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生きていると、どうしてこのようになったのかと思うことがある。その中には地名もある。
今回の本は地名に関する本で、地名にもいろいろなドラマがある。
たまにニュースで「二階級特進」という言葉を聞くことがあるが、地名の世界にもあった。それは、兵庫県武庫郡精道(せいどう)村だ。
1939年には、人口がおよそ4万人という村で、翌年に町を越えて市に昇格した。この市は今のお金持ちの集う町として知られる芦屋市だ。芦屋にそんな過去があったとは知らなかったザマス。
「仲良し系」の町村名では、地名にも市町村の対等合併の苦労の痕跡が残っていることが分かる。
「共和」「協和」「和」といった地名は、みんな仲良くという意味が込められているのだろう。中にはドロドロの争いがあって「何とか砲」に掲載されるような事例もあったのかなあ。こういう言葉を強調しないといけないくらいビリビリしていたのかと思ってしまう。
「通りの良い地名」に変えるでは、より知られるように変えた事例を紹介している。
静岡県にある御殿場市は、伊勢神宮の荘園の名として採用した御厨町だったが、御殿場に駅ができたことから、1914年に御殿場町と変えた。
地名をひもとくといろいろ知らないことが見えてくるなあ。
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<目次>
第1章 合成と「めでたさ」で創作
第2章 山と川、それに観光と名産
第3章 いろいろ事情がありまして
第4章 東西南北中新といえば
第5章 歴史的地名リバイバル
第6章 市町村名とその都合
<内容>
読んでみると、日本人は古代から合成地名が好きで(二つの地名を縮めてつなげる)、東西南北(北は少ない)をつけるのが好きで、ということがわかった。しかし、平成の大合併は多くの歴史的地名を亡くしたことは確かだ。殊に合併のときに、各市町村の「メンツ」って何なんだろう?「わかりやすい(地元の人にも他地域の人にも)」「すでに人口に膾炙している」「伝わりやすい」という視点が欠けている気がする。地名のイメージは、たとえば「湘南」でもかなり違うことは、日々の雑談でもわかったりするが、「伝える」という視点が大事な気がするのだが…。
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地名の由来の話はうんちくとしては好きだ。が、うんちくが本にまとまっていてもちっとも面白くない。
最近の安易な名前のつけかたをあげつらうのもなにか爽やかさがないし、著者の思考のアップダウンも読み取れるものでもない。
もっと地名に対して激しい感情をぶつけてくれたらいいのに。