紙の本
創造力にAIの刺激
2022/09/30 09:34
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投稿者:令和4年・寅年 - この投稿者のレビュー一覧を見る
数学者によるAI研究の分析。人工知能はいかなる発展を遂げているのか。囲碁、数学、絵画、文芸とその創造力が注目される。人間の創造力に刺激を与える知的興奮の書。
紙の本
AIのスリリングなノンフィクション
2023/07/27 08:46
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投稿者:天使のくま - この投稿者のレビュー一覧を見る
数学者にして、リチャード・ドーキンスの後任として「科学啓蒙のためのシモニー教授職」もつとめる。科学ノンフィクションであるにもかかわらず、本書は海外文学のブランドの新潮クレストブックスの1冊。でも、十分に文学作品でもあるし、これまでの作品はいずれも、何かを探していくミステリーのようなスリリングな物語でもある。
ソートイは数学者なので、最初の頃は素数とリーマン予想、あるいは対称群とモンスター(とよばれる対称群がある)を扱い、さらに前作『知の果てへの旅』ではさまざまな科学の分野の最前線に足を運んでいった。そこには、シモニー教授職として、数学以外の分野にも接近していくモチベーションがあった。
ということで、今回のテーマはAI(人工知能)である。AIはどこまでクリエイティブになれるのか、もしなれるとしたら、人のクリエイティビティには意味がなくなるのか、ということだ。あるいは、シンギュラリティはやってくるのか。
例えば、AIがどれほどまで囲碁が強いのか。現時点では、囲碁も将棋も人間より強い。では、音楽はどうなのか。作曲家のテイストをAIが学ぶことで、テイストを合わせた新たな作品をつくることができる。では、レンブラントの絵は描けるのだろうか。数学者にとっても、他人事ではなく、AIによる証明をどのように考えるべきなのか。
もっとも、AIのすさまじい学習機能とそれを通じたアウトプットに対して、人間はそれすらも利用することができる。将棋や囲碁において、新たな手が発見されれば、棋士はそれを自分のものとしていく。音楽家もまたAIがつくったリフを取り入れていく。数学の証明の場合、検証しようがなくて困るかもしれない。手塚治虫の新作が描かれているというのも、それはそれで魅力的ではある。
では、AIはレンブラントの絵を描くことができるのか。というのは、ミステリーの犯人を書いてしまうことに等しいので、伏せておくけれども。今回もスリリングな知的探求の本であり、専門知識不要で楽しめる本でもあった。ソートイとAIの距離感が、なんかいい。
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アルゴリズムを作り上げる過程は、「人間とは何か」という問いそのものであることを再認識した。
人間は、知っていることと知らないことの間の緊張にこそ刺激を受ける、という記述が印象的だった。
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『一つ前のムーブメントがあればこそ、そのムーブメントの創造性が実感できる。いうまでなく、わたしたちが何かを新しいとするうえでは、歴史の流れが重要な役割を果たす。創造とは、絶対的ではなく相対的な活動なのだ』―『第二章 創造性を作り出す』
数学は若者の学問だと、数学者は好んで言う。それは難問に対する「一瞬の閃き」が、脳細胞の動きの活発さとそれを支える物理的かつ精神的エネルギーの量に依存するから。もちろん、どんな規則にも例外があるように熟年の数学者が成し遂げた偉業もあるだろうけれど、多くの数学者と同様に著者であるマーカス・デュ・ソートイも40歳を過ぎてから上梓した「シンメトリーの地図帳」の中で自身の業績の足跡を追いかけながら自らの老いを嘆くような口調を見せていた。ふむ、自分は数学者ではないが、確かに技術的課題に対する解を探る時にそれと似たようなことは感じたことはある。ではそれが統計的にも有意と認められる事実だとして、「閃き」とは何処から来るのだろう。その機構、思考過程が解明された暁には数学者は膨大な記憶容量を持ち疲れ知らずコンピュータに取って代わられるのだろうか。数学者であるソートイが機械学習による「創造性」の探求に興味を示し、かつ、恐怖を感じたのは、ある意味でとても自然なことのようにも思う。
「レンブラントの身震い」とはイギリスの美術評論家ジョナサン・ジョーンズの言葉で、画家レンブラントの作品と向き合った時に人が感じる戦慄のようなものを示す表現であるらしい。比較的大量に観測データのあるレンブラントの絵画の特徴を深層学習によってコンピュータに取り込み、それを元に新しい絵画を描いたネクスト・レンブラント・プロジェクトの結果を観て、評論家はその絵からはそのようなものを感じなかったと言ったという。この結果はウェブ上で閲覧(実際には三次元プリンタによる作品で、実際の絵画のような凹凸がある)できるが、美術評論家ではない目には「レンブラントっぽい」と映る。その点は著者のソートイも『その絵がレンブラントの様式の何かを捉えていることは否めなかった』と記す。その違いが全て「創造性」という言葉に還元されるとは思えないが、レンブラントをレンブラントたらしめるのは「レンブラントらしさ」だけではない、ということが本書を通じてソートイがやんわりと主張していることである。もっともソートイはコンピュータに「レンブラントらしさ」を生み出すことが決して出来ないと結論付けている訳でもない。
『ある意味で、言語はわたしたちを取り巻く環境を低い次元に投影したちのである。フランツ・カフカ述べているように、「すべての言語は貧しい翻訳でしかない」。物理的な椅子はどれも互いに異なっているが、言語においてはそれらが「椅子」という一つのデータポイントに圧縮される。だがこのデータポイントは、他の人間が経験してきたすべての椅子に展開することができる』―『第十四章 言葉のゲーム』
原題「The Creativity Code(創造性のプログラム)」が示す通り、本書は絵画における機械学習の成果、創造性らしきものの発揮だけに焦点を絞ったものではない。深層学習というもの��正体を平易に説明する導入部から、芸術における「ランダムさ」の意義を経て「マルコフ過程」へと歩み寄り、あらゆる芸術の分野において「アルゴリズム」が意識的に、あるいは無意識の内に存在していることを明らかにする。「アルゴリズム」であればコンピュータがその特徴を分析し模倣することは可能だ。そして絵画、音楽における機械学習の成果の一定の成功例を示した上で、最後に「言葉」の問題へと迫る。そして、有名なサールの「中国語の部屋」の思考実験の例を引きながら、意味のありそうな出力をすることと出力の意味を理解することの違いには、大きな溝があると説く。もちろん、言語の持つ曖昧さ、多義性などを考えれば、人と人の間にすら言語を通した完全な意思の疎通はあるのか、と問うことも出来る訳なので、その問題はコンピュータにのみ課された課題ではないだろう。問題は言葉の定式化された受容ではなく、入力によって生じる精神活動の方なのだから。
本書の最後では、そのような不完全なコンピュータによる「疑似物語」生成の現実が幾つかの不気味な例で示される。2016年の米国大統領選挙におけるケンブリッジ・アナリティカの例を、データマイニングを結果を利用した誘導に人々が無意識の内に従った可能性としてソートイはやや極端に引いているけれど、ウェブサイトを閲覧している際に流れるコマーシャルの選択やアマゾンなどのお薦めに人々が広義での「共感」を覚えるのだとしたら、いずれコンピュータによる「物語」に人々が「共感」を覚える日が絶対に来ないとは言い切れない、と著者は締めくくる。
もちろん、お薦めが生身の人間なら善でコンピュータなら悪とするのもまた極端な原理主義者のようでもあり、これに与する気にはならない。そもそも、あらゆる環境的要因から独立な存在などあり得ない。最後はやはりどうしてそういう結論に至るのかを「自分の頭で考える」ことが大事ってことなんだろう、って橋本治がとっくの昔に言っていることだね。まあ、そういう側面もあり近頃の若手技術者がやたら多変量解析で結論を出したがるのをよしとしたくない気持ちがあるんだよね。
ところで本書の中でソートイが読者に差し出す問いは難問だ。自分の推定は、機械学習によって作られた文章が陳腐な物語を作る程度のことは出来る、という辺りの文章が答えなんじゃないかな、というもの。引用される作品名などが少し極端なような気がするし、この文章をコンピュータが書いたのだとしたら捻りが利いているし。
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日本経済新聞社小中大
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レンブラントの身震い マーカス・デュ・ソートイ著 AIはどこまで創造可能か
2021/1/23付日本経済新聞 朝刊
朝起きると、柔らかく背中を押してくれるような、やる気を掻きたてるような音楽が流れている。壁には、長谷川等伯の松林図を思わせるタッチで描かれた街の絵が映っている。スマートフォンを起動すると、マイクロ連載小説の最新話が届いている。毎回200文字くらいで、1分もかからず楽しめる。
これらの音楽、絵画、小説は、どれも人工知能(AI)によって生成されたものだ。しかも、日々の行動の記録や、スマートウォッチから収集される各種生体データに基づいている。体や心の状態に応じてつくられる創作物だ。
こんな未来はやってくるだろうか。AIは創造性を獲得するだろうか。『素数の音楽』や『知の果てへの旅』といった名著でお馴染みの数学者マーカス・デュ・ソートイは、本書でこの問いを携えて、創造のさまざまな領域を巡り歩きながら案内してくれる。ゲーム、美術、音楽、小説について、現在のAIは、なにをどこまで創作できるか。その仕組みはいかなるものか、というわけだ。
この興味の尽きない問題には、2つのポイントがある。数学と人間だ。
AIの基礎には、アルゴリズムという数学に由来する発想がある。ある課題を解決する手順のこと。コンピュータでは、文字でも画像でも音でも動画でも、なんでも数字として扱う。数字の操作で課題を解決する装置だ。では、これを使って、読んだ人の心を揺さぶるような小説を生み出す、そんなアルゴリズムをつくれるだろうか。
他方で、コンピュータに創作させようとすると、いやでも直面する問題がある。そもそも創造とはなんなのか。例えば、人はどうやって絵を描いているのか。実はこれがいまだによく分からない。それをコンピュータで試してみた結果、レンブラントのような絵を生成できたら、そこには創造の秘密が現れているかもしれない。
でも、そうなったら、人間の音楽家や作家や画家は、コンピュータにとって代わられるのだろうか。同じように創造性が必要な数学はどうか。これは著者にとっても、身震いを禁じ得ない問題なのだ。
とはいえ、こんなに面白い本を書けるAIは、今のところつくられていない。著者が優秀なAIではないとしての話だけれど。
《評》ゲーム作家 山本 貴光
原題=THE CREATIVITY CODE(冨永星訳、新潮社・2500円)
▼著者は65年生まれの数学者。英オックスフォード大数学研究所教授。
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創造性とはなにか。
新しいこと 驚きがあること 価値があること
自己の内面を表現し、他者に働きかけ共感したいという欲求に立脚したアート。
囲碁 音楽 絵画と数学の親和性。構造を持ち、大量のデータを処理させることで人間に迫ろうとする人工知能
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デュソートイ「レンブラントの身震い(The Creativity Code)」https://www.shinchosha.co.jp/book/590169/ AIとクリエイティビティ。文学、音楽、美術等様々な人文分野でAIにトライさせてきた事例を読むのだけでもおもしろいしAIの学習過程を垣間見れるのも楽しい。ただそろそろAIの限界、ての以外のを読みたいな(おわり
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AIはどこまでアートが可能なのか。囲碁でAIがトップ棋士を負かしたことは大変な衝撃であったが、絵画(レンブラントプロジェクト)や作曲、数学の証明など、様々な分野でAIの活躍が目立つ。著者の結論としてはおそらく最も創造性を必要とされるのはストーリーテリングの能力だろうという。詩のフレーズやジャズの即興演奏など、短いものはうまくやれても物語を語るためにはどこに向かうかという意識が必須であり、AIがそこまでの能力をもつ日は来ないだろうという。芸術の本質は、同胞と意識の共感を拡張していくプロセスなのだ。
(たしかに、AIしかいない世界になった時、芸術を表現しようというAIは出てこないような気がする)
・創造性とはなにか。マーガレット・ボーデンによると3つに分けられる。
1.探索的なもの。辺縁を広げていく。バッハが広げた限界を後世のモーツアルトやベートーベンが古典派としてつないでいった。97%はこのタイプの創造性
2.組み合わせによるもの。数論のツールを幾何学に応用するなど
3.全く新しい、ゲームチェンジ。キュビズムや虚数の発明など
・創造性とは単なるランダムさなのか。ニューロンのランダムな発火の結果にすぎないのか
・数学の証明にコンピュータを使うことは許されるのか。われわれは一人の数学者にしか理解できない証明は認めない。そうであればコンピュータにしか実行できない証明も同じではないのか
・何かを教えたりプログラミングするというのはすでに行われたことを真似るやり方を示すことであり、創造性とは両立しないと考えられてきたが、AIの発展がその予想を覆した。このAI革命を支えているのは大量のデータで、これによりボトムアップでAIを鍛えることができるようになった。しかしバッハのようにかなり多くの作品を残している音楽家でも389曲に過ぎず、これはボトムアップで学ぶAIに与えるには少なすぎる
・ちょっとしたBGMはコンピュータで作曲できる。パターンをアルゴリズムにしたがって変化させていくことを繰り返す。実際、24時間に渡るドキュメンタリー番組ではこの手法でBGMが作られたことがある。
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AIの進化を追いかけるとともに、現在どこまでできるようになっているのかを考える。それも創造性がテーマだ。
将棋や囲碁でAIが人間を凌駕したのにも驚いたけど、芸術の世界にまで来るとは。音楽はまだ分かる。それも作曲なら理論(ある意味アルゴリズム)があるからね。でも人を感動させるものを生み出せるのか。そも創造性とは何か? 人は何に感動するのかまで考察していく。とっても楽しい一冊だ。何より日本語タイトルがいいよね。これ原題は「The Creativity Code」っていうんだけど、邦題の方がシャレてるよね。
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レンブラントをAIに描かせると、模倣はできるが、身震いする作品にはならない。なぜならAIには作品の背後にある心がないから。
囲碁、クラシック、ジャズ、絵画、詩、小説、数学 様々なAI研究の実例を示しながら、AIは恐れるに足らずという結論 にはならず、かといって恐怖を煽るわけでもなく、淡々と事実からAIの将来を推論していて、数学者らしい著作である。
レンブラントみても、感動しない私はAI並みなのかも。
人間はストーリーと共にデータを示すと納得するという記述に、昨今のコロナ対策の答えが見えた。コロナ対策で個人毎に外出自粛を誘導するストーリーを作るAIを開発すれば良いのに・・・
ちなみにAIに心が宿るか?は多くのSFで論じられているが、人間の心も巨大なIF-THENの集合が生み出していると考えればAIにも可能になるのでは?
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模倣と少しの創造性、という話を読んでいて、建築学科に入ってはじめてのスタジオ課題の講評会打ち上げで、私は先生たちに教えて頂いた参考事例を真似して繫ぎ合わせているだけなんですけど、果たしてそれでいいのでしょうかと相談したときに、みんなそうやって創ってるから大丈夫と励ましてもらったことを思い出しました。それから、私はあらゆるジャニーズコンサートを見るときに自分のDNAたる嵐アルゴリズム(笑)と比較しながら見ている自覚があるので、私もそうやってジャニーズライブを見ながら学習・アップデートしているんだろうなと思った。
囲碁ゲームの話がめちゃくちゃ面白くて、うわーAIこえー!と思いながら読んだけど、AIが偉大な芸術家たちの作風を完璧に模倣するためには彼らの人生の起伏を経験しなくてはならない、その情感は真似されないという話を読んで、きっと人の創造物に触れたときに生まれる私の感情は私だけのものであり続けるのだなと勝手にほっとしたりもした。
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AIの現状の進化を紹介した一般書。芸術とかゲームとかは消化されているけど、産業の応用の紹介がなくて残念。
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2016年、「失敗から学ぶコードに基づくアルゴリズム」ディープラーニングによって造られたAIが世界一の囲碁棋士を打ち破った。ゲーム、絵画、音楽、文学、そして数学のように創造性が必要とされてきた分野も、AIの領域となる未来がくるのか。数学者が楽しく解説。
いま話題のAIとクリエイティヴィティーの問題をドンピシャで捉えた一冊。とはいえ、タイトルと表紙から連想する画像生成AIの話はそこまで大きなトピックではない。本書で大きく取り上げられるのはアルファ碁と音楽と数学である。
特に、ともすれば一番AIと互換性があるかのように思われてしまう数学が創造的な行為なのだと説く章は、数学者であるソートイの熱が伝わってくる。ここを書きたくてこの本を書き始めたんじゃないかと思うほど。一方で、音楽理論や囲碁も数学に近しいからこそAIの活躍が見込める分野でもある。
読んでいて思ったのは、人間には人間らしい考え方のクセがあり、AIにはAIのクセがあるということだ。今は"異文化"であるそのクセが新鮮に見えている段階。そして、人間のなかにもAIに近い考え方のクセを持つ人びとがいて、それが数学者なのではないだろうか。
たとえば今、スマホで撮影・編集が簡単にできるようになったことで、カメラマンや映像編集の仕事は変容しつつあるのだと思う。アルゴリズムによる変化もそれと同じく、「AIに仕事を奪われる!」と単純に騒ぐのとは違うかたちで現れてくるのだろう。Spotifyがフェイク(というか虚無)のアーティストを創りだし、プレイリストに混ぜてまんまとヒットさせていたという話は知らなかったし面白かった。AIが作った「○○っぽい曲」が巷に溢れたら、それをまたアルゴリズムがボトムアップで学んで「○○っぽい曲っぽい曲」を作るんだろうか。でもそれって人間もやってることだよな。
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著者がAIを前にして人間の能力を改めて考え直し、迷いながら書いている感じが伝わってくるところはよかった。
ただ、創造性や価値とかは人間側に判断の基準があるので、AIが作ったとわかっているものに対してあれこれとケチをつけて魂が無いだとか言うのは簡単だろうと思った。
AIが人間のように振る舞う作品について、AIが言わされているだけで、本当はAIの製作者の野心だ、といった記述があった。しかし、作者自身の野心とは何か?
他人が心から言っている言葉か言わされている言葉かどうかなど本当のところ分かりようがない。AIが人間のように振る舞うのを見るのと同じように、人は他人が人間のように振る舞うのを見て、心の中がどうとか想像してみるだけである。もちろん、自分自身に対しても。
機械同士がコミュニケーションをとるようになり機械の世界における価値が生まれれば、機械にとっての価値がある数学や芸術を作れそうな気もする。
総じて色々考えるきっかけにはなった。