八ヶ岳での山小屋暮らしを中心にしたエッセイ。自然や生物への視線は安定の語り口だし、今この世界への危機感とその心の持ちようもいつも通り。驚いたのは亡くなられた父親を記しておられたこと。家族のことを書かれたのは記憶にない。人生の最期を迎える患者とその家族にとって、現代の医療がこんなにも無慈悲だとは。医療に幻想を抱いているわけではない。医療従事者への尊敬は持っているつもりだ。しかし梨木さんを「爆笑」させたやりとりには、恐ろしさを感じ、どんな心構えを持つべきかについて深く考えさせられた。
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山小屋での暮らし、そこで触れあう小鳥やリスたちのこと、父の看取り、沖縄、コロナ。梨木さん自身の体の衰えに触れたところも多く、長年の読者としては少し心配になった。
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読んでいて、体の奥底からふつふつと温められているような気がした。
激しい言葉や暴力に訴えなくても、人は人を「焚きつける」ことができるのだなあと実感。
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楽しめる内容もあったが、今の私にこの本を読むタイミングではなかったのか?と思わせられるところもあった。
もう5年、10年…と時を過ごし読んだときには、沢山の新しい発見や日々の奥深さなど色々感じさせてくれる可能性をとても秘めている気がする。
しばらく寝かせてから再度手に取りたい本。