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パッと理解するにはいい本!!!
2020/12/31 18:29
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:やっくん233 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ページ数は少ないが原著を理解したり、読む手助けになりそうです。番組を見て、ブリュデューや岸先生のファンになり購入しました。昔、別の100分deのやつを立ち読みしたけどもうちょっとページ数あったと思った。先生や講義のレジュメを見せてもらった気分ですwww!!。もう少しページに厚みが欲しいけど、これでも4、5百円台は安い方。nhkブックスだから、公共性を考え多少、安くなってるんだと思う。
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美術館に行くようになったのは「稲妻の一撃」だと思っていたけど、よく考えると、モダン建築が好きで、コルビュジエの建築目当てで国立西洋美術館に行くようになったのだと思い出して落ち込んだ。
結局僕は、そこそこ文化資本には恵まれている方で、それを増殖させる機会を逃さなかったに過ぎない。
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ぼくはブルデューも岸政彦も嫌いですが、社会学がやっていることの一端は知って欲しいので、見て欲しいです。
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ハビトゥス 日本語では「氏育ち」になるのかな 違う部分があるだろうけどどうみるか 日本の場合はフランスほど強固な伝統や体制はなく、あって成金の豪華趣味ということなのかもしれないが
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ハビトゥス、界、文化資本。
私たちの趣味は、社会的に構造づけられている。
自分とは異なるハビトゥスにも他者なりの合理性があると考えること。それが理解につながる。
みんながこのブルデューの理論を理解していれば、思い違いによるすれ違いや無駄なハレーションはずっと少なくなるのではないだろうか。
評者とほぼ同い年の著者の、カウリスマキやグレン・グールドが好きだと言う身もふたもないハビトゥスの告白が.妙におかしく、Bill Evans逆にいいよね、なんて言う言い方も恥ずかしいけれどよくわかる。ハビトゥスを言い当てられることの、ある種の恥ずかしさは何なのだろうな。
それにしてもあの読みにくい大著を、ちょっと読んでみようと思わせる、卓越した解説。こういうレビュー論文を書きたいものだ。
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本書はテレビ番組4回分の内容に沿ったテキストである。番組を視聴しなくとも、ブルデューの『ディスタンクシオン』をコンパクトにまとめた入門書として非常に意義がある。社会学や教育社会学の文脈で語られていた「文化資本論」「趣味論」「ハビトゥス」といった言葉が、一般に啓蒙された功績は小さくない。
著者がいうように、ブルデューは「人々の趣味を調べるというベタな調査」(p.7)を実施して、「独自の概念セットをつくりあげ、精緻な理論まで構築」し、「世俗的に出世」しており、研究者の生き様としてかなりかっこいい!実証的研究は実直な調査で影響力のある成果が出せるのが理想だと思う。
第1回のパートは、放送を視聴しながらページをめくった。ブルデューの生まれと育ち、経歴を概観した後、社会における「階級意識」が研究の基底にあることを紹介している。また研究の特徴は、①全体的な制度や現象、構造を対象にしてデータ収集・分析する方法と、②実直な参与観察による人々の行動や価値判断を丁寧に見ていくこと、とされている。
話題は「趣味論」から始まる。「日常的な文化的行為、すなわち趣味は、学歴と出身階層によって規定されている」(p.20)。例として、著者の音楽の好みの規定要因を語っている。ピアニストのグールドはテキスト中に何度も登場する。よく引用される職層別に見た曲の選好を表した図表もテキストに載っている(p.29)。「平均律」「ラプソディー・イン・ブルー」「青ダニ」の3曲をどの職業の人がどれくらい好きかを数量化したものであり、例えば平均律は教授職や管理職に好まれている結果となっている。さらに絵画や写真を鑑賞する「眼」も「教育によって再生産される」(p.26)ことも示している。写真に関する調査でも、3つの作品を提示し、どのような感想を持つかまとめられた結果が転載されている。
本書の趣旨からして「ハビトゥス」の解説も不可欠である。著者は「ハビトゥスとは私たちの評価や行動のさまざまな傾向性のことであり、同時にそれらを生み出す原理」であり、「異なる分野においても同じ傾向を示す(移調可能)」ものと説明している。個人的に興味深いのは「移調」可能なものという表現である。ホルン奏者は「移調」、記譜上の音を読み替えて音を出すことを当たり前に行う。音楽ではなく社会学でも「移調」という用語を使うことを初めてしった(音楽の移調の詳細はこちら https://xn--i6q789c.com/gakuten/icho.html )。さらにハビトゥスの別の表現として、「それまでの人生における有限の体験の中で構築された、その後の人生のさまざまな状況のなかで応用が可能な規則性・傾向性の束」(p.35)という説明もしている。再度音楽を例にしているが、上流階級はフォーレやドビュッシーのような享楽的な音楽を好み、中産階級(公務員・教員)はバッハのような禁欲的な音楽を好む、という。個人的にはいずれの3人の作曲家も好きだが、音楽に触れる回数は圧倒的にバッハが多い。ブルデューから提示されたその理由はとても興味深い。「自分たちの存在そのものが自助努力によって構築されてきたものであるからこそ、受容するのにより努力や勤勉さが必要な、禁欲的��文化表現を好む」とのこと。なるほど納得できる部分がある。
また「ハビトゥス」自体が人々を分類していく、ということを初めて知った。音楽や美術作品や芸術や芸能活動や学校や大学に、行為者が分類されてクラスターができるという見方は、これまでにしていなかった。あくまでも人が何を嗜好するか、という方向性しか考えていなかった。
第2回は「趣味」を中心に取り上げている。私は人並みに趣味を持っているつもりだが、次のような構造があるという。「界」「場」において、行為者間で「自分が持っているハビトゥスや近く様式、あるいは自分の『ポジション』の価値を押し上げるために、趣味を通じて価値観の押しつけ合戦」(p.42)していると述べている。「シンボリックな利益をもとめて闘争」(p.43)し、ディスタンクシオンの動機が含まれている、としている。実務的には、ある趣味を対象にして卓越化の良否を判断し、議論することで相互に分類しあっていると解した。振り返ってみると、ホルンの愛好家の中でも実はハビトゥスの押し付け合いを行っていると思う。使用する楽器一つを取ってみても、「やはりアレキ103黄色でしょう」「日本人は国産のヤマハ使用」「東独のメーニッヒやハンスホイヤーは音色は魅力的だ」「いやいやダブルホルンの元祖であるクルスペを吹かずにホルンを語ることなかれ」「パックスマンは機能的に優れている」「いつかはシュミトリ(シュミットのトリプルホルン)」などと本当に論争はつきない。ただ一つこの文脈でいえることは、ある程度の種類の楽器を試した上で、ホルン全般の基本的な奏法や知識や関係音楽作品を一通り了解されており、結果的にクラスターが形成されている点だ。著者は「何かを『いいな』と思うことは、必ず他の何かを否定する」(p.45)とまとめている。なおホルンではなくクラシック音楽の話として、チャイコもバッハも聴く人は最新のポピュラー音楽を聴かないという例示は、私にも適用されており典型的なケースであることが確認された。
第3回は本テキストのハイライトと思われる「文化資本」がテーマ。文化資本は、文化財、教養、学歴、文化慣習、美的性向を指し、それらが資本として機能することが定義された。簿記論的な文脈に引き寄せて考えれば、資本はB/Sのようにその時点で測ることができ、P/Lのように日々蓄積することができそうだ。著者は、「文化的な態度は社会的機能を持っており、それ自体が『賭け金』になるというのがブルデューの考え」(p.70)であり、「それが得やすい環境にある人ほど多く所有」していると説明している。
インパクトのある指摘として次の一文がある。学校は「本来は階層に関係なく優秀な人を選抜することが目的であり、階層をシャッフルする機能が期待(p.76)されていたが、実際には「選別と格差の維持」が行われていると、教育社会学の中で参照されるという。例えば、上流階級の子女が通う学校が社会に歴然と存在しているが、これは選別と格差を維持している学校の代表格といえよう。そしてそこに勤める教職員は、選別と格差の維持のために使用され日々邁進しているという見方もできる。
第4回は著者である岸の研究に対する思いや考え方も披露された、幾分自由度の高い記述になっている。またブ���デューを先行研究に位置づけた気鋭の中堅研究者たちも紹介されている。この章を通じて質的研究の重要性を感じた。著者等の研究者は、インタビューを通じてインタビューイのハビトゥスを理解することに注力している。それは「マクロな社会構造や歴史的変動のなかで、その人がどのような人生の軌道を歩んできて、どのような(広い意味での)合理性を持つにいたったか、ということを理解すること」(p.96)と主張している。
以上までがテキスト全体を通じた感想である。一読することで「ディスタンクシオン」に登場する代表的な概念と、関連する研究法を概観することができる。
※なお読み進めていく中で、研究のヒントやアイデアを効率的に得ることができた。記して著者に感謝する。
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この年末年始に学んだ言葉で印象的なのが「他者の合理性」。分断がキーワードの今の国内外情勢を乗り越える希望になる考え方じゃないかと思います。
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面白かったです。ネットでは定期的に自分は恵まない田舎の出身で都会の文化資本が羨ましいという個人の体験談がバズりますが、これからはそういう意見に対して「ブルデューを読もうね」と返せそうなのでいい学びを得ました。
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初めて耳にした名著。自らが選んだと思っていた趣味ですら、出身階層によるものだと知った。自分や友人の事をよく考えてみると納得できる内容も多い。決定論的な箇所もあり、柔軟性にもかける気がするのだが納得してしまう。原書は難しすぎて読めなさそうな本でもある。
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第一回の放送を見て、岸政彦さんの語り口にすっかり魅せられ、テキストを買って一気読み……すっかり世間のはやりに乗ってしまった。
「趣味」を対象に、「稲妻の一撃」のようなひらめきで何かに惚れ込むというのは幻想で、実はその受容体は、社会階級や貧富、教育といった素地によって作られているのだという話。大元のブルデューの本は、とても難しそうで手を出す気にはなれないのだけど、噛みくだいた話をきくと、いくらでも卑近なところに引きつけて理解してしまいたくなるという(笑)
では趣味のような(文化資本)は階級によって固定されてしまうのかというと、きっとブルデューが目ざしていたのはそうではないはずで、岸先生は「ブルデューの主張は希望のない決定論ではない」と書いている。過酷ではあるけど、他者に対しても自分に対しても幻想を持たずにその本質を知ることを可能にするのだと。
そこらへんが、いまひとつわからなかったので、残りの放送を楽しみにしつつ、テキストももう一度読み直そう。
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テレビ番組の方は見る余裕がなさそうだけれど、買ってみた。「考える人」連載でおなじみのおさいさんのイラストも入っていてたのしいテキスト。
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テレビ番組「100分で名著」。今回はブルデューの「ディスタンクシオン」。ブルデューは聞いたことはあったが、著作に関する本を初めて読んだ。
なるほど確かに夢も希望もない話だと受け取る人もいるかもしれないが、個人的にはそう思わないし、この解説本の著者も決してそうではないと仰っている。確かに学校以前も環境で学校生活がある程度規定されてしまっているかもしれないし、趣味でさえ環境の影響で必然的に選び取っているのかもしれない。ただハビトゥスは後天的に変えうる。そして、ブルデューの論は昨今流行りの自己責任論を超克していけるのではないか。自己責任論を克服しながら、後天的に変えられるものを変えていく。そういう風に捉えるのは決して的外れではないはず。
そして、有限の中を無限に生きること。それこそが自由なのだという点は大事にしていきたい。もちろん、権力者が有限を振りかざして民衆を抑圧しようとする時には断固戦っていかなければ。
解説本ながら、大変面白く読めました。
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好きに個人が選んだようにみえて、型にはまってしまう、ディスタンクシオン、という社会学について。
時間かけてじっくり読まないとなかなか難しい。でも事例はあげてくれてるからなんとかなりそう。
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番組のオンエアを見て内容が気になって購入。
ドライで救いのない決定論のような印象が、「他者の合理性の理解」「不自由を知ることによる自由」という身近なものの捉え方として転換されるのがすごく面白かった。
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『ディスタンクシオン』は、30年前に出版され、当時よく使っていた大学生協の書店に置いてあった。銀から少し紫がかった色の重量感のある二部に渡る本。何度か手を伸ばそうとしたが、その価格の高さに少し尻込みをしてついに買うことはなかった。何が書かれた本なのかはよくわかっていなかったが、それでもどこか強く惹きつけるところがある本だったことを覚えている。ピエール・ブルデューという新進気鋭の社会学者という名前に惹かれていたのかもしれない。
30年が経ち、評価も定着し、すでに古典のひとつにも数えられようかという『ディスタンクシオン』がNHK 100分de名著で紹介されるというので、録画をし、この本も手に取ってみた。紹介者の岸さんは、大学三回生のときにこの本を手に取って、夢中で1,000頁もあるこの本を一晩でむさぼるように読んだという。岸さんはその影響を受け、研究の道に入り、沖縄の人びとの生活史の研究を続けているという。
la distinction - 英語と同じ綴りで「区別」である。個人的な趣味や嗜好が、いかに区分された階級などの社会的構造に規定されているのかについて、社会学的な膨大なフィールド調査をもとに明らかにしたものである。ハビトゥス(habitus)は著者によると「傾向性」「性向」
であり、ブルデューによると「非常に深いレベルで私たちの嗜好や行動を方向づける「身体化された必然」」だという。ハビトゥスは個人のパーソナリティよりも、家庭や学校の中で人びとの相互行為の中で社会的に構築され、多くの趣味嗜好を方向付けるものなのである。例えば、自分がこういう本を読むに至ったのも自分が過ごした学校の中で形作られたハビトゥスの結果なのだ。日本における「学校」が生み出すハビトゥスへの影響は自分がそう思っているよりも強いのかもしれない。また、JAZZを聴くようになったのは大学時代にたまたま田園調布に家庭教師に行った際に、その教え子が聴いていたものを紹介されたからだが、そこではおそらくはJAZZを聴いていいと思うような家庭のハビトゥスがあったからだろう。
「「眼」とは歴史の産物であり、それは教育によって再生産される」というブルデューの言葉は、それが逃れられないものではないにせよ、想像するよりも強く個人を縛るものであるように思われるのだ。
この本の中では『ハマータウンの野郎ども――学校への反抗・労働への順応』が紹介されるが、同じように最近の本で、映画化もされるようだが、『ヒルビリー・エレジー 』も同じような労働者階級が自ら固定されていく様とそこからの離脱に教育の果たす役割、逆説的に彼らがいかに教育から離されているか、を個別の事例であるが示したもので興味深い。
ブルデューは、学校は格差を再生産する場と考えたが、文化資産を獲得する場でもあると述べていると書かれているが、その両義性を意識しておかないといけないのだと思う。
こうやって、NHKの放送とサブテキストであるこの本を読むと、その言いたいことは非常に明解なように思われる。それにも関わらず、この本は難解な大著と見なされ、その評価は30年前に本の価格以上に自分をこの本から遠ざけた原因でもあった。ブル���ューも通俗的な理解にならないように敢えて難しく書いたところもあると推察される。
中国人の部屋などで有名な哲学者のジョン・サールが、フーコーに対してなぜあんなに難解な書き方をするのかと聞いたところ「フランスで認められるためには理解不能な部分が10%はなければならない」と答えたという。そのことを、さらにブルデューに話したところ、「10%はだめで、少なくともその二倍、20%は、理解不可能な部分がなければ」と語ったという。ハビトゥスについて、次のように書かれた文章を読むと、そのことが実感される。そして、それがまたある階層のハビトゥスの中で積みあげられた何かをいたく刺激していたのだ(それが売れるということにつながった)。
「ハビトゥスとは、持続性をもち移調が可能な心的諸傾向のシステムであり、構造化する構造(structures structurantes)として、つまり実践と表象の産出・組織の原理とっして機能する素性をもった構造化された構造(structures strucurees)である。(『実践感覚1』)」
著者は『ディスタンクシオン』を次のように評する。
「いずれにせよ、「その人がその人である理由」を、非常に強力な理論で緻密に言語化したのがブルデューの『ディスタンクシオン』です。その晦渋で難解な文体とは裏腹に、彼がやっていたのは実は、人生の社会学なのです。ここで描かれているのは、自分たちなりに自らの人生をより良いものにするために懸命に闘っている人々の物語なのです」
著者は、『ディスタンクシオン』を「私たちがどれくらい不自由なのかが描かれた、自由についての本」だという。自由意志も、行動の自由も含めて、「自由」はわれわれにとってそれほど自明なものではありえない。そして、逆説的に「自分の自由を制限している構造的な条件づけの、その条件自体を知るということは、人間が成し得るもっとも知的で自由な行為である」と言う。自分が『ディスタンクシオン』を読みたいと思うのもハビトゥスから来るもので、それはある意味では自由な行為ではないのかもしれないが、歴史的に築かれた構造によってなされた行為なのだ。普及版が出て少し安くなっているようなので、いつか読んでみたい(できればkindleで)。
『ディスタンクシオン』をサポートする本としてはとてもよい。何より読みたい、知りたいと思わせる内容。NHK 100分de名著はセンスがよいな。
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『ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち』(J.D.エバンス) のレビュー
https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4334039790