紙の本
古典童話シリーズ
2021/08/29 17:10
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投稿者:るーるー - この投稿者のレビュー一覧を見る
福音館書店の古典童話シリーズを子供が好んで集めています。このたびバンビが発売され、興味津々。 購入後、あっという間に読んでしまいました。それほど魅力的な文章だったのだと思います。
悲しい場面もあったようですが、バンビの強さに感心していました。
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バンビは(ディズニーの映画は有名だけど)原作を読んでいる人はあまりおらず、映画とはかなり違う、ということは知っていた。
岩波少年文庫で読んでみようかと思ってからもう長いこと経ってしまったが、酒寄さんの新訳が出たのでいい機会だから読んでみることに。
ディズニーアニメでは火事が大きな事件だったが、こちらで森の動物たちの恐怖の対象となるのは人間。
ハンターがしばしばやってきて、鹿や鳥を殺していくことが最大の恐怖で、それに比べれば鹿同士の喧嘩や冬の寒さや飢えなどは大した問題ではない。
狐はいるが、鹿を捕食するような大型の肉食獣はいないので、人間さえ来なければ平和で豊かな森なのである。
ザルテンは他にも動物の物語を書いていて、解説で紹介されているが、今は『バンビ』以外一般には読まれていない。
ザルテンは1869年生まれで1945年没。シートンは1860年生まれで1945年没。
ほぼ同時代を生きて、同じ動物物語を書いたのに、シートンより読まれていないのは、動物が会話するからだと思う。シートン作品は自然科学の作品としてもいいけど、生態がきちんと描かれているとはいえ人間同様会話するとなると、物語としてしか扱えない。鹿も鳥も虫も、なんと葉っぱまでが会話する。宮沢賢治の作品でも動物や植物が会話するけど、あれは文学作品(賢治の思想を書いた作品)で、こういう動物物語とは違うからなあ。シートンよりアニメにしやすいのも会話するからだろう。
しかし、会話するからこそ、バンビの成長が人間と同じように感じられるという点は長所でもある。
幼児期は無邪気で母親に甘え、思春期には喧嘩したり競争したりし、恋をして恋する相手以外何も見えなくなり(発情期)、青年となって生き方に悩む(悩み始めたら恋の相手のことはすっかり忘れてしまうのは人間にもあるあるだ。)。幼児期には母親が、思春期以降は古老と呼ばれる牡鹿が導いてくれるところが古典的な成長物語という感じ。
恐怖の対象であった人間もいずれ死ぬ身の同じ動物である、と気づくのはまあいいけど、「わたしたちすべての上に、わたしたちとアイツ(人間)にまさるものが存在するということなんですね」(P266)にはがっかり。鹿がそんなこと思うだろうか。それは人間の発想じゃない?
でも、読んでみて良かった。日本でも椋鳩十や戸川幸夫ら動物物語を書く作家が出てきたのも、ザルテンやシートン、バージェスらがいたからだろう。(バージェスの動物もしゃべっていたような記憶が。でも数十年前の記憶なので違うかも。)ジャック・ロンドンなんかも。
動物にも感情があるという今では当たり前のことも、当時は新しかったのかもしれない。
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温かくて残酷で強くて、とても良かった。子供の頃にディズニーの絵本を読んだ記憶があって、火事はいつ起きるのかと思ったら火事は起きないし、いい意味で度々期待を裏切られて、そこが期待どおりでとてもいい本だった。強くて美しい。
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バンビ、
子供の頃、ディズニーの絵本を持っていて、
その可愛さが大好きだった。
でもすっかり絵本の内容も忘れてしまい、
本物のバンビは、ただただ可愛いだけなんかじゃない、森に生まれ落ちたノロジカの、
とても美しくて、厳しくて、尊い一生の物語だった。
人間の卑怯さと
古老のかしこさ。
ここからネタバレ
好きなセリフ
「アイツとわたしたちには差などありはしない。わたしたちとおなじなのだ。なざなら、アイツもおびえ、苦しみ、なやむからだ…。」
「しっかり生きるのだ。」
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幼少期、絵本があり読んだ覚えがある。
しかし、内容は忘れてしまっていた。
かわいいだけでなく、野生動物の現実を突きつけられる。
ディズニーアニメにもあるはずだが、こんなお話だったかな?
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読んだほうがいいんだろうなぁ……と、図書館で借りました。
ノロジカのバンビは、森のしげみの奥で生まれました。
ある日、母さんの姿が見えずにさけび声をあげていると、堂々として背が高く、威厳のあるノロジカの古老と出会いました。
2022年はじめの一冊。
上質な動物物語でした。
福音館古典童話シリーズはとっつきづらくて、読み始めるまで何週間もかかってしまいましたが、読み始めの一文目、「その子は、しげみの奥で生まれました。」から、良質な文学感が薫ってきて、2日くらいで読めました。
ディズニーのバンビのイメージとは別物です。
人間が森の動物たちをどんどん仕留めていく描写は、一瞬で簡潔。
雪に流れる血から湯気とか、恐ろしいのになぜかきれい(殺生を肯定するわけではない)でした。
P96「自分の耳で聞き、鼻でかぎ、目で見るのだ。自分で学べ」、「しっかり生きるのだ」ってね、背筋がぴんとしました。
人間や動物より上の存在って、自然や運、つまり西洋的には神ってことなのかなぁ。
強さとか弱さとか、自由は危険と隣り合わせとか、いろいろ投影されているんだろうなぁと読んでしまうのは、大人の残念さだ。
でもまあ、いいや!
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「ディズニーの『バンビ』は私が知る限りもっとも暴力的な映画」(タランティーノ)
「ディズニーの『バンビ』は私が唯一、受けとめきれずに上映途中で劇場から立ち去った映画」(ギレルモ・デル・トロ)
「バンビの親を殺すな。許せない、ディズニーは狂ってる」(スタンリー・キューブリック)
~https://twitter.com/korimakorima/status/1627172375828770817 より
という評で興味をいだいたのに映画ではなく書籍にあたる。
富野由悠季、宮崎駿の弟子筋にあたる監督らは、ディスコミュニケーションやファザコンを公的に表現することがある。
Gロボにおける悲劇のひどいオチ(あるいは発端)はディスコミュニケーションをこじらせたものだろうし、初見の巨大人形決戦兵器に乗れなきゃ帰れというのは即戦力以外不要であろう制作現場を照射しているように思える。
シカが子どもに対してまともに教育しない(できない)さまを見て、そんなことを思い浮かべてしまうのもどうかしてる。教えるのではなく道を示すのは描写的に映える。だが、そのさなかにいる者、特に教えられる立場の者にとっては抜き差しならぬことがある。
なぜ、求道僧のごとき生き様を、バンビに歩ませたのだろう。一方を聖なるものとし、他方をそうではないものとして描くことで対象を際立たせる。それがゆきすぎてバンビには聖にあらざるいかなる行為も許されなくなった。著者の創造物でありながらアンタッチャブルになってしまった例だ。
余談。
ときめもGS的な環境で、攻略対象または推しをバンビと称する作法が存在することは知っていた。本文中で周辺の小動物がバンビをして貴公子よばわりする。おそらくそれに由来するのだろう。